靴擦れ

坂崎かおる

靴擦れ

 靴をつくる仕事自体は三十年ぐらい続けています。屋号は親父の代から受け継いでいますので、それを含めれば八十年は下らないでしょうか。

 アンドロイド用の靴をつくり始めたのは、小さな戦争が一つ終わって、国も民もほっと一息ついた頃でした。あの時は雨後の筍のように大手から個人まで、挙って参入したものですが、今ではほとんど残っていませんね。アンドロイドたちも戦地から帰ってきて、歓迎ムードがある一方、彼らの新たな雇用先が社会問題化していました。血塗られた筐体を、平時の社会に再配置するというのに心情的な抵抗があったことは、理解はできます。

 こう言っては語弊があるのかもしれませんが、アンドロイドの靴という発想は、はじめはただの思いつきでした。道端を裸足で歩くアンドロイドを見て、ぼんやりと、

彼らに靴をつくってやりたくなったのです。あの頃でさえ、彼らも身なりをある程度はきちんとするような流れになっていましたが、靴に関しては、ぼろぼろの布切れのようなものでくるんでいれば上出来で、ほとんどのアンドロイドは裸足でした。

 なぜならば、アンドロイドはかなり人型が進んできたとは言え、当時の歩行能力については課題もあり、生身の人間のように、というわけにはいきませんでした。既存の靴では長期間耐えることができないのです。そして、何より、彼らの足はヒトの皮膚ではないのですから、そもそも靴を履く必要性がありませんでした。多くの会社が、アンドロイドの足をカラーリングで誤魔化していたのも、無理からぬことです。

 しかし、その裸足のアンドロイドを見た時に、やはり私の心は痛んだのです。それは、子供の頃に見た物乞いのようでした。実際に職をもたないアンドロイドは多数いて、うろうろと町を徘徊することもありましたが、もし彼らがまともな靴を履いていたならば、無遠慮な蔑みや嘲笑を受けることは、少しばかり減るのではないか、私はそんなことを考えたわけです。社会貢献や人権感覚というよりも、それは憐憫に似た感情でした。

 今からするお話は、私の仕事を手伝ってもらった一人のアンドロイドとの思い出です。彼もまたこの世界のどこかで今も生きているのでしょうから、彼の名誉のためにも、ここでは仮にコーリャと呼びます。彼の筐体は旧ロシア製でした。

 コーリャは私の仕事場の近くで、教会の掃除夫をしていました。掃除夫という職業も、有史以来なかなかなくならない仕事の一つです。私は教会の牧師と仲が良かったので、コーリャとも何度か顔を合わせることがありました。アンドロイドにしてはよく喋る方で、教会付という宿命か、聖書の言葉が優先的に発話されるような設定になっていました。頓珍漢で愛嬌があり、時々ネコやイヌに、天国の狭き門について語っていたりしました。

「旦那様、そりゃあええ考えですよ」

 私がアンドロイドの靴について牧師と相談していたとき、割り込んできたのがコーリャでした。コーリャは誰にでも「旦那様」「奥様」と呼ぶのが常でした。

「我々も人間様と同じような身なりをさせてもらえるんなら有り難いことですよ。”わたし自身の喜びは、あなたがた全ての喜びです”」

 牧師は私に、コーリャを使って靴をつくったらどうか、と提案しました。あなたのすることは我々ヒトを神の国へとより近づけてくれるでしょう、と牧師は言い添えて十字を切りました。

 次の日から、コーリャは昼間の清掃を終えると、私の靴屋に寄るようになりました。試作品はできていましたので、早速履いてもらって、使用感を確かめてもらいました。コーリャは大変喜び、ステップを踏んだり、ぐるぐるとその場で回ってみせたりしました。

「不思議なもんですな、旦那様」

 コーリャは言いました。「制御装置はおかしくないはずなのに、なんだか今までよりもまっすぐ立てている感じですよ」

 歩く感覚について訊ねると、コーリャは厳かな調子で答えました。

「”走っても疲れることはなく、歩いても弱ることがない”」

 コーリャには仕事中にも履いてもらい、終わるたびに改良を重ねていくことで、ようやく世に出せそうなものができました。あくまでも布の質感にこだわるために、金属との合成繊維を使用して底付けの作業ができたことで、アンドロイドの足にも耐えられるものになりました。

 初めは牧師を通して、彼が世話をしているアンドロイド達に配りました。すると、たちまち噂が広まったのか、私の店にまで様々な所属のアンドロイドたちが買いに来るようになりました。その辺りから、メディアからの取材も申し込まれるようになりました。私は取材は全て断っていました。親父からの言いつけもありましたが、先の戦争でメディアがしていたことを思えば当然だとわかるでしょう。私は彼らの物語として消費されたくはないのです。

 しかし、コーリャは別でした。

 元々コーリャは人の好いアンドロイドでした。話を聞きたいと申し出があれば、一時間でも二時間でも、「ええ、旦那様」「そうなんですよ奥様」と、相手の時間が許す限りいくらでも喋っていられました。ときどき彼が口にする唐突な譬言も、むしろ愛嬌として世間には捉えられていったようです。コーリャの言葉は、アンドロイドと権利の物語にすり替えられ、広まっていきました。

 あるメディアが、このアンドロイドに靴を履かせる運動を、”&SHOEs”のタグでもって広め始めました。世間一般の認識としては、おおよそそれはコレクトとして広まっていったのですが、当然反対もありました。それはアンドロイドにヒトの真似事をさせているだけではないか、サルに服を着せるようなものではないか、そういったものです。議論は次第に熱を帯び、政治屋たちも巻き込みながら、いつも誰かが何か意見を言っていました。しかし、両岸の意見のどれも、目の前にいるコーリャには当てはまらないような気が、私にはしていました。

「旦那様、申し上げにくいのですが」

 コーリャが私の店に来たのはそんな騒動のさ中でした。しばらく私はコーリャと会っていなかったのですが、メディアで彼の顔を目にするたびに、心配はしていました。

「どうもこの靴が、わたしには合わなくなってきたようです」

 当然アンドロイドは身体的に成長する訳がないので、この言葉はおかしいはずなのですが、私は妙に納得してしまいました。さっそく私はコーリャの足を見て、靴に若干の微調整を加えました。さすがに外見は傷んではいたものの、私の想像以上に、アンドロイドの靴に変化はありませんでした。

「ありがとうございます」コーリャは丁寧に頭を下げました。「なんだか慣れないことをしたものですから、靴擦れでもしたんでしょうか」

 思わず私は笑ってしまいました。コーリャが至極真面目に、姿勢よく背筋を伸ばしたまま、「靴擦れ」なんて言うものですから。コーリャも私につられ、しばらく二人で笑い合いました。春の穏やかな日差しが入る昼下がりで、私達の笑い声もその光に溶けていくようでした。

「わたしは羊になった気分です」

 コーリャは帰り際にそう言いました。「百匹のうちの一匹じゃないんです。残りの九十九匹なんです、わたしは。飼い主がいなくなって、ただじっと身を寄せ合って待つ羊なんです」

 そのため、コーリャの戦地での映像がメディアに流出した時、私は予感していたことが起こったと思いました。

 今でもその映像は探せば見られるとは思いますが、彼は戦場で銃を構えていました。ずいぶん昔の戦争です。しかし、構える向きは敵ではなく味方でした。早回しのように、自軍の兵が、彼の目の前で倒れていきます。彼は背中しか見えないので、味方の兵が、ぱたぱたと倒れている最中の表情はわかりません。画面の中にいる兵士たちが全て倒れたところで、動画はぷつりと止まります。その終わり方は唐突で、最後に一瞬だけ振り返った顔が映るために、コーリャだとわかるだけです。

 その日から、アンドロイドは靴をはかなくなりました。メディアのタグは"&KillSHOEs"に変えられ、私の店にも、お定まりのような嫌がらせがありました。しかし私は気にせず仕事を続けました。コーリャは牧師の計らいで、別の教会へと去っていきました。世の人はいろいろと噂をしましたが、コーリャはその件についてはついぞ語ることはありませんでした。

 けれども、私は今でも鮮明にその映像を思い出せます。靴です、、、。隊から支給されたであろう、編み上げの革の靴です、、、、、、、、、、。私は鮮明に覚えています。紐が片方外れ、だらんと垂れ下がっていたことを。ぬかるみを歩いたであろう泥しぶきがべったりとついていたことを。そのくせ、靴底はすり減っておらず、渡されてまだ日も浅いであろうことを。彼の踵はきっと擦れて傷ついていた、、、、、、、、、、、、ことでしょう。それが、コーリャの靴でした。

 それからも私は、細々とアンドロイドの靴をつくっていました。それが、この不幸な事件の私なりのとるべき態度だと思ったからです。私にとっては幸いなことに、こんな出来事があっても、やはり靴を求めるアンドロイドはいたのです。彼らは辺りを気にしながら、それでも嬉しそうに靴を履いて帰っていきました。

 これがコーリャとの思い出の全てです。彼とは長いこと会っていません。しかし、彼の姿を見たことはあります。次の小さな戦争が始まったころ、メディアで映像が流れたことがあるのです。

 それは、アンドロイドが一人、戦場を駆け抜けているニュース映像です。時折爆音が響き、周りに炎があがります。アンドロイドは武器を抱え、戦場を走っています。彼はひとりです。ひとりきりです。やがて、空から落ちてきた何かで映像が乱れ、煙が辺りを包みます。しかし数秒後に、先ほどのアンドロイドが現れます。傷一つありません。果敢に、勇猛に、彼はまた駆け出しています。彼の足には靴があります。私のつくった靴です、、、、、、、、、。それはコーリャでした。移り気な世間は誰も気付かなかったと思いますが、私にはわかりました。映像はコーリャとしてではなく、一人のアンドロイドの武勇の物語として広まっていきました。

 それから少しずつ、アンドロイドの靴の売れ行きは伸びていきました。さながら馬蹄のアクセサリーを幸運の象徴として身につけるように、お守りのように履いていくアンドロイドたちがいたようです。アンドロイドに靴は支給されませんから。軍服に身を包み、店先で私のつくった靴を、神妙な顔をして試し履きする彼らの姿を見るたびに、私はコーリャが初めて私の靴を履いてくれた時のことを思い出して、寂しく一人で微笑むのでした。


 ***


 さて、思い出すままにつらつらと話しました。どうでしょう、ドクター。筐体と私の意識の接続は良好ですか? こうやって記憶を辿ることが、自前の脳と駆動関係の適合判断になるなんて不思議ですね。よかった。ならば、私も今日からアンドロイドの仲間入りです。後悔はありません。これで、靴擦れのしない彼らの靴が、身をもってつくれるのですから。

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