3.星の落ちる場所

 地平線の向こうからうっすら暁光が差してきた。夜明けが近い。白んできた空を横目にイェルクは先を急いだ。

 風を切って雪原を過ぎ、青々とした針葉樹林に差しかかる。頭の後ろで「あっ」と声がした。


「スイリュウさま、あそこ! ホシガラスの家があります」

「あ? ほし……」


 今しがた過ぎてきた梢の陰にこぢんまりとした足場のようなものがあった。大きく旋回して向かえば家主の方も異変に気づいたらしい。野太い悲鳴をあげ、チョコレート色に白い星が点々と浮かぶ翼をバッサバサと大騒ぎ。小さな身体のわりになかなかの声量だ。思わず耳を塞いでしまいたいほどの。


「うるさいぞ!」


 イェルクが風を起こす。息もできないほどの強風にホシガラスはあわあわしながら必死で踏ん張っている。

 風が通り過ぎ、ホシガラスがくたりと脱力したところでイェルクはすかさず口を開いた。


「流れ星はどこだ?」

「……な、なんなのよぉ!? なんだって竜がアタシの家に」

「おい教えろ、流れ星はどこだ」

「あのうスイリュウさま、ここはわたしが……」


 イェルクの後頭部からフクロウが飛び出した。両翼を広げ、たった一歩でホシガラスを飛び越えて背後をとった。フクロウは礼儀正しくお辞儀をしてみせたが、自分より大きな鳥と竜に挟まれることになったホシガラスの方はヒャッと息を呑み小さな身体をさらに小さく縮めた。


「ご就寝中のところ、すみません。あのう、流れ星を探してるんですが……何かご存じないですか? あのう、どんな情報でも、構いませんので……」

「な、流れ星って、空の……?」

「前にワタリガラスから聞いたんです。綺麗な石がたくさん埋まった岩山があるって。真偽の程は……」

「ああー、それなら」

「知ってるのか、おまえ!」


 イェルクの鼻息が荒くなる。至近距離からの突風にホシガラスは再び踏ん張る羽目になり、フクロウも巻き添えを食った。風が落ち着くと両者ぐったりとくずおれた。


「……それで、岩山、は、どこに……」

「か、神の山のことでしょ。色つきの大きな石がゴロゴロしてるって、聞いたことあるわ……。アタシは、手前の川までしか行かないけど」

「川ですか? あのう、山には行かない?」

「小さな石なら流れてくるから、問題ないの。ほら、ピッタリでしょ」


 ホシガラスが翼を広げた。よく見ると白い星に交じって色つきの石がチカチカ煌めいている。


「流れ星が流れる川か! どこだ!」


 イェルクの問いを受け、「あっちよ」とチョコレート色の翼が彼方に向けられた。夜の星が帰っていく方角には雪を被った峰々がそびえ立っている。


「神の山はここからじゃあ見えないわ。高い山に囲まれてるから」

「かみ?」

「少し変わった形をした山があるのよ。ほらリクガメっているでしょ。あの甲羅をもっとトゲトゲにして、うずくまらせたみたいな山なの。時々恐ろしい唸り声や地鳴りがするから、たちですら立ち入らないわね。行くなら止めないけど、絶対に神を怒らせちゃだめ」

「神!」


 フクロウがぴょーんと飛び上がる。わたわたと翼をばたつかせながら大股でイェルクに駆け寄った。


「す、スイリュウさまぁ……あのう、やっぱりやめた方がよくないですか? ニンゲンが行かないなんてよっぽどですよ……」

「あ? オレサマは竜だぞ! 何があっても平気だぞ!」

「でもでも、神さまが住んでる山ですよ。もしも怒らせてしまったら」

「すぐ帰ればいい。オレサマは流れ星が欲しいだけだからな。流れ星を見つけて、マリーに持っていく!」


 背中の翼をひとあおぎ。ふわりと高度を上げたイェルクの尾にフクロウは慌ててしがみついた。

 ホシガラスの示した雪山まではあっという間だった。易々と飛び越えれば盆地の真ん中に巨大な亀のような山が鎮座していた。そのゴツゴツした山肌の比較的なだらかな斜面に降り立つと、イェルクはフクロウを振り落とした。

 情けない悲鳴はすぐ感嘆の声に変わった。薄明かりの中、大地のそこここで様々な色が輝いていた。よく見れば大きな扇形の岩が規則正しく重なり合い、敷き詰められている。

 転がっていた石のかけらをつまみ上げた。青みがかったそれはそこそこの厚みがあり平べったい。天にかざせば明けゆく空の光が薄青く染まって通り抜けていった。


「スイリュウさま! 綺麗な石、たくさんありますね!」

「うーん? だけど緑じゃないぞ」

「みどり?」

「星は緑色に光ってた。これは緑じゃないから違う」

「あのう、もしかしたら、なんですけど……」


 もじもじとフクロウが身体を震わせる。イェルクがきょとんとした顔で見つめていると彼は遠慮がちに口を開いた。


「もしかしたら、緑じゃない星もあるんじゃないでしょうか……」

「緑じゃない!?」


 イェルクは目をまんまるに見開いた。どういうことだろう。顔を寄せて迫ればフクロウはヒッと後ずさる。


「ももももしかしたらの話です! あのうあのう、お空にあるときは白に黄色に、青白いのだってあります、よね……。スイリュウさまのも、もしかしたら青いお星さまかもカモ」

「オレサマが欲しいのは流れ星だぞ! 流れ星は緑に光ってた」

「落ちたら元の色に戻る、とか……?」

「元の色……」


 つまんだかけらを掲げて夜明け前の空を透かし見る。どの角度から見ても薄青い色は変わらない。ためつすがめつ眺めたあとで、イェルクはうーんと首を真横に倒した。

 フクロウの言い分にも一理あるような気がした。もしそれが真実ならば、これはということだ。すぐにでもマリーに持っていくことができる。

 だけど、


「……オレサマは緑色が欲しい」


 叶うのであれば自分の見たものと同じ色の星を渡したい。そうすれば胸を張って「流れ星だぞ!」と言えるから。

 フクロウはぱちくりと瞬き、「探しましょう!」と両翼を広げた。


「一緒に探せばきっと見つかると思います。あのう、わたしはあっちを見てみますので……」

「空から見た方が早い! オレサマが高くまで上がって――、んん?」

「うわわわわわ」


 突如地響きがふたりを襲った。同時に唸り声も聞こえてくる。地底の底の底から響いてくるような恐ろしい声に、フクロウはイェルクの首元に飛びついた。


「す、スイリュウさまぁ、帰りましょう……!」

「あ? 緑の星を探すんだろう?」

「かか神さまですよ! お、怒ってるのかもかもカモ」

「何もしてないのになんで怒る! オレサマが文句言ってやる」


 金切り声を上げるフクロウを背中にくっつけ、イェルクは縦横無尽に飛び回った。低空を駆けながらきょろきょろあたりを見回す。

 ――すぐにおかしなことに気づいた。誰かが潜んでそうな雰囲気どころかまず身を隠せる場所がない。至るところで鮮やかな色の石がきらきら煌めいているだけだ。

 そもそもこの声はどこから響いているんだろう。

 イェルクは身を翻した。音の大きくなる方向を探っていくとどうやら裾野の方から聞こえてくるようだ。

 辿り着いたのは山の終点と思われる場所。そこで待ち構えていたのは予想もしないものだった。少し離れた箇所から山を振り返ったふたりは揃って大きな声を上げた。


「顔がある!」


 ふたりの叫びに反応したのか正面の大岩がみしみし動いた。見る間にまぶたが半分開いた状態の目が現れ、再び地鳴りがした。


「……騒々しいと思えば、なんだ小童こわっぱ


 びりびりと空気が震える。その低い声はあたりの山々に反響して重なり、とんでもない轟音になっていった。音の洪水が過ぎ去るのを待ってからイェルクは抗議した。


「小童じゃない! オレサマは竜だぞ。おまえこそなんだ」

「……わしか。わしも、竜だ」

「あ?」

「うわあぁぁぁすみません! 間違えました! ごめんなさい! スイリュウさま、神の山は別の場所なんですよきっと。は、早く、帰りましょう……!」


 フクロウが必死に翼を引っ張ってくる。それには構わずイェルクは目の前の大岩を見つめ、それから山の稜線を見渡した。ホシガラスは亀がうずくまっているような形だと言っていたけれど。


「この山は、丸ごとおまえか? 山じゃ、ない……」

「山か!」


 突然、下から突き上げるような大きな地響きが連続して起こった。イェルクはを踏んだ。地震ではない、大岩が笑ったのだ。


「それは的確な呼び名だの……。さしずめ、山の卵というところか」

「たまご? 山も卵から生まれるのか」

「わしが山になる日が来れば、そういうことにもなろう。元は竜であった山よ」

「りゅう……」


 イェルクはますます彼から目が離せなくなった。

 物心ついたときには既にひとりだった。そんなイェルクにとって、自分以外の竜との出会いはこれが初めてだ。しかもこんなに大きな竜と。

 イェルクの足が一歩二歩と前に出た。


「――おまえ、空いっぱいに虹をかけられるか?」


 巨大竜は怪訝そうに目を眇めたがイェルクは動じない。


「おまえ、おとなだろう? おとなは空いっぱいの虹が作れる!」

「……気が進まん。わしは、水が苦手ゆえ」

「できないのか! おとななのに?」


 巨大竜の方から強風が吹いてきた。ため息をついたらしい。


「空を駆けるのすら煩わしい。老いぼれにできることはのう、ここで日が昇るのを眺め、風のお喋りや草木の囁きに耳を澄ませること。月の光を浴びて眠ること。その程度よ」

「飛べないのか? ずっとここにいて飽きないのか」

「馬鹿にするでないぞ小童。動かずともなんの問題もない。様々な地より風の子がやってくるでの。あやつらは手土産にいろんな話を置いていく。おまえが思うより楽しく快適だぞ、ここは」


 わかったら去れ。そう呟くと巨大竜はあくびという名の地鳴りを起こし、ゆっくりと目を閉じた。ふうん、と息をついたイェルクは次の瞬間あっと声を上げた。


「待て! 教えろ、これは流れ星か?」


 先ほど拾ったかけらを突き出した。巨大竜はみしりと瞼を持ち上げ、薄青い石をじっと見つめた。

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