第4話

*** 4 ***

 一ヶ月後。

僕とレイは江の島をふらふらと散歩していた。今日も晴れ晴れとした天気で、日の光を受けた海岸線はきらきらと輝いていた。

「綺麗だ。レイもそう思わないかい?」

「どうでしょう。きれい、きたない、たのしい、こわい。魂のない私が胸に抱くそういった所感のすべては紛い物に過ぎないのなら、私は何も『思って』いないことになりますが」

「……そういう返事を期待したんじゃないんだけどな」

 海岸線の向こうに見える神奈川の陸地を眺めながら、僕は一カ月前、ウルスラ・“ラボ”と再会した時のことを思い出していた。


『さあ、どうする? “ワイズマン”?』


 と、こちらの意思を確認するように問うてはきたものの、彼女だって僕に断る選択肢がないことぐらいは分かっていたはずだ。

 “魂”の獲得における僕の魔術的なアプローチはすべて試し、失敗した。となれば次はウルスラのやり方でそれが叶うのか確かめる必要がある。今は少しでも多く、“魂”への手がかりが欲しい。

しかし僕が首を縦に振った時のウルスラの顔ときたら。全世界小憎らしい笑顔選手権があれば殿堂入り間違いなしの完璧なスマイルだった。今思い出してもイラっとくる。

 あの時の戦闘では周囲の民間人に転移魔法を使ったり山が割れたりで世間的には相当なインパクトがあったはずなのだが、しかしニュースやSNSをチェックしてみてもそれらしい情報は出てこなかった。

 恐らくは徹底的な情報統制、加えて魔術的な方法による目撃者の記憶の消去なども行われたのは想像に難くない。そしてそんなことをやってのけられるような存在が――恐らく日本政府なのだろうが――ウルスラのバックにいることになる。流石は『最悪の科学者』だと舌を巻かざるを得ない。

 そんなわけで僕とレイは今、ボディガードとしてウルスラの研究施設に厄介になっていた。と言っても彼女は自分の研究について僕に見せるのを嫌うので、基本的には自室で古い魔導書を読みふけったり、今のようにふらふらと研究施設の周辺を散歩したりして時間を潰している。

「トーリ。あまり施設を離れるのも良くありません、そろそろ戻りませんか?」

「ああ、そうだね……ん?」

 ふと視線を向けた方向に気になるものを見つけ、思わず足が止まる。

 僕たちがいるのは山の端、海に向かって視界の開けた岸壁の上だ。そこに奇妙な二人組がいた。

 一人は車椅子に乗った小柄な若い女性だ。ゆったりとした白いワンピースに身を包み、ふわふわとした長めの金髪をサイドで縛って胸の方へと流している。その表情はやんわりと微笑んでおり、隣のもう一人の人物を見つめていた。

 そのもう一人、こちらは地面に置いた折り畳み式のイスに座っているが、恐らくかなり大柄な男だ。身長二メートルくらいはあるのではないだろうか? 筋肉の付き方も見事で、着ているTシャツがパツパツになっている。その上に羽織ったジャケットと濃紺のジーンズという姿でブロンズの短髪を潮風に揺らす彼は、太い指で絵筆をつまみ、目の前に置いたキャンバスに何かを描いていた。

「……スケッチかな? こんな場所でやるのは危ない気がするけど」

「女性の方は車椅子ですしね。麓からあまり距離がないとはいえ、山を登ってここまで来るのも一苦労だったでしょうに」

 ……しかし、あの女性。どこかで見たことがある気がするのだけど、誰だったか……?

 僕が頭の中を検索し終わるよりも早く、男の方が声を出した。

「できたよ」

 女性が頷く。すぐに男は椅子を片付け、側に置いてあったとんでもない大きさの四角いカバンに速やかに収納した。代わりに今まで男が座っていた場所へ女性が車椅子を動かし、キャンバスに描かれた絵をまじまじと見つめる。

 どうにも気になり、失礼を承知して絵を確認できる程度の距離まで近づく。遠目に見ても分かるほどに精緻な筆遣いで描き込まれた、それは海の絵だった。僕たちの目の前に広がる宝石のように輝く穏やかな海面をそのまま閉じ込めたかのような美しさは、とてもあの筋骨隆々の大男が描いたとは思えなかった。

 その見事な絵を眺めていた女性は、変わらず穏やかな笑顔を男へ向け、

 ぞっとするほど冷たい声でそう言い放ち、キャンバスを突き飛ばすようにして崖下に放り投げた。

 思わず言葉を失っていると、女性は太陽のような笑顔に厳しい北風のごとき声色で男にまくしたてる。

「確かに二ヶ月前に比べてあなたは格段に技術を身に付けました、それについては私も認めていますが、しかしあなたの絵にはそれ以上のものが何もありません、虚無です、技術だけで描いた絵なんてこの世に生まれる価値すらないのだといつもいつもいつもいつも言っているでしょう、絵は筆ではなく“魂”で描くんです“魂”で見て“魂”で嗅ぎ“魂”で触ったものこそが真実です、芸術とは“魂”を出力する方法でしかないことを理解しなさい、理解できないのならひたすら描きなさい、その先にあなたの“魂”がきっとあるのだから――」

 ガミガミガミガミ。よくもまあそんなに息が続くものだと感心してしまうほど、女性の淡々とした詰りは続いた。

 数分後、聞いてる僕まで凹んでくるほどの罵詈雑言を黙って浴びていた男がぽつりと言った。

「……ごめんね、ママ……ぼく……やっぱりダメなやつだ……」

 ……ママ? 大男のその風貌に似つかわしくない小さな子供のような口調に面食らう。一方女性の方はというと、その謝罪を聞いてハッとした顔になり――器用に車椅子の上から、男の腹あたりに寄りかかるようにして抱きしめた。

「ごめんなさいアーくぅぅぅん! 私ったらまた歯止めが効かなくなっちゃってぇぇ~~!」

 女性は涙目になりながら大男……アーくんとやらに頬ずりする。

「い、いいんだよ、ママ。ぼくが上手く描けないのが悪いんだから」

アーくんもアーくんで女性の小さな頭を抱えるようにして抱きしめるのだが、体格差がありすぎて女性が暴漢に襲われている瞬間にしか見えない。

隣のレイがぽかんとした顔で言う。

「……これは、なんというか。随分愉快な恋人同士……にしては呼称が妙ですし、親子……? いや、そんなに歳が離れているようには見えません……トーリ、何ですかあれは?」

「僕が知るか」

 と、僕たちの声が聞こえたのか女性がこちらを向いた。

「……あら? あらあらあらあら?」

 一瞬で涙をひっこめた女性がアーくんから手を離し、顎に手を当てて首をかしげる。その視線はがっつりと僕の目を射抜いている。

 シャッ! と鋭い音を立て、女性が車椅子の車輪を回し、とんでもない速度で僕たちの方へ突進してきた。

「うわっ⁉」

 咄嗟に身構えるが、車椅子は見事に僕の正面一メートルほどの距離で静止した。

「んん~~~~⁇」

 女性は両手の親指と人差し指を合わせて四角形を作り、それを覗き込むようにして僕たちを見た。その仕草は画家がパースを取る際のそれだ。

「あ、あの……何を?」

 困惑する僕を無視し、女性は先程のように冷たい声で一気にまくしたててくる。

「奇妙な、実に奇妙な魂の形ですねあなた、ひとめ見ただけでここまで違和感を覚えるモチーフなんてここ六年ほど出逢った覚えがありません、それに隣のあなたもまた奇妙、魂が見えない? いや無い? からっぽです虚無です虚空ですまるでアーくんみたい、ああドールかドールなんですねまあそれならいいか、けどそちらのあなたの魂の形は実に創作意欲を刺激します、描かせてもらっていいですか描きますね描きますとも」

 正直言って状況が整理できない。が、一つだけはっきりしたことがある。今この女性は『ドール』と言ったのだ。

 僕とレイが同時に後ろへ飛び退き女性から距離を開けた。すぐさまレイが僕をかばうようにして前へ出る。

この方、競争相手です。攻撃しますか?こいつ敵だぞ。やっちまうか

「待て、先走るな」

 レイをなだめつつ、スーツの中から魔法具である拳銃を取り出す。先日の“転移”の際にも使用した愛用の逸品だ。

 臨戦態勢になった僕たちを見て、しかし、女性は至って冷静だった。というか何が起こっているのか分かっていないかのようにきょとんとした表情で僕たちを見ている。そして唐突にぽん、と手を打った。

「ああ、どこかでお見かけしたと思ったらあなた、“ワイズマン”さんですよね? なるほど、そのドールはあなたのものですか」

「……そう言う貴方はカタリナ・“アート”で間違いないか?」

 そう、彼女の顔を正面から見てやっと思い出した。

 カタリナ・“アート”。『生けるアトリエ』、『形而上世界に棲む女』。今の世界における“芸術”の、まさに第一人者だ。

「あら! あなたに名前を知られているだなんて、ふふ、恐縮です。あ、こっちは私のかわいいドール、アトラスくんです。お見知りおきを」

 頬を赤く染めて微笑むその表情からは、彼女が比肩する者なき芸術家だなんてとても信じられない。

 カタリナの作品は非常に多彩だ。絵画に始まり彫刻や作曲など、およそ『芸術』と呼ばれるあらゆる分野において彼女は多くの名作を残している。

 彼女についてよく知られるエピソードは枚挙に暇がないが、その中でも特に有名なのは間違いなく、カタリナがその頭角を現し始めた時期に発行されたとあるインタビュー記事だろう。

 一問一答形式で行われたそのインタビューの中で、インタビュアーがこんな質問をした。

『カタリナさんはあらゆる分野においてオールマイティに作品を造られておりますが、何か一つの分野を極めようとは思わないのでしょうか?』

 それに対してカタリナは、心底意味が分からないといった顔でこう答えたらしい。

『はあ。ええ、と……そもそも芸術を分野で分けること自体に意味があるとは思えないのですが。芸術家を名乗るならば誰もがそうだと思いますが、私たちは“魂”で感じたものを作品として出力しますよね? つまりあらゆる“芸術”とは結局“魂”の出力手段でしかないわけで、それを分野で分けてしまうこと自体がナンセンスです。だって“魂”を震わせるモチーフと出逢った時、ある時は絵画として、ある時は旋律として、自ずと? だというのに、一つの分野を極める、ですか? それは“魂”の表現方法を狭めているだけではないのかと常々思っているのですが、どうでしょう?』

 それはほんの欠片ほどの悪意もない、至って素朴なの言葉だった。だからこそ多くのを激怒させ、あるいは破滅させた。だからカタリナの名前は世間に良くも悪くも知れ渡っている。

「どうやって僕たちの居場所を突き止めた?」

 一ヶ月前の襲撃、あれは恐らく僕というよりはウルスラが江の島にいると突き止めた何者か――恐らくは『軍事』の第一人者――によるものだと思われるが、彼女もまたウルスラを狙ってここに来たのだろうか?

 しかしカタリナは首を横に振り、

「いやですね、まるで私たちがあなた方を襲いに来たような言い方じゃないですか」

「まさか、違うとは言いませんよね?」

「そんな野蛮な真似しません。いえ、もちろん襲われる分には抵抗しますが。私とアーくんの目的はあくまで芸術の探求です。今日は本当に偶然、江の島の景色をモチーフにしようと思い立って来ただけです」

「……流石に信じられないな。この広い地球上で、数十億人の中に六人しかいないドールの所持者が偶然はち合わせる? ありえると思いますか、そんなことが」

 うーん、と彼女は顎に細い指を添えて困り顔を作った。

「私も確かにちょっと凄い確率だな、とは思いますけど……あ、そうか。そういうことなのかしら」

 何事かに得心がいった様子でひとり頷くカタリナ。

「こう考えるのはどうでしょう。ドールには“堕天使”の肉片が埋め込まれているわけですよね? それらはのではないでしょうか? だからドール同士は必然的に出逢うようになっている、というのは? 私が江の島に来たのも、アーくんの提案があってのことですし」

「う。ぼ、ぼくは……その。本当になんとなく、ただ、この島に来たいと思ったから……」

 アーくん――アトラスが狼狽えるようにして言った。

 彼女の説は僕の疑いを晴らすに足るものでは到底なかったが、しかし興味深い考え方だとも思った。

 なるほど、あれほどの力を持っていた“堕天使”だ。肉片自体に意思が残っていたとしても不思議ではない。

「とにかく私には争う意思はありません。特に相手が“ワイズマン”、あなたなら猶更です。ただの芸術家である私が敵う相手じゃないことぐらい分かります。私とアーくんはただ旅をしているだけです。次の『モチーフ』を求めて」

「『モチーフ?』」

「はい。私の“芸術”にはそれが絶対に必要なんです。“魂”を震わせる力を持ったそれが!」

 ばっ、と車椅子の上で手を広げるカタリナ。その熱っぽい語り口からは、少なくとも敵意は感じない。

「自分の“魂”が表現したいと思える対象物モチーフ! 私が作品を造るときは必ずそれが傍にあります。そして私は確信しているのです! この広い世界のどこかで、アーくんが心震わせるようなモチーフに出逢うその時こそ、アーくんに“魂”が生まれる瞬間なんだと!」

 それはもう僕に向けた言葉ですらなかった。まるで世界そのものが傍聴人であるかのようにカタリナは天を仰いでいたからだ。

「|流石は芸術の第一人者、稀有な精神構造をしておられるのですね《よく分からんがコイツ、関わっちゃいけないタイプなんじゃね?》」

「僕もそんな気がしてきたが、もうちょっと待ってくれ……では、貴方はその『モチーフ』とやらを見つけることで“魂”が獲得できると考えているんですね?」

「ええ、その通りです。そのために私とアーくんは旅をしていますので」

「では本当に、僕たちと争う気はないと?」

「ですからそう言っています。私たちはただ通りすがっただけです」

 ……この際、信用するしないは置いておくとして。戦闘が避けられるのであればそれに越したことはないだろう。

「……分かりました。無礼をお詫びします、カタリナ・“アート”。僕たちはこれで失礼します」

 万が一にでも背中から不意打ちなどを受けないように意識を割きながら、僕は踵を返した。後ろから付いてくるレイが咎めるように言う。

「|よろしいのですか、ここであの方々を仕留めなくて《おいおい、ライバルの数は減らしておこうぜ》」

「いいんだ。

「|“芸術家”が私たちに抵抗できるほどの戦力を持っていると?《なに寝言言ってんだ、俺たちなら楽勝だろ》」

「ああそうか、君は知らないのか。彼女の作品の一部には魔術的な動作をするものが――」

 そうしてレイに説明しながら歩いていく間。

僕はずっと背中に彼女たちの視線を感じていた。


「カタリナ・“アート”か。成程ね、まあ妥当って感じ」

 その日の夜。地下研究所の一室で僕はウルスラに昼間のことを報告した。

「しかし『モチーフ』探しね。なるほどまったくもって非論理的かつ非科学的! 残念ながらカタリナさんとはお友達になれそうにないわね、私」

 そう言ってウルスラは夜中にも関わらず、マグカップの中に並々と注がれたコーヒーをグビグビ飲んだ。

「……なあウルスラ、あの襲撃からひと月になるけど、僕は君の作業、つまりノアのクローン作製の進捗については何も聞かされていない。ボディガードとして雇われている以上強く言える立場じゃないが、流石に少しくらい状況の説明があってもいいんじゃないか?」

「ん~? ……まあそうね、ちょうどいい感じの頃合いかもだし」

 マグカップをテーブルに置き、ウルスラは座っていたソファに寝っ転がった。

「結論から言えば、既にノアのクローンは製造済みよ。後は脳を取り出して移植するだけ」

 ――あまりにあっけらかんと言うものだから、思わず言葉を失ってしまった。

「……流石だね、ウルスラ。仕事が速い」

「そりゃ当然よ私だもん。というわけで明日、移植手術を決行します。あなたもこれでお役御免ね、“ワイズマン”さん?」

 僕は何も答えず、ただウルスラの、学生時代からの腐れ縁である科学者の顔を見つめる。悪戯っぽい笑みを浮かべていたウルスラも真剣な表情になり、ソファから起き上がった。

「それで、どうするの? ?」

 。まあ、古くからの知己であるウルスラだ。僕の考えなど当然お見通しだったろうし、僕もバレてることを前提にしてこの一ヶ月を過ごしていたのだから、ここで誤魔化そうとするのは見苦しいにも程があるというものだ。

「この競争に僕は必ず勝たなきゃならない。もしも君のやり方で“魂”を生み出せるのなら、それを武力行使で僕の手柄にするのも辞さないよ」

「そう、それでこそよトーリ! いくら腑抜けたと言っても最低限のらしさは残っていたようで嬉しい限りだわ!」

 僕は仮にも“ワイズマン”、『魔術』という分野における第一人者であり、かつて“堕天使”を退けた者だ。そんな存在に明確な殺害宣告を受けて尚、この女は楽しそうに笑うのだ。

「いいわ。明日にはこの関係も終わってどちらかが死ぬかもしれないんだから、今のうちにはっきりさせておきましょう」

 そう言ってマグカップを口元へ運びつつも既に空だったらしく、ウルスラは小さく舌打ちをしてカップを置いた。そして、静かな口調で言った。

「……トーリ。?」

 ――ああ。やはり、そこに行き着くか。

 不思議と動揺は無かった。僕と、ウルスラと、そして玲衣レイ。学生時代の多くの時間を共に過ごしたからこそ、ウルスラが玲衣について言及するのは当然のことだった。


『ねぇ透里トーリ、最後に一つだけ教えて』


 彼女の声がフラッシュバックする。何度も何度も反芻した、あの声が――

「……やっぱりそうなのね。だから今みたいに骨のない男になっちゃったわけだ」

 僕は何も言えず、ただウルスラの目を見つめることしかできない。けれどウルスラは一切の躊躇をせず、更に言葉を重ねてくる。

「けど、それだけじゃないんじゃない? あれだけ暴れ回っていたあなたが“堕天使”討伐戦後、嘘のように表舞台に出てこなくなった理由は、さ」

「単に隠居していただけさ。あの闘いでもう一生分の血を流したと思ったから」

「嘘ね」

 ぴしゃり、と一点の曇りもない否定。

「隠居なんて言葉、『トーリ』の対義語みたいなものじゃない。あなたにはもっと具体的な、大人しくせざるを得ない理由があったのよ」

「……それは?」

 ウルスラはゆっくりと、僕の胸あたりを指さし、

「あなたたちオカルトの住人が“魂”と形容するもの、すべての魔術の源。それを奪うのは“堕天使”による攻撃方法の一つだった。あの時最前線で戦っていたあなたがその影響を受けた可能性は十二分に存在する」

 知らず、僕はつい数時間前に遭遇した芸術家の言葉を思い出していた。


『奇妙な、実に奇妙な魂の形ですねあなた、ひとめ見ただけでここまで違和感を覚えるモチーフなんてここ六年ほど出逢った覚えがありません』


 僕の沈黙を肯定と受け取ったのか。ウルスラは身を乗り出して、こう言った。

「ねえ、トーリ。あなたは“堕天使”との戦いで……?」

「――僕は」

 その時だった。

 けたたましいアラーム音が耳をつんざく。次いで機械的な音声が鳴り響いた。

『警告。警告。多数の敵性反応が地上を襲撃中。稼働中のセキュリティでは対応できません』

「……敵襲⁉」

 僕とウルスラが立ち上がるのと同時に部屋のドアが開き、レイとノアが入ってきた。

「トーリ!」

「分かってる、恐らく一カ月前と同じ奴だ。ウルスラ、僕たちで迎え撃とう」

振り向くと彼女は困惑した表情で何かしらぶつぶつと呟いていた。

「……地上のセキュリティが突破されるですって? 再襲撃に備えて過剰なくらいに防御を固めたつもりだったんだけど……相手はそれほどまでの戦力を有してるってこと?」

 再び機械音声のアナウンス。

『地上防衛機構が突破されかけています。敵性勢力が地下へ侵入するまでの予想時間、およそ五分』

「……まだ間に合うかしらね。トーリ、悪いけど敵を抑えておいて。ノアはトーリたちと行きなさい」

「りょ」

 相変わらず短い返事をするノア。

「君はどうするんだ」

「ちょっとやることがあるのよ。用事が済んだらすぐに合流するわ。この一ヶ月間で喰らったタダ飯の分くらいの働きはしてよね、ボディガードさん?」

「……分かった。行くぞレイ、ノア」

 部屋を出て、僕たち三人は上り階段へ、ウルスラは更に地下へ潜るための下り階段へ向けて、それぞれ走りだした。


 こいつらは何なんだ? それが敵と対峙した際の率直な感想だった。

 軍隊……なのだろう。市街地戦用の迷彩を施された軍服にアサルトライフルやグレネードなどの各種装備。それ自体は大した問題ではない。

 異様なのは、。今レイが『壱』で吹き飛ばした兵士は某大国の装備だ。次いでノアが指先から発生させた雷で気絶させた兵士は、歴史上で某大国と敵対していた別国の兵士の装備。そのどれもに見覚えがあるが、しかしここまで混在するような光景は流石に初めて見る。

 更に、

やはり数の差というのは無視できませんねアリみたいにウゾウゾしやがって……!」

「それな」

 とにかく敵の数が圧倒的だ。ただの兵士がドール二体に勝てるはずはないのだが、しかし相手が二百、三百ともなってくると話は違う。そこまで広くはない廊下に並び、淡々とこちらを攻撃してくる敵兵たち。最前列の兵士たちが倒れれば、空のマガジンをリロードするかのように後ろの兵士たちが前に出て、同じような一斉射撃を繰り返す。ドールたちの額には汗が浮かび、消耗し始めているのが見て取れた。

「“衝撃”、“拡散”……!」

 拳銃型の魔法具の引き金を引く。散弾となって撃ち出される魔力の衝撃が敵兵をまとめて吹き飛ばした。戦闘のさなか、僕は敵兵を率いている襲撃者の首魁、その正体に思いを巡らせずにはいられない。

 ――恐らくは『軍事』の第一人者と思われるそいつ。どこかの国の軍隊を率いるお偉いさんかと予想していたが、しかし眼前の光景を見るにどうにも違っているような気がしてならない。

 人種も恰好もバラバラの兵士たち。彼らを率いる『敵』とは一体、どのような人物なんだ――?

「トーリっ! 危険ですボサっとすんなっ!」

 僕へ向けて飛んできた弾丸を咄嗟に『風』で逸らしながらレイが叫んだ。いけない、今はこの場を凌ぐことだけ考えろ。

 手近な部屋へと飛び込み、身を隠しながら魔法具に魔力を込め直す。時計を確認すると戦闘開始から既に二十分が経過していた。

「このまま消耗戦になればこっちが不利か。まさかここまで大規模な戦力を展開してくるなんて……!」

 思わず歯噛みする。どうする、どうすればいい……?

 その時だった。後方から息を切らせたウルスラが走ってきた。

「あなたたち! 準備が終わったわ、業腹だけど一旦退くわよ!」

 そう叫んだウルスラは両腕で立方体の何かを抱えている。どうやらそれを回収するのが彼女の『用事』だったらしい。

「退くって、地下に逃げても追い詰められるだけだ!」

「あのねえ、逃走用の隠し通路の十や二十、私が用意していないはずないでしょ!」

 なるほど、流石の用意周到さだ。そうと決まれば躊躇している時間はない。

「分かった。レイ、『弐』の閃光で敵の目くらましを――」


「――射撃やめ。道を開けろ、お前たち」


――空気が、凍った。

 次の瞬間、廊下にひしめいていた兵士たちがそれぞれ敬礼の姿勢を取り、人ひとりが通れる程度の空間を廊下の中央に作る。まるで海を割ってその中を歩いたモーセのように、軍服の男が悠々とその空間を歩き、僕たちへと近づいてきた。

 歳の頃は僕やウルスラとそう変わらないだろうか。短く刈り揃えられた金髪はいかにも軍人らしい印象を与える。鷹のような鋭い目に、通信用だろうか、片耳にイヤフォンを嵌めていた。

「初めまして、トーリ・“ワイズマン”。それにウルスラ・“ラボ”」

 男は腕を後ろに組み、極めて淡々と声を発した。

 こいつが――『軍事』の第一人者。

「……わざわざ攻撃をやめて挨拶しに出てくるなんて、随分と行儀がいいのね?」

 敬礼の姿勢のまま微動だにしない周囲の敵兵たちを見ながらウルスラが言う。軍服の男はしかし、にこりともせず、

「私のドールはどこだ?」

「あら、まさかあの子を取り返しに来たの?」

 ウルスラが皮肉めいた笑顔を浮かべた。あの子というのは先月の襲撃の際に確保した敵側のドールのことだろう。結局、良いサンプルになるからと言って殺さずに今も地下牢に幽閉してある。

「面白いことを言うわね。そんなに大事なドールなら、そもそも以前の襲撃の際に単身で向かわせたりはしなかったでしょ? あなたはあのドールの安否をさほど重要視していない。違うかしら?」

「ふむ、そうだな」

 男は頷き、

「アレが壊れたのならば。まあ、取り返せればそれに越したことはないがね」

「……分からないな。これだけの戦力を有しておきながら、貴方はなぜ自らのドールだけを僕たちに仕向けたんだ? この研究施設の位置を突き止めていたのなら今日のように武力制圧を行うこともできたはずだ」

 僕の問いに、男は目を閉じ。

「――君たちは“魂”とはどこから来たと思うかね?」

 そして開く。

「遥か昔、まだ人類が火の扱いを覚えたころに魔法を使用したという記録は残っていない。その時点の人類はまだ“魂”を持ち合わせていなかったのだ。つまり“魂”とは人類が進化する中で獲得した機能の一つであると言える」

 まるでここが男を主役にした舞台であるかのように、誰も何も言えず、ただ男の言葉に耳を傾けている。

「人が新しい機能を得るとき、あるいは失う時、そこには必ず生存のための適応という理由が存在する。では人類にそれを獲得させたのは如何な要因か?」

 僕たちの答えを待つように。数拍置いて、男は言った。

「――『闘争』だよ。食料を得るため、身を護るため。あるいは他者を踏みにじり権力を拡大するために。人類は数多くの私闘を、闘争を、戦争を行ってきた。人の歴史とは即ち血の歴史なのだ。そして“魂”とは人類が魔法という闘争の手段を得るために自然発生した機能の一つだ」

 そこまで聞いて僕は、男が言わんとしているその答えに行きついた。

「そうか。が、貴方の辿り着いた“魂”の獲得の方法というわけか……!」

「その通り。私はドールを使い地獄を作る。多くを殺させ、多くの傷を負わせ、その先に。――“魂”がある」

 ……狂っている。この男はここで仕留めなければならないと本能が叫んでいる。

「ったく、どいつもこいつも抽象的で観念的で概念的すぎることしか言わないわね」

 ウルスラが吐き捨てるように言った。

「けど残念ね、私たちはドール共々逃げ延びさせてもらうし、もちろんあなたのドールも返してあげない。そんなに戦争がしたいならご自由にどうぞ、私のいないところでね……トーリ、行くわよ」

 これ以上会話に付き合う必要はないと判断したらしいウルスラが、彼女がやってきた後方へ走り出す。僕たちもその後を追おうとして、

「ならば仕方ない。私も君たちを逃がすわけにはいかないのでな、手荒い手段を取らせてもらおう。――え?」

 ――瞬間。

これまで一切の表情らしい表情を見せなかった軍服の男が、驚愕と恐怖の相貌を浮かべた。

 間髪入れず、その顔に、腕に、全身に、青白く光る紋様が浮かび上がった。いや、彼だけではない。敬礼の姿勢のままでいた周囲の兵士たち、彼らも同様に全身から紋様を浮かび上がらせる。

 それは僕も良く知る魔法陣だった。実に基礎的、シンプルな魔法を発動させるための式。

 

「――トーリっ!!」

 レイが全霊の跳躍で僕の方へ向かってくる。ノアも同じくウルスラを守ろうと走っているが、レイと僕に比べて彼女たちは距離が遠すぎる。

 実際には二秒にも満たない間だったが、その光景はとても間延びした、スローモーションに見えた。

 轟音。

 光で視界が弾け、鼓膜が震え、爆風で投げ出された身体が壁に叩きつけられる。激痛と共に手放してしまいそうになる意識を全力で繋ぎ留めた。

 目を開ける。僕の傍らに見慣れた人型が転がっていた。

「……レ、イ……」

 爆発の瞬間に僕の前に立ち、『風』で爆発を相殺しようとしていたレイだが、やはりあの一瞬では『壱』を十全に発動することはできなかったらしく、腹部が大きく抉れてしまっている。いくらドールとはいえ、このままでは遠からず失血死するのは明らかだった。

 全身を襲う激痛に耐えながら四肢が動くか確認する。両手両足とも健在。レイが守ってくれたおかげか、どうやらまだ五体満足のようだ。這うような姿勢で上体を持ち上げ、周囲の状況を確認する。

 ――地獄だった。

 爆発で兵士たちの身体は四方八方へ吹き飛び、血と臓物の臭いが嗅覚を突き刺す。僕のすぐ側にはかろうじて人相の分かる生首が転がっていた――間違いない、あの軍服の男だ。

 こいつは『軍事』の第一人者、その本人ではなかったのだ。恐らくあのイヤフォンを通して本人の言葉を代弁していた一兵卒に過ぎない。だから爆発の瞬間に己が使い捨てられることを知って驚愕したのだろう。

 敵は始めからこうするつもりだった。長々しく“魂”について語っていたのは僕たちを逃がさないための時間稼ぎでしかなかったのだろう。

爆発の衝撃でフラフラする頭で必死に考える。だなんて、まっとうな軍人はこんな滅茶苦茶な作戦はとらない。一体――僕たちの『敵』とは、何者なんだ……?

「……そう、だ。ウルスラ……は、無事なの……か……」

 爆発の瞬間にウルスラがいた方へ視線を向ける。そして今度こそ僕は意識を失いそうになった。

 まず見えたのは意識を失って倒れているノアだ。比較的レイよりは軽傷のように見えるのは、彼がウルスラによって数多の改造を施されているからだろう。

 そして、その奥。ノアが向かおうとしていた方向、ウルスラがいた方向に彼女は転がっていた――下腹部から下が吹き飛んだ状態で。

 痛みに耐えながら必死にウルスラに近づく。彼女が血まみれになった顔をこちらに向け、目を開いた。

「……あ、ら……トー、り。相変わらず……ゲボッ! は、あ……悪運が、つよい……のね……」

「……ウルスラ……」

「……なに、よ、その顔……どうせ、あしたには……殺しあう、つもりだった……でしょ……」

 この期に及んで、まだそんな減らず口が叩けるなんて。こんな状況下において僕はウルスラという女性の持つしたたかさを称えたくなった。

「……いしきが飛ぶまえに……伝えとかなきゃ、ゲホッ……いけない、こと、が……」

「あ……ああ。なんだ……?」

 ウルスラが震える手を動かし、ある方向を力なく指さした。その先には、先ほどウルスラが持っていた立方体――箱のようなものが転がっている。あの爆発で形を保っているとは、相当な強度のものらしい。

「あれか? 何なんだ、あの箱は……?」

「……ノアの、クローンの……

 思わず息を呑んでしまう。そうか、彼女はそのために地下に行ったのか。

「ゲボッ……う、ぐ……あ、あなた、に……あずける、わ。ノアの……“たましい”……」

「……君らしくないじゃないか。自分の研究成果を……よりによって、僕に預けるだなんて」

「……ふ。ふふ、ふ……」

 何がおかしいのか。吐血しながら、ウルスラは口許を歪めた。

「私を……だれだと思ってるの……? …………」

 ――そうだ。彼女はウルスラ・“ラボ”。『最悪の科学者』。

 あの軍服の男、それを操っていた人物と同じく――彼女もまた、大事な部分が狂った人間なのだと、僕は思い知らされた。

「…………とー……り……」

 そうして。

 ウルスラ・“ラボ”は、絶命した。


 ――大量の足音がする。

 ダメージが限界に達し、朦朧とする意識の中で僕は、ただそれを聞くことしかできなかった。地面に倒れ伏す僕とレイの周りを囲むようにして軍服の男たちが動き回っていた。そうか、さっき爆発した奴らで全員ではなかったのか。まだ……これだけの兵士を抱えていた。あの時逃走を選ばなかった時点で僕たちの敗北は決定していたのだ。

 ノアが担ぎ上げられ、どこかへ運ばれていく。続いて、地下牢から救出されたのだろう、幽閉していたドールも男たちと共に歩いていった。

 腕の中にある『箱』の感触を確かめる。恐らく敵はドールのみ回収し、僕は不要と判断して殺すだろう。このままではすべてを奪われてしまう。レイも、ノアも、この『箱』も。

 諦めてたまるか、と身体を動かそうとするもしかし、もう魔法一発撃つ気力も残っていなかった。

 兵隊たちがこちらへやってくる。レイを奪いに、僕を始末しに――

 その時だった。

 その、酷く場違いな声が耳に届いたのは。


「あら、あらあらあら? 何かしらこの地獄絵図は、人がたくさん弾けて絵具のよう……スケッチしてもいいかしら?」


 僅かに残った力で、顔を上げる。

 そこには彼女がいた。『芸術』の第一人者、『生けるアトリエ』。

 カタリナ・“アート”が、昼間とまったく同じように微笑んでいた。その後ろにはアトラスが控え、彼女の車椅子に手を添えている。

「……な、なぜ……ここに?」

「いえ、なんだか大きな音がしたな~と思って来てみれば妙な人たちに襲われてしまいまして。これは何やら良い刺激モチーフが得られるに違いないと奥へ進んでみたら、あら不思議。あなたが転がっていたというわけです、“ワイズマン”さん」

 突っ込みたいことは色々とあるが、そんな無駄なことに割くリソースは僕の頭には残されていない。そう、今の僕が言うべきことはたった一つ、単純明快な言葉だ。

「……

「いいですよ。でもその代わりに、今度デッサンモデルになってくださいね?」

 あっけらかんと言い放ち、彼女はアトラスに押してもらう形で、僕たちを取り囲む兵隊たちと対面した。

 戦場に突如現れた場違いな存在を前に啞然としていた彼らが思い出したように銃を構え直し、その銃口をカタリナに向ける。

 スッ、とカタリナの顔から表情が消えた。アトラスの描いた絵画を投げ捨てたあの時と同じ能面、氷のような声色で彼女は言った。


「アーくん、あなたの魔力を私に。

魔術的、神秘的真理を内包する芸術的作品群クオリア・ワークス』。作品番号七四番を解放します」

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