第一章の四 『見える』弊害①

 瓊瓊杵尊ににぎのみことから『見える』力を授かったその日の夜。

 かなでは金縛りにあっていた。奏はあぁ、またか、と気にする様子はない。不思議な経験をしてきた奏は金縛りには何度もあってきていたのだ。気だるげにまぶたが動くことを確認する。これもまた、いつものことだった。眠気と共に動く瞼をゆっくりと開ける。


「……っ!」


 いつもと違うことが起きた。

 奏は声にならない悲鳴を上げいている。

 奏の目に映ったものは、奏のお腹の上でこちらに背を向けて座っている、着物姿の一人の老婆の姿だった。老婆は奏が目覚めたことに気付いたのか、ゆっくりと振り返る。


「おや、気付いたのかい」


 その声を聞くことも初めてのことだった。

 いつもは目を開けても何も見えなかった。だから奏は眠気に任せて再びそのまま眠りにつくことが出来ていたのだが、今回ばかりはそうも言っていられない。『見えて』しまったのだから。そしてその声も聞いてしまい、思わず目を見開く。


「何を恐れているんだい? アタシゃ、アンタの守護霊さ」


 老婆はカラカラと笑いながら言った。


「今日はちょっと疲れたね。だからたまにこうやって、アンタの腹の上で休ませて貰っているんだよ」


 老婆は続ける。


「おや? 声が出ないかい?」


 老婆の問いかけに奏は口をパクパクとさせる。いやに喉が渇いている気がする。声は出そうで出なかった。


「まぁそう怖がらないでおくれよ。すぐにアンタの守護に戻るさ」


 老婆は言うが早いかゆっくりと奏の腹の上から降り、そのまま消えていく。老婆が消えると同時に奏の体の自由が返ってきた。奏はがばっと飛び起きるとすぐに自分の背後を見る。しかしそこには誰もいない。

 守護霊と名乗ったあの老婆の姿を探すも、どこにもいなかった。

 奏は夢だったのではないか? と考え台所で水をごくごくと飲み干すと、そのまま部屋へと戻り再びの眠りにつくのだった。




 さて、そんな奏の家の近所には、昔から『傘屋敷』と呼ばれている廃墟が存在していた。この傘屋敷、その名の通り玄関先に大量の傘が置かれている。そしてその傘に混じって常に真新しい千羽鶴も置かれている。奏でなくても不気味な様相を呈したその傘屋敷前は、奏が小学生の頃の通学路となっていた。小学校を卒業後、奏はその傘屋敷にはなるべく近付かないように生活をしていた。

 しかし、奏が高校生の頃。

 友人たちが面白半分でその傘屋敷への肝試しを提案してきた。奏はもちろん断ったのだが、友人たちからは『弱虫』のレッテルを貼られるに十分な出来事だった。

 傘屋敷の中へと入った友人たちに中の様子を聞いた奏は、身震いした。冷蔵庫やソファー、テレビ等の生活家具がそのまま埃をかぶって残っていたらしい。そして、その傘屋敷の二階からはドタドタと走り回る音が響いており、何かが割れる音がしていたそうだ。


 怖くなった友人たちはすぐに解散することとなった。その話を聞いた奏は、弱虫と呼ばれようと、その傘屋敷の中へと入らなかった選択を後悔したことはなかった。

 そんな傘屋敷は今でも、何故か取り壊されずに残っている。いつからそこにあったのか。誰が住んでいるのか。いや、住んでいたのか。何故過去形になるかと言うと、近所に住んでいる奏自身、その傘屋敷の住人を見たことが一切なかったからだ。奏だけではない。傘屋敷の隣の家に住んでいる住人も、傘屋敷の傘と折り鶴のことを知っている者はいないのだった。




 金縛りにあい、自分の守護霊だと言う老婆と会ったその翌日。

 奏はどうしてもその傘屋敷の近くを通る羽目になった。


「ホント、いつ来ても不気味なんだから……」


 奏は足早にその場を去ろうとした。去ろうとしたのだが、


「うるさい! うるさいんだよ!」


 突然聞こえてきた声に足を止めていた。

 その声は傘屋敷の方から聞こえてくる。外にいるのは奏だけ。隣人をはじめ、誰もその叫び声に気付いていない様子だった。

 奏はこの不思議な感覚に覚えがあった。最近の出来事である。大カブトエビと泥田坊どろたぼうと対峙した時の感覚に似ているのだ。

 この世のものではない何かの声に、奏は金縛りにあったかのようにその場から動けなくなってしまう。


「うるさい! うるさいんだよっ!」


 その間も傘屋敷の中からは悲痛な悲鳴が聞こえてくる。真夏のこの時期、うるさく鳴き叫ぶ蝉たちへの言葉とも受けて取れるその声は、しかしどんどん近付いてくる。

 奏は視線を傘屋敷へと向ける。するとカーテンのかかっていない窓をドンドンと叩き叫ぶ男の姿があった。


「えっ?」


 初めて見る住人の姿に一瞬たじろいだものの、奏はすぐにこれがこの世のものではないと感じた。脱兎のごとく逃げ出そうとする奏を捉えたその男は一瞬で扉を開け、奏の元へと近付いてくる。

 奏は恐怖で震える足を叱咤しったしていたが、それでも地に縫いとめられたかのように足は動いてはくれなかった。

 男は奏の目の前に立つと、その大きな口を開けた。


「うるさいんだよぉ~~~~!」


 食べられるっ! そう思った矢先。


「馬鹿か!」


 奏を叱咤する声と共に、何かに後ろへと引っ張られた。

 ようやく動いた足はしかしうまく立ってはくれず、引っ張られた反動で奏は尻餅をついていた。奏は反射的に目の前を見つめた。すると、そこには昨夜の老婆の姿があった。


「死にたいのかいっ?」


 老婆は奏に向けて叫ぶ。その声に後押しされるように、奏はようやく走り出した。背後から男が追ってくる気配はない。

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