第7話

*** 7 ***


「トーリ。実際のところ、我々の言い分が通る可能性はどの程度あると見込んでいるのですか」

 帝国の心臓――帝都の街並みは四ヵ月前からなんら変わりなく、眺めているだけで呆れから来る溜息が自然と漏れ出るような栄華を誇っている。

 たくさんの人、たくさんの建物、たくさんの騒音、たくさんの臭い。ふと江の島の穏やかな海の青さが恋しくなってしまった。

「正直なところ、これで僕たちの旅が終了と相成ることはないだろうね。普通に却下されると思う。けどまあ、やらないよりはやった方がマシさ」

「そんなものですかね」

 僕とレイは二人、帝都を訪れていた。目的はベイクウェル大臣との面会だ。

 この四ヵ月で既に。ウルスラの残したノアの脳による脳弾の発動が確認できた以上、これが解法だ。

 ――

「結局のところ、これまで魂の精製方法が見つからなかったのはただ一つの理由に収束する……クローンを作りだすだけの技術力をただの一人も有していなかったことだ。けれどそれも過去の話。いつの時点でそうだったのかはもう分からないが、ウルスラはクローン製造の技術を確立させていた」

「江の島で襲撃を受けたあの日、ウルスラを潰してその研究成果を奪おうとしたトーリの外道っぷりは正解だったということですね。あのままでは、この競争はウルスラの勝利で幕を下ろしていたことでしょう」

「そうだね。だけどヴァハグンを始末した今、“魂”の精製方法を知ってるのは僕たちしかいない」

 人込みを縫うように歩き、ようやく目的の城が見えてきた。帝都の中心に鎮座するそれは得も言われぬ威容を誇っている。

 既にベイクウェル大臣へアポは取ってある。今日は神秘省ではなく城を訪れているそうだったので、そちらで面会することになった。後は僕たちの言い分――つまり、、という弁が認可されるかだが……まあ、難しいだろう。方法が分かっていても、それを実現させるための手段を僕たちは持ち合わせていない。それでは神秘省の依頼を全うしたとは言い難いのは承知の上だ。

「まあ、ゴールの手前までは来ているんだし、期限まではあと半年以上ある。依然として実態が掴めない残り二組は気がかりではあるけど、僕たち以上のアドバンテージを持っているとも思えない」

「つまり現状、私たちが最も勝利に近いところにいると。些か楽観的かと思いますが、そうであることを祈ります」

 そんな話をしているうちに、目的の城の前へ着いていた。入り口を塞いでいる巨大な門の前に詰めている守衛へ話を通し、やがて中へと招かれた。

 中庭を抜け、殆どの国民が一生足を踏み入れることのないであろう建物の敷居をまたぐと、嫌が応にも緊張を覚える。

 僕とレイが通されたのは瀟洒な応接室だった。その空間はとにかくだだっ広く明らかにスペースを持て余しており、中心にぽつねんと長テーブルが置いてある。そしてテーブルを囲む十数脚の椅子のうちの一脚に、彼は腰を下ろしていた。

 クライブ・ベイクウェル大臣。オールバックにした赤毛と上等なスーツ、銀縁の眼鏡の出で立ちは四ヵ月前に対面した時と微塵も変わっていない。

「お久しぶりです、トーリ。息災で何より」

 僕らにこの競争を持ち掛けた張本人が言う台詞ではないが、とりあえず愛想笑いを返しておく。

「ええ、そちらも変わりないようで……座っても?」

「どうぞ、そちらへ」

 慇懃な所作で促されるまま、ベイクウェル大臣の向かいに座る。レイも僕の隣の椅子へ腰を下ろしたところで給仕が入ってきて、僕たちと大臣の分の紅茶を置いていった。

 ありがたくいただき、喉を潤したところで本題に入る。

「今日お伺いしたのは他でもない、“魂”の精製についてです」

「……その口ぶりでは、どうやら辿り着きましたか」

「ええ。ただ、ひとつ問題が――」

 そうして僕はこの四ヵ月の経緯を説明した。ベイクウェル大臣は時々相槌を打つ程度で、基本的には黙って話を聞いていた。

「――そうですか。クローンの製造……」

「はい。生憎僕たちはその技術を持ち合わせてはいませんが、そちらの提示した条件はあくまで『一年以内にドールへ本物の“魂”を与える、その方法を見つけ出すこと』。既にこの条件は満たしたと言えるのではないでしょうか?」

 実際のところ、現状では実現不可能な方法など見つけたところで意味はない。我ながら説得力に欠ける弁だと思うがしかし、ここはあえて自信満々の表情を作る。交渉の基本はふてぶてしい態度なのだ。

「……ふふ、成程」

 だが、ベイクウェル大臣は僕の内心を見透かしたかのような顔で小さく笑うと、

「非常に心苦しいのですが……クローンを用いるという方法はウルスラ・“ラボ”亡き今、現実的ではないでしょう。こちらとしても、その方法を以て依頼達成という評価を下すのは厳しいかと思います」

 ……やはりそうなるか。分かってはいたが、しかし若干の落胆は否めない。

 この際もう少し食い下がってやろうかとも思ったが、隣のレイが「あまりみっともない真似はしないでくださいよ」と目線を送ってきているので潔く諦めることにした。

「分かりました。では、そちらから優秀な科学者を紹介してもらうことは可能でしょうか? クローンを作れるような」

「ふむ。まあ、いいでしょう。さすがにウルスラ・“ラボ”に比肩する程の者はいませんが、科学省の方の有能な人員を紹介しましょう」

 駄目もとの発言が受け入れられ、思わず面食らってしまう。

「……随分とあっさり承諾して下さるんですね。自分から申し出ていて何ですが、貴方からの手助けというのはアンフェアかと思うのですが」

「四ヵ月前に比べて事情が変わったのですよ……そうですね、丁度よい機会です。近いうちにこの競争の参加者すべてに告知しようと思っていたのですが」

 そこで一度言葉を止め、ベイクウェル大臣はカップを傾けた。紅茶を嚥下し、カップをソーサーの上に戻すと肘をテーブルに乗せ、両手を顔の前で組む。それは何者かに祈るような姿勢にも思えた。

「……この競争の期限ですが、実は――」

 しかし、その言葉を最後まで聞くことは叶わなかった。

 轟音と共に突如天井をぶち抜いて、二つの人影が上から落ちてきたからだ。

「なっ……⁉」

「トーリ、下がって!」

 すぐさまレイが臨戦態勢を取る。ベイクウェル大臣は――無事だ。いつの間に移動したのか、既に部屋の隅へ移動している。移動速度、反応速度共にレイに匹敵するように思えた。神秘省のお偉いさんと言うからには体術はからっきしかと勝手に思っていたが、どうやら間違っていたようだ。

 落ちてきた人影を見る。所々負傷し、身体の部分部分を鮮血で染めたその人物は、

「……カタリナ・“アート”?」

「あ、ら……その声は“ワイズマン”さん。こんな、ところで、お会い……するなんて。縁が、あり、ますね」

 そう答えるカタリナの顔は以前会った時と変わらぬ笑顔だが、さすがに身体の傷が響くのか、その声は酷く弱々しい。

 と、彼女が横たわっている地面がモゾモゾと動いた。いや違う、それは彼女のドール、アトラスだ。どうやらカタリナの下敷きになる形で衝撃を殺していたらしい。

「ママ! だ、大丈夫……⁉」

「ええ、ありがとうアーくん……さあ、早く移動を。あの人が追ってきます……」

 どうやら彼女たちは交戦中のようだ。誰と? 決まっている、この競争の参加者だろう。

「カタリナ、一体どういう状況なんだ? 貴方は誰と戦っている?」

「“遊戯”の第一人者、です……」

 げほ、と大きくせき込んでから立ち上がったカタリナはアトラスに支えられながら移動を始める。

「ああ、もう。相性が悪いとしか……言いようがありません。あの人の使う力は“芸術”の対極です。“遊戯”の本質……まさか、使

 その言葉の意味を聞く前に、そいつは僕たちの前に降り立った。

 派手なコートに身を包んだ癖毛の男。獣のように獰猛な笑みを浮かべたそいつは、鎖に繋いだ女性を従えていた。

「おいおいおい、遊戯アソビ足りねえぜお姉さんよォ! もっと身銭切ってこいよ、文字通り自分の身体を担保にしてさァ! ……ってありゃ? 新顔さんいらっしゃい、飛び入り参加も歓迎だぜ?」

 僕を見てそう言い放つそいつは――そうだ、見覚えがある。彼もまたウルスラと同じ、世界的に有名な人物だ。

「ユダ・“リーパー”……!」

「おおう、そういうアンタはトーリ・“ワイズマン”じゃねえの! こりゃすげえな今日は、面子が整っちまってるよォ~⁉」

 カッカッカ! と高らかに笑う彼こそはユダ・“リーパー”。世界でその名を知る者はいないとされる賭博師だ。

 名だたるプレイヤーの集まるポーカーの世界大会でのは恐らく最も知られる彼のエピソードだろう。あらゆる遊戯、あらゆる賭博で彼は悪魔のように鋭い読みと天性の豪運で勝ちを奪っていく。まるで死神の鎌のようなその鋭さに、いつしか付いた二つ名が“刈り取る者リーパー”だ。

「こりゃあベット額を見直す必要があるかな⁉ まあいいや、とりあえずは始めちまった遊戯ゲームを終わらせちまわないとな! イブちゃんもうちょい掛け金追加ね、『銀貨が踊る遊戯場ユダ・カジノ』、賭博オープン・――」

 何か来る。僕とレイはいつでも応戦できるよう身構え――


「此処は歴史ある我が国の心とも言える場。

――弁えなさい、貴方たち」


 ――ユダを超える威圧感に気圧され、思わず膝をついた。

 顔を上げる。部屋の入口に女性が立っていた。その傍らではベイクウェル大臣が僕らと同じように膝をつき、うやうやしく礼をしている。

 その女性の顔にもまた見覚えがあった。というか、見覚えなどというものじゃない。その顔は恐らく、この星で暮らしている人類の殆どが見覚えのあるご尊顔だった。

 ベイクウェル大臣が厳かな口調で言う。

「申し訳ございません、女王陛下。彼らにはよく言って聞かせます」

 ――女王陛下。

 この国のトップにして、この競争の発起人。その女性が今、僕たちの目の前にいた。

「お前さあ、今いいトコなんだって! 邪魔すんじゃねえよ!」

 ユダがわざとらしい仕草で怒りを露わにしながら言う。だが女王陛下は視線を向けることさえしない。

「トーリ・“ワイズマン”。カタリナ・“アート”。ユダ・“リーパー”。どうやら

 ともすれば声変わり前の男児のそれと捉えかねない中性的な声で女王陛下が言う。

「まったく間の良いこと。そうでしょう、ベイクウェル」

「――は。後は私から説明致します」

 うやうやしく礼をしたベイクウェル大臣がピッと姿勢を正し、僕らに向き直った。

「我らが女王陛下の名の許に、皆様にルール変更の知らせをせねばなりません」

 ……なんだって?

 僕らの困惑を意に介さず、ベイクウェル大臣は滔々と話を続ける。

「当初は一年と規定していたこの競争ですが……状況が大きく変化したのです。期限は

 ……二ヶ月? 二ヶ月だって? 馬鹿な。

「些か急すぎるように思いますが。一体なぜそのような決定を?」

 僕がそう問うと、ベイクウェル大臣が何かしら発言しようとし、その口を押えるように手を出した女王陛下によって咎められた。

 そして、ベイクウェル大臣の代わりをするように、まるですべての罪を背負うかのように厳かな口調で、女王陛下は言った。

使

 ――少しの間、思考が停止した。

 堕天使が――甦る?

「それは、どういう……いや、なぜ……なぜ陛下はそのことを知っていらっしゃるのです」

 衝撃のあまり鈍る思考を必死に回転させて僕は言った。女王陛下はほんの一瞬だけ視線を逸らし、

「私も側だからです。奴の――堕天使の行動が多少なりとも把握できる」

 その言葉の意味について理解する前にカタリナがつぶやいた。

「……ああ、なんて……なんて。魂を複数持つ……いや違う、複数の魂の集積があの姿なんでしょうか。どちらにせよ、のですね」

 人間じゃ――ない?

 僕は思わず女王陛下を見る。そのブロンズの前髪の向こうに隠れた瞳を見つめる。

「――きれいだ」

 それは僕の声ではなかった。僕のすぐ近くから聞こえた野太い男の声。

 そちらを見ると、先ほどのダメージが大きかったのか、這いずるように動いているアトラスが見えた。その手にはスケッチブックと鉛筆が握られている。

「ママ。ぼく……描きたい。あの女の人のこと、描きたいよ。初めてだ、こんな気持ち……」

 ふと、カタリナと初めて会った時のことを思い出した。そうだ、彼女は魂の発見をこのような手段で実現しようとしていたはずだ。つまり、魂を与えてくれる『モチーフ』の発見。

 それはいかな偶然か。

 この瞬間、アトラスに――“魂”が芽生えようとしていた。

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