第21話 犬猫大戦争2

 さて。ここからはギャグは一切なし。シリアス一辺倒のガチバトルとなる。

 グラの鼻によりなんとか居場所を突き止め、ガルーダ氏の背中の上から目視にてオセとフラウロスの姿を確認。二人とも人間形態に戻っていた。

「なるほど。あそこにいるとはな」

 ヤツがいたのは例のハンバーガーショップ『ゴメスバーガー』横の猫会議が行われる広場、通称ゴメス庭園であった。まだ店は開いていないようだ。

『学校にいくときに通るところではないか。いつもと違い猫はいないようだが』

「この辺の猫も全部ワタナベ家襲撃に使っているんだろう。今なら叩ける」

『ここで降ろせばええんか? すまんやけどドンパチは専門外やさかい力は貸せへんで』

「ああ。ありがとうガルーダ様。空から見物しててくれ」

 ガルーダがググっと高度を落とすに従って、われわれ三銃士は大地に立った。

 そして二柱の悪魔と対峙する。

「こんにちは」

 片方の悪魔はこちらを見て微笑んだ。透き通るように爽やかで、穢れを一切知らぬがごとく無邪気な、実に魅力的な笑顔だった。

「奇しくも大森ふ頭公園に行ったときと同じメンバーですね。あれは楽しかったなあ」

 彼女は上空を見上げつつ、本当に心の底から楽しそうに笑った。

「おうちの方はどうなったんです?」

 これがまた本当に心配しているような健気な表情なのだ。

「グラの仲間たちと友達のセイヤって奴が守ってくれてる。今頃は猫どもを一秒に十匹ペースでぶっ倒しているところさ」

「そっか! それなら安心ですね! ――ところでタカユキさん」

 ヤツはこちらに一歩近づくと、腰をかがめて上目使いで俺の目を覗きこんだ。そして。

「裏切りませんか?」

 とイタズラっぽく微笑む。まるで「部活さぼって遊びに行こうよ♪」とでも言うかのような気楽な口調であった。

「裏切ったほうがいいと思うなー。一流の悪魔ふたりに人間二人と魔力を失ったワンこちゃん一匹じゃあ、なんだかんだ殆ど勝ち目なんてないのは分かっているでしょう? それに」

「例えこの闘いに勝ったとしてもアナタを待っているのはロクでもない暮らしですよ。学生のときはともかくとして、人間って将来は人生の大半をつまらない労働に費やすんでしょう? それって地獄じゃないですか?」

「その点。裏切って私についた場合はどうですか? まずこの闘いにおける勝ちはほぼ確定する上に、わたしの下でなに不自由なく毎日面白おかしく暮らすことができますよ。わたしは王族ですからねえ」

「それにわたしはウソではなく本当にあなたのこと気にいってるんですよ。ま、さすがに結婚するのはムリにしても、たまにはエッチなことをさせてあげてもいいですよ」

 マシンガンのように邪悪なことばかりを捲し立てるオセ。

 それに対して俺は。

「ハーーーハッハッハッハッハ!」

 笑ってしまった。なんかおかしくなって笑ってしまった。グラと沌もポカンと口を開けて俺を見る。

「おいオセ! おまえに三つ言いたいことがある!」

 とテキをビシっと指さす。

「一つ! 俺はロクでもない暮らしなんて送らねえ! なぜなら! 黒魔術の力をもって世界征服を成し遂げるからだ!」

「二つ! おまえの下でなに不自由なく暮らす? そんな他人におんぶにだっこの人生なんてそれこそロクでもねえ!」

「三つ! 俺もおまえのことは実はそんなに嫌いじゃねえ! おまえは一点の曇りもない純粋な悪人だからな。ある意味でキレイな心の持ち主だよ。それが顔の表情にもよく表れてる! それに顔だちとかスタイル、服装は文句なく好みだ! 従って! エッチなことをさせてくれるってのは魅力的! しかし! 俺はな! 童貞は本当に好きな人で捨ててえんだ! だから却下!」

 オセはそれを聞いて苦笑。

「三つめが随分長いじゃないですか。ねえ本当はわたしと仲間になりたいんでしょう? もっとちゃんと考えてよぉ」

 甘えるような声で言いながら両手を握ってくる。

 俺はそいつを強引に振り払った。

「くどいぞ! いくら考えたって一緒! 説得しても無駄! 理屈はいっさい通用しねえ! なぜなら――」

 かっこよく両腕をクロスさせて沌とグラの二人を指さす。そして叫んだ。

「俺にはこの二人を裏切ることなんて絶対できねえからだ!」

「――! タカちゃん!」

『タカユキ……』

 沌とグラのツラを見てニコっと微笑んで見せる。それから。

「それに! この俺と沌、グラの闘魂三銃士に勝ち目がねえだと!? そいつはてめえのうぬぼれだ!」

 俺はケルベロストライデントを構えオセを睨みつける。

 オセは手を横に出して「やれやれ」のポーズ。それから深い溜息をついた。

「仕方ない。それじゃあ一回ぶっ倒して、ワタタビの茎をブスブスに突き刺して言うこと聞いてもらうしかないか」

「最初からそうしろ。回りくどいんだよ」

 オセはまたにっこりと微笑むと、重力を無視するがごとくふわりと跳躍。ゴメスバーガーの平らな屋根の上に飛び乗った。フラウロスもそれに続く。

「なんだまた逃げるのか?」

「まさか。王者というのは常に上から目線で、そして自分では闘わないものなのですよ」

 などとホザきながら指をパチンと鳴らす。すると。

「な、なんだ!?」

 地面に異常。ところどころがニキビでも芽生えるかのようにボコボコと膨らみ始める。

 一体なんだこれは! と思う間もなく。

「ギャニャアアアアアアア!」

 そのボコボコの中から大量の猫が現れる。地面を埋め尽くすほどの量だ。

「クソッ! またこのパターンか!」

「同じパターンではありませんよ。ここの猫会議の猫ちゃんたちには、わたしの魔力をたっぷり注ぎ込んであげましたからね。さっきよりヤバイです」

 オセがまた天使のような笑顔でそのように述べた。

(でも所詮、元はただの猫だろう。奴らの弱点をつけば――)

 などと考えていると。

「臨! 兵! 闘! 者! 皆! 陣! 裂! 在! 前!」

 沌が再び九字法を使用。防護の黒いドームを展開した。

「いいぞ沌!」

「えー。その技うっとおしいなァ。でもさっきよりも小さいし、沌ちゃんも辛そう。長くはモたないですね♪」

 たしかに。沌はぜえぜえと荒い息をついており、ドームの大きさは我々三人をギリギリで覆い隠すくらいだ。

「くっ……そんなことないよ。けっこうモツもん!」

 などと反論する沌。俺はその肩をポンと叩いた。

「いや大丈夫だよ沌。ちょっとだけモテば十分だ」

「そうなんだー? なにか秘策でもあるの?」

 オセは人さし指を口に当てて妖艶に笑った。

「ああ。おまえの敗因は。このゴメス庭園を決戦の地に選んだことになるだろうな」

「はあ? そーなの?」

「ああ。おまえからはふたつ情報が抜けていた。ひとつ。召喚術ってのはな、なにも地獄から悪魔を呼び出すだけではない。おまえらのいうところの人間界にあるものも呼び出すこともできる。俺の魔力では近くにある、それもあまり大きくないものだけだがな」

 などとベラベラしゃべりつつ、ポケットに突っ込んでおいた魔三角陣のシートを足もとに敷く。

「へえ。便利ですね。コタツに入りながらにして廊下の段ボールに入ったミカンを取ってくることができるってわけだ!」

「それともうひとつ。このゴメスバーガーはこだわりのハンバーガー屋さんでな。某Mみたいに冷凍したハンバーグを解凍してるだけじゃなくて、ちゃんと店でハンバーグをこねてるんだぜ」

「ほー。それも知らなかったですねえ。でもわたしには関係ないかなー。だってハンバーグって食べたいと思わないです。タマネギの臭いが嫌いで」

「クククククククク……! 猫ならそうだろうなあ! ハーーーーーーーハハハハ!」

 思わずテンションが上がり、魔王のような笑い声をあげてしまう。

『ど、どうしたタカユキ』

「タカちゃんこわい」

「いまからこの猫共を恐怖に陥れてやるぜ!」

「!? まさか!?」

 オセが動揺の表情を見せる。

 俺は両眼をキツく閉じると、召喚の呪文を唱えた。

「エロイムエッサイムエロイムエッサイム! 我は求め訴えたり。バーガーショップゴメスにあるありったけのタマネギをここに召喚せよ!」

 すると。上空三メートルくらいの位置に突然の濃霧が発生。

 そしてその中から――。

「ニャギャアアアアアアアアアアアア!!!」

 タマネギの雨。大量のタマネギが降下してきた。

 どうも今、朝の仕込みをしている最中だったらしく、みじんぎりにされたもの、輪切りにされたもの、丸のままのものなどバリエーション豊かである。

「ははは。すまねえなゴメスさん! ま、人類全体のピンチってことで勘弁してくれ!」

「ギニャアアアアア!」

「ナアアアァァァァゴ!」

 猫たちはギニャギニャと鳴き叫びながら、降臨するタマネギたちから逃げまどう。完全なパニック状態だ。

「今だ! ここでオセを叩く! いくぞグラ! ……グラ?」

「キャンキャンキャン! キャキャキャン!」

 なんと! グラもパニック状態になっていた!

 わざわざ説明は不要だろうが、猫と同様に犬もタマネギを食べると中毒を起こす生き物である。決して与えてはならないし、誤って食べないように注意する必要がある。

「クソ! しょうがねえ俺たちだけでいくぞ! どりゃああああああ!」

 俺はケルベロストライデントを棒高飛びの棒のように使い、なんとか屋根によじ登った。

 沌は特になんの道具を使うこともなく普通にジャンプしてよじ登っていた。恐るべき身体能力である。

「さあて。いよいよ年貢の納め時だ」

 俺はケルベロストライデントを引っ張り上げ、憎たらしいメスネコ二人に矛先を向けた。

 沌も謎の拳法のようなポーズを構える。

「そのようですねえ」

 オセはまたその表情に余裕を取り戻し、指をパチンと弾いた。

 すると。

 影のように気配を消してオセの後ろに立っていたフラウロスが前に出てくる。

 改めて恐ろしいほどに表情がない女だ。沌のように感情が外に出てこないのとは違う、一切の感情を持たない冷たさ。特にその青いメガネの奥に見える瞳は凍り付いたように冷たく光っていた。

「一応確認させて頂きます。この少年は半殺しで留めるということでよろしいでしょうか?」

「だめだめ。半殺しじゃぬるいよ。死ぬ一歩手前までやっちゃって」

「御意」

 そういうとフラウロスは、スカートのポケットからなにか――アスパラガスのような緑色の茎状の物体を取り出した。

「それは――! ギガ・ワタタビ!?」

「イバ・ワタタビ・ブレード」

 彼女がそのように唱えると、ギガ・ワタタビはまばゆい光とともにその姿を変え――。

「げ……」

「いたそう」

 茨が大量に絡みついた、緑色に輝く剣に変化した。

「そのイバ・ワタタビ・ブレードはねえ。当たるとぐっちゃぐちゃに傷口に絡みついて死ぬほど痛いの。でも死ねないんだよ。困ったねー」

 まずいな。この天使のような笑顔で鬼畜なことを言うのがちょっとクセになってきた。

「当たらなければなんとやらだ。そんな細い剣でこのケルベロストライデントを捌けるかな? これでも相当に練習は積んでるんだぜ」

 俺の挑発に対してフラウロスは一切抑揚のない声で「はい。可能です」と答えた。

「あっそ。じゃあやってみるか?」

 槍を上段に構え、深呼吸をして肩の力を抜く。

「行くぞ!」

 そして。右足で強烈に地面を蹴り突進!

 相手との距離ジャスト五十センチのところで、ナナメ下に向かってヤリを突き下ろす!

 マルコくんに教えられた通りの動き。なんどもなんども叩きこまれたムーヴが完璧に決まった!

(よし! 捉え――)

 だが。そこにあったのは空気のみ。

「あれ――」

「遅いですね」

 振り返ると真後ろにメガネをかけた少女がいた。そして。

「――!! ――!! ――!! ――!! ――!!」

 緑色の剣が俺のガラ空きの背中に音もなく叩きつけられた。

 スパっと肉を切られる感覚のあとに、その傷口を目の荒いヤスリでこすられるような痛み。あまりの痛烈さに声もでない。ガクっとヒザをつく。

「キャー! キャー! 血が出てるー! すごーい! こわーい! ねえ痛いの!? どれくらい痛い!? 死ぬ!? 死ぬの!?」

 小さくジャンプして手を叩きながらはしゃぐオセ。

 これは俺だけの感覚ではないと思うのだが、女の子のピョンピョンと飛び跳ねる仕草というのはなぜにこうも魅力的なのだろうか。

「痛いことよりも。あっさり躱されたことがショックだぜ」

「当然です。あなたはどれくらいヤリの練習をしましたか? わたくしは数百年ばかり剣の修行を積んでおります」

「……そうかい。長生きなんだな」

「よくやるよねー。わたしなんて三日で飽きてやめちゃったのに」

 フラウロスは剣を素振りしたのち、

「今度はこちらから行きます」

 矢のようなスピードでこちらに迫った。

「くっ!」

 ヤリを構えるがとても間に合わない。

 剣が俺の顔面を捉える――――――その僅か一刹那前。

「なっ――!」

 さすがのフラウロスも驚きの声。

「沌!」

 沌が突如二人に割って入り、左手でフラウロスの前髪をひっつかんだからだ。

 恐るべき身体能力。そして。

「なぐるよ」

 残った右手でフラウロスの顔面に強烈なアッパーカットを食らわせた。

「ギ、ギニャ!」

 ブチッ! という音と共にフラウロスの前髪が大量にぶっちぎれ沌の左手に残った。

「いえい」

 沌がいかにもホメて欲しそうな感じにこちらを見る。

「え、偉いぞ!」

 もちろんホメてやりたいところなのだが、髪をひっつかんでブン殴る様がちょっと怖かったので、あまりパッとしたホメの言葉が出てこない。

「これでもう負けることないね」

「えっなんで?」

 沌は謎の自信と謎のドヤ顔。一体なにを根拠にそんなことを――。

「あっ! 待てよ! そうか! よくやったぞ沌!」

 俺は沌の頭を摩擦でハゲるくらいに撫でまわしてやった。

 オセは「フゥ?」などと言いながら腕を組み首をかしげる。

「よーし行くぞ! キャット・クソメガネ! こんどはさっきみたいにはいかねえ!」

「なんどやっても同じです――!」

 俺は猛牛のごとく突進。

 フラウロスは再び俺の後ろに周りこもうとステップを踏む。――が。

「うっ――!」

 ステップ開始の瞬間。ヤツの動きが止まる。

「――いまだ! くらいやがれえええええええええええ!」

 俺の渾身の一撃が繰り出される! 今度はクリーンヒット! フラウロスは屋根の端っこまで吹き飛んだ!

「ナイスだ沌!」

 俺は五寸釘とカナズチ、藁人形を構えた沌とハイタッチを交した。

 藁人形には先ほど採取した、フラウロスの黒い髪の毛が大量に含まれている。

「沌の妙技。『いつでも丑の刻参り』だ」

「ず、ずるーい!」

「バカ野郎! 俺たちゃ黒魔術で世界をなんとかしようなんていうイタイ人間だぞ! 卑怯にきまっているだろうが!」

 俺はふたたびヤリを構え、フラウロスに突進した。

「うーん。うーん。そっかー。じゃあこうなったらこうするしかないかなー」

 オセが目を瞑ってアゴを抑えながらブツブツ言っているのは見えていた。見えていたのだが。

「クウ・ワタタビ・ランス」

 その攻撃を止めることは出来なかった。

 緑色の細い槍が俺の頬を掠めて後ろに飛んでいく。

「沌!」

 振り返ったときにはもう遅い。槍は沌の体を貫いていた。

「沌! 沌! 沌! 沌! 沌!」

 俺はケルベロストライデントをほおり捨て、沌に駆け寄り抱きかかえた。

 槍の刺さった傷口と小さな口からは鉄臭い赤い液体が。

 目からは大量の涙が溢れていた。

「沌! しっかりしろ! 沌!」

「タカちゃん……ぬけちゃう……わたしの体からわたしがぬけちゃうよ……」

「沌―――――――――――――――!」

「しにたく……ない」

 沌はそっと目を閉じると、俺の腕にズシリと体重をかけた。

「おい冗談だろう? なあ沌? 起きてるよな?」

 沌の体を揺さぶる。

 返事はない。

「沌?」

 口の辺りに耳を当ててみる。静かなものだ。

 さらに手首を掴んでみる。

「あ……」

 俺はやっぱりギャルゲーの主人公のようなマヌケ野郎だったようだ。

 こんなことにならないと。

 沌が俺にとってどれだけ大切で愛おしい存在であるか気づかなかったのだから。

 なぜか涙は出てこない。その代わり胸にぽっかりと穴が開いたような感覚があった。

 俺はただ黙って沌の体を支えていた。

 すると。

(あれ……?)

 その空いた穴がなにかによって徐々に満たされていく。

(これは……)

 それがなんであるかは感覚としてわかった。

 ――それは『力』だった。

(そうか。わかったぞ。グラたちが言ってたのはこういうことだったんだ。精神を一回破壊して魔力を高めるって)

 俺は沌を優しく横たえると立ち上がった。

「な……」

 オセとフラウロスが目を剥いてこちらを見ていた。

 俺の体の周りに紫色のオーラのようなものが発生しているからだろうか。

「その魔力は――!」

「オセ様! 下がっていてください!」

 フラウロスがなんたらブレードを構え俺に迫り、

「はっ――!」

 薙ぎ払うようにして斬撃を繰り出した。

(――遅っ!! 止まって見えるそ!)

 俺はその攻撃をなんなく躱す。それから。床に転がったケルベロストライデントをゆっくり拾い上げると無造作に振った。

「な――!」

 まるでデタラメにスイングしたのでフラウロスにはヒットしない。だが。そのスイングは紫色に輝く強烈な突風を発生させ――。

「オセ様! オセ様! オセ様――――――! お逃げ下さい! オセ……様……!」

 フラウロスを空の彼方に消し去った。

「驚いた。なんだこの力」

 自分が自分で無くなってしまったような感覚。いい気分とは到底言えない。背中からイヤな汗が大量に溢れる。

 だが。それでいい。なぜなら。

「おかげでおまえを殺れる」

 オセの目をまっすぐに覗き込む。

 さすがのオセも明らかに動揺した表情で冷や汗を掻いていた。

「魔力覚醒……なるほどナー。先にそっちの子をやったのはマズかったかー」

 ――俺はそのときなぜか変なことを考えていた。

(こいつの言う通りだ。この闘いに勝ったところで。俺に待っているのはロクでもない人生だ)

 気づいたことがある。黒魔術の研究も学校生活も世界征服の夢も。俺が楽しいと思うことはみんな沌と共にあったのだ。

 また胸が締め付けられる。

 それと同時にさらなる力が湧いてくることが感じられた。

「――殺す。間違いなく殺すことができる」

 オセを再び睨み付けた。しかし。

「いやーよかったよかった! 危ナー! 一応用意しておいて良かったー!」

 オセは笑った。天使のような笑顔で。

「なに……!?」

「オセ流ワタタビ魔術『ハピ・ワタタビ・ブライダル』!」

 両手を祈るように組み、猫の泣き声に似た呪文を唱える。すると手首を包むようにして緑色に輝く光の輪が現れた。フラウロスが使っていた剣と同様に茨がからみついている。そいつはヤツの両手首をギチギチに締め付けているようだ。

「痛い痛い痛い痛い痛い痛い! 死ぬかも死ぬかも! 死ぬーーー! キャハハハハハハハ! たのしーーーーー! なにこれええええぇぇぇえ」

 手首からは夥しい血液が噴水のように噴き出していた。

「気味が悪りい……気でも触れたのか?」

「んーん。性格は元々サイアクだけど、アタマは大丈夫だよ」

 オセは手首を締め付ける輪っかをムリヤリ広げると、右手で無造作に掴んだ。

 てのひらからもドクドクと血が滴り、足もとが血の池になっている。

「人間界でも結構有名だって聞いたんだけど知らないかなあ? 地獄の大総裁オセの最後の切り札は。すべてを支配する王冠」

 言われてみれば――その輪っかはちょうど結婚式なんかでアタマに乗せる月桂樹の冠のようになっていた。ヤツはそいつを頭の上にポンと乗せた。

「似合いますか?」

 ――同時に。白い光の柱が立ちあがりオセの全身を包む。

 その光は赤、青、黄色……七色に変化した後、弾け飛ぶように拡散した。

「お待たせしました!」

「な――!?」

 ヤツの姿が変化していた。

 全身を包むのはレースが散りばめられた純白のドレス。大きく開いた肩にマーメイドラインのスカート。地獄ではこういうものをなんというのか知らないが俺の目にはウエディングドレスのように見える。

 そしてドレスに隠されていない地肌の部分には短くさらさらとした白い体毛が生えていた。アタマには大きな猫の耳。ピンと張った三本のヒゲ。大きくてまるまるっちい猫の手。ようするに半獣半人の姿になっていた。

「どうですか? 自分で言うのもなんですが美しいでしょう?」

 確かに――その姿には人間の『カタチ』に動物のもつ愛らしさや野性味、生命の力が内封されており、混ぜてはいけないものを混ぜてしまったような、そんな禁忌的な美しさに溢れていた。

 だが。俺がこの女に、沌のカタキにかける言葉はひとつ。

「美しくなんかない。殺す」

 ケルベロストライデントを構える。

「またまたぁ。素直になってくださいよ」

「二度と口を開くんじゃねええええええええええ!」

 ヤリを頭上に振りかぶって振り下ろす。

 ――だが。

「ほら。全然狙いがズレてるじゃないですか。本当は攻撃したくないんでしょう?」

「なんだと!?」

 ヤリはオセの足もとから一メートルも離れたところに振り下ろされていた。

「これが『ハピ・ワタタビ・ブライダル』です。全ての敵意、悪意、害心、攻撃は私には届かない」

「く、クソがあああああああ!」

 俺は両腕に渾身の魔力をこめてなんどもなんどもケルベロストライデントを振り回した。

 しかし。そいつは空を切るばかり。

「クソッ! クソッ! 沌のカタキ!」

 やがて。全身から力が抜けていく。

 俺はとうとうトライデントを握る力すら失い、ガクっと膝をついた。

「ちくしょおおおおおおおおおおおおおお! 無力! 無力! 無力! 無力! 無力! 無力! 無力! 無力! 無力! 無力! 無力! 無力!」

 そんな俺に対して。オセは。

「よく頑張りましたね」

 としゃがみこみながら頭を撫でた。

「もう楽にしてあげます。レム・ワタタビ・アスリープで眠らせたあと、ジオ・ワタタビ・オランテをたっぷり。これでなにも考えなくてもいいようになるよ」

 俺の目から大量の涙が溢れ出る。

 それが悲しみや怒りの涙ではなく『これで苦しみから逃れることができる』という安心の涙であることが俺はなにより悲しかった。

 しかし。

『おう。その通りだ。よく頑張ったよ本当に。珍しく貴様と意見があったな』

 ――――――――――――――――――――――――――!

 そのよく聞きなれた声。いや。心に直接語りかけてくるものは。

「グラ? おまえ……グラか?」

 犬の形をした悪魔が俺の隣に立っていた。屋根の下の広場を見下ろすと、いつのまにか大量の猫たちがノビて転がっている。

『すまんなあ。あの駄猫どもがけっこうしつこくて。でも間に合って良かった』

「お、お、お、お、おま……」

『どうした? 吾輩の顔になにかついてるか?』

 顔どころじゃない。体格こそそのままだが、全身がくすんだドドメ色な上、肌質もモフモフ感ゼロの岩のようなものに変化していた。

「どうしたんだよその体!」

『これか? 真の姿を取り戻す前の一時的なものだ。『サナギ』みたいなもんかな』

「なに!?」

 俺と同時にオセも驚きの声を上げた。

『驚くことではあるまい。おまえがその潜在能力を覚醒させてくれたからな。吾輩の魔力も当然戻る。そのために修行してきたんだろう。いや。本当によく頑張ってくれたよ。おまえと、それに沌もな』

 などと沌のほっぺたをぴしゃぴしゃと叩き――。

『えーっと。まずは。よいしょっと』

 グラは大きくジャンプすると、なにもない空間に嚙み付いた。そして。

『ホラ。沌の魂を元の体に戻しておいたぞ。これで生き返るだろ。いやーもうちょっと遅かったら手遅れになるところだった』

 すると。沌がわずかにうめき声をあげた。

「と、沌―――――――!」

 俺は彼女のもとに駆け、その体を抱きしめた。

『よし。魂が安定するまでそうやって抱きしめておいてくれ。ヤツのことは吾輩に任せろ』

 グラがオセの方を振り返り、「ワン!」とひとつ吠えた。

 オセは小さく舌打ち。

「フン! 今さら出て来ても遅い! もうハピ・ワタタビ・ブライダルは完成した。わたしに危害を加えることはできないナ!」

『へえ。そうなのかなんでだ?』

「なんでって――ハッ――!」

『苦くてマズいなあコレ。親父さんのハニートーストや沌のケーキとは比べものにもならん。ペディグリーチャムのほうがいくらかマシだ』

 そうホザいたグラの口には、オセの頭の置かれていたはずの冠が咥えられていた。

(――全く見えなかった!)

『所詮、危害を加えるコトができないだけだからな。吾輩はまだキサマのカラダに指一本触れておらんぞ』

 オセはニャアアアア! と叫びながら地団駄を踏んだ。

『くだらない術だ。こんな致命的な弱点に気づかないオマエにもがっかりだよ。ロクな戦闘経験もないお嬢ちゃまに過ぎないということを露呈してしまっている』

「黙れ! それでもキサマに勝ち目はないナ!」

 顔面に怒りを浮かべ、グラに向かって突進する。

『そりゃあまた不思議なことを、なぜそう思うんだ?』

「キサマはまだ魔力を取り戻してはいない! 『サナギ』のウチに殺してやるナアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

(それは違う! グラのさっきのあのスピード! ヤツはその本当の力を――)

『甘い! 甘すぎる!』

 グラは突進をジャンプして簡単にかわすと、オーバーヘッドキックをオセの首筋にヒットさせた。

「なにゃあああぁぁぁーーーー!?」

 オセの体は屋根から滑り落ち、空き地に落下した。

『さて、いよいよクライマックスだ。よおく見てろよ! タカユキ!』

 グラは屋根の端まで凄まじいスピードで駆け、そして飛んだ!

「グラーーーー!」

 空中でその姿が変化してゆく。岩のような体は光とともにはじけ飛び『中身』が出てくる。そいつは完全に世界の法則を無視したとてつもない大きさの物体であった。

(これがヤツの真の姿――!)

 そいつは一言で言うと『もふもふの権化』であった。ふわふわもふもふした毛がびっしりと生えた巨大な球、それにタヌキみたいにまんまるい耳、ツンと長い鼻と口、それにつぶらな目んたまがついている。

(か、かわええ)

 そいつはグングンと高度を上げ一旦停止。

 そして凄まじい突風を発生させながら落下した。

「ギナアアアア! こんな所でわたしが! わたしのワタタビ天国がああああ!」

 巨大な物体はオセを――というよりは空き地全体を押しつぶした。

 ズシーンという凄まじい衝撃と震動。

『グワッハッハッハ! どうだ。恐ろしかろう。吾輩の真の姿』

 空き地全体を埋め尽くす巨大な毛玉が、体格に見合った恐ろしく野太い声でそのようにホザいた。

「いや! かわいいわ! めっちゃかわいい! 異常なくらいデカかわいい!」

 スマートホンの連写機能でグラの姿を連続激写しアリサちゃんに提供した。この画像を添付したつぶやきはアリサちゃん念願の一〇〇〇〇いいねを突破し、俺の中間試験の点数に十点が加算された。

『そうか? 地獄では恐ろしいと評判なのだが』

 ――そして。

 透明なシャムネコが光の柱とともに天に昇っていくのが見えた。

 恐らくオセの魂のようなものだろう。

 彼女はこちらを見下ろしながら悔しそうに中指を立てていた。

「ブレねえなあ……」

 思わず溜息をつく。すると。

「タカちゃん……」

 俺の腕の中、小さな声が聞こえた。

「おお! 沌! 沌! 沌! 大丈夫なのか!?」

「うん……大丈夫なんだけど……」

「ど、どうした」

 いつのまにか傷口もふさがっている。恐るべきはグラの真の力。

「ずっとムネさわってる……」

「ゲッ!」

 俺は慌てて手を離した。

「えっち……」

「バカ野郎! 誰がおまえのなんか……なんか……」

 その瞬間。俺の涙腺が決壊した。ボロボロとありえない量の熱い涙が溢れる。

「ごめん……泣かなくても……。そんなに触りたいなら触ってもいいよ……?」

「違うよバカ! 俺はなあオマエが死んだと思ってたんだぞ!」

「そうなの? かわいそう」

 沌が俺のアタマをよしよしと撫でる。

『おい。いちゃいちゃしている場合ではないぞ。早く家に戻ろう。奴ら苦戦しているかもしれん』

 と巨大毛玉の野太い声。

「そうだな! 急いで――あ……」

「やばい」


「なんだあ!? この物体!」

「なんかカワイイ!」

「テレビの撮影?」

「分かった! ウルトラマンの新作だ!」

「リアルだなー」


 いつのまにか巨大な毛玉の周囲を大量の見物客が囲んでいた。

「グラ! 早く小さくなれ!」

『ど、どうやって……?』

「なんかうまいこと工夫しろ!」


 ――散乱したタマネギは買い取った上、オニオングラタンスープにして美味しく頂きました。

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