2.フシギな色の火

 ――きた!

 大の字になって寝っ転がっていたイェルクはがばりと跳ね起きた。

 夜空に横たわる星の河。その真ん中を白い光が流れた。長い槍は次第に翡翠の輝きをまとい、見る間に彼方へ飛び去っていく。


「待て!」


 イェルクはぴょんと立ち上がると勢いよく大地を蹴った。宙に飛び上がり、ぐうっと全身を伸ばす。肌の表面を覆っていた薄い殻――正しくはヒトの形になるために全身に纏わせていた魔法の膜――がパリパリ剥がれ落ちていった。小さく縮こまっていた身体をすっかり伸ばし終えた子竜は背中の翼を大きく羽ばたかせた。

 宵の風が鱗をしゃらしゃらとかき鳴らす。イェルクは鼻の穴をぴすぴす膨らませ、きんと冷えた空気を胸いっぱい吸いこんだ。清々しい風の中にほんの少し、焦げたようなニオイが混じっている。


 小高い丘をふたつばかり越えた先でイェルクは高度を落とした。青白い平原の先に広がるガサガサした茂み――雪を被った針葉樹の森のようだ――がどうやら目的地らしい。手前に降り立つと木々の合間にぬっと首を突っこんでみた。

 白い絨毯の敷かれた森はしんと静まりかえっていた。今にも消えてしまいそうな残り香と、星月夜の僅かな光を頼りにあたりを窺う。


「わあスイリュウさまダ。コんなとコろで何してルの」


 近くでキンキン声がした。見下ろすと薄暗い雪の上に赤い宝石が二粒落ちている。――いや、石ではなくてあれは目か。小さながちょこんと座っているようだ。冬の装いのおかげで雪と同化して見える。

 イェルクは少しだけ顔を近づけた。


「星が落ちてきただろう。どこだ?」

「ほし? ほしっテ、お空にぴかぴか光ってル、星?」

「そうだぞ。星を追いかけてきたら、ここに来た。どこだ?」

「星っテ、落ちルの?」

「落ちた。オレサマ、追いかけてきた」

「ふうん」


 野ウサギは身じろぎひとつしない。まっすぐに向けられる眼差しをイェルクも同じように見つめ返す。やがて野ウサギの長い耳がぴょこんと揺れた。


「星っテ、どんなの」

「どんなの?」

「ボく見たことなナい。どんなのかわかんナい」


 イェルクは首を傾げる。そういえばイェルクも実物を見たことはない。星の河を流れていった星は始めは白く、徐々に緑色の輝きを纏って飛び去った。ということはきっと、


「緑色の光だ。おまえくらいの大きさの」

「ミどり?」

「緑、わかるか? 夏の森の色だぞ」

「ふうん。ミどりー」


 言葉の響きがよほど気に入ったらしい。野ウサギはまるで何かの歌のようにみどりみどりと連呼し、ぴょんぴょん駆けていってしまった。

 残されたイェルクは目を瞬かせたあと首を大きく揺らしてみた。あたりをきょろきょろ見回してみるが野ウサギはどこにも見当たらない。


「星はどこだ! 緑の光は……!」


 イェルクの声が虚しく響く。まるで返事の代わりと言わんばかりに鼻先にどさりと雪が落ちてきた。イェルクはむむむと唸った。

 風に吹き消されてしまったのか、ただでさえ頼りなかった残り香はもうよくわからない。だから誰かに聞きたいのにその誰かも見当たらない。


『あのね、わたくし流れ星が見てみたいの。流れ星にお願いすると幸せになれるんですって。イェルク、見つけたら持ってきてくれる?』


 そうっと囁かれたお願い事が耳の奥で蘇った。嬉しそうに弾けた笑顔が脳裏に浮かぶ。

 ――マリーが待っている。だから早く見つけて持っていく。

 イェルクは顔を上げ、ふんふんとあたりを嗅いでみた。うっすらとだが森の住人たちの気配はあった。わかりづらいのはきっとみんな寝ているからだろう。木ので。あるいは雪の下で。だとすれば案内役を得る最も手っ取り早い方法は起こしてしまうことだ。そうだそれがいい。

 雪を溶かそう。

 大きく息を吸いこんだ。口内の温度を一気に上げていく。そのとき、


「あのう、あのう、」


 頭上で声がした。口を閉じたままきょろりきょろりと首を巡らせているとバサバサ音を立てて茶色い塊が降ってきた。その拍子についイェルクは口を開けてしまった。勢いよく吐き出した熱い息は突風となり、茶色い塊がころんころんと転がっていく。

 イェルクの動きは速かった。一瞬で塊を跳び越えて反転すると、濃い空気の壁を作って受け止めた。

 捕らえたのはフクロウ。目を回しているようだが特に怪我はなさそうだ。


「おい」


 爪の先でつつき、鼻先を近づけて軽く風を起こしてみる。だがフクロウは一向に目を覚まさない。だんだん焦れてきたイェルクがいっそ水をかけてやろうかと思ったところでようやく「ううん……」と目を開けた。


「……ひゃあ!」

「おまえ、オレサマに用か」

「えっ!? あ、あの……わあ!」


 間近に迫ったイェルクの顔にフクロウは仰け反り、そのままころんと後ろに倒れた。すぐに起き上がって体勢を整えたもののイェルクと目が合うとヒッと身体を硬直させた。


「あ……あ……」

「なんだ? 早く言え」

「あっ、ああああのあのう、勘違いだったら恐縮ですが……、もしかしたらわたし、見たかもしれません……」

「あ?」

「フシギな色の火が、あっちの方に……」


 フクロウは両翼をばたつかせて僅かに浮き上がった。その勢いで両足を彼方に向ける。示された方角を一瞥したイェルクは「火?」と首を傾げた。フクロウの方も負けじと首を真横に倒した。


「火のカタマリです。空から落ちてきました」

「――火! 焦げたニオイ! オレサマ追いかけてきた」

「焦げた? いえ、思いっきり燃えてました!」

「流れ星だ!」


 フクロウがぱちくりと目を瞬かせた。首をゆうらゆうらと大きく揺らしていたが、最終的には真横に傾けた。

 イェルクはフクロウをお供に雪深い森の中をぐんぐん進んでいった。ある場所まで来ると急にニオイが強まった。ずっと辿ってきたニオイだ。


「あそこです!」


 猫の額ほどの開けた土地に丸くぽっかりと小さな穴があいていた。ワクワクと覗きこんでみたイェルクだったがその顔はあっという間に曇ってしまった。緑色の光などどこにもない。暗い窪みの端っこに黒っぽい石がぽつんと落ちているだけだ。

 爪の先でつまみ上げるとフクロウがわあっと歓声を上げた。


「それ! 火のニオイがしますね!」

「うーん? 光ってないぞ」

「ひかる?」

「オレサマは、星を追いかけてきた。星は緑色に光ってた。これは緑じゃないから違う」


 イェルクはじっと石を見つめた。鼻をぴすぴす膨らませてみれば確かに焦げたようなニオイがする。この石こそ辿ってきたニオイの元で間違いない。だがあの光の正体がこれであるわけがない。

 ――そもそもが間違っていたのだろうか。本当は流れ星にニオイなんてないのに、たまたま嗅いだこのニオイを流れ星のものだと勘違いしてしまったのかもしれない。それで全然関係ない場所に来てしまった、とか。

 石をぽいっと投げ捨てた。隣で首を揺らしていたフクロウはやがてバサバサと羽ばたいた。


「わたし、知ってるかもしれません。ずっと向こうに行けばありますよ。岩ばっかりの山です」

「あ? 岩ばっかり……」

「前にワタリガラスが言ってました。山肌に、綺麗な石がたくさん埋まってるって。赤と青と、時々緑のも」

「それだ!」


 きっとそこが流れ星の落ちる場所だ。流れた星は全部そこに落ちて、あちらこちらできらきら光り輝いているのだろう。そんな場所があるなんて今までちっとも知らなかった。

 嬉しくなって背中の翼を大きく羽ばたかせる。巻き起こった風でフクロウがころんとひっくり返った。


「おまえ、案内しろ!」

「あ、案内? いいですけど、だいぶ遠いですよ? ワタリガラスはここまで三日飛んできたって言ってま……」

「オレサマは竜だぞ! オレサマなら一瞬だ」


 イェルクは鼻先でフクロウを拾い上げた。そのままぽーんと頭上に放り投げる。フクロウは頼りない悲鳴をあげながら放物線を描き、イェルクの頭の後ろにぽすっと納まった。


「行くぞ!」


 後頭部に伝わってくる重みを確かめて、イェルクは揚々と大地を蹴った。

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