第14話 夏休みのアバンチュール
七月十日。今日から我が万城目高校は夏休み。長期休みが長いのは私立高校のよいところである。とはいえ。
『では次は五つ同時です』
「お、おう……」
黒魔術師の朝は早い。本日も庭先に魔獣アモン(チワワのメス)を迎えて修行を行う。
アモンちゃんが展開した透明なドームの中で、次々と放たれる火球をかわし続けるというタフでハードな訓練だ。
「うわっち!」
放たれた火球はドームの内部で乱反射してしっちゃかめっちゃかに動きまわる。
「うわっち! うわっち! ぎやああああ! 先生をママと呼んだことー!」
しかも当たると幼少期のトラウマを掘り起こされるのでイヤになる。
『そろそろ慣れてこられましたか? ではもう十個追加致します』
アモンちゃんはぬいぐるみみたいに可愛いクセに鬼ドリルのように厳しいのだ。
「よっしゃ……来やがれ……!」
それでも近頃は大分慣れてきてかなり避けられるようになってきた。
「そうりゃあ!」
しかし目的は精神に負荷をかけて魔力を高めることなので避けてしまってはイミがないのではないか。まあ黙っておこう。
――時間はあっという間に過ぎて。
『――おっと。もうよい時間ですね。本日は以上としましょう。お疲れ様でした』
「よっしゃー! ……ん?」
いつものように修行の終了の宣言と共にドーム内の火球を消し、しかるのちにドームの展開を解除する。のだが。
「危ない!」
アモンちゃんは火球をひとつ消し忘れたまま、ドームの展開を解除してしまった。
その消し忘れた火球がアモンちゃんに向かって飛んでゆく。
俺は身を挺して彼女を守った。
「ギャオオオオオオ! 検便の容器を教室でぶちまけたことーーーーー!」
顔面に直撃した火球は俺の最大のトラウマを引き出した。
『タ、タカユキ様――!』
「ハァハァ……散乱した便は……あとでスタッフがおいしく頂きました……」
錯乱してわけのわからないことを口走ってしまう。少し泣きそう。
『も、申し訳御座いません! 私の不始末で……!』
「……いいんだよ。一発くらいふえたところでどうってことねえ。アモンちゃんは大丈夫だったか?」
『もちろんです! ありがとうございました……その……』
アモンちゃんはモジモジと尻尾を振りながら。
『タカユキさんはその……大変男らしくて且つ優しい方なのですね』
「なんだ。いまごろ気づいたのか?」
『いえ以前からそう思っていました』
「だろう?」
そう言って頭を撫でてやる。すると。アモンちゃんがまた尻尾をモジモジさせながら言った。
『痛かったでしょう? ほっぺた。私がその……ペロペロして差し上げます』
そう言って彼女はほっぺたをザラザラした舌で優しく舐めてくれる。
――俺はギャルゲーの鈍感主人公ではないので気づいた。
この瞬間、アモンちゃんは俺のことがちょっと好きになった。嬉しくなくはないのだが。
(初めて惚れられた相手がメスのチワワのしかも悪魔とは)
――まあいいか。
「そうだ。もうすぐ朝飯だからアモンちゃんも食っていくか?」
『よろしいのでしょうか……私などが』
「ああもちろん。じゃあドッグフード取ってくらあ」
部屋に戻ると。相も変わらずグラのバカポメラニアンが、我が家の番犬・ゴールデンレトリバーのミシャンドラを追いかけまわしていた。
「おいグラ。何べんも言ってるだろう。ミシャンドラをいじめるなよ」
こいつとの関係は以前と全く変わっておらず、とにかく仲が悪い。でも沌や母親に言わせると最近急激に仲良くなっていると見えるらしい。けだしフシアナである。
「いじめてなどいないぞ。フザけているだけだ。なあミシャンドラ殿」
「くぅん」
「ホラ。ミシャンドラ殿も『その通りだ。グラ氏とふざけるのは非常によい発散になる』と言っているであろう」
いや。いまのは明らかに「そうではない」と言いたげな声だった。
それにこのおとなしいミシャンドラがそんな口調なわけがない。……たぶんだけど。
「あんまりイジめると甘いものヌキだぞ」
『ギャンギャン!』
ミシャンドラはその泣き声に驚き、デカイ図体を俺の後ろに隠した。
「情けない! おまえのそういう態度もダメなんだぞ。もっと舐められないようにしろ」
ミシャンドラはせつなそうにわおんと吠えるのみ。
「わかった。久しぶりにアレをやろう。おまえの力を見せてやれ!」
俺は三箱のドッグフードと皿を持ってアモンちゃんの待つ庭に出た。
グラとミシャンドラもそれについてくる。
赤いパッケージ、青いパッケージ、黄色いパッケージのドッグフードをそれぞれ芝生の上に並べた。
『なぜ三箱もあるのだ?』
「まあ見てなって」
ミシャンドラの目に薄い布を巻き付けて目隠しをする。
グラとアモンは怪訝な表情。
俺はドッグフードのひとつ、青いパッケージのものを皿によそった。
「さあミシャンドラ。こいつを嗅いでみろ。いいか。まだ食べるなよ嗅ぐだけだぞ」
ミシャンドラは素直に従い、くんくんと匂いを嗅いだ。
「よし。覚えたな? それじゃあ目隠しを取るぞ」
目隠しを取りつつ、俺は餌の入った皿を後ろ手に隠した。
「おまえが今匂いを嗅いだのはどれだ?」
とみっつならんだドッグフードを指さした。
ミシャンドラはワンとひとなきすると青いパッケージのドッグフードに向かって走り、そいつを口に咥えた。
「正解! どうだおまえら! これがミシャンドラの必殺技「パーフェクト・スメル・ジャッジメント」だ! こいつを見たらもうミシャンドラをバカにするんじゃねえぞ!」
ドヤっと腰に手を当てる俺とキョトンとした表情の魔獣二匹。
――そこに。
「とん……とん……」
「おお。沌」
いつのまにか沌が庭先に現れていた。
「あれ?」
彼女の姿をマジマジと見る。
「おまえ最近、なんつーか変わったな」
顕著なのがその服装。いつも上下真っ黒なスウェットを着ていた沌が、桃色のノースリーブシャツに黒のミニスカート、ニーソックスなどという格好をしている。
「なにが?」
キョトンと首をかしげる。前髪も斜めにカットされており、片方の目がはっきりと見えていた。隠しさえしなければその瞳はパッチリと大きく、キラキラとした光にあふれ、大変かわいらしいと言える。
「そらおまえ髪型とか服装とかさ」
「なんかこういう格好の方が落ち着くようになった」
『うーむ。シトリーの影響がまだ残っているのかもしれない』
とグラは分析する。
「へんかな」
「そんなことはない――けど」
スカートが大分短いような気がしないこともない。ちょっと目のやり場に困る。しかし。せっかく目覚めたおしゃれに水を差す必要もあるまい。
「いやよく似合うと思うぞ」
すると沌は一ミリだけ口角を上げてみせた。
それだけでいつもの完全な無表情とは随分印象が違う。
「え、えーっと。朝ごはんはもう食べたのか?」
「たべたよ」
「じゃあちょっと待っててくれ。犬どもの朝飯終わったら散歩行こう」
「うん」
いつのまにか俺、沌、グラ、ミシャンドラというメンバーで朝の散歩に行くのが日課となっていた。ミシャンドラと二人よりも随分と賑やかで、まあ楽しいっちゃ楽しい。
『いいから早くメシをよそらんか』
「わーったわーった」
皿にドッグフードを盛ってやると、三匹は猛全と食べ始めた。
俺と沌はそいつを縁側に座って見守る。
しばらくして、沌は無言のまま俺の肩をとんとんと叩いた。
「そのクセは変わらねえな」
そしていつものようにふわふわしたつかみどころのないことをつぶやく。
「いいよね」
「なにが?」
「最近のこの朝の時間」
「そ、そうかよくわからんがお気に召してくれてなによりだ」
「うん。好き」
そういうとまた一ミリだけ口角を上げて俺をまっすぐに見つめる。
なんとなく目をそらしてしまった。
いつも通り三十分ほどの散歩を終えて帰宅。
沌と別れて家の門をくぐった。
『ううむ。実にイイカンジだな』
玄関の扉をくぐるや、グラがワフワフと楽しそうに吠えた。
「ん?なにが」
『おまえと沌がだよ』
このこの! とでも言いたげに俺のくるぶしあたりを前足で叩いた。
「は、はあ!? なに言ってんだ?」
『だがお前が積極的にならなくてはこれ以上は進展せぬ。今度は朝の散歩のときに手でも握ってみたらどうだ』
「バカ野郎。沌とはそういうんじゃねえよ。全然好きなタイプと違うし」
『なんだおまえもそんな意識なのか。仕方がないな』
「お、おまえこそ。アイムちゃんとはどうなってるんだ? このリア獣め」
『アイム? あれはただの友人であろう』
まあ……お互いの気持ちはともかく生き物として種類が違うか……。それに大きさも。
その辺りあまり深く考えると悲しくなるからやめよう。
「それはいいとして。今日は昼ぐらいからちょっと出かけてくるからな」
ミシャンドラのリードを取り外しながら、グラにそのように告げる。
「吾輩も一緒に行くぞ」
おっとこれは予想外の反応だ。
「だ、ダメだ! えーっと。その。犬が入れない所に行くんだ」
『それはどこだ?』
「えーっと。と、図書館とか?」
『おまえが図書館? ありえないウソをつくな』
「とにかく! おまえはついて来ちゃダメだからな! 家でおとなしくしてろ」
グラは不満そうに床にのびーっとうつ伏せになった。
『ちっ仕方がない。父上の仕事の邪魔でもして遊ぶか』
アイムちゃんに聞いた所によると、来週の七月二十日はグラの誕生日に当たるらしい。
大変スルーしたいのだが、意外と細かい性格のあの駄犬のこと。文句を言われる可能性もある。従っていやいやながら仕方がなく不承不承に準備をすることにする。
「いらっしゃいませー」
というわけで俺は例のネコがいっぱいいるハンバーガーショップ『ゴメスバーガー』にやってきた。
……流石にいい機会だからハンバーガーを食わせて暗殺してやろう。というわけではない。
「えーっと持ち帰りでこのハッピネスセット。おもちゃは『A』。飲み物はコーラで」
「Aはお猿さんがドラム叩きながらラッパ吹く奴になりますがよろしいですか?」
「よろしいです! 恥ずかしいからあんま大きな声で言わないでくれ!」
目的は無論オモチャである。こいつをあのうんこドッグくんにくれてやろうというわけだ。まァどんな反応をするか楽しみではある。
袋からハンバーガーを取り出しパクつきながら家路につく。
(あとは奴の好きな甘いものでも。隣街の洋菓子店で犬用ケーキを注文して――ん??)
ゴメスバーガー横の空き地、通称ゴメス庭園に目を向ける。いつも通りネコが会議室に利用しているようだが――。
(今日はやけに出席者が多いな)
空き地を埋め尽くさんばかりにうじゃうじゃと密集していた。みゃーみゃーというはなし声が耳にけたたましい。
「今日なんかイベントでもあんの――ん? あああ!?」
会議室の真ん中に大変なものを発見した。
人間――セーラー服を着た女の子が仰向けに寝っ転がって猫に埋もれている。
「ど、どりゃあああ!」
俺は両腕を広げてグルングルン回転、いわゆるダブルラリアットで猫たちの群れに突進していった。
ナーーーーーーーー! という悲鳴を上げて猫たちは逃げ去っていく。
「ハアハア……! 大丈夫かアンタ!」
女の子が上体を起こし、仰天した顔で俺をみた。
(うっ……!)
その瞬間。俺のカラダに電流が走る。
猫を思わせるアーモンド形のツリ目、丸みを帯びた小さい顔、サラサラと揺れる栗色のロングヘア―。華奢だが出る所の出たバツグンのスタイル。どれを取ってもどストライク。まさに俺の好みを具現化したような女の子であった。
「えーっと……大丈夫か? 猫に襲われてたみたいだけど」
彼女は俺の言葉を受けて、
「そういうわけではなかったんですけど。ありがとうございます」
にっこりと微笑んだ。天使のような小悪魔のような。そんな笑顔だった。
空き地に置かれたベンチに腰掛け、ポテトを食べながらさきほどの女の子と会話をかわす。あたりにはまだたくさんの猫たちがうろちょろしていた。
「ごめんなさいね心配をおかけしちゃって」
「それはいいんだけど。なにしてたの?」
「あのですね。私ネコが死ぬほど好きで。ここの空き地見たらテンションが上がりすぎちゃいまして……」
「それで真ん中に寝てたの……?」
「はい!」
と眩しいばかりの笑顔。
(いい……こういうちょっと変わり者な感じも……アニメから出てきたみたいだ……)
「でも確かに。あのまま寝てたら危なかったかもしれませんね。ありがとうございます! 助けて頂いて!」
そういって微笑み、握手の手を差し伸べてくる。
少々戸惑いながらもその手を握り返す。柔らかい感触とあたたかな体温が伝わった。
「この辺には越して来たばっかりなのか?」
「なんでそう思うんです?」
「地元の奴なら大抵この空き地のことは知ってるからな」
「なるほど。正解です。つい昨日越して来たばっかりなんです」
やっぱり……こんなかわいい子が町内にいて今まで目に入らないわけがない。
「イヌナシナナ。高校一年生です」
「イヌナシ?? どんな漢字書くの?」
「小猫が遊ぶと書いて『小猫遊奈々』って読むんです。はは。わかりませんよね」
そういえば『小鳥遊』と書いて『たかなし』と読む苗字があるがそれと同じようなものか。しかしグラが聞いたら怒りそうな苗字である。
「えーっと。俺は平凡極まりなくてすまんが渡辺貴之。同じく高一」
「同い年ですか! 嬉しいな。よかったら仲良くしてください」
親しみの籠った視線を俺に送ってくる。
(なんじゃこりゃオイ……可憐かよコレおまえ……)
「えっ!? うんまあ別にいいけど……」
俺はあまりに眩しい笑顔を直視できず、顔をそらして空をみつめた。
彼女はそんな俺の様子を見てニコっと笑うと、
「ではまた」
髪をフワっとなびかせて踵を返す。彼女の髪からは檸檬のような甘酸っぱい匂いがした。
俺はその日。犬用ケーキを買うのを忘れて帰ってしまった。
「ただいま」
『ん? なんだおまえ。猫の匂いがするぞ』
しかしどうも相当な猫臭をただよわせていたらしく、グラだけでなくミシャンドラにまで避けられてしまった。少しばかりショックである。
その翌日。夕方ぐらい。
昨日買いそびれた二五〇〇円もする犬用ケーキを洋菓子店で注文、整理券をもらった。いつでも取りに来ていいらしいので、当日の朝にでも取りにくればよかろう。
ついでに買ったソフトクリームを食べ歩きしつつ、ちょっと寄り道をして帰った。
場所は……。まあ言わなくてもわかるであろう。
(あの子……またいたりしないかな……)
俺はそわそわとした童貞特有のステップでゴメスバーガー正面の道を――
「って! なんじゃこりゃあ!」
俺のお目当ての女の子は。埋まっていた。
大量の猫がうじゃうじゃ全身にまとわりついて顔だけしか見えない状態となっている。
「あのーワタナベさーん。すいませんまた助けて頂けると」
「うおおおおお!」
俺は再びダブルラリアットで猫どもに突進していった。
「だ、だいじょうぶですか? 血が……」
そう言ってハンカチで額についた血を拭ってくれる。
さきほど猫の爪が引っかかって切れてしまったようだ。
「つっ……まあ大したことないよ。ありがとう。ハンカチ。洗って返すな」
俺は血のついたハンカチをポケットに入れた。
「いえ! そんな! わざわざ大丈夫ですよ!」
「いやそういうわけに――ん?」
「どうしたんですか?」
「ブラウスの……胸の辺り……」
「ああああーーーっ!」
猫の爪がひっかかったらしくザックリと切り傷が入っている。
結果としてその下にあるモノがはっきりと見えた。
(赤……)
「そんなじっくりみないで下さい!」
「す、すまん!」
彼女は鞄から薄手のピンクカーディガンを取り出してそれを羽織った。
「ううううう……」
唸り声をあげながら恨めし気に俺を見つめる。
「あ、いや本当にすまん……なんて言ったらいいか……」
「なーんてね!」
――と思ったら。いきなりカラっと明るい笑顔で俺の肩をポーンと叩いてみせた。
「私こういうの気にしない人なんです」
思わずホーーーっと溜息をつく。
「多少は気にしたほうがいいかもしれないけど、な」
「わざとだったらさすがに怒るかもしれないですけどね。でも意外とワザとだったりする?」
思いっきり顔を近づけてこちらを覗き込んでくる。それから。
「ん?」
犬みたいにクンクンと鼻を鳴らして俺の匂いを嗅いでくる。
「ど、どうしたの?」
「ワタナベさん。なんか甘い匂いがします」
「よくわかるな。たぶん原因はコレ」
カバンから先ほど入手した犬用ケーキの整理券を取り出した。
「これ買いに洋菓子店行って、ついでにソフトクリームとか食べてたからな」
「へー! 犬用誕生日ケーキ! ワンちゃん飼ってるんだ~。どんなケーキなんですか?」
「こういうヤツ」
スマホで洋菓子店のサイトにアクセスしてサンプル画像を見せた。
「かわいい! ポメラニアンのチョコレートケーキ! 飼われてるのもやっぱりポメちゃんなんですか?」
「ああ」
正確にはポメラニアンにクリソツな魔犬グラシオ・ラボラスだが。
「ワンちゃんのこと。すっごく可愛がってるんですね!」
「そんなことねえし」
「えっ? まさかのツンデレ?」
「ただ誕生日なんもしねえとうるさいだろうから仕方なくやってるだけだし」
「イヌ科イヌ属ポメラニアンが誕生日祝わないと文句言うの? へえ~」
満面の笑顔で俺をじっとみつめる。
「お、俺は動物の言葉がわかるんだよ」
「へー。平成のドリトル先生だ。じゃああのさっきからミャーミャー鳴いてる猫ちゃんはなんて言ってるんですか?」
「えーっと……『魚食いてえ!』」
「キャハハハハハ!」
彼女は両手をパンパンと叩きながら涙を流さんばかりに笑った。
俺はギャルゲーの鈍感主人公ではないので分かる。本日間違いなく好感度が上がった。グラの野郎に少しだけ感謝だ。
――それからしばらくの間。俺は用もないのにゴメスバーガーに足を向けるのが日課となっていた。毎日ってわけでもないが結構な確率で彼女はそこにいた。そして。
「うおおお!」
猫に埋もれている彼女を俺がダブルラリアットで助けるまでが日課となっていた。
「もうとにかくダメなんです私。猫を見ると我を忘れちゃって」
この日も俺に助けられ、顔を真っ赤にする小猫遊さん。俺は呆れ1に可愛い9ぐらいの感情を抱いた。
「そ、そんなに猫が好きならさ。この近くにいい場所があるよ」
「どこですか」
「大森ふ頭公園って言ってな。野生のネコが山ほどいる公園があるんだ。ここからチャリで行けるぐらいの距離に」
「ええええー!」
小猫遊さんは目をキラキラと輝かせて満面の笑み。
「行くしか! ない!」
などと両手の拳を握りしめる。こんな子供っぽい仕草もまた大変に好ましい。
「ああ。是非行ってみてくれ。いろいろ遊ぶところあるしな。テニスコートとかドッグランとか」
俺がそういうと彼女はしばらく沈黙したのち、
「あの……」
急に眉をひそめておずおずとした口調で話しかけてくる。
「タカユキさんもネコはお好きですか?」
「ん? ああ。飼ってるのは犬だけど」
「それでしたら。その……一緒に……」
俺は目の前に柔らかいピンク色の光が広がるような錯覚を覚えた。
「い、いいよ」
「やった!」
小猫遊さんは無邪気に歯を見せながら、ピースサインを出してみせた。
「よろしかったらワンちゃんも一緒に。ドッグランもあるんでしょう?」
「うん……」
しかしこんなことってあるもんなのか?
これ本当に俺の人生か?
帰宅。リビングではグラがミシャンドラの背中に気持ちよさそうに寝そべっていた。
ミシャンドラは人生を諦めきったような顔でノソノソと歩き回っている。とはいえ本当は楽しんでいるのだろうか? そればっかりは分からない。
『おお。遅かったな』
とグラが背中に乗りながらにして俺を出迎える。
「あの。グラよ。ちょっと相談したいことがあってな。部屋に来てくれ」
『いいぞ』
無駄にトンボをきって床に着地した。ミシャンドラは心底ほっとした顔を見せる。
「そんなわけで、女の子とデートすることになってな」
かくかくしかじかと事情を語る。
「めちゃくちゃ可愛い子でさ。ちょっと現実とは思えないんだけど。どうも本当に起きたことみたいなんだ」
『むう……』
「ドッグランに行くって約束しちゃったからさ。おまえについて来て欲しいんだが……。あの弱気なミシャンドラにはさすがにハードルが高い」
『そんなネコがいっぱいいる公園になど行きたくないが……それ以前に』
グラは二本足で立って腕、いや前足を組んでいる。
『いいのか? 沌がいるのに』
「と、沌は関係ないだろ!」
『貴様というヤツは――いや待てよ。逆に考えるんだ。全然進展しないこいつらに対するいいカンフル剤になるかもしれん。そうなるとこの件をなんとか沌に伝えて――』
「なにをブツブツ言ってるんだ?」
『しゃべるのは無理でも文字ならなんとかなるかもしれん。……うむ。こうしてはいられん』
ひとしきりブツブツ呟いたのち、見事なジャンプでドアノブにしがみつきドアを開く。
「あ、おい! どうするんだよ!」
『一緒に行ってやる』
グラはワンキャン吠えながら部屋を出ていった。
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