第二章の四 神無月/文化祭②

「なるほど、男女逆転喫茶店、ね」


 奏は合点がいったようだった。

 女子生徒が男装を、男子生徒が女装をして、男女逆転で接客する喫茶店のようだ。


「入ってもいいかしら?」


 男装した生徒に奏が声をかけると、その生徒ははい、と元気良く返事をする。


「一名様、ご案内~!」


 奏が席へと案内される。


「奏! 来てくれたんだ!」


 奏が席に案内されると同時にあずさが駆け寄ってきた。

 あずさは真っ黒なミディアムヘアのウィッグを被り、真っ赤なコンタクトレンズをしている。服装も黒尽くめで、襟にはファーがついている。何かのアニメのコスプレのようだ。


「あらやだ! あずさちゃんったら、イケメンね」


 奏が驚いて言うと、あずさはへへへ、と笑っていた。その横を通り過ぎる生徒からは、


みなとはウチのいちばん人気なんですよ」


 と言う声が降ってくる。なるほど、いちばん人気と言うだけあって、端整なあずさの顔にその黒装束は良く似合っていた。


「やめてよ! 奏はコーヒーで良かった?」


 あずさはクラスメイトに言葉を返すとすぐに奏に向き直った。奏はお願いするわ、と答え、この文化祭独特の空気を味わっている。

 すると、綺麗な女生徒が近寄ってきた。いや、女装をしているので男子生徒だろうか。


「こんにちは」


 奏に声をかけて来たのは、金髪のストレートヘアに水色のエプロンドレス、カチューシャを身にまとった吉田結人だった。どうやら不思議の国のアリスのアリスのコスプレのようだ。


「あら、結人くん。こんにちは。可愛いわねぇ」

「あまり嬉しい言葉ではないですね」


 奏がにっこりと微笑んで挨拶をすると、結人は少し苦笑いで返してきた。


「こいつ、男子生徒からモテまくりっすよ」


 通りすがりの男子生徒が言う。その言葉に苦笑いを浮かべる結人。その様子はかなりクラスに馴染んでいる。


「あの、奏さん。もしよければ、僕と一緒に文化祭を回りませんか?」

「え?」


 唐突な結人からの誘いに、奏は少しうろたえる。橋姫の言葉もある。どうしたものかと思案していると、


「ダメ、ですか?」


 潤んだ瞳で結人が畳み掛けてくる。こんな顔を見せられては奏ではなくても了承するしかないだろう。

 奏は分かったわ、と返すと、結人はにっこり微笑んで、


「もうすぐ僕の番が終わるので、終わったら行きましょう」


 そう言い残すと結人は教室の奥へと消えていった。


「あれ? 奏、今……」

「あら、あずさちゃん」


 あずさは奏が結人と一緒にいたのが不思議だったようだ。奏は結人と文化祭を回ることになったと報告する。


「そっか~。残念。私、これが終わったら部活の方の出し物にも行かなきゃならないの」


 あずさはかなり残念そうにしている。


「あらそうなの? 忙しいのねぇ」


 奏のねぎらいの言葉に、あずさはそうでもないよ、と答えた。


「それよりも……」


 あずさもやはり、橋姫の言葉が引っかかっているようだった。奏は大丈夫よ、と笑顔で答える。


「これでも男よ?」


 にっこりと笑顔で言われ、あずさは後ろ髪を引かれる思いで分かった、と返すしかなかったのだった。




 さて、奏は結人の番が終わるのを、男女逆転喫茶店でコーヒーを飲みながら待っていた。クラスの出し物は大成功と言ったところだろうか。ひっきりなしに客が入っては出て、入っては出ている。あずさも忙しそうに接客をしていた。


「お待たせしました」


 そんな様子を見ていた奏に、制服姿になった結人が声をかけてきた。


「楽しませて貰ったわ」


 奏はそう言うとにっこりと笑って席を立つ。そして二人並んで教室を後にするのだった。




「あずささんとはどんな関係なんですか?」


 結人は学校案内を始めるとすぐにそう聞いてきた。成人男性と女子高生との関係だ。至極しごく当然の疑問だろう。奏は何と言ったらいいのか考えているようだった。そしてしばらくしてから


「教授と助手、のようなものかしらね?」


 にっこりと笑って答えた。結人はその答えにそうですか、と返すと少し思案顔になった。

 だがその後の結人はごくごく普通に学校の文化祭案内をしてくれていた。これではあずさが警戒を解きたくなるのも無理はない。至って人畜無害のような顔で奏を色々な催し物へと案内する。会話もあたり障りのないものばかりだった。


「そろそろ体育館であずささんたちのダンスが始まる頃ですよ。見に行ってみますか?」

「そうなの? 行きたいわ」


 奏は顔をほころばせながら言う。結人は分かりました、と言って奏を体育館の方へと導いていく。学校内を歩くのは何年振りだろうか、奏は少し懐かしい気持ちになりながら渡り廊下を歩いていた。結人は相変わらずのにこにこ顔だ。


「ここですよ」


 扉を開くと、そこには誰もいなかった。


「あら? 誰もいないわよ?」


 そう言って奏が結人を振り返った瞬間、奏の身体を突風が包んだ。反射的に顔の前に腕を持っていく奏。突風が収まると、目の前には真っ黒な狐の姿があった。


「狐……?」

「こいつは、野狐やこだね」

「え?」


 いつの間にいたのだろうか、奏の目の前には自分の守護霊と名乗る老婆の姿があった。

 奏は一瞬パニックを起こしそうになる。現状についていけない。しかし目の前には野狐やこと呼ばれた真っ黒な狐と守護霊の姿がある。ただならぬ状況であることは間違いなかった。


「守護霊、俺の邪魔をするのか」


 守護霊に野狐やこと呼ばれた黒い狐が、低く唸るように口を開いた。


「こいつに死なれちゃ、困るんでね」


 守護霊が返す。ここに来てようやく奏の思考が現状に追いついてきた。目の前にいる黒い狐、それが吉田結人の正体、と言うことだ。


「結人くんが、野狐やこ……?」

「そういうことだね」


 老婆の返答に奏は黒い狐を見やる。黒々として美しい毛並み。尻尾は 九つあるようだ。


「九尾の狐……?」


 漫画などで良く登場する、九尾の狐に間違いないだろう。しかし野狐やことはどういうことなのだろうか。奏の思考を読んだかのように老婆が説明してくれる。


野狐やことは神格を持たない、人間をたぶらかす狐の妖怪さ」

「天狗の団扇うちわを持っているだろう、人間」


 野狐やこは低い唸り声をあげ、後ろにいる奏へと問いかけてくる。


「人には過ぎた産物だ。俺が貰い受けよう」


 言うが早いか、野狐やこは奏に向かって九つの尻尾を伸ばしてくる。それを阻止するように老婆が立ちはだかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る