4.ルルーからの知らせ
ざぁぁぁ……。
水の流れ落ちる音がする。朝も夜も絶え間なく響く、心安らぐ音だ。
聴き慣れたその音に何か異音が混じった気がしてイェルクの耳がぴくりと動いた。冬の時分は冷たい風が細く吹きこんでくることもある。だが凍える季節はとっくに過ぎた。それに今のは風の音というより甲高い悲鳴のような。
「スイリュウさまぁ。いらっしゃいますかぁ? ……ひゃあ!」
なんだか聞き覚えのある声だった。
一体どこで聞いたんだっけ。目を閉じたまま、なんとはなしに意識を向けているとやがてトコトコトコと軽い足音が近づいてきた。と思えばまた悲鳴があがる。派手な転倒音も。
ぽふん。
なにやら小さな物が頬に当たり、イェルクはようやく目を開けた。すぐそばで「わあ!」と悲鳴が上がった。目だけでぎょろりと見下ろしてみれば茶色い塊――フクロウが翼をばたつかせていた。
「こっこここここんばんは。おおお久しぶりです!」
「……だれだ」
「えっ。あのう、わたしです。前に、綺麗な石を探しに……」
「うーん?」
すうっと半眼を閉じる。フクロウはヒッと息を呑んだ。その身体は棒のように縮まっている。
「あ、あああのう……、い、イワヤマニ、イッショニ……」
「……おまえ、なんでここにいるんだ?」
「あっ、でっ、ででで伝言を、頼まれましましマシ」
「違う。オレサマの
ここは長年ねぐらにしている洞窟だった。わざわざ身体を縮めなくても楽に出入りができ、また滝の裏側に入口があるため迷いこんでくる者がほぼいないところが気に入っていた。つまり始めから洞窟の存在を知っていなければそうそう来られないはずなのだが。
真正面に見つめていると裏返った声が響き渡った。
「もももも森の女王さまです! 女王さまに、教えてもらいました!」
「あ? ……おまえ、
「い、岩山で拾った石を、見てもらいました。だってあのう、ひとつくらい、星が交じってるかもって」
「あれは鱗だぞ。あいつの」
イェルクは小さく身じろいだ。長い尾を上下に揺らし、とんとんと調子を取るように地面に打ちつける。
「あいつが言った。古い鱗が剥がれて、欠けて、風が運ぶ。力を貯めこみやすいから水の
「でも、もしもってこともあるかなって……思って」
「あったのか?」
「な、なかったんですけど……。あのう、ニンゲンたちは、喜ぶ石だと言ってました……」
眉間にしわが刻まれていくイェルクを前にフクロウはますます身を縮める。そわそわとあたりを見回していたが、脇に落ちていた薄墨色の小石をおごそかに差し出してきた。岩山にごろごろ転がっていたのとは別の石だ。表面にくすんだ黄緑色の結晶が貼りついている。
「これ、女王さまからです」
「あ?」
「あのう……ヒトノコが来たそうです。そう言えばわかるって……預かってきました。あのう、わかり、ますか……」
イェルクは鼻にしわを寄せた。ふうううと長く息を吐き出すと再び視線を落とした。
いつもイェルクに厳しく当たるルルー。少しばかり年長というだけで大きな顔をし、会えばガミガミと小言ばかり。そんなルルーからの知らせなど絶対ろくなものではない。
とはいえ無視すると後が厄介なのも明白だ。
小石に爪を乗せた。軽く触れただけで結晶の表面にはヒビが入り、石は簡単にふたつに割れた。萌黄色の光を帯びた液体がこんもり溢れ、中から小さな芽が生えてきた。それはうっすらと淡い光を放ち、見る間に葉をつけすくすく伸びていく。
あたりに深い森の香りが満ちた。
『息災にしておるか、
ブナの若木から響いてきたのは落ち着いた声だった。
思わず「誰がおさなごだっ」と吠えたイェルクだったが、これはあらかじめ声を吹きこんだ手紙のようなものである。イェルクに構うことなくブナは一方的に言葉を吐き出していく。
『先日、人の子が来た。おまえが長らく顔を見せぬと憂えておった。
「……何もしてない。オレサマは、何も悪くないぞ」
『人に迷惑をかけるなと何度言えばわかる。泣かせるなど言語道断。そのようなことだから、そなたはいつまで経っても幼いままなのじゃ』
ぐっと詰まった。
他にも二、三の言葉を紡ぎ、若木はくたりと萎れた。さらさら崩れたあとには薄墨色をした砂礫の山が残った。イェルクも力尽きたように組んだ両手の上に
幼子だの
いつものイェルクならぷりぷりと怒っているところだがそんなことはもはや瑣末事だった。
――泣かせるな。
そう言われてもイェルクにはどうすることもできない。だって約束が守れそうにない。
あれから何度も流れ星を追いかけようと試みた。けれど始めに見つけたものより強くて長い光には出会えなかった。
目を閉じた。ふすん、とため息をひとつ吐き出す。
「オレサマいっぱい探した。だけど見つからなかった。星は、空から落ちたら消えてなくなる」
それがイェルクの出した結論だった。
* *
――初めに出会った森への方角を教えてほしい。
別れの挨拶とお辞儀を丁寧にしたあと、フクロウは恥ずかしそうに打ち明けた。曰く「女王さまの森から直接ここに来たので帰り道がわからない」とのことで。
イェルクはのそりと腰を上げ、
「ついてこい」
自室を後にした。滝のカーテンを突き破ると一気に空高く舞い上がる。高台に降り立ったイェルクは夜空を仰ぎ、ひときわ輝く真珠色の星をさした。
「目印はあれだぞ。あっちにずっと行けばいい」
「ありがとうございます! 助かります……」
感謝の言葉を聞きながら、イェルクの視線はフクロウの遥か向こうに吸いこまれた。青く茂る森を越えた先に煌々と明かりの灯る屋敷があった。室内もバルコニーにも、やけにたくさんのヒトがたむろしている。
しばらく足が遠のいている屋敷だった。
一度視界に入れてしまえばお日さま色の髪を持つ少女を見つけることは
「それでは失礼いたします!」
快活な声に瞬きをひとつ。視線を戻せばフクロウが背中を向けたところだった。かと思えばそのままくるりと首だけで振り向いた。
「あのう、またいつでも遊びに来てください。次は一族総出で、おもてなし、しますので……」
「あ? いつでも?」
「はい! スイリュウさまが来たいと思ったときに、いつでも」
茶色の塊は力強く羽ばたいてあっという間に小さくなった。フクロウが宵闇に消えてもイェルクはずっとその方角を眺め、夜空に浮かぶ真珠色の輝きを見つめていた。
どれくらい経っただろう。賑やかだった屋敷の明かりはすっかり落とされ、イェルクの頭の中でぐるぐる回っていたフクロウの挨拶もいつしか別の言葉へと変わっていた。
――いつでも? 本当にいつでもいいの? 呼んだら来てくれる?
――ビスケットを置いておくわ。必ず来てちょうだい。約束よ。
イェルクの手を両手で握り締め、小首を傾げる少女の姿。それをはっきりと思い浮かべてしまうと、イェルクはいてもたってもいられなくなった。
マリーに会いたい。
でも向こうはどうだろう。会いたくないかもしれない。約束を守れないイェルクに用なんてないだろうし。
だけど――、
「……少しだけ。陰から覗くだけ……」
マリーには見つからないように気をつけて、こっそり見にいくだけなら大丈夫ではないだろうか。
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