第9話

***  9  ***


私たちが便宜上『堕天使』と呼ぶアレは、一体何なのでしょうか?

人の魂を喰らう恐ろしい怪物?

いえ、あれは単なる『機構』です。

世界が許容できる魂の数には限りがあります。

しかし得てして人間は自然の摂理に逆らい、増え過ぎることがあります。

そういうとき、噴火が、津波が、疫病が、大量の魂を減らすことによって世界は調和を保ってきました。

あの堕天使もまた、そういう類の、人智を超えたそれなのです。

つまり堕天使の存在理由とは、『人間の魂を消滅させること』。

それでは、その堕天使の肉片を宿した人形が魂の発露に至った時──その存在理由が根幹から揺らいだとき、はたしてどうなるのでしょうか?

その結果が、こういうことなのです。




「──つまり、アトラスは女王陛下の肖像画を描き上げる過程で『芸術』に到達し、魂の獲得に至った結果、自己矛盾に耐え切れず自壊したということですか?」

「理解が早くて助かります」

 ついさっきまでアトラスのアトリエだったはずの白い部屋は、一面が黒く煤けていた。爆発を聴きつけ、ベイクウェル大臣の説明を受けると、レイはそのまま黙り込んだ。

 今この部屋には、僕、レイ、女王陛下、ベイクウェル大臣、そして同じく爆発を聞きつけたユダとイヴの計六名が集結していた。

「より正確に言えば、まだアトラスは完全に崩壊してはおりませんがね。魂を獲得したアトラスは、自身の体が燃え上がり、これから何が起こるのか、直感的に悟ったようでした。爆発を最小限に抑え込んだ後、私達を巻き込まないよう、そちらの壁に空いた穴から遠くへ走り去って頂けました。まあ、どのみち長くは保たないでしょうが、お陰で私達は命拾いしました。そして──」

 僕は改めて室内を見回す。

 僕たちが辿り着いたときにはもう、アトラスと同じく、カタリナ・”アート”の姿もまた、アトリエからは消えていた。




 城の裏手に広がる、暗い森の中。

まるで硝子細工のように体中がひび割れ、その割れた傷口が炎を撒き散らしながら、アトラスは自身を引きずるようにして力なく歩を進めていた。

さっきは無理矢理、内側から迸る衝撃を強引に抑え込むことができた。しかし、それはほんの数分の延命に過ぎないことは自分でよく理解していた。

もう、次にくる爆発は抑えられそうもない。そして自分は跡形もなく、この世から消滅するのだろう。

──せめて少しでも、遠くに行かなくては。誰かを巻き込んでは駄目だ。

 朽ちゆく体で最期の歩みを進めながら、ぼんやりとした頭の片隅で思い浮かべるのはカタリナのことだった。

「ママ・・・・・・」

 もう何ヶ月も帰っていない、カタリナの家。

 その寝室に飾ってある知らない子供の写真を、カタリナはよく眺めていた。

 その横顔は世間で奇人と評されている芸術家のそれではなく、世に多く転がっている類の哀しみを抱えた、一人の母親のものであったことが、今のアトラスにはよくわかる。

 アトラス。

それはかつてカタリナが愛した少年の名前。

 もうこの世にはいない少年の名前。

 そしてカタリナが人生で再び他の者に、ただの人形である自分に与えてくれた名前。

「でもごめん、ママ」

ぼろぼろと殻が剥がれ落ちていく感覚に蝕まれながら、アトラスは静かに呟いた。

「僕はあなたの子供にはなれなかった」

 絵を一枚、満足に描きあげることもできない。

人間になれると思い込んでいた、出来損ない。

それが自分だった。

体が熱い。

内側から溶岩が噴き出そうとしているかのようだ。

ここまでか。

芝生の上に座り込もうとした、そのときだった。

「アーくん!」

よく耳に馴染んだ叫び声が、暗い森に響き渡った。

驚いて振り向くと、カタリナがこちらに向かって、その二本の脚で全力で駆け寄ってくるのが見えた。

「・・・・・・どうして」

 傷口からオレンジの光を漏らしながら崩れゆくアトラスの前に辿り着くと、カタリナは肩で息をしながらもほっと安心したように笑った。

「ああ、やっと追いつきました」

「ママ・・・・・・足、動くの?」

「え? ああ、そういえば。あの子を亡くした事故以来、二度と動かないとお医者さんには言われていたはずなんですけど・・・・・・あまりにアーくんに追いつけないものだからもどかしくて、気付いたら走ってました」

「どうしてここにきたの? だって僕は、」

「おかしなことを聞くアーくんですねぇ」


「上手に絵を描けた息子を褒めるのは、お母さんとして当然でしょう」


「・・・・・・そうか。僕の絵、綺麗だった?」

「ええ。それに今のアーくんも、とても綺麗ですよ」


「よく言うでしょう? ──芸術は、爆発なんです!」


閃光と白熱が、視界を包み込んだ。




「最初から、こうなるとわかっていたんですか?」

 そのレイの問いは女王陛下やベイクウェル大臣に対してだけではなく、僕に向けても投げかけられているのだと、何となくわかった。

 しかし表立って問いに答えたのはベイクウェル大臣ただ一人だった。

「いくつか想定している事態の一つではありました。仮説の検証が済んだ、といったところでしょうか。とはいえ、今回の依頼の目的は複合的なものでした。

① 魂を奪われた人間に堕天使の肉片を埋め込むことで、戦力として再利用することは可能か?

② 堕天使に魂を与えることは可能か?

③ 堕天使に魂を与えた場合、どうなるか?

等々。これらの問題を同時並行的に検証するため、各分野の第一人者である皆様方にドールを与え、競わせることに意味があったのです。もっとも、」

ここでベイクウェル大臣は、ちらりとユダの顔を見やった。

「計画の発足段階で女王陛下のご友人であるユダ様に話が漏れてしまったこともあり、大分彼好みの遊戯ゲームめいた内容になってしまいましたが・・・・・・」

 こほん、とここで大臣は咳をした。

「とにかく、これでまた一つ、堕天使に関する重要な情報を得ることができました。『堕天使の肉体は、魂の芽生えが滅びに繋がる』」

「ま、その情報がどこまで役に立つかは怪しいですけれど」と女王陛下は肩をすくめた。

「近く目覚める堕天使の再討伐に応用できるかは怪しいところです。まさか蘇った堕天使が絵心に目覚めるまで悠長に放置するわけにもいきませんから」

「そんな、それでは、アトラスは──私たちドールは、一体何のために、」

「しっかし、”ワイズマン”も薄情だよなぁ。知っていたなら教えてくれりゃあ良いのによ」

 ユダがそう漏らした瞬間。

 僕は、彼に掴みかかろうとした。

 しかし、それより早くレイが僕の前に割り込み、胸ぐらを掴み上げ、僕は呆気なく、吊し上げられた。

「どういうことですか? トーリ」

「・・・・・・さて、どう話したもんかな」

「おっと、悪いな”ワイズマン”、ただ今の話を聞いているあんたの”驚いたような顔”、あまりに嘘っぽかったもんでな」

「あなたもまた、予想していたんですね? 私たちドールにとって、魂の獲得は崩壊に繋がると」

「そもそもあんた、かつての堕天使はどうやって討伐した? その時に知ったんじゃねえか? 堕天使の肉体が魂を受け付けねえことによ」

「・・・・・・あーあ」

 ここが限界か。

 自分でも驚くぐらいあっさりと全てを諦めた僕は、かつての出来事を全て吐き出した。




『魂弾』。

 それがかつての堕天使を葬った魔法の名前だ。

 あの『脳弾』と同じく──いや、それ以上に歴史の闇へと埋められ、そして僕が無理矢理掘り起こした絶対禁止呪文のひとつだった。

 魂の一部、あるいは全部を弾丸として打ち出す術。

 魔法・科学を問わずあらゆる攻撃を遮断する無敵の肉壁に覆われていた堕天使に、苦し紛れで喰らわせていた数多の魔法で唯一効果を見出せた術が、それだった。

 元より僕は、現在レイにそうしているように、魂の一部を切り離し、他者へ埋め込む術に長けていた。

 だからこそ、かつての討伐戦において僕は、辛うじて自我を保つことができる、最小限の魂の欠片だけを残して、残る全ての魂を弾丸へと変化させ、堕天使の体内へと撃ち込んだ。

 更に、堕天使に植え付けた僕の魂を原材料にして、堕天使自身の新たな魂を発芽させ、自壊を促す。

 しかし、それでもあと一歩のところで、堕天使を削りきることはできなかった。

 いっそのこと、僕の体内に残る魂の一欠片も弾丸に変換してぶつけてしまい、戦いの結末を知ることも放棄して眠ってしまいたかった。しかし当然のことながら、魂を全て弾に変えてしまえばもう僕は『射手』を務めることはできない。どのみち堕天使を殺し尽くすにしては、魂の残量も心許なかった。

 しかし、打つ手がないわけではなかった。

あの戦場には、僕の他にもまだもう一人、魔術師が生き残っていた。

魔術師の名前は、玲衣。

当時”魔法使い《ワイズマン》”だった僕の相棒として、”魔女ウィッチ”と並び称されていた、優秀な魔術師だった。

もはやこの堕天使討伐戦において、残された道は一つしかなかった。

玲衣の魂をまるまる『弾丸』へと変換し、僕が『射手』として堕天使に撃ち込む。

『弾丸』としての適正、魂の残量を考えれば、役割の逆転など検討すべくもなかった。

元より玲衣は優等生ではあったが、それ故に天才と持て囃され驕り高ぶっていたかつての僕と違い品行方正で、禁呪など試したこともなかった。

そして。

『ねぇ透里トーリ、最後に一つだけ教えて』


 靄の向こうから聞こえるような不鮮明な声。


彼女は僕に向かって、最期にこう問いかけた。


『──あなたは、本当に透里トーリなの?』


 そして魔女は、堕天使と共に永い眠りに就いた。




それからずっと考えていた。いや、考えるのをやめて、ただ頭の中で疑問を放し飼いにしていた。

はたして『僕』は誰なのか?

『僕』は本当に僕なのか?

もしかすると本物の透里は、自らの魂を削り取って堕天使に撃ち込んでいく過程で、とっくに死んでいたのではないだろうか。そう思えてならなかった。

だって、そうでもなければ、

 そうでもなければ、

 僕が玲衣を犠牲になんて、するはずもなかった。

ここまで話し終えた僕を、玲衣は鋭く睨みつけた。

「私の質問に答えてください。それでは何故、あなたは私に魂を与えようとしたのですか?」

「簡単な話だ。依頼だからだよ。そうすれば、女王陛下から望み通りの報酬が貰える約束だったからだ」

「・・・・・・、あなたが望む報酬とは?」

「自殺だよ。より正確に言えば、自殺する権利。僕はずっと死にたかった。だがあの戦いで堕天使を討伐したことで、僕は帝国の歴史に名を残す英雄として勲章を授与されてしまった。笑えるだろ? 大義のためなら相棒を殺せるというだけの、ただの人殺しなのに。しかし一度英雄として祭り上げられてしまった以上、自ら命を断つことはできない。玲衣が命を賭して救った国に、不要な悪影響を及ぼしたくはなかった。だからそこの女王陛下に、勲章の返還を受け付けて欲しかった。まあ、もうすぐ堕天使が復活してくれるっていうなら話は別だ。無理に依頼の達成に固執する必要もなくなった。堕天使と戦って死ねるなら、それはそれで好都合。僕は死ねるなら何でも良いし、帝国もかつての英雄が再び堕天使と戦い名誉の戦死を遂げるという形なら、最低限の面子は保てるだろう」

「・・・・・・っ! あなたは、あなたは、あなたはっ!」

ああ。

その瞳。

そっくりだ。

「不思議に思わないか? レイ。今の君は怒っている。これ以上なく怒っている。憤怒とは魂の活動であるはずだ。なのに絵を描き上げたアトラスみたいに肉体が燃え上がったりはしない。それは君に新しい魂が芽生えたわけじゃないからだ。あくまで、僕が外部から魂を付与しただけに過ぎないし、君も、君に埋め込まれた堕天使の肉片も、それを自覚しているからだ」

「っ、──ええ、わかっています。あなたの魂の一部を付与された人形、それが私です。しかし、それが何ですか? だからこそ、私は誰かの借り物ではない、自分だけの魂を、」「違うんだよ、レイ」

「・・・・・・っ、何を、」

「君に与えた魂は、僕の一部だけじゃない。

かつての堕天使討伐戦。

あの日『魂弾』に使用した、玲衣の魂。

全てが終わった後、僕の掌に微かに纏わりついていた、彼女の魂の残り香。

その魂の残滓を宿らせたのが、君なんだよ。

今まで一緒に戦ってくれてありがとう、レイ」



「まさに君は、傷付いた僕を慰めるためのお人形ドールだった」

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