第3話
*** 3 ***
「久しぶりね! 元気にしてた? トーリ・“ワイズマン”」
「君の顔を見るまではね。ウルスラ・“ラボ”」
漆黒の装甲を纏い宙に浮く敵の元へ疾走するレイの後ろ姿を見送りつつ、数年ぶりに再会したウルスラをちらりと横目で見やる。一応、研究者然とした白衣を身に纏っているものの、その下に着ているものはアロハシャツだし、足元はビーチサンダル。肌は小麦色に焼けており、かつては見事な輝きを放っていた金髪は長年の日光を浴びて多少は傷んでいるようだが、まるで意に介する様子もなく無造作に後ろで一本にまとめられていた。
『最悪の科学者』ウルスラ。どうやら彼女は江ノ島での隠遁生活を満喫していたらしい。
その背後には、何故か燕尾服で身を固めた青年が控えていた。ウルスラのドールだろう。
江ノ島なのに燕尾服。パートナーの趣味に付き合わされて気の毒に思う。
僕の視線に気付いたウルスラは背後のドールに親指を向けて片目をつむった。
「彼が私のパートナー、名前はノアよ!」
その青年・ノアは、僕に向けて軽く頭を下げる。
「よろ」
二文字だった。
ウルスラは困ったように肩をすくめる。
「どうも彼は無駄口を好まないみたいで、どんな発言も必要最小限の文字数で済ませようとしちゃうのよ。あらゆる無駄からどんな閃きが生まれるかわからないって、私はいつも言い聞かせているんだけれどね。これも“魂”とやらがないドールの特徴かしら?」
「君がくだらないことばかり話しかけてくるから、会話が嫌になっちゃっただけじゃないか? 少なくとも僕のドールはよく喋る」
いや、あれはあれで色々と『例外』なのだろうが。
──と、そんな風に僕らが挨拶を済ませている内にレイは敵のドールめがけて高く飛び上がった。
「
右手に生じるは『風』。神木を削ぎ狩る爆風。
左手に生じるは『炎』。深海を霧と化す爆炎。
そして両の掌を合わせた瞬間、紅き龍が空を駆け、敵へと喰らいついた。
横にいるウルスラが軽快な口笛を吹く。
「二つの属性による複合魔術! 神秘省に認定されたごく一部の上級魔術師にしか再現不可能な高等技術じゃないの! あれ? でも“魂”がないドールには魔術が使えないはず・・・・・・トーリ、あなたは一体、あの子に何をやったというの?」
白々しい。この女、とにかく人をおだてるという行為が絶望的にヘタクソだ。
「僕の“魂”、ひいては魔術回路の一部を貸し与えただけだよ。元よりドールの肉体は堕天使の肉片──つまり、一介の魔術師とは比べものにならないほどの膨大な魔力を有している。ならばそれを出力する手段を後付けで書き込んでしまえば、最強の魔術師──いや、この表現は好ましくないな──最強の魔術兵器の出来上がりというわけだ」
仕方なく、僕はざっくりした説明を済ませる。競争相手にわざわざ自分の手の内を明かすメリットはないが、この程度の細工、どうせウルスラには一瞬で看破されているだろうし、ここで沈黙を行使するのはダル絡みの口実を与えるだけだと判断した。
「なるほど! 素晴らしい試みねトーリ! やっぱりあなたは天才だわ! とはいえ・・・」
敵に喰らいついた火龍が飛散し、黒煙が弾け飛ぶ。そこには相変わらず無骨な鉄塊を纏ったドールの姿が依然として宙に佇んでいた。
「敵さんもなかなかに厄介みたいね?」
僕は舌打ちした。あれほど最新鋭の特殊装甲。恐らく敵の専門分野は『軍事』といったところか。
そのまま宙に浮かぶ黒騎士は、レイに向けて
次の瞬間、流星群かと見紛う光線の雨がレイを襲った。
「
予め四肢に施してあった術式で肉体を強化し、人体の反射神経を越えた速度で攻撃を回避し続けるレイ。だが、機関銃の如き光線は止む気配がない。まるで弾切れという概念を知らないかのようだ。
なるほど、どうやら敵の思考も僕と同じ地点へ行き着いたらしい。敵は魔術についての専門知識こそないようだが、恐らくあの装甲には堕天使の肉片に眠る魔力を燃料へと変換する機構が備わっているのだろう。ドールに内蔵された、膨大な魔力を出力する機能を外付けする発想。やはり誰でも考えることは一緒か。
甘かった。このままでは百歩譲ってレイに『弐』の行使を許可するとしても、その隙を与えてくれそうにない。ここはいっそ、僕が出るか。しかし、あの堕天使討伐戦以来、後遺症を負った僕の魔術師としての力量は全盛期のそれとはほど遠い。はたしてどれほどレイの助けになれるか。いや、それどころか足手纏いに・・・。
「んー、見せてもらってばっかりってのも悪いわねぇ」
唐突に、ウルスラが口を開いた。
「ノア、混ざってきていいわよ」
「りょ」
一陣の風と共に、ノアの姿が消えた。
一拍遅れて、銅鑼を叩いたような轟音。
慌てて視線を戦場に戻すと、燕尾服の男の膝蹴りが黒騎士の兜に激突していた。
ぐらり、と黒騎士の体が揺れたその隙を、レイは見逃さなかった。
「
レイの瞳が、黄色く染まる。
「
レイの周囲に展開された五つの魔方陣が重なり、白い光を発する。自然界を形作る四大元素は相乗と反発を繰り返し、五番目のエネルギーを作り出した。
即ち、『雷』。
「──《そういうの》なら、俺もできる」
膝蹴りを食らわせてから緩やかに宙を落下していたノアは、少なくとも僕が顔を合わせて以来、最長となる文字数を口にすると、右手の人差し指を黒騎士へと突きつけ、更に右手首を左手で覆った。
綺麗に切り揃えられた爪の先から、ぱちん、と音を立てて青い火花が散った。
「
レイとノア、二人の指先から電撃が迸り、漆黒の装甲へと衝突した。
世界の終わりかと見紛うような白熱が、江ノ島の空を覆う。
まるで直に鼓膜を引き裂かれているかのような音と共に、煙をたなびかせながら黒騎士は橋へと墜落した。
ばじばじと全身から火花を散らしながら、それでも尚、黒騎士は
レイは油断も慢心もなく、淡々と敵を見据える。
「
「それな」とノアは頷いた。
「
──レイの双眸が、赤く輝いた。
僕は慌てて叫ぶ。
「おい待てレイ! 話が違うぞ!」
「
──ぐしゃり、と音を立てて。
黒騎士はその場に崩れ落ちた。
「
ゆっくりと瞼を閉じ、そして再び開いた時、もうレイの眼球は元の茶色がかった色味に戻っていた。
「つまり私のノアは、平たく言えば改造人間ってわけ」
戦闘終了後、撃破した黒騎士の装甲を剥ぎ取ると、中から出てきたドールはまだ年端もいかないような少女だった。ついにパートナーが僕らの前に姿を現すことはなかった。流石に徹底した『軍事』の第一人者だけあると評すべきか。少女にはまだ微かに息はあったので、ひとまず簡易的な治療を施した後、少女はウルスラの研究施設、その空き部屋へと監禁することにした。
そして少女の監視にはレイが名乗り出たので、何か異変があればすぐさま報告するように言いつけ、あとは任せることにした。
同じ肉片を分けた“兄弟”である少女が、ベッドの上で悶え苦しんでいる様を見下ろすレイの横顔からは、何を考えているのか推し量ることはできなかった。
そして僕とウルスラ、ノアの三人、あるいは二人と一体は研究施設の一画にある客間で改めて対話を開始していたわけなのだが。
「改造人間、ね」
「ええ。トーリも知っての通り、さっき戦ったあの娘みたいに外からゴテゴテ付け足すのは私の趣味じゃないの。だって人間は、」「生まれながらに無限の可能性を秘めている、だろ?」
後を引き取る形で、学生時代からうんざりするほど聞かされてきた彼女の信条を遮りつつ、僕は先ほどノアが戦闘で見せた動きを回想する。
「あの弾丸みたいな膝蹴りはともかく、指先から電撃を放ったのは何なんだ?」
「あら? 私もあなたも、あらゆる生物は電気信号で動いているのよ。それをちょっと大袈裟にしただけよ。それに自然界にもデンキウナギみたいに、放電で攻撃する生物は存在するでしょ?」
僕は重い溜息を吐いた。いつもこうだ。学生時代から、僕が爆裂魔法を習得すればウルスラは手袋型の火炎放射器を開発し、飛行魔法を習得すれば靴底に反重力装置を取り付け、とにかく魔術の領域を科学で再現してみせた。魔術師の領分を荒らしてのけた。しかしそんな数々の魔術に対する冒涜もウルスラにとっては単なる僕へのちょっかいに過ぎない。
『最悪の科学者』ウルスラが最も得意とする専門分野は生物学と遺伝子工学。その最先端技術の粋を施されたのが、今僕たちに紅茶を運んできたこのノアというわけだ。
「どういうわけかノアったら、めちゃくちゃタフなのよね。常人だったら百回死んでいるような無茶な改造手術も難なくこなしちゃうし、翌日には元気に走り回っているから──いや実際に走り回ってはいないけれど、その気になれば走り回れそうなくらいけろっとした顔しているから──つい私も楽しくなって、色々と悪ノリで究極生物チックにしちゃった」
「あ、そ」
それも堕天使の肉片による恩恵だろう。あるいは呪いと言い換えてもいいのかもしれない。魔力とは即ち生命力。先ほどあれだけ激しい戦闘を済ませたノアも、まるで消耗を感じさせない、涼しげな顔をしていた。ドールの回復力・治癒力は人間のそれとは比べるべくもない、というわけだ。
「それはそうと、本題に入りましょうか。今回の訪問の目的は、敵情視察というわけね? トーリ」
「まあ、そう思ってくれて結構だよ」
彼女に対して煩わしい駆け引きは不要か。僕は素直に頷いた。
「この神秘省からの依頼、まだ引き受けて一ヶ月ほどだけど、進捗は芳しくない。というより、正直言ってお手上げだ。本物の“魂”をドールに与える、これは神の御業に等しい」
「でもさっきのドール──レイちゃんには与えていたじゃない」
「あれは僕の魂を一部貸し与えただけであって、長時間持続するものではないし、アレを“魂”と表現するのはあまりにお粗末だ。到底あんなものを女王陛下に提出する蛮勇を、僕は持ち合わせていないよ」
「今のあなたは、ね」
「・・・・・・何か、含みのある言い方じゃないか」
「戦闘中のレイちゃん、とてもイケイケだったじゃない。素敵だったわ」
「まったく、とんだじゃじゃ馬だよ」
「一体、誰に似たのかしら? レイちゃんに魂の一部を貸し与えたトーリはどう思う?」
「・・・・・・」
「学生時代の──そして何より、堕天使討伐戦の頃のトーリは素敵だったわ。とてもぎらぎら輝いて、視界に映るもの全てに噛みついて、でも紛れもなく英雄だった。でも今のあなたは、とても窮屈そう」
「・・・・・・今も昔も僕は僕だし、英雄なんかじゃなかったよ」
「でも昔のあなただったら、さっきの戦闘中、レイちゃんを助けに行くかどうかで迷ったりなんかしなかった。そもそもパートナーを戦わせて、自分はただ後ろでそれを見て口出しするだけなんて、絶対にしなかった」
「──僕は、」
『ねぇ
靄の向こうから聞こえるような不鮮明な声。
あの日、あの地獄の中で彼女が最後にした問いへ、まだ答えの出せない僕を責めるように。
それは何度も、何度も、何度も――
「ま、どうでもいいんだけどね!」
唐突に明度を上げたウルスラの声音に、僕の思考は打ち切られた。
「は?」
「別に私はトーリのママじゃないわ! 競争相手が腑抜けてくれているなら、それに越したことはないもの!」
「・・・・・・あ、そ。理解があって助かるよ」
「それで、本題は“魂”をドールに与える行為、その進捗についてよね? 大体の目処は立っているわ」
「ああ、そうだろうね。流石にそんなところだと・・・・・・は?」
僕は、思わずウルスラの顔をまじまじと凝視した。
『最悪の科学者』ウルスラは、まるで何でもないことのようにさらりと言ってのけた。
「ノアに“魂”を与える行為、その算段はもうついているわ」
まず最初に断っておくけれど、あなたたち魔術師が“魂”と規定している、生前と死後における人体の体重差約二十一グラム、科学者たる私はこれを魂とは認めていないわ。
あんなもの、ただ死体から垂れ流された体液とガスの集合体よ。
とはいえ、堕天使がもたらした被害によって意識を喪失した肉体に堕天使の肉片を与えただけのドールに、自我、感受性、倫理感といった、総合して“魂”と形容すべきものが付与されていないことも事実。ま、当然よね。あくまで生命維持に必要な体液やガスの代わりに魔力を燃料にして人間っぽい動きを成立させているだけの、まさに
あなたたちオカルト分野の人間が好む言い方をするなら、“魂”の個数はお一人様お一つまで、一度減った魂が増えることは有り得ない。
だから私は早々に“魂”を与える方法については諦めた──いえ、切り替えた。
魂なんてあやふやなものを追いかけるから、袋小路に陥るんだわ。
だったら、“脳”を増やせば良いのよ。
今、この研究施設の地下では、ノアのクローンを製造中よ。
そうして生まれ落ちた第二のノアはクローンとはいえ、紛れもなく一から生まれた新しい命。即ち人格があり、“魂”を持っている。
だから第二のノアを造り終えたら、次に培養器を使って今のノアと同じ肉体年齢まで成長させるわ。
そして、第二のノアの脳をオリジナルのノアへと移植する。
同じ細胞から作られているなら、拒絶反応のリスクはほとんどないも同然。
こうして第二のノアの脳を移植したオリジナルのノアを、『魂を与えたドール』として女王陛下に献上する。
これが私の“魂”製造プラン。
どう? ・・・・・・ふふ、流石に驚いたみたいね? とても素敵な反応よ。
ところで、このプランをあなたに正直に打ち明けたのは理由があるの。
この計画の弱点は、脳の移植前、あるいは無防備な移植手術中にノアを壊されたらご破算になるということよ。
だからトーリ。あなた、私と手を組まない?
手術成功までにあなたが私とノアのボディガードを務めてくれるなら、私の支払える範囲で、それ相応の報酬は約束するわ。
もっとも、女王陛下から与えられる“報酬”については、私が頂くことになるけれど・・・・・・。
さあ、どうする? “ワイズマン”?
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