第5話
*** 5 ***
「それにしても“軍事”のドールねぇ。ドンパチ屋なんかに魂の研究が務まるのかしら?」
ウルスラの地下牢。
その奥に鎮座した巨大な槽を眺めながら、移動式の椅子に逆向きに座った『最悪の科学者』はチュッパチャップスの包装をむいた。
謎の培養液で満たされた槽には、つい先刻の戦闘で鹵獲した敵性ドールが放り込まれている。
「どうだろうな。技術を飛躍的に伸ばすのはいつだって戦争だろ。倫理の枷も緩いとくれば、あながちミスキャストじゃないのかもしれん」
「ハン! 知ってるのは精々魂の壊し方くらいでしょ。
大学時代、学部が違う僕のところに、あることないこと噂を聞いて飛んできた彼女の姿を思い出す。
本当にマークするんだろうな……。
「いい、トーリ? 私が悲観しているのはね、単に軍事が趣味じゃないからだけじゃないの」
「それもあるにはあるのか……」
「魂の創造なんて掘りつくされた話題、いくら堕天使の欠片があったところで、いまさら到底一分野の範疇で収まるシロモノじゃないことくらい、あなたもわかるでしょ?」
だからあんたも私のところに来たんだろうし、と口元緩める彼女に、肩をすくめて先を促す。
「貴重品を六分野適当にぶん投げてる訳ない。私の仮説を言えば、神秘省は魂の完成には六分野すべての研究が必要だと睨んでいる」
「……まさか。あの段階で流石にそこまで特定できているなんてことがあるのか? 女王直下とはいえ……」
ウルスラの双眸が、鋭く僕を射抜く。
「“ワイズマン”ともあろうお方が、本当に平和ボケしたの? 奴ら、直接的な戦力がないだけで、得体の知れなさと厄介さでいえば堕天使とどっこいなんだから。協力しなきゃできない課題の報酬がたった一人の望みなんて、いかにも神秘省らしいじゃない」
クライブ・ベイクウェル大臣。
僕を案内した男があの若さで牛耳る、世界有数のブラックボックス。
魔術が体系化された現代においてなお、神秘を追求するロマンチストの巣窟。
あるいは――
「あーヤダヤダ。それなのに協力するの相手が軍事! 軍事って! 趣味じゃないどころの騒ぎじゃないってのホントに。同列に扱われること自体がガマンならない! もっとこう、『美』の最高峰とか! 『歌劇』の気鋭とか! そういうスマートなのときぃーそぉーいぃーあぁーいぃーたぁーいぃーぃ!」
駄々をこねながら椅子をぐるぐる回し始める
しかし歌劇と来たか。
「歌劇ではないが……でも確か一人は『芸術』に渡っているはずだ」
彼女の希望になるかと思い情報をさらしたのだが、僕を見たウルスラは、なぜか僅かに嫌そうな顔をする。
「……ふぅん。ね、当ててあげる。クライブ・ベイクウェルがそういったんでしょ」
「……そうだ。『科学』と『芸術』に声をかけて……僕は『魔術』だと」
ハァ、とため息を吐くと、回転いすをこちらに向けて止めたウルスラが、口内のチュパチャプスをガリゴリとかみ砕き始める。
「だったら『魔術』からスタートして魂に到達するアプローチ・チャートはまず、『科学』と『芸術』のエッセンスを足すところからなんでしょうね。潰しあいが想定されるのに、意味もなく敵対者の情報を、それも二つだけ撒くわけないもの」
ぷっ、とウルスラが可食部の喰いとられたチュパチャップスの骨を吹き出す。ゆるい放物線を描いた白い棒が、ごみ箱代わりの一斗缶へ吸い込まれていった。「ちなみに私が教えられたのは、『魔術』に渡す予定だということだけなんだけどトーリ。これはどういう意味だと思う?」とやけにいい笑顔で言われたが、僕の知ったことではない。
「そう、芸術ね……そうね、さっき『軍事』の本分は壊すことだって言ったでしょ。奴らは破壊する中で、必要なものを最適化させて進化させる。その文脈で言えば『科学』の本分は発見かしら。既に世界にある途方もない、無数と思えるほどのルールを掘り出していくだけの作業ね」
無数を掘り出す行為をさらりと作業と呼ぶ当たりが、ウルスラの“ラボ”たるゆえんなのだろうが。
「それなら魔術はどうだ?」
「『魔術』は……上書きってところかしら。『人は空を飛べない、だから空を飛べるようにする』『口から炎は出ない、だから出るようにする』『あの子は僕に振り向いてくれない、だから振り向かせる』……既にあるルールを書き換えることはできるけど、逆に言えば新しみのある何かの発見とは、実は程遠いのよね。そして――」
彼女が立てた指の先に、僕の視線は吸い寄せられる。そこに何か、何かを引き寄せる魔力があるように。
「――『芸術』は……」
「な、なんだあれは!」
軍事の一派、その誰かが発した悲鳴のような一言が、僕をひと月前の回想から現実に引き戻した。
アトラスが持つ膨大な魔力の一端が、カタリナに向かって流れていく。まともに受け止めれば廃人になりかねないその奔流を、彼女は受け止めた傍から“作品”として昇華していく。
つまりは僕とレイの逆だ。僕が魔術を使えないレイに術式を貸し、その膨大なエネルギーの方向付けをしているのに対し、カタリナは芸術を解さないアトラスから魔力を徴収して、自らが銃身となり“創作”を行っているのだから。
「作品番号七四・『ぷろごめゔめろてぁつ』」
静かな、しかし歌うようなカタリナの声が響く。彼女が発した作品名を、僕は正確に聞き取ることができなかった。いや、聞き取ったうえで、なんて言っているのかわからなかった。
屈強な男が腰を抜かしたまま、指をさすそれを僕も見る。訓練を受けた兵士から平常心を奪うほどのそれは……『それ』と呼ぶしかないものだった。
前触れもなく眼の前に現れた緑がかった正一面体の苦みがこちらを視認すると、液状の炎が僕とレイに纏わりついて、音と嗅覚のちょうど間にある感覚を刺激してくる。
「……は?」
間の抜けた掠れ声が僕の口から出た。自分の認識が支離滅裂であることわかる。同時に、これ以上自分の持っている言葉で、眼の前の状況を的確に言い表す語句がないこともわかっている。僕の辿り着いた言葉は、僕にできる限界まで、可能な限りで現象の様相に肉薄している自信があった。
彼女の発する音も、僕が受け取る刺激も、無理やり自分の知っている範疇に落とし込んでなお、その片鱗も理解できずにいた。
「さ、“ワイズマン”さんはともかく、そちらのドールさんはそろそろ立てるはずですよ。ぷろぐのしばぅぁばが因果をてぁつした頃ですから」
「何を……それ、は」
「ごめんなさいね。私が創り出したものはみんな、それぞれ既存のものとは違う新しいルールで動いているから……そう呼ぶしかないの」
「ママの芸術は文字通りの創造……全く新しい法則そのものを創りだす……から、物理法則も感覚も、常識で見ちゃダメ……」
周囲に溢れる喧騒と混乱の中、車いすの彼女は困ったように首をかしげて笑う。使命感か恐怖か、乾いた破裂音が数発彼女めがけて鳴り響くも、苦みが湿度で絡めとるとそのまま銃弾が過去に溶けてしまう。
僕の知るどんな魔術でだって、ここまで理解を超えるものはなかった。
印象派だか写実派だかキュビズムだか知らないが……芸術はさっぱりわからない。
もはや研究所に広がった地獄は、善悪を超えた何かに蹂躙されつくしていた。
「トーリ!」
眼前で起きている事態に適応しきれない僕を、混沌となった場をかき分けるようにして、レイが駆け寄り抱きおこした。
「レ……イ。キズ……」
「大丈夫ではありませんが、大丈夫です、この……とにかく、この場を治めます。トーリは自分の心配を」
レイが視線を左右に、それから自分の腹部に向けてから、現象の言語化を諦めるようにこちらを睨みなおした。視線を追ってレイの腹部を見遣り……先ほど大きく抉れた肉体が赤い粘性の切なさで塞がれていることを認識し、僕も思考するのをやめた。
――芸術は、創造が本分。
だからといって、作品一つ一つがすべて固有の法則そのものから創造しているなんて正気ではない。
――創造の魔術。
これが、この世界に形作られていないイメージを具現化し続ける、芸術家たちの、その頂点の力か。
「お望み通り助けてあげました。あとはそちらでお願いしますね“ワイズマン”さん」
「……このまま君が押し切れそうだが。カタリナ・“アート”」
「無理です。この作品は……えーと、俗な言い方をすればLOVE&PEACEがテーマなので、この空間で殺傷とか暴力とかはすべてぷぞろぼに無効化されて無理です。いうなれば非戦闘の世界ですね」
いわれて周囲を確認すれば、なるほど、これほど場が乱れているのに新しい怪我人や死体が生まれている様子もないことに気づく。代わりに誰もこの芸術作品が支配する空間からは抜け出せないようで、わずかな範囲に得体のしれない何かと押し込められた人間たちの阿鼻叫喚が充ち溢れていた。
「でもあなたならできるでしょう、“ワイズマン”? だってあなたは『魔術』の第一人者なんですから――ね、ストリート・グラフィティにおける暗黙の了解はご存じかしら?」
「……」
僕は彼女の言わんとしてることを理解した。アイコンタクトで許可を出すと、レイは僕の意図を正確に受け取り、軽く頷いて、そっと抱えていた僕の頭を床に下ろした。
「……レイ、ウルスラは死んだ」
「はい」
レイが僕に背を向けて立つ。
「ノアの体も持っていかれた」
「はい」
レイが軽く目を閉じると、ゆっくりと息を吸い、吐きだす。
「鹵獲していた敵性ドールは回収された。既にこの芸術の領域の外だ」
「はい」
レイが肩幅に脚を開き、目を開ける。
眼前の敵を、見据える。
「悲しいか?」
「
僕の魂が分割され、わずかに指先を離れる。
「苦しいか?」
「
僕の魂がレイの体を包み込み、その魔力と絡み合うように定着していく。
「怒っているか?」
「
僕とレイの堺が、溶け落ちていく感覚を味わう。
「
「命令だ。『参』を使え」
レイが視線だけ向けて、いいのかと最後の念押しをしてくる。
「……ウルスラはもういない。見たってウルスラ以外には『参』の本質はわからないよ」
「あら、ふふふ」
後ろで楽しそうな車いすの声がするが、事実だ。
もっと言えば……きっと彼女は、『参』を見せていなくてもすでに僕とレイの秘密に辿り着いていた。
そんなもの玲衣がいない時点で、隠しようなどなかったのだから。
「
レイの瞳が赤く染まり、世界から一瞬、音が消えた。
「
カタリナが展開した芸術の上を、未知の法則が充ちた空間を。
切り裂くように僕らの術式が――軍事の兵隊めがけて飛んでいく。
――グラフィティの原則。
ストリートの落書きにおいて、より優れた書き手だけが、前の題材をリスペクトしたうえで上書できるという――暗黙の了解。
「科学の本質はルールの発見、芸術の本質はルールの創造……であれば、魔術の本質は上書らしいからな」
ひと月前にウルスラが言っていた文句を思い出しながら。
僕は軍事の雑兵ごと、江の島を吹き飛ばした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます