第2話

 1991年、日本国内で初めて妖魔による虐殺事件が発生した。事件の発生場所は■■県■■市、山から下りてきた冬眠前の熊が住宅地にて確認される。ただちに熊出没の警報が市街地に鳴り響き住民は皆家や車に閉じこもった。警察、猟友会による熊の射殺が計画され事態はすぐに鎮静化すると思われた。


 死者1,207名、行方不明者506人。

 これが、たった1匹の熊型妖魔によって引き起こされた災害の死傷者数である。



 事件当初、網を持った警察と猟銃を構えた地元の猟師が熊を包囲すると、その熊は距離が離れているにも関わらずまるで獲物を狩るような動作で前脚を振り上げて、下ろした。


 5名の警察と1名の猟師の体が三分割されたのはその直後である。ヘリコプターで空から熊退治を見守っていたマスコミは目を疑った。直後、熊がヘリコプターにも腕を振り上げて下ろすとバラバラにされた機体はマスコミの乗組員ごと市街地に墜落した。


 その後、熊は住宅街を練り歩きながらすべてを破壊しつづけた。住宅街では一軒家が中の住人ごと切り裂かれ、車で逃げようとした人々の渋滞を車ごと切り裂いた。


 夜になっても熊の破壊活動は続き、逃げ遅れて家に閉じこもる人々を殺戮し夜が明ける。最初に出動した自衛隊はすべて殺された。熊には銃弾が効かなかったのだ。


 事態が解決したのは退魔師を名乗る男が1人現れてからのことだった。現代科学ではどうあがいても解釈し得ない手段でもって彼は熊型妖魔を討伐した。


 討伐後その退魔師は日本中に妖魔の存在を公表、本来は霊力に対する特殊な素養のある人間にしか認識できないはずの妖魔であるが、本件は例外であると彼は会見で語った。


 また、その会見において日本各地から世界中に彼と生業を同じくするものがいることが明らかになると、まるで少年漫画に登場する敵キャラのような存在が実在することに日本は沸いた。当初彼の話を疑うものも多くいたがズタズタに切り裂かれた死体が散乱する市街地の惨状や残された映像記録、遺族の証言により妖魔の存在を疑うものは次第にいなくなった。


 さて一般人には見えないはずの妖魔、一連の熊型妖魔の事件は例外であるとどの退魔師も思っていた。


 2件目の例外はヨーロッパで起きた。

 3件目の例外はアメリカで起きた。

 4件目の例外はまたも日本で起こった。


 例外がいつしか当たり前になるころ退魔師は公に姿を表し、2000年代に入ると国家主導での退魔組織づくりが各国で進められた。


 日本においてそれは退魔省と呼ばれることになる。




 ■■■




 という少年ジャンプに出てきそうな世界観の日本に転生してしまった。ちなみに前世の死因は病死、家族もいなかったので未練はあまりない。


 転生、それも都合よく退魔師の家系だ。

 性別はなぜか男から女になってしまったが私も退魔師の家系にもれず術式を行使することができた。

 初めて術式を使ったときのテンションの上がりようはそれはもうヤバかった。

 そりゃそうだ、男なら誰だって螺旋丸とか領域展開の練習をしたことはあるだろう。中二病の子供が日本に何人いると思っている。



 私の術式は【結界】と【分断】

 父の家系の術式である。

 名前からしてめちゃくちゃカッコイイし強そうだと思った。

 将来はこの能力で日本中の妖魔を討伐していき、いずれは日本最強の退魔師になってみせる! 


 と、小学生のころは息巻いていたのだが実際問題この術式、すごく弱い。


 まず術式の行使方法について、これには霊符という道具を使用する。あらかじめせっせと夜なべして作成した霊符で敵の妖魔を【結界】に閉じ込める。閉じ込めたあとその結界内を【分断】して妖魔を真っ二つにするのだ。

 これだけ聞くと強そうに聞こえるかもしれないが問題は二つ。


 まず霊符の作成。

 霊符を作成するためには霊力を集めた墨で祈祷済みの札に結界術の文様を記入していく。この作業は術式の転写と呼ばれているのだがこの結界術の文様が難しく、すこしでも雑に書いたりすると結界術式がうまく発動できない。

 また、綺麗に書けた霊符でも小型の妖魔を10分閉じ込めるのが精々といった威力で、中型の妖魔であれば閉じ込めたところで分断するのもギリギリ、大型の妖魔はそもそもサイズ的に結界内に閉じ込めることすら不可能。


 えっ……、私の術式、弱すぎ(愕然)


 霊符なしで発動することはできないかというと一応は可能だ、ただし寿命を縮めることになる。

 霊力とはすなわち寿命、霊力が切れるということはそのまま死んでしまうことを意味する。


 だから霊符を作成するためにはまず神社の本殿でわざわざ儀式を行い、墨汁に土地から吸い上げた霊力を集める必要がある。

 霊符に込められた術式を発動するだけなら、術者の寿命は変化しない。




 まあとにかく私の【結界】と【分断】の術式では例の熊型妖魔すら討伐することができないということだ。

 どれだけ修行したところで自身の肉体に宿る霊力は変わらないし、年を重ねるごとに減少していく。霊符に込められる霊力も墨汁という触媒では限界がある。

 伸びしろがない。

 それが私が中学生のころに下した結論だった。





 そして私が中学二年に進級した頃、『鬼神事件』が起こった。



 ■■■



「水琴、お父さんとお母さんは鬼神討伐に参加することになった」


 中学三年の冬休み、高校受験を控えた私に対して父はそう言った。食卓でとなりに座っている母も父とおなじ表情をしている。


「ごめんね水琴、お父さんとお母さん帰ってこれないかもしれないけれど、蛇谷家のことは任せるわ。水琴は賢いからきっと大丈夫だってお母さん信じてる」


 一人っ子の私だから目の前の父と母が亡くなってしまうと退魔師の家系である『蛇谷家』の当主は私、蛇谷水琴ということになる。


「いや、父さんと母さんが鬼神に挑んでも勝てると思えないんですけど……」


 引き留めようとしたものの二人の決意はすでに固かった。


「もちろん二人で戦うわけじゃない、退魔省の主導で全国の退魔師と総力戦をするんだ。運が良ければ鬼神を討伐することもできるし、この家に帰ってくることもできるさ」


 平常を装ってそんなことを言う父だったが、どう考えても死ぬとしか思えない。


『鬼神』

 そう呼ばれる妖魔が現れたのは今から一年半前、私が中学2年生になったばかりのころだ。

 身の丈約3メートル、額から2本のツノを生やした化け物、伝承通りの鬼の姿をした妖魔である。


 その妖魔が咆哮するだけで、その市内にいた人間が全員死亡した。

 地元の退魔師が鬼神を討伐しようと挑み、その県所属の退魔師がすべて殉職するのに半年。

 すでに鬼神の縄張りと化した地域周辺、避難指定区域から全住民が疎開するのにそこから半年。

 当時最強と言われた退魔師が敗北したのが3か月前。



 現時点での累計死者数は100万人超、鬼神討伐は絶望的な状況だった。

 幸い、鬼神は今のところ自分の縄張りから動こうとせず、人工衛星からの監視映像ではずっと眠っていることが確認されてる。

 ただ眠っているだけなのか当時最強と言われた退魔師による術式なのかはわからないが、とにかく鬼神は沈黙を続けている。



「たとえ負けるとわかっていても退魔師としてやらなければならないことがある」

「いつ鬼神が目覚めてまた人類を襲うかもわからない、総力戦を挑むなら今しかないの」


 二人の言葉尻が徐々に弱気なものになっていることには気づいていたが、それを指摘することなんてできなかった。父母の退魔師としての覚悟、それは娘を1人残してしまうことになってでも成さねばならぬことだった。


「……勝てなかったとしても、絶対に生きて帰って来てください」

「わかってるよ」



 そう約束したはずの父と母は帰らぬ人となった。

 鬼神は討伐された。

 私は高校入学と同時に、蛇谷家の当主となった。



 ■■■




 先月購入したばかりの原付バイクに乗って市の北部にある山麓へ向かった。

 山道を登りながらついでに周囲の霊力を目視で確認していく。昨日と比べて異常がないかを見つつ、公道沿い森を時速30キロでゆっくりと進んでいく。


「ん、このあたりかな」


 原付をコンクリートで舗装された道から、木の根っこが剥き出しになっている道沿いにとめる。

 巫女服の裾から霊符を一枚取り出し、ヘルメットを脱いだときにズレた眼鏡の位置を調整する。

 森の中に足を踏み入れ、落ち葉に絡まる霊力の痕跡を辿りながら獣道を進んでいく。


「いた、今回も蛇型か」


 しばらく進んでいると地面を這う蛇型妖魔の姿が見えた。まだこちらには気づいておらず、シュルシュルと音を立てながら獣道を進んでいる。


 霊符を構えて、結界を展開する。


「『六面結界』、続いて『一面分断』」


 蛇型妖魔が金色の半透明の結界に閉じ込められた後、直方体の結界の中に蛇の頭と胴体を分断するように金色の衝立が一枚発生する。

 頭側と尻尾側が分断された結界のなかで暴れまわる。

 しばらくすると動かなくなり、頭側が入っていた結界の中には銀色の結晶だけが残された。


「『解除』」


 結界を解いて地面に落ちている妖結晶を拾う。

 この様子だとあと何匹か湧いてそうだなと思い、その後しばらく霊力の痕跡を探しつつ山内を探索した。



「ま、とりあえず今日はこんなもんでしょ」


 ポーチ内に妖結晶が10個集まったところで今日の探索を打ち切りにする。時刻はすでに15時、山は日が暮れるのが早いのでもうそろそろ原付を駐めた場所まで戻りたいところだ。

 このあたりの山道は私にとって庭のようなものなので道に迷うことはほとんどないし、念の為いくつかの木には目印をつけている。


 特に何事もなく原付の場所まで戻る。

 巫女服の裾がひっかからないように気を付けながら原付のエンジンをかけ、スロットルを回した。


 ちなみに巫女服を着ているのはコスプレとかではなく、退魔師としての戦闘服が巫女服だからだ。

 霊力を溶かし込んだ絹糸で編まれたこの服は、小型妖魔の攻撃では傷ひとつつけられることはない。

 一時間ほど走ると私の自宅に到着する、普通の一軒家だ。山の麓ぎりぎりの位置にあるので周りにはあまり家がないが、自宅のすぐ横には70坪程度の小さな神社がある。


 蛇谷神社。

 退魔師としての私の本拠地である。




 巫女服のまま神社の本殿に入る。

 手に入れたばかりの妖結晶を処理しなければならない。

 霊力のかたまりである結晶を砕いて墨汁に溶かしていく。より強力な霊符を作成するための墨汁づくりが私の日課である。

 もちろん、先ほどのような蛇型妖魔を間引くのも私の仕事だ。低級の妖魔ではあるがあれでも成長すると簡単に人を殺める妖魔になってしまう。



 ルーティーンと化した作業をこなしていると時刻はすでに20時を過ぎていた。


「もうこんな時間か、お風呂入って寝よう」


 作り終わった墨汁を専用の容器に詰めたあと、神社すぐ横の自宅に入り着替えてお風呂に入って食事をする。つい半年前までは家族三人で暮らしていた一軒家だが今は私一人だ。


 明日は月曜で学校があるのでスマホの目覚ましをセットして床に入る。


「放課後と土日に間引くだけじゃやっぱり不安だな」


 両親が亡くなってからの学校と退魔師の両立はやはりハードだった。

 普段の業務を楽にするためにも、夏休みに入ったらもう少し山の深いところまで集中して探索しておこう。山の中の安全エリアをもう少し広げておきたい。

 そんなことを考えながら、その日は眠った。



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