第6話

 妖魔対策法 第五条

 退魔師は、退魔活動と認められる場合にのみ術式を行使することができる。




 体育の授業で私が引き起こした騒動は術式の退魔活動外行使として判断された。学校はすぐに県の妖魔対策課に連絡、私は職員室に呼ばれて応接間に待機させられていた。


 私が体育倉庫に突っ込んだ直後、授業は中断されクラスメイトは4時限目まで自習ということになった。早苗に聞いたところ、あのときの私はいきなり斜め上に吹っ飛んでそのまま体育倉庫に墜落したように見えたとのこと。クラスメイトの皆は凄いものを見たと興奮気味であったが、教師たちは皆苦虫を噛み潰したような表情をしていた。


 術式の退魔活動外での無断行使、これは退魔師としては絶対にやってはいけないことの一つだ。今回の件だって、もしも体育倉庫の前に生徒がいたらと考えるとぞっとする。秒速50mで吹っ飛んでくる私とまともにぶつかったらその生徒は間違いなく大怪我を負うだろう。最悪その場で即死してしまうかもしれない。


 この件はクラスメイトの友人が思っているよりもかなり重い。PTAは学校側に管理責任を問うだろうし、そうなると私も自宅謹慎程度では済まないかもしれない。

 都道府県の妖魔対策課からも良くて厳重注意、最悪の場合は退魔師資格を数カ月間停止されてしまう可能性もある。


「やらかした……」


 肉体が半分霊体化していることを軽く考えすぎていた。

 まさか全力を出すとあんなことになるなんて思ってもみなかった。昨日も神社の裏山で妖魔を討伐していたが、そのときも全力で走ったりはしていなかった、せいぜい木の根っこを飛び越えるためにちょっと跳ねたりする程度だった。

 だから今の私の現状に気づくことができなかった。


 また他にも体育の授業が中断された後、体操服から制服に着替えるときに自分の胸が以前よりも大きくなっていることに気がついた。霊体化したせいでブラに締め付けられてもあまり痛みを感じていなかっただけなのだ。


 壊れたホックはどうしようもなかったので、今は後ろの部分を固結びにして何とか持たせている。帰ったら新しい下着を買いに行かないといけない、そんなことを考えていると応接間に担任の先生と見たことのある女性が入ってきた。


「お久しぶり、蛇谷さん」


「……お久しぶりです。山下さんですよね、たしか以前に退魔師会合でお会いした」


 本県の妖魔対策課の職員が学校まで来ることになっていたが、山下瞳さんが呼ばれたらしい。

 私と担任教師と山下さんの3人で事情聴取が開始された。



「まず今回の件に関して改めて確認させていただきます。体育の授業の短距離走において蛇谷さんが術式を行使した。結果、約80mの距離を飛び体育倉庫にぶつかったと、ここまでは間違いありませんか?」


 山下さんにそう確認され、はいと答える。


「先生、学校側で怪我をした生徒や被害にあった人物はいますか?」


「特にはいません、蛇谷さんが体育倉庫にぶつかったとき、その付近に生徒はいませんでしたので……」


「ありがとうございます、事件の概要はわかりました。次に蛇谷さん、今回の一件は意図的に引き起こしたものですか」


「いえ、術式を使うつもりはありませんでした、あの時は霊符も所持していなかったので」


 霊符なしでの術式の発動は寿命を縮めることと同義である。

 退魔師の事情に詳しい人間から見ると、あのときの私は寿命を減らして意味もなく吹っ飛んだ馬鹿な女子高校生だ。

 吹っ飛んだあと体育の先生に身体検査をされたので、私が霊符等を所持していなかったのはすでに証明されている。


「じゃあここからが本題ね、蛇谷さん、当県のデータベースに登録されているあなたの術式は【結界】と【分断】、この術式で本件のようなことを引き起こせるとは思えません。今回使用した術式は、何ですか?」


 今回の件をどう言い繕うかはもう考えてある。霊体化していることや、龍神のことを話すわけにはいかない。


 私は今から、嘘をつく。


「……今回使用したのは後天修得した術式です。術式の効果に関しては……秘匿させてください」


「蛇谷さん、あなたねぇ!」


 術式を秘匿すると言った瞬間、担任教師が怒る素振りをしたのを見て、山下さんはそれを止めた。


「先生、退魔師には術式を秘匿する権利があります。蛇谷さんが秘匿を希望している以上、当県としてはこれ以上踏み込むことはしません」


「でも、もしあのとき怪我人が出ていたら……!」


 担任教師の言うことはもっともだ。教師としての管理責任を果たすために、私の術式の概要は把握しておく必要があるのだろう。


「蛇谷さん、その術式を修得したのはいつ頃ですか?」


「先月の夏休み中です」


「術式のコントロールはできますか? 今回のようなことを起こさない程度に、です」


「……可能だと思います、日常生活で全力疾走する機会があまりなかったので今回はたまたま術式がでてしまいましたが、普通に生活するぶんにはコントロールできていましたので……」


 苦し紛れの言い訳に聞こえるかもしれないが、これが通るかどうかは山下さんの判断次第だ。腕を組んで考え込む山下さんを見つめる。


「……わかりました、今回の件に関しては蛇谷さんへの厳重注意に留めます。退魔師として、二度とこのようなことを起こさないよう気をつけてください」


「はい、本当にすみませんでした」


 頭を下げて謝罪する。

 山下さんが厳重注意と言った瞬間、心底安堵した。想定していた中では一番マシな措置だったからだ。口頭による厳重注意処分なら私の退魔師としての活動には何も制限は加えられない。


「先生、本県としての対応は以上になりますが学校側としてはどのような対応を取るお積もりですか?」


「……とりあえず蛇谷さんは1週間の自宅謹慎、あとはPTAからの苦情次第かと」


「わかりました、PTAへの対応に関しては私も協力致しますので、よろしくお願いします」


 PTAへの対応をすると言った山下さんを見ると、担任教師にはバレないようにこっそりとウィンクしてくれた。本当に山下さんは良い人だ、嘘をついてしまった罪悪感が今更襲ってきた。


 半霊体化したことは第三の術式として、今後も誤魔化し続けなければいけない。



 ■■■



『いやー、びっくりしたよ水琴、自宅謹慎になっちゃうなんて』


 事情聴取が終わったあとすぐに帰宅するように言われたので荷物をまとめて今は下校中、帰り道を歩いていると早苗から電話がかかってきた。そういえば今学校のほうは昼休みか。


『吹っ飛んだだけで自宅謹慎なんて先生も厳しくない?』


「それだけ術式の退魔活動外行使って罪が重いんだよ、ほんとに」


『別に怪我人もいなかったじゃん』


「そういう問題じゃないの」


 今回の件は私が未成年であることも加味してもらえた結果の厳重注意だ。別に退魔師活動にこれといった制限が加わるわけでもないので学校の謹慎以外は普通に過ごしていて問題ない。


 自宅謹慎に関してはちょうど良かったと言えばちょうど良かった。龍神に破られたせいで巫女服が一着減ってしまっているのでその巫女服の修繕や、今日気がついたことだが下着も新しく買いに行かないといけない。


 夕方に学校が終わってから日没までだとどうしても時間的に厳しいので、日中がフリーになるのは渡りに船だった。



『来週自宅謹慎あけたら彼氏のこと聞かせてねー』


「だから男なんていないって……、そろそろお昼休み終わりでしょ、もう切るよ」


『はいはーい、それじゃあまた来週ね!』


 早苗との通話を終えて自宅に戻ると龍神はまたノートパソコンで何かを見ていた。今回は映画らしい、こいつ私のamasonプライムを勝手に使いやがって……。


「ただいま帰りました」


「ん、今日は夕方まであると言っていなかったか?」


「……色々あったんですよ、聞かないでください」


 誰のせいでこんなことになったと思ってるんだ、そう心の中で愚痴を零しながら自室に入る。机に学生鞄を置き、制服から部屋着に着替えようとしたところでブラのことを思いだした。


 ホックが壊れたので今は無理やり固結びにして維持している状態だった。なんとかその結び目を解こうと両腕を後ろに回したがうまく解くことができない。


 しばらく悪戦苦闘して、これは鋏か何かじゃないと無理だと結論づける。何か切るものを探そうと机の上を見たが目的のものはなかった。


「そういえばリビングで鋏使ってたっけ、置きっぱなしか……」


 リビングには龍神がいる。別に今更すぎるけれど、下着姿であいつの前をうろつきたくない。


「……しょうがないか」


 ブラの紐の部分に指をかけ、人差し指と中指で挟み込む。


「『分断』」


 パスっと小気味よい音が鳴ると同時に、ブラ紐が切れた。

 今の術式行使でも寿命、私の魂内部の霊力をほんのわずかに消費しているがあまり気にならなかった。


「どうせ寿命300年分の霊力があるし、これくらいならまあいいや」


 そう独り言をつぶやいたところで、つい先程学校で術式の退魔活動外行使に関する厳重注意を受けていたことを思い出した。まあ、誰にも見られていないし問題ない。そう思いながら部屋着に着替えた。


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