専務、暴れる。 後編

 ――聞こえるか、氷月新? 今、お前の脳に直接語りかけている――


 深みのある低い声。結界を維持しながら、氷月は脳裏に響いた声に集中する。それはきっと、魔王バフォメロスの声。


(……魔王様? どうしたの?)


 ――あの魔物について、執事が情報を解析した。結果、分かったことがある――


 激しい炎。結界を破ろうと渦巻く炎。時折叩きつけられる爪とくちばし。軋む結界が、衝撃吸収性に性質を変化させてゆく。


(……詳細を教えてほしいの)


 ――あの魔物はほとんどが魔力と炎でできているようだ。精霊種の特徴だ。そして精霊種は、その力の源と存在を切り離すことで絶命する――


(つまり……炎を消しちゃえってことなの?)


 ――その通りだ。そして、炎が燃えるのに必要なものはなんだ?――


 脳裏に響いた声に、氷月は顔を上げた。思い出すのは、MDCの日常。社員の中で唯一学校に在籍している千草に、社長である唯が勉強を教えている姿。あの時教えていたのは、確か化学。酸辣湯麵サンラータンメン……じゃない、酸化還元反応がどうのこうのと言っていた。それに必要な元素は――。


 ――我が下賜した対魔物の能力には、『真空化』も含まれている。恐らく感覚で行使できることだろう。我の力を貸し出しているからには、失敗は許さぬぞ――


(わかってるの! 氷月専務にお任せあれ、なのー!)


 顔中に笑顔を浮かべて、氷月は弾性の結界を踏んだ。飛び上がり、天賦ギフトを行使するための時間を稼ぐ。同時にウィルが飛び出し、周囲にいくつもの光の玉を展開する。それらは放射状に伸びる光線と化し、警備用レーザーのように張り巡らされた。


「ウィル、ナイスなの!」

『あとは任せたよ、アラタ』

「オッケーなのー!」


 アレアの動きが止まった隙に、氷月は彼のさらに上空へと跳び上がった。両手を伸ばし、純白の結界を展開する。それは網のように広がり、アレアの巨大な翼を包み込むと――真っ白なカプセル状に変化した。


『……!? ――! ……!!』


 結界の中で魔物が藻掻く気配。何か叫んでいるようだが、その声はこちらには届かない。真空ならば声を出しても、どこにも届かない。……だが、結界を司る氷月には、その叫びが手に取るようにわかる。結界で作り出したマイクを通し、彼に静かに語りかけた。


「……おごれる魔物も久しからず。ただ夏の夜の花火のごとし、なの」

『……おやすみ、かつて精霊だった魔物さん。どうか、次は幸せに』


 ◇◇◇


「……終わった、の」

『そうだね……』


 再び硬い地面に立ち、二人は白い繭のような結界を見上げる。それは突如爆発し、七色の光を火山地帯に降らせた。結界の向こうに、魔物はもういない。真空状態にされれば、炎は消えてしまう。

 ――と、氷月の姿が七色の魔法陣に包まれ始めた。それは、この世界に召喚された時と同じもの。全てを察したのか、ウィルはふわりと浮き上がり、彼に目を合わせる。


『……アラタ、行ってしまうのかい?』

「そうなのー。……ウィルはこっちに残るの?」

『うん。僕は妖精だから……この世界にとどまらなければならない』


 ウィルの球体のような身体には、相変わらず顔文字じみた無表情しか浮かんでいない。しかし、その光がどこか不安定なのを、氷月は細い瞳で見つめる。魔法陣の展開は召喚されるときよりも遅い。柔らかい笑顔を浮かべている氷月に、ウィルは静かに語りかける。


『……ありがとう、アラタ。僕一人じゃ魔物を倒すことはできなかった。……何より、君との旅はとても楽しかった』

「うん、僕もすごく楽しかったの! 短い旅だったけど、すごく思い出に残ったの。ウィル、本当にありがとうなの!」


 七色の魔法陣が収束していく。景色が徐々に白く染まっていく。

 最後にウィルが、純白の太陽のように輝き――ふっ、と意識が暗転した。


 ◇◇◇


「――専務ッ!」


 再び意識が浮上すると、視界に二人の影が映った。動転した様子の紅い三白眼と、今にも泣きだしそうな青い瞳。


「……ふぁ……?」

「あぁ、よかった……戻ってきたんですね、専務……!」

「ったく、こっち大変だったんだぞ! 前に恨み買った組織の襲撃くらってよぉ。まぁぶっ倒したけど! もう本当マジで、勝手にいなくなんなよクソ専務!!」


 安心したのか泣きだす雫と、逆ギレして殴りつけてくる霧矢。そんな二人を雑に撫でまわしつつ、その奥に立つ唯に視線を向ける。


「社長、無事なの?」

「ええ、一応無事よ。軽く襲撃を受けたけど、何とか撃退できたわ……それなりに損害はあるけど、十分に挽回可能な範囲。……でも、あんたが無事なら何よりよ。新」

「そっかぁ、なのー。他の社員はどうしてるのー?」

「紅羽は地下で死体処理の真っ最中。真冬と常務は敵への報復攻撃に派遣したわ。千草は例の襲撃で働きすぎたみたいで、有休取って社員寮で寝てる。あと一人は……まぁ、いつも通りふらふらしてるみたいね」

「承知なのー」


 敬礼しようとして、中学生二人をあやしていたことを思い出して、とりあえず頷いておく氷月。そんな彼に唯は二枚の書類を見せた。二人を撫でまわしながらも書類に目を通すと、片方は仕事の報告書。そして、もう片方は。


「……え、お休みくれるの?」

「長い時間外労働だったからね、相応の休養は必要でしょ? とりあえず振替休日と残業代は渡しておくわ。あと報告書の内容によってはボーナスを出すから、ちゃんと書いて提出すること。あと雫はいい加減泣き止んで。霧矢も殴るのやめなさいよ」

「うぅ、だってぇ……!」

「これが殴らないでやってられるかよ……! あと撫でンのやめろやクソ専務!」


 平和なのか平和じゃないのかわからないくらいが、きっとMDCらしい。

 部下二人を撫でまわすのをやめる気にもなれなくて、彼はアーム状の結界で二枚の書類を受け取った。


「あ、折角だから向こうでのこと聞いてよなのー。妖精と一緒に怪鳥退治なの!」

「転送された先は異世界だったのね。道理で探知できなかったわけだわ」

「物分かり良すぎだろ社長なんなんだよマジで!」

「理不尽にキレないでください霧矢さん……ひぐっ」


 長いようで短かった冒険が終わり、また普段通りの毎日が戻ってくる。

 白い光の妖精を脳裏に描きつつ、彼はあの旅の思い出を語るのだった。


【Fin】

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氷月専務の強制出向アドベンチャー 東美桜 @Aspel-Girl

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