第6話

*** 6 ***

 

江ノ島が地図から消えて、二ヶ月が経った。

その間、特筆すべきことがあったかといえば、特に何もなかったと言っていい。

僕たちは横浜市内の安いホテルを転々としながら、傷と消耗を癒やすことに専念していた。

またその潜伏期間の最中、カタリナと約束した通りにデッサンのモデルも務めた。僕がどんな格好をさせられてどんな姿勢を命じられて何枚の絵を写生されたかという些細な事柄に関しては、本題と関係ないので割愛する。

 しかし色々と言いたいことはあった。カタリナが僕をスケッチするのは当初の約束通りだ。何の問題もない。カテリナの弟子であるアトラスが横に並んで同様に僕をスケッチするのも、まあ百歩譲って許そう。何故か更にその横でレイまでもがキャンバスを持ち出してきたのは今でも腑に落ちなかった。とはいえデッサンのモデルを務めている最中に口を開いたりしようものならカタリナが烈火の如く怒り狂うので、何も口を挟めなかった。

 ちなみにレイの絵画の腕前はといえばなかなかに凄まじいものがあり、僕はレイが描き上げたスケッチを見た瞬間に思わず「揚げるのに失敗したドーナツかな?」と口走り、カタリナは「もしかするとアーくんはとてもよくやってくれているのかもしれませんね・・・・・・」と日頃厳しく弟子にあたる自分の行いを悔いるように呟いた。それ以降レイが絵筆を握ることはなくなった。

 そんなこんなで二ヶ月後、カタリナとアトラスは唐突に別れを告げにきた。

「もう描くべきものは描かかせてもらいましたので、私たちはまた旅立つことにします」

「そう。お元気で」と僕は頷く。

「次はどこに行くか決まっているのですか?」とレイがカタリナの顔を覗き込んで尋ねる。

「ええ、またアーくんに選んでもらいました」

「僕はもう嫌だって言ったんだけど・・・・・・」とアトラスは苦虫を噛み潰した顔になる。

 まあ、アトラスの気持ちもわかる。『堕天使同士の肉片はお互いを引き寄せ合う』。この仮説が事実であるとすれば、次に彼が行きたいと感じた場所にも、きっとロクな出会いは待ち受けていないだろう。

「江ノ島であんなことがあったからといって変に忖度されても興醒めなので、今回はアーくんを目隠しした上で、地図に向かってダーツを投げてもらいました。うふふ、なかなか刺激的な場所ですよ」

 頬を紅潮させて嬉しそうに語るカタリナを見て、僕はその背後で意気消沈しているアトラスに胸の内で密かに同情した。

「ところで、トーリさん?」

 カタリナは悪戯っぽく首を傾げた。

「デッサンモデルの役目も無事に果たしてくれましたし、もう遠慮は要りませんよ? 今ここで私たちのこと、潰しにかからなくていいんですか?」

「まさか」

 僕は肩をすくめた。

「確かに江ノ島の一件で、僕たちの『参』は君の『魔術的、神秘的真理を内包する芸術的作品群クオリア・ワークス』を上書きできることがわかった。相性でいえば間違いなく僕たちが勝つだろう。ただそれは二ヶ月前の時点での話だ」

 カタリナは何も言わず、ただ桃色の唇に微笑みを浮かべている。

「この二ヶ月間、君は僕をデッサンし続けた。模写しまくった。もはや僕という魔術師はしゃぶり尽くされて、カタリナ・“アート”という芸術家の糧とされているはずだろう。『参』はすでに掌握されている、というわけだ」

 ──グラフィティの原則。

ストリートの落書きにおいて、より優れた書き手だけが、前の題材をリスペクトしたうえで上書できるという──暗黙の了解。

 。実にあり得そうな話だ。

「あらあら、買い被り過ぎです」

「何よりも、君の方から戦いを誘っているような物言いがすでにらしくない。

「うふふ、嫌になっちゃいますね。私ったら、はしたない」

「ま、何よりもここで僕たちが君たちと争うメリットがない。別に君たちの“魂”へのアプローチ方法は僕たちのそれと競合するものでもないしね。だからこそ協力し合うメリットもないわけだけど」

「そうですか。それではまたいずれ、美しい場所で出会えることを願っています」

 大男に車椅子を引かせながら、芸術家は何処へとも知らず旅立った。

 安宿の一室にて、残された僕とレイは改めて向かい合う。

それで? トーリ今からそいつを私たちはどうしますか?これからそいつをやることがあるのでは?殴りに行こうか

「そうだね」

 僕はベッドの枕元に置いてある箱に、視線を注ぐ。

「争うメリットがある相手と、争いにいこう」




 ヴァハグン・“メタル”は陶酔していた。

 その部屋に窓はなかった。そこは彼が現在、身を隠している地下シェルターの一室だったからだ。しかし同時にその空間が紛れもなくヴァハグンのために用意させたであることもまた、室内に置いてある調度品の数々から推し量ることが出来た。

ワイングラスに注がれている緋色の液体を、一息に飲み干す。

二ヶ月前の江ノ島の一件、その成果は上々だった。現在こちらが保有している戦力の三割ほどを消費してしまい、あの一戦だけを見れば標的の内、消せたのは一人。奪い取ることができたドールも一体。予期していない闖入者のせいでもう一組は逃してしまったし、元々ヴァハグンにドールもどさくさにまぎれてどこかへ消えてしまったが、それを補って余りある戦利品を得ることはできた。

 『科学』を除くあと四組、これらを消すだけの戦力は整った。元より今回の女王陛下の依頼、その本質がであるとするならば、我が『軍事』とまともな戦いが成立する第一人者などいるはずもなかった。

 今日は気分が良い。明日は久々の休みだし、もう一本、空けてしまおう。

 ヴァハグンは鼻歌まじりに、デスクの脇に設置された冷蔵庫から本日二本目のを取り出した。

かしゅっ、と栓を開ける音。

とくとくとく、とグラスに葡萄色の炭酸水を注ぐ。

ヴァハグンは何よりも効率を好んだ。アルコールは身体機能を低下させ、緊急時の判断を鈍らせる。葡萄の味を楽しみながら喉を潤したいのならばその味を再現した飲料水で事足りるし、陶酔した気分を楽しみたいのであれば

そしてヴァハグンは他の第一人者たちのように、前線に出て自らの身を危険に晒すこともしない。

一戦一戦の局所的な勝敗に思い煩うようでは街の喧嘩自慢と同じ次元だ。

最終的な勝利とは、そこに至るまでの全ての戦果から学び、勝機へと変換するだけの度量、そしてそれを可能にする盤石な防衛体制を築くことによってもたらされる。

現にこれまでヴァハグンは交戦してきた相手に対し、自分に繋がる痕跡の一つも残してはいなか「おじゃましまーす」


 くしゃり、と眼前の虚空が歪み、

 

そこから、ぱりぱりと小気味良い音を立てて、が現れた。

 

 それはヴァハグンがよく知る二人であり、二人であった。


「──ふむ」

グラスを傾け、ファンタを一口含むと、湿らせた舌で突然の訪問者に尋ねた。

「質問したいことは色々あるが・・・・・・魔術師とかいうオカルトかぶれの社会不適合者は、入室のマナーも知らないのかね?」

 漆黒のローブを身に纏い、謎の箱を小脇に抱えた青年は、ふっと口元を緩める。

「ああ、失礼。もう部屋に入っちゃったけど、後出しで間に合うなら今からでもノックさせてよ」

 銀髪赤眼のドールが、後を引き継いだ。

今夜は無礼講といきましょうてめえの顔面に百発くらいな




 上質なストライプのスーツに身を包んだ壮年の男性、ヴァハグン・“メタル”は、僕たちの突然の強襲にも──少なくとも表面上は──動揺を見せることはなかった。流石に修羅場を潜り抜けている『軍事』の第一人者だけはある。

 しかしそれでも、流石に疑問は拭えないらしい。

「答えるも答えないも君たちの自由だが、もしよければ後学のために聞いておきたい。

「そうだね。せっかくだし教えてあげようか。僕も久しぶりに自慢話ってやつをしてみたいし、

 ──江ノ島で僕たちを襲撃してきた軍隊の規模は埒外であり、装備も見事に千差万別だった。さながら多国籍連合軍といった様相で、襲撃を指揮している大元の特定は困難に思えた。

 だが、発想を変えてみた。あれほど節操のない部隊の編成と武装の規模、少なくともまともな国家直属の軍部ではありえない。

 そして江ノ島で襲撃してきた軍人は一人残らず爆死したが、わずかに残骸が残っていた装備品は全て、本来運用されている国籍も年代も多種多様であったにも関わらず、

 即ち、大手軍需企業『メタルバイツ』。

 その代表取締役ヴァハグン・“メタル”こそが、女王陛下より依頼を賜った『軍事』の第一人者に他ならない。

「ふむ、まあ、そこまでは良いとしよう」

 顎髭を撫でながら、ヴァハグンは口を挟んでくる。

「だが、そこから先はどうやって私の居場所を突き止めた? 私は世間様に自分の居場所を明かすような愚は冒していない。お陰様で『メタルバイツ』は商売繁盛。設立以来、業績は右肩上がり。その拠点は全世界に五十三社も点在している。そもそもオフィスビルなんかじゃなく、世間に明かしていない辺境に築いた秘密基地に潜伏しているとは考えなかったのか?」

「いや、それはない」僕は断言する。

「公的に拠を構えていない、目立つことを避けた潜伏先では運べる資材にも限度がある。即ち盤石の防壁を築くことができない。。たとえどんなに相手の予想の外にあったとしても、最前線の塹壕に隠れ潜む指揮官がいないのと同じ理屈だ」

「で? 五十三社からこのサウジアラビア支社を特定できた理由は? 虱潰しに探るようならば最初の一社の時点で私は報告を受け、世間に非公開となっている別の拠点に身を隠せたはずだった」

「簡単なことだ。

「は?」

「くじ引きをしたんだ。

「・・・・・・なるほど。どうやらまともに種明かしをするつもりはないようだ」

「心外だな。僕は正直に話したのに」

とはいえ、『堕天使の肉片はお互いを引き寄せ合う』、この仮説は僕とカタリナが初めて遭遇した際の会話でしか語られていなかった。ヴァハグンが知らなくとも無理はない。

「そしてあなたが身を隠している会社さえ特定できれば、僕たちを隔てる物理的な距離や防壁は何の意味もなさない。現実世界の法則を書き換える『参』の前ではね」

 くいっ、とワイングラスの残りを一息にあおると、ヴァハグンは熱い吐息を漏らした。

「オーケー。久しぶりに他人と有意義な会話を交わすことができたよ。で? まだ何か? もう特に用がないなら帰ってくれたまえ。お土産に我が社のロゴが入ったボールペンを贈呈しよう」

「ノアはどこにいる?」

「ああ、そんなことか。彼なら今くるところだ」

 核にも耐えうる防壁を破砕しながら、ソレは突然きた。

 壁の砕け散る音が鼓膜に届くよりも早く、黒光りするソレは僕に向かって突進してきた。

 連想したものは極単純な一文字だった。

死。

 咄嗟に両手を交差させ、全力で構築した魔法陣をする。

 だが、まるで硝子細工のように呆気なくそれらは蹴破られ、僕の両腕はぐしゃりとひしゃげた。そのまま後方の壁に叩きつけられる。かはっ、と空気の塊を吐き出す。血の味が混じっていた。内臓が破裂しているかもしれない。

 その奇襲は本来ならば、成功するはずがなかった。

 単純な速さも、重さも、世界の法則を書き換える『参』を展開しているレイの前では意味をなさないはずだった。であるにも関わらず、レイはまるで反応できていなかった。今もまだ、呆然と立ち尽くしている。何故?

 そしてソレは、次にレイへと手を伸ばしてきた。

ようやく事態が呑み込めたのか、レイはソレの指先が顔に届く寸前で逆にソレの手首を掴み、ぐっと力を込めた。

ぴしり、と黒光りする手甲にヒビが入る。当然だ。どんな硬さの特殊合金も、『参』の前ではクッキーと変わらない。

だが、次の瞬間には、手甲のヒビは消えていた。

そして金属と骨肉が衝突する、鈍い打撃音。

ソレの裏拳を食らったレイは派手に床を転げ回った。

こうして距離を置いた僕たちはやっと、ソレを観察するだけの微かな猶予を得た。

彼の全身を覆っている黒光りする金属は、初めて江ノ島を襲撃してきたドールの武装と比べると明らかにシャープに洗練されており、もはや鎧というより鱗と形容した方が近かった。

頭部に被せられたヘルメットは目鼻も覆い隠していたが、その固く引き締まった口元には見覚えがあった。

「──ノア!」

「正確には、ノアⅡといったところかな。些か安直すぎるきらいもあるが」

 とめどなく溢れ出る鼻血を拭いもせず、レイは深紅の双眸で変わり果てたノアを見据える。

『参』による戦闘法則書き換えのおいおいもう昔の女のことは忘れちまったってのか?無効化を確認とんだビッチじゃねえか原因は不明てゆーか何やったんだよ不確定事項多数マジで意味わかんねえ計測不能です脳が破壊されるぜ

「レイ、効かないことはわかっている。もう一度だ」

了解パワハラだぜ。──『参』起動ワイズマンギフト・トランセンド無属性解放後で訴えてやるから──」

 レイを中心に、赤い波紋が空間に満ちる。

僕の注文通り、よりわかりやすく『参』を発動させた証だ。

世界の法則が書き換わった。羽よりも軽やかに、鉄よりも重い一撃をレイは放った。

だが、ノアを周囲に漂う赤い波紋が霧散すると同時に、その拳は呆気なく止められた。

返す刀の一撃。再びレイは吹っ飛んだ。

僕はようやくノアが──いや、ヴァハグンが何をやっているのかを掴みかけた。

ウルスラとの会話を思い出す。

科学の本質は、ルールの発見。

芸術の本質は、ルールの創造。

魔術の本質は、ルールの上書き。

ならば、軍事は──

「ルールの破壊かッ!!」

「御名答」

 ヴァハグンは空になったワイングラスを床に放り捨てる。粉々に散ったガラスの粉を靴底で踏みつけながら、恍惚とした顔で語った。

「あの日、江ノ島でゲットしたノアくんは素晴らしい素材だった。あの無粋なリケジョはノアくんの電撃を単なるスタンガン程度のものとしか扱っていなかったようだが、私の思考は更に一歩先を往く」

 こいつの聞くに堪えない駄弁を耳にして、思わず奥歯を噛み砕きそうになった。それらは全て、兵士に仕込んだ小型カメラで僕の『参』を盗み見たからこそ思いついた芸当だろう。ノアにそれだけの潜在能力を与えたのはウルスラの功績だ。だからこそ僕は──僕とレイと玲衣の関係を抜きにしても──ウルスラの前で『参』を見せたくなかったというのに。

「電気を操るということは、電子を操るということだ。それは即ち量子論の世界に踏み入れるということでもある。もっとも、私が攫った時点でのノアくんには、それほどの精密操作は不可能だったがね。ヘルメットに内蔵されている演算装置がその神業を可能にした。ノアⅡ、彼こそがまさに、」

「クソだな」僕は吐き捨てた。

「何?」

「外からゴテゴテ付け足すのは、無粋なんだとさ」

「おや、意外だね。君にそんなこだわりがあるとは思わなかった」

「僕じゃない。知り合いの言葉だ。だから文句があるなら、──レイ!」


了解わかってるって──『弐』起動ワイズマンギフト・リローデッド


 レイの瞳が赤から黄に切り替わる。

四大属性魔法全開放別にド突き合いも嫌いじゃねえ

『参』が封じられた以上、で戦うしかない。

 レイとノア、二人の姿が消えると同時に、秒間三桁を超える衝突音が無秩序な破壊の曲を奏でた。

 壁が、床が、天井が弾け飛び、炎が、風が、水が、岩が、雷が、樹が、氷が、毒が、砂が、光が、闇が、そして拳と蹴りが交錯する。

 それらの戦闘は、もはや到底肉眼で追えるものではなくなっていた。

だが、それでも一つだけわかることがあった。

 レイは押されていた。

 ぐぅ、

 ごはっ、

 がぁ、

 混沌とした暴力の嵐の中、時折、響くのはレイの呻き声だけだった。至る所が蜘蛛の巣状にヒビ割れた壁や床に点々と飛び散る赤い飛沫は、きっとレイのものだろう。

 本来、いわば反則技である『参』を抜きにすれば、『弐』を発動中のレイは物理戦闘の極地、形而下の世界では最高峰の戦闘力を保有するはずだった。だがそれでも、ノアには届かない。

 レイは間違いなく僕が知りうる限りの『魔術』、その全ての結晶だったが、一方で今のノアは『科学』と『軍事』、二つの技術が合流した先にある戦闘兵器の究極系だった。

 そして、終わりは呆気なく訪れた。

 ついさっきまで吹き荒れていたはずの破壊の嵐は嘘のように消え去り、静寂と共に再び二人の姿が現れた時、すでに勝負は決していた。

 ノアの尖鋭化した鉄腕が、レイの首を締め上げ、軽々と持ち上げている光景。

 レイは意識を失いかけているのか、まるで抵抗する様子も見せず、その両脚はだらりと力なく垂れ下がっていた。

 意気揚々と、ヴァハグンがノアに語りかける。

「おめでとう、ノアⅡ。どうだね? 初めての勝利の味は?」

「   」

「ふむ。やはり君も、『教育』の過程でえらく無口になってしまったね。まあ、元々口数の多い方でもなかったが・・・・・・。しかし安心したまえノアⅡ。まだまだ戦うべき敵はいる。きっと君にも芽生えるさ、生物である以上誰にも備わっている闘争本能──即ち、“魂”というやつが」

「   」

 ──ここまでか。僕は観念して口を開く。

「最後に一つだけ聞かせてくれ」

「うん?」

「お前はこの先勝ち残り、女王陛下の依頼を達成したとして、一体何を願うつもりなんだ?」

「知れたことだ。私の願いは『万国強兵』」

「何だと?」

「これでも私は愛国者なんだよ。商売人である以上、金さえ払ってくれるならどこの国にも武器を売るがね。それも考えあってのことだ。世間知らずの魔術師くん、最も国が栄える時期とはいつかわかるかね?」

「・・・・・・少なくとも、戦時中ではないだろうな」

「その通り! 正解は、! そのためにも、武力の独占は母国のためにならないのだよ! ある程度武力を分散させて、!」

「──

「今回の依頼を受けてよぅくわかった! 堕天使の肉片を埋込んだドール、これは最高の兵器だ! 依頼を達成した暁には、女王陛下に進言して堕天使の死体をまるごと譲ってもらおう! そして肉片を埋込んだドールを万単位で世界中にバラ撒く! これが私の『万国強兵』!」

 目を血走らせ、口から泡を飛ばして熱弁するヴァハグンを見て、僕は全てを諦めた。初めからこんな奴と、会話が成立するはずもなかったのだ。

「・・・・・・なるほどね。面白い話だったよ。ありがとう」



 ドール二体による戦闘中。

 辛うじて回復した魔力を振り絞り、骨折を治癒し終えた右腕で、僕は『その箱』を掲げる。

 ノアのクローン体の脳──“魂”が宿っている、その箱を。


「レイ、


了解さっさとやれ


 両眼を見開いたレイが、ノアの両手を掴む。

次の瞬間、二人は、不可視の万力で優しく包まれた。

ノアはぎちぎちと体を揺らし、拘束を解こうと身じろぎする。だが無駄だった。

 

 その効果は絶対不可避。しかし恐らく二秒ももたないだろう。

 だが十分だ。僕が持つ脳を入れた箱が蒼い輝きを発する。

 勝利に酔っていたヴァハグンの表情が、初めて戸惑いの色を浮かべる。

「その箱は何だ?」

「ノアの脳味噌だよ。とはいえ、これはクローンだから、ドールと違い“魂”がこもっている。つまり魔力の源でもある。そして魔術の世界には、」「おい待て何を、」「ノア!」僕は叫んだ。「本当は君に渡すはずだった君の“魂”、君の主人の──いや、使!」

 

そして僕は、


禁呪を放つ刹那、

 

微かに聞いた気がした。


──りょ。


「絶対禁止呪文・脳弾」


 必死。故に必殺。

これまで過ごすはずだった過去。

これから過ごすはずだった未来。

その全てを棄て。

蒼き光弾がノアの胸を貫通し、その後ろに突っ立ていたヴァハグンを吹き飛ばした。




「いや、本当に悪いことしたと思ってるよ。・・・・・・やっぱり、怒ってる?」

 脳弾を喰らった衝撃でヘルメットが転げ落ち、二ヶ月ぶりに晒されたノアの素顔を、僕とレイは覗き込む。

 咳と共に血を吐きながら、ノアが答えた。

「別に」

洗脳が解けたようですね随分おしゃべりになりましたね

「もちろん、僕たちだってできればウルスラが本来想定していた通りの方法で脳を移植して、君に“魂”を授けたかったさ。だけど『科学』の粋を結集した君が『軍事』に攫われた時点で、

「気にして、ないさ。きっと、ウルスラも」

 死を前にして意識が朦朧としてきたのか、かつての言葉少ない話法を放棄して、ノアは語る。

「前に、ウルスラが、お前のことを、こう評していた。私は、必ず、最適解に、辿り、着けるが・・・・・・トーリは、不正解を、大ハズレを、選べる、馬鹿野郎だと・・・・・・それが、お前の、強さだと・・・・・・」

「・・・・・・ん。そっか」

「俺の、体内に、残っている、堕天使の、肉片は、好きにしろ」

「他に何か、ウルスラ・“ラボ”は言い残していませんでしたか? ドールに“魂”を与える方法。脳の移植以外にも、別案について何か・・・・・・」

 レイの問いに対し、ノアは静かに視線を宙に彷徨わせ、やがて答えた。

「そういえば、ひとつだ、け。まずは、外面だけでも、人間、らし、く笑っ、てみた、らどうだと、言って、いたな。笑う、門には、福来たる、だそうだ、ぷら、しーぼ、こう、かの、──あぁ」

 ふいに、ノアの瞳が光を取り戻した。


「そう、いえば、この仮説は、まだ、検証して、いなか、った・・・・・・うる、すらに、おこら、れる・・・・・・」


 そして。

ノアは笑った。

胸に大穴が空いているにも関わらず。

まるで人間みたいに大口を開けて、楽しそうに笑った。

「──気分はいかがですか? ノア」

 しかしもう、答えは返ってこなかった。

 笑顔を浮かべたまま、もう二度と動かなくなったノアを見下ろし、レイはぽつりと呟く。

「答えは独り占めですか。ノアはずるいですね」




「なんと素晴らしい! 最高だ! 最高じゃないかぁ!」

 右腕が弾け飛び、顔の皮もおよそ半分が剥がれ落ちながらも、ヴァハグン・“メタル”は高揚していた。一刻を争う瀕死でなければ、スキップの一つでもしながら敗走したい気分だった。

 はたして、何十年ぶりの経験だろか? 今回の一戦は、紛れもなく完敗だ。そして乾杯だ。

「世界にはまだまだ、私の知らない力が眠っている! 私はもっとすごい戦争を、すごい繁栄を生み出せるぞぉ!」


「それは不可能だ。ヴァハグン」


曲がり角からあまりにも唐突に、その少女は姿を現した。

ヴァハグンは驚きに目を見張る。

「生きていたのか・・・・・・ラグナ」

 ラグナ。ヴァハグンが最初に女王陛下よりされ、前線に投入し、失ったはずのドールだった。

 江ノ島の爆発以降は消息も知れず、ノアを獲得してからは彼の改造に夢中になっていたため捨て置いていたが・・・・・・。

「でかしたぞラグナ! ちょうど良いところにきた! お前に再びこの私が、魂を獲得するチャンスを恵んでやろう! だが、ここは一旦退くぞ! 肩を貸」ずぶり、と湿った音を立てて。

 ラグナが握るサバイバルナイフが、ヴァハグンの頸動脈を切り裂いた。

「あ? え? ちょ、えぇ? マジで?」

「マジだ」

 刃を引き抜くと共に、鮮血がまき散らされる。

 咄嗟にぱっくり開いた喉元の傷を手で押さえながらも、そんな止血に意味はないことはわかっていた。

 しかし、それでも尚。

 それでも尚、ヴァハグンは笑った。

 ヴァハグンは、まるで愛娘を抱擁するかのように、ラグナにもたれかかった。

「あはぁ。そうか、お前、私のことを恨んだな?」

憤怒。憎悪。殺意。それらは全て、闘争本能の発露に他ならない。

 つまり、ラグナは到達したのだ。

人間の“魂”に。

──やはり私のやり方こそが、正しかった。

 最後の力を振り絞り、ヴァハグンは顎を持ち上げて、ラグナがその顔にどんな感情を浮かべているか、見届けることにした。


「──まるでダメだな」


 ラグナの顔には、何の感情も浮かんでいなかった。ガラス玉のような瞳が無感動に、死にゆくヴァハグンを見下ろしていた。

「ばかな、それじゃあ、なんで、私を、」

「ウルスラ・“ラボ”の助言だ」

 ウルスラ?

 何故ここで、あの女の名前が出てくる?

「仮説の検証だ。自分を使い捨てたお前に復讐を果たせば、スカッとするとか、あるいは虚しさを覚えるとか、とにかくそういう新たな衝動に目覚めるんじゃないかと、そう提案されたものだから、。もっともウルスラ曰く、どんなに望みの薄い仮説だろうと、検証することに意味があるそうだ。一回失敗するということは、一歩成功に近付くということらしい。

 闘争。

 進化。

 戦争。

 繁栄。

 さっきまで頭を占めていたはずの、熱く輝かしいものはあっという間に暗黒に呑まれ、ヴァハグン・“メタル”は息絶えた。

 そしてラグナの背後から、無数の靴音が近付いてきた。

 振り向くと、そこには武装された兵士の集団が自分に向けて銃口を突きつけていた。

「貴様、何をやっている! 凶器を手放せ! 社長から離れろ!」

 ラグナはしばし、自らが握りしめる赤く穢れたナイフを見つめる。

 今の自分に、この場を逃れる術は残っていないだろう。

 ならばこのまま、大人しく投降すべきか。

 しかしふとラグナの頭に、あの女の言葉が浮かぶ。

 仮説の検証。

一回失敗するということは、一歩成功に近付くということらしい。

 抗うだけ、抗ってみるのもいいか。

 ラグナは刃を構え直すと、ラグナは兵士の集団に向かって駆けた。

 一斉掃射された弾丸が、ラグナの全身に降り注ぐ。

 熱い。熱い。熱い。

まるで燃えながら踊っているかのようだ。

もしかして、私の全身を包む、この感覚こそが──。




──さる高貴な帝国の王室にて。

一組の男女が向かい合い、チェスに興じていた。

いや、より正確に表現するのであれば、男はチェスの駒を弄びながら好き勝手に喋り、女はそれに耳を傾けていた。

「依頼の期限である一年の内四ヶ月が経過して、六組中二組が脱落。ま、順当なペースってところか?」

 癖毛を無造作に背中まで伸ばしたその男は、盤上の駒からポーンを取り上げた。

「ウルスラの行動力は大したものだったが、いかんせん誰よりも先んじていた。最速最短で前進し過ぎていた。出る杭が打たれるのは世の常ってことか」

 次に男は、ルークを取り上げる。

「ヴァハグンが築いた城は盤石に思えたが、よくも悪くも戦争屋だな。お生憎様、これは戦争じゃなくて遊戯だ。こいつには遊びが足りなかった。特に今回は相手が悪かったと、──いや」

 ルークを盤外に転がすと、男は指先でつうっとビショップの頭を撫でた。

「ここは素直に、相手のが一枚上手だったと褒めるべきか?」

 すると今まで聞き手に回っていた女性が口を開いた。

「随分と余裕そうね。もしかしてあなた、

「まさか! こんなに面白いゲーム、部外者のまま終われるはずないだろうが! ただお前こそ忘れてないだろうな? !」

「さて。どうかしら」

 気の抜けた女の返事も意に介さず、癖毛の男は愉快気にチェス盤を指し示す。

「このまま最後まで引き籠もっているつもりか? 

「・・・・・・消去法でいくと、あなたはナイト? それともまさか、自分こそがキングだとでも言うつもり?」

「さあね。ま、ここらで俺も動くとしよう。つい最近、『イヴ』の調整も終わったところだ」

 そう言って癖毛の男は、自分がもう一方の手で握っていた鎖を、じゃらりと揺らす。

 その鎖の先は、男の背後に控えていた、豊満な体を華やかなドレスで包んだ女性の首輪へと繋がっていた。

「あら、そう。ならさっさと、はしゃぎ回ってきなさいな──『遊戯』の第一人者さん」

「そりゃあもう、仰せのままに──女王陛下」




首輪をつけた女性・イヴを従えながら、癖毛の男──ユダは王室を後にした。

そのまま螺旋階段を降り、城門へと向かい──その途中で、ふと違和感に気付く。

今自分が歩いている場所は、紛れもなく帝国の心臓部であるにも関わらず──さっきから、誰ともすれ違わない。

守衛の姿が一人も見えない。


「あのう、すいませ~ん」


そしていきなり、その二人組は現れた。

「ああ、やっと人に遭遇できて良かったです。考えなしに守衛の方々の存在を一時的にふぁぶろぎってしまってから自分のミスに気付きました・・・・・・・お城ってこんなに広いんですね! 危うく迷子になるところでした!」

「ね、ねえママ・・・・・・やっぱりマズいよ、こんなこと・・・・・・」

「何言ってるの? ここを選んだのはアーくんでしょ? ワガママ言っちゃ、めっ!」

 車椅子に腰掛けているのは、華奢な女。

 その背後に控えているのは、岩のような大男。

「ええと、何でしたっけ? ああそうそう。つかぬことをお伺いしますけど、女王陛下さんってどちらにいらっしゃるかご存知ですか?」

「・・・・・・んー、」

 ユダは鼻の頭を掻きながら、逆に聞き返す。

「別にあんたらを案内する理由も、止める理由も俺にはないけど・・・・・・何するつもり?」

「いえ、特にこれといった理由はないんですけど、せっかくお城にきたんですから、!」

 ママぁ、と岩のような大男が情けない呻き声を上げた。

しかし車椅子の女は一向に構うことなく、両手の親指と人差し指を合わせて四角形を作り、それを覗き込むようにしてユダたちを観察した。

「んん~? ところでそこのあなた・・・・・・変わった趣味の首輪をつけている彼女の方です。“魂”がすっからかんですね。そして横にいる癖毛のあなたも、なかなか珍しい形をしています・・・・・・ああ、ドールとそのパートナーですか。どうもよく会いますね、何かと」

 くくく、とユダは笑みを零した。

「うん、気が変わりました! まずはあなたからスケッチさせていただきます!」

「・・・・・・ま、一緒にお茶する仲の女友達を裸に剥こうとする輩を素通りさせるのも心苦しいし、うん、最初の遊び相手はあんたらでいいや」

 そして、『芸術』と『遊戯』は対峙する。


「アーくん、あなたの魔力を私に」


「イヴちゃん、ちょっと遊ぶから“種銭”貸して」


「『魔術的、神秘的真理を内包する芸術的作品群クオリア・ワークス』、作品番号一〇〇〇一番を解放します」


「『銀貨が踊る遊戯場ユダ・カジノ』、賭博開帳オープン・ザ・ゲーム

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