第一章の三 田んぼでの出来事③

「アナタがさらった少年たちを返して欲しいの」

 奏の言葉を聞いた泥田坊の頭に疑問符が浮かんでいる。何故? と問う泥田坊どろたぼうに奏が答えた。

「それが、瓊瓊杵尊ににぎのみことの願いだからよ」

「神の、願い?」


 泥田坊の言葉に二人は大きく頷いた。


「しかし奴らは田を馬鹿にした。愚弄した。だから神の願いだとしてもただでは返せない。記憶を少し、いじらせて貰う」


 泥田坊どろたぼうはそう言うが早いか、一つ目を閉じ、大きく息を吸った。すると泥田坊どろたぼうの腹が大きく膨らみ、裂け目から二人の少年があぜ道へと吐き出されていた。


「神の願いは、これで聞き入れた」


 泥田坊どろたぼうはそう言うと、ゆっくりと元の田んぼの形へと帰って行った。残されたあずさは呆然と泥田坊どろたぼうが消えた田んぼを見つめていた。奏は吐き出された少年たちの元へと駆け寄る。


「大丈夫?」


 奏の問いかけに少年たちはゆっくりと目を開けた。


「俺……」


 まだ焦点が定まっていないが、徐々に意識がはっきりしてくる。少年たちの見た目には外傷などはないようだった。一体泥田坊どろたぼうは何をしたと言うのか。


「親父に謝らねーと!」


 気がついた少年たちは脱兎のごとく駆け出していった。奏とあずさは何が起きたのか全く分からなかった。




 その日の夜。

 町は少年たちが帰ってきたこと、その少年たちが田んぼ仕事へ積極的になっていたことで持ちきりになっていた。

 泥田坊どろたぼうが彼らの意識を変えたのだと言うことは、あずさと奏だけが知っている事実だった。




「と言うわけで、無事に? 任務は達成しました!」


 あずさは明るい声で事の次第を瓊瓊杵尊ににぎのみことへと報告していた。

 今夜はツクヨミのほこらで、大カブトエビと泥田坊どろたぼうについての報告をする日だったのだ。報告を聞いた瓊瓊杵尊ににぎのみことは相変わらず農業でもしそうな格好をしており、その表情も硬い。


「ちょっと誤算はありましたけど、瓊瓊杵尊ににぎのみこと様がご所望していた事態に落ち着いたと思います」


 硬い表情の瓊瓊杵尊ににぎのみことに対し、奏は緊張気味に説明をした。ここで言う誤算とは、少年たちの意識を泥田坊どろたぼうが変えてしまったことだ。しかしそれに対して怒る様子は瓊瓊杵尊ににぎのみことに見受けられない。しばらく黙っていた瓊瓊杵尊ににぎのみことは硬い声音で奏に言った。


「お前は『見えない』ようだな?」

「は、はい……」


 突然の話に奏は申し訳ない気持ちになって口を開いた。すると瓊瓊杵尊ににぎのみことは黙って手を上げた。そしておもむろに言う。

此度こたびの働きの礼に、お前を『見える』ようにした」

「えっ?」

「今後の神々の願いもまた、これで成就じょうじゅしやすくなるだろう。大カブトエビと泥田坊どろたぼうのこと、感謝する」

 瓊瓊杵尊ににぎのみことはそれだけ言うと祠(ほこら)の後ろへと帰って行った。


「何が、起きたの……?」


 呆然とする奏の前にツクヨミが現れて言った。


「お疲れ様。これからは奏くんも『感じる』だけじゃなくて『見える』ようになったってことだよ」


 にっこりと笑うツクヨミに奏はじっと自分の手を見つめていた。


「分からないわ」


 そして呟く。


「これから実感していくことになるよ」


 明るく言うのはあずさだった。

 



 こうして『見える』力を手に入れた奏の新たな毎日が、明日から始まることとなる。

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