第二章の二 猿田彦命

 九月も半ばに差し掛かったある日。久々に奏たちの前にヤタガラスが舞い降りた、二人は急ぐでもなく、そのヤタガラスの導きで、夏に良く来ていたほこらの前にいた。


「お久しぶりだね」


 まだまだ残暑が厳しい時期だと言うのに、相変わらず涼しげな表情のツクヨミに迎えられ、二人はそんなツクヨミに挨拶をする。


「今日は有名な神様、かな? 君たちにどうしてもお願いがしたいみたいなんだ」

「有名?」


 あずさは小首を傾げる。

 今までの神様はあずさにはぴんと来ない人たちばかりだった。今回はあずさでも知っている、と言う意味だろうか。


 しばらくほこらの傍で待っていた二人と一柱は小さくほこらが光るのを確認した。その後、光ったほこらの後ろから大きな体躯の神が現れる。身長は二メートル近くあるだろうか。恰幅かっぷくのいいその身体に、丸く大きな目。何より目に付くのは顔の中央にある鼻の長さだろうか。


「いらっしゃい、猿田彦命さるたひこのみこと


 ツクヨミはにっこりと微笑みながら言う。この神の名は猿田彦命さるたひこのみこと猿田彦さるたひこで有名な商売繁盛、厄除け開運等を司る神だ。


猿田彦さるたひこでいい」


 地を震わすような低い声音で猿田彦命さるたひこのみことは言う。


猿田彦さるたひこ……猿田彦さるたひこ……。なんか、そんな名前の神社があったような……?」


 あずさが言う。


「そうね。いちばん有名なのは三重県の神社になるのかしら」


 奏がフォローを入れる。あずさはなるほど! と納得したようだった。


「そんな有名な神様が私たちにお願い事なんてあるの?」


 あずさの素朴な疑問に猿田彦命さるたひこのみことは、ふむ、と押し黙ってしまった。


「彼の見た目、何かに似てないかい?」


 涼しげな声音でツクヨミがあずさに問いかけてくる。あずさは猿田彦命さるたひこのみことをまじまじと見つめた。やはり目に付くのは大きく立派な鼻だった。


「天狗……?」

「正解」


 ツクヨミはにっこりと微笑んで言った。


「今回は天狗絡みの依頼ってことなのかしら?」


 奏の言葉に押し黙っていた猿田彦命さるたひこのみことが口を開いた。


「私は天狗の元祖と言われているのだ。今は天狗のことは天狗たちに任せているのだが、どうもそこで問題が出ているみたいなのだ」


 奏たちのことは瓊瓊杵尊ににぎのみことから話を聞いたのだと言う。神の願いを聞く唯一の人間がこの場所にいるのだと。猿田彦命さるたひこのみことも少し頭の痛い問題を抱えていたのだ。

 天狗には階級がある。その階級のいちばん上が『大天狗』と呼ばれている。以下、烏天狗からすてんぐ、小天狗、木の葉天狗、女天狗など、様々な天狗が存在しているのだと言う。鞍馬山に住む僧正坊そうじょうぼうなどは有名な天狗ではないだろうか。

 そんな天狗界での話だと言う。


「実は、この近くにも愛宕山太郎坊あたごやまたろうぼうと言う天狗がいるのだが、この天狗が少し曲者くせものでな」


 猿田彦命さるたひこのみことは言う。

 愛宕山太郎坊あたごやまたろうぼうは大天狗なのだと言う。山の守りを任せているのだが、小心者で、烏天狗や小天狗たちにも馬鹿にされてしまう始末だ。


「どうか奴を、自信を持って山を守るよう変えてもらいたいのだ」

「うん! 分かった!」


 話を聞いたあずさはにっこりと微笑んで即答する。


「ちょっと、あずさちゃん?」


 奏は驚いてあずさの顔を覗く。あずさはケロリとしていた。


「今までだって奏と一緒にいて出来ないことなんて無かったんだもん。きっと大丈夫だよ!」


 どこから来るあずさの自信なのだろうか。奏は小さな頭痛を感じつつも、これも乗りかかった舟である。猿田彦命さるたひこのみことの願いを叶えるために尽力することを約束した。


愛宕山太郎坊あたごやまたろうぼうはあの山にいる。会いに行くのなら道を開けておこう」


 猿田彦命さるたひこのみことはそう言うと、ほこらの後ろへと大きな体躯を丸めて帰って行ったのだった。

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