第11話

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 無機質なコンクリートの冷たい感触が、軋む背中にじわりと染み渡る。

「……」

 デスクの裏にある窓から、濃い紫と赤が入り混じったような朝焼けが見える。

 どうやら一晩経っているらしい。

 ゆっくり持ち挙げた右腕のあちこちが悲鳴を上げるが、目立った外傷も出血もない。どうやらレイは随分丁寧に僕を嬲ったらしい。

「……」

 ヴァハグン“メタル”の所有していた支部の一つ。

僕たちが一手目で当たりを引いて訪れることのなかった、数ある無人の一つ。

 そこにいるはずのレイを訪ねた僕を見るや否や、彼女から殴られ、蹴られ、投げ飛ばされ、巨大な魔力の塊をぶつけられ、僕は夜通しされるがままにされた。

 その間僕は何も言わなかったし、レイも何も言わなかった。

 僕がレイにもう一度会うために通す筋だと思ったし、レイも、僕がそう考えていることが分かっていたんだと思う。

 僕のエゴをこれ以上重ねるのは忍びなかったけど。レイは何も言わず、面白くもないサンドバックを一晩殴ってくれた。

まずは形式的なことから済ませましょう天気の話でもするか。確か――そう、『』……でしたか?」

 ようやくレイから意味のある言葉が投げかけられたのは、そんな朝を迎えたころだった。

 首だけで振り返ると奥の部屋から戻ってきたレイが、見つけてきた半透明の液体が詰まったパックを、半分ほど一気に喉へ流し込んでいた。“メタル”が備蓄していたドール用の経口補水液だろう。レイが根城にここを選んだのも、そういう物資の見込みがあったからかもしれない。

「どうせ、まっすぐここに来たのでしょう、トーリ」

「……答えも同じだよレイ。『くじ引きをしたんだ』」

「堕天使の魂がないあなたには、一発で私を見つけることは不可能だと言っているんです……ああ、遊戯のドールにましたか?」

「いいや。そもそも、ドール同士が引かれあうことを知ってるのは僕らと芸術アートたちだけだし、僕は誰にも教えていない」

種を明かせば、別に引かれあうのは堕天使の肉に限らないという、それだけの話だった。そもそも魂の分割なんて試した奴がいないから誰も知らないだけで。

 レイにはこの半年、幾度となく僕の魂を分割して渡している。

血肉よりも深く、魂で繋がっている。

僕には不可能だったんじゃない。

この地球上でレイを見つけることは、堕天使を除けばもう僕にしか不可能だった。

「……」

 ヴァハグン“メタル”の机だったであろう瓦礫に腰かけ、僕の真意を探るようだった視線が、ふっと外される。

「それで? なにをしにここまできたんでしょうか」

「レイ」

謝罪なら聞きたくありません帰れ

 歩みだした一歩を拒絶される。まだ起き上がれない僕は、顔を背けた彼女の表情まで見られない。

「私が何に怒っているかも解らない人からの謝罪なんてごめんです。トーリ」

「怒られる心当たりが多いのは認める」

 騙していたこと。

 アトラスを見殺したこと。

 玲衣を追い、レイを見ていなかったこと。

 約束したレイの目的達成なんて、本当はどうでもよかったこと。

 目を閉じて思い返せばどれも謝罪は必要なことに思えたけど、結局はそれも僕からしてみればの話しだ。彼女が待っている謝罪は、きっとそんなに多くない。

 深呼吸三つ分数えて、ゆっくりと僕は目をひらいた。

「玲衣、勝手に死のうとしてごめん」

思い上がりも甚だしいです俺じゃなくてちゃんとレイちゃんに謝れ馬鹿

「……レイ、怒らせてごめん」

考えうる最悪の謝り方です正解

 ぺし、と音を立てて僕の顔に飲み干されたビニルパックが放られる。

「自殺はどうしたんです」

「生まれ変わっても最悪な性格が直らなかったケースを見せてもらったものでね。ずっとわからなかった問題の答えも、もしかしたら違う角度で見なければいけないんじゃないかって」

「……貴方が壮大な自殺をすることに怒りを覚える今のこの感情は、確かに玲衣という方の魂の残滓がそうさせるものでしょう。これはドールである私が本来持ちえない感情ですから」

 貴方がどうなろうと、私はどうでもよいですし。と彼女が付け加えて、そうだな。と僕は少し笑った。

「悲しんだり、苦しんだり、怒ったりするのは貴方に任せています。私たちはお互いの目的のために、お互いの欠点を補いあっているのですから。その目的が壮大な自殺だろうと、私は――レイというドールは何も思いません」

 コツコツと、音が近づいてくる。

「私が何か思うとすれば、それは魂を手に入れたときです。その時に貴方が自殺を遂げているのかはわかりません。ですが、その時初めて私は、きっと貴方の死に何かを感じることができるんです。

「……」

 歩み寄ってきていた足音がやみ、レイが僕の顔に影を落とす。

 差し込む朝日に背を向けたその表情は、やはり見えない。

 レイが僕の頭を挟むように膝をつく。両手でほほを固定され、逆さまのまま僕たちは至近距離で目と目が合う。色素の薄い髪が垂れ、視界のすべてがレイに閉じ込められた。出会った時は肩口までしかなかったレイの髪が、ちゃんと伸びていることに僕はようやく気づいた。

 鼻息がかかるほどの距離で、レイの顔は、怒っても笑っても、悲しんでもいなかった。

「トーリ。最後まで私をレイでいさせてくださいいい加減、最期の問題には答えてちゃんとしてくださいもらえるんだろうな

「……!」


『ねぇ透里トーリ、最後に一つだけ教えて。──あなたは、本当に透里トーリなの?』

 記憶の中でかかっていた靄が晴れていく。

 ああ、そうだ。あの時玲衣は……いつも通り、笑ってたんだ。


「……期待には沿えるつもりだよ。約束する」

僕は彼女たちに返事をして。

限界を迎えた意識はここで途切れた。




「“ワイズマン”は来ると思いますか?」

「賭けるか? 来る方に5だ」

「……ではやめておきましょう、同じ方に賭けては成立しませんので」

 夜の電波塔の、頂に人影が二つ。その間をつなぐ、鎖。

 眼下に広がるネオンの光を見下ろしながら、ユダは耳に当てた端末に応える。

「ま、来なきゃそれでおしまいだ。コマはもう“ワイズマン”しかいねえんだからなァ」

「遊戯の第一人者として、あなたが〆てもいいんですよ」

「ゴメンだね。万一ヤツがヘタって来ないときの保険になるように、イヴちゃんから借りた種銭――堕天使の肉片はある程度のまで増やしちゃいるけどよ。“アート”と遊べたのはでかかったな」

「堕天使に対抗する手段として、肉片の一部から新たな堕天使を創りだそうとするあなたの発想は買いますが――」

「ま、決定打には程遠いだろ。こんなんはただの遊戯さ」

 傍らのドールは通話の内容が聞こえてなお、いつも通り男の傍に無言でたたずんでいる。

「相手は人間を間引く形而上の『概念』みてえな連中だろ? 自然淘汰の機構そのものなんざ、次元が違いすぎて本来バトルにすらなりャしねえクソゲーだ! 形而下の現実に侵攻するために挟んだ端末……肉体を伴うほどの魔力の塊であるところの堕天使一体一体なら、ギリ“ワイズマン”みてえなことができたとしてもな」

「……そうでしたか、あなたは最初から……」

「一連の騒動を遊戯に落とし込んだ時点で、あんたら概念みたいな連中を盤面に引きずり出した時点で俺の仕込みァほとんど終わってる。あとは仕上げを御覧じろ、ってもんさ。遊戯アソビ人間オレらが後れを取るかよ」

「あなたもコマの一つであるといったことがありましたが、訂正しましょう。まさかチェス盤そのものになろうとしていたとは――」

 電話の向こうにいる人外の驚嘆には肩をすくめるだけで返し、男は通話を切る。

「遊戯は不要で無意味か……ハッ! 確かに全ての起源ってより案外本質ついてんのかもしれねェ」

魔法で効率化をするからこそ、魔術師の在り方には無駄が存在する。

遊びが魔法を生みだしたんじゃない。

常に効率化されていった人間の歴史の先で、遊ぶ余裕が生まれたのだとすれば。

「だからこそ! 人間だけがもつ無意味に意味があるなら!」

 ユダが大きく手を広げる。その表情に高揚した恍惚と狂気が入り混じる。

「クライマックスに相応しいのはお前だ! 

お前の出した答えを俺に見せてくれ! トーリ“ワイズマン”ッッッ!」

 魔術の行き着いた先にあった、堕天使と人間の遊戯ゲームが、終わりを迎えようとしていた。

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