第23話 エピローグ
それから夏休みも明けて。
「えーそれではインスタ映えとツイッター映えの違いについて文化人類学的な観点から分析して――」
当たり前の日常が帰って来た。
教室にはもうグラの姿はない。クラスメイトたちには元の飼い主が見つかったから返却したなどと言っておいた。みな一様に寂しがり、なんとなくクラスに活気がない。
「えーっとこの問題をグラちゃ――じゃなくてワタナベくん」
「……」
「ワタナベくん?」
「あっ……ごめんなさい。わかりません」
「もう。ぼーっとしないでよねー」
沌が俺のほうをなんとも言えない表情で振り返った。
そうして放課後。
「タカちゃん。タカちゃん。なにしてるの」
授業終了後。机に座って窓の外を眺めていると、沌につんつんと肩をつつかれた。
「あ、すまん。ちょっとボウっとしてた」
「早くぶかつ行こうよ。今日はだいじな日」
「ああわかってるわかってるよ」
カバンを持って立ち上がった。やけに軽く感じる。この間までケルベロストライデントなんてものを一緒に持っていたせいだろう。
部室に向かう道すがら。
「元気ない」
などとよりによって沌からそんな指摘をうけてしまった。
「そんなことない」
「あるよ」
「心配するな」
「心配だもん」
などと上目使いで俺を覗きこんでくる。
髪の毛を切っておしゃれになった沌はすっかり以前の美少女ぶりを取り戻していた。
本当に可愛いと思うし、もともとの愛すべき性格もちっとも変っていない。
でも。二人の仲はぜんぜん進展していなかった。
理由は。俺が他のことで頭がいっぱいだから。
いや。むしろ逆でぽっかりと抜けているというべきか。
「ほら。またボウっとしてる」
「す。すまん。しっかりするよ。しっかり」
そうこうしている内に部室に到着した。
「じゃあはじめるよー」
久々に召喚の儀式を行う。
本日我々が呼び出そうとしているのはソロモン七十二柱の悪魔の筆頭『魔王バアル』。大きな挑戦とはなるがガープを呼び出すことができたのだから絶対に呼び出せないということはない。と思う。
文献によるとバアルは巨大な悪魔であるらしいので、部室から道具を持ち出して屋外で召喚を行う。
太陽がさんさんと照る中ではあまり気合も入らないが、まあ仕方がない。
『われは、汝、聖霊【バアル】を呼び起こさん。至高の名にかけて、われ汝に命ず。あらゆるものの造り主、その下にあらゆる生がひざまずくかたの名にかけて、万物の主の威光にかけて!』
俺は呪文を詠唱しながら。ずっと別のことを考えていた。
(こうして呪文を唱えたことからすべてが始まったんだっけ)
『いと高きかたのに姿によって産まれし、わが命に応じよ。神によって生まれ、神の意思をなすわが命に従い現れよ。アドニー、エル、エルオーヒム。エーヘイエー、イーヘイエー、アーシャアー、エーヘイエー、ツアパオト、エルオーン、テトラグラマトン、シャダイ、いと高き、万能の主にかけて、汝、【バアル】よ、しかるべき姿で、いかなる悪臭も音響もなく、すみやかに現れよ!』
(あいつに会いたい――!)
呪文の詠唱が終わると、魔三角陣からこれまでに見たことがないほどの凄まじい量の硫黄の煙が発生する。
「うぐ――!」
「ゲホッ! ゲホッ!」
煙が鼻と口を満たし、呼吸をすることができない。徐々に意識が遠くなる。
そして。
「あっあっあっ……」
「でか……」
巨大な物体が天から降ってくるのを、俺たちは薄れゆく意識の中、確かに見た。
やけにここちのよい夢を見ていた。
可愛いポメラニアンと遊んだり、一緒に寝たり、ときにはケンカをしたり。
そんな夢。
「ん……」
目を覚ましたのは保健室のベッドの上だった。
なにかキンキンと耳にひびく音が俺を覚醒させる。
「んん。なんだうるさいな」
『「うるさいな」ではなあああああああああああい!』
それはやけに聞きなれた声だった。
いや声というよりは脳に直接語りかけてくるような――。
「……って! グラ!?」
俺のシャウトに隣で寝ていた沌も目を覚ました。
「えっ!? グラちゃん!?」
保健室のベッドの下では、ポメラニアンの姿のグラがキャンキャン吠えていた。
「なんでここに!?」
『おまえたちが呼び出したからであろうが!』
「俺たちが呼び出したから?」
俺と沌は顔を見合わせる。
「えっちがうよ。わたしたちが呼び出したのは。バアルだよ」
『冗談じゃない! おまえたちごときにあの偉大なるバアル様が呼び出せるものか!』
「でもさっき確かに巨大な物体が召喚されるのを見たぞ」
『それは……吾輩の真の姿じゃなかったか?』
「あっ……!」
気絶する前に見た光景を思い出す。
「言われてみればそうだったかも……」
よく考えたら。茶色い毛玉のような物体であったような気もしてくる。
「もしかして。呪文唱えながらおまえのこと考えてたから間違っちゃったのかも……」
『間違っちゃったかもではなああああああい!』
またもやギャインと吠える。
「そんなに怒らなくたっていいだろ! いつでも召喚してくれって言ってたじゃないか」
グラは今度はハアアアアァァァ! と深い溜息をついた。
『時計を見てみろ……』
時計の短針は『5』の数字を示していた。
「あっ……」
俺はポカンと口を開く。
「沌さあ……」
「なあに?」
「俺たちが召喚を始めたのっていつだっけ?」
「三時ぐらいだよ。それがどうし――あっ!」
『やっとわかったかバカ者どもめ!』
グラが俺の上にダイブ! 顔に犬パンチの連打を放つ!
『どうしてくれる! これで今度帰れるのは一年後だぞ!』
「う、うるせー! おまえが簡単に召喚されるのが悪い!」
『なんだと!』
どったんばったんと取っ組み合いをする俺とグラ。
そんなとき。
「ううううううう……ああああああ……!」
沌の凄まじい嗚咽の声が俺たちの耳をつんざいた。
「ど、どうしたんだよ!」
『どこかケガでもしたか!?』
沌は涙をセーラー服の袖でごしごし擦りながら言った。
「タカちゃんもグラちゃんも。よかったね。これでまたふたり。一緒に暮らせるね」
俺とグラは顔を見合わせる。
しばらく見つめ合ったのち苦笑。
それから。
俺は奴の小さな体をぎゅっと抱きしめた。
大魔犬グラシオ・ラボラスがかわいい しゃけ @syake663300
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