第8話 紺野沌の憂鬱

「よっしゃ。部活行くかー。沌、ちょっと飲みもん買ってから行こうぜ」

「………………うん」

 沌は極めて低いテンションでそのように答える。

「大丈夫か沌。最近あんまり元気がないような」

「元気はいつもない」

「まあそっか。じゃあ行こうぜ」

 ――俺は沌の変化を感知していながらあまり気にも止めなかった。

 そのことをいまでもたまに後悔することがある。

「うん……行く」

「ワン!」

「あっ待ちなさいよ! なんでわたくしを置いていくんですの!」

「だって部員じゃないし」


 活動はいつものように黒魔術部部室で行う。

 外は梅雨らしいざんざんぶりの雨。雨の音を聞きながら真っ暗な部屋で過ごすのにはある種の贅沢感があった。

『よし。じゃあ今日は『アイム』を召喚してみろ』

「おう」

「やめなさいって言ってますのに……」

 本日はアモンちゃんによるスパルタ特訓は雨天中止として、召喚魔術の練習に当てることとした。ガープの召喚には当然魔力だけでなく、高い召喚技術も必要となるからだ。

「われは、汝、聖霊【アイム】を呼び起こさん。至高の名にかけて、われ汝に命ず。あらゆるものの造り主、その下にあらゆる生がひざまずくかたの名にかけて、万物の主の威光にかけて! いと高きかたのに姿によって産まれし、わが命に応じよ。神によって生まれ、神の意思をなすわが命に従い現れよ。アドニー、エル、エルオーヒム。エーヘイエー、イーヘイエー、アーシャアー、エーヘイエー、ツアパオト、エルオーン、テトラグラマトン、シャダイ、いと高き、万能の主にかけて、汝、【アイム】よ、しかるべき姿で、いかなる悪臭も音響もなく、すみやかに現れよ!」

 本日も見事に成功。黄色い煙の中から現れたのは。

『ナアァァゴ! ん? あっ! もしかして! グラくん! グラくんなんでしょ!?』

「これまたかわいいですわねぇ……」

 現れたのは毛並みのキレイな虎柄の猫ちゃんであった。但し非常にでっかい。猫というよりは虎のような体躯で、グラとの比較でいえば軽く十倍はある。家猫の中でもっとも大きい部類であるメインクーンという種類のものに近い。

『あいたかったにゃー! やだー! ほんとに可愛くなっちゃって!』

 二本足で立ってグラに抱きつく。あまりの体格差に流石のグラもグラついていた。

『ナベちゃんたちにグラくんに会ったって聞いてたからさー。わたしも早く呼んでくれないかなーって思ってたのに、遅いんだからぁ』

 この脳に響いてくる声の感じからさっするにどうやらこの子は雌らしい。

「猫嫌いのおまえにこんな友達がいたとはな」

『彼女は特別だよ。なにせソロモン王に召喚されたとき以来の知り合いで、いわば幼馴染みだからな』

『へへへ。嬉しいにゃ』

 アイムは全体重をグラにかけてゆく。

「だ、抱きつくならせめて自分が持ち上げる感じにしたらどうだ?」

 とアドバイスをしてやると、それに素直に従いつつこちらに視線をくれた。

『あ、この子がグラくんを召喚しちゃった人間さん? わたしアイムですーよろしくー』

 実に人のよさそうな――じゃなくて猫のよさそうな笑顔である。

「おお。渡辺貴之だ。グラとは随分仲良しらしいな」

『うん! 昔から猫型の悪魔とは気が合わなくて犬とばっかりつるんでるの。まあもちろんその中でもグラちゃんが一番だけどね♪』

(この恋する乙女のような顔! グラの野郎リア獣だったのか……)

 お互いに一通り自己紹介をしていたら――

「むん!」

 沌が突然立ち上がり、

「こんどは私もやる!」

 と珍しく声を張った。一瞬なんのことかとキョトンとしたが。

「ああ。召喚術をか? やってみれば?」

 沌はメダル状の『印章』を取り出すと、

『エロイムエッサイム。エロイムエッサイム。我は求め訴えたり。われは、汝、聖霊【アスタロト】を呼び起こさん――』

「お、おい。いくらなんでもいきなりそんな高位の悪魔は――!」

『や、やめろ! 取り殺されるぞ!』

 俺とグラが同時に声を上げる。

『汝、【アスタロト】よ、しかるべき姿で、いかなる悪臭も音響もなくすみやかに現れよ!』

 思わず目を閉じる。だが。

「あ、危ねえ……」

 魔三角陣の上にはなにもいなかった。俺はホッと息をつき、

「失敗して良かったなあ……まあちょっと今のは詠唱が早すぎたんじゃないか。そんなに慌てなくても――」

 などと言いながら沌のアタマに手を乗せる。が。

「んんんんーーー!」

 珍しく感情を露わにして俺の手を払った。

「ど、どうしたの?」

「帰る!」

 そしてカバンを持って部室を出て行ってしまう。

「おい待て――」

 立ち上がり追い駆けようとするが、

「……なんだよ」

 セイヤが俺の手首を掴んでそれを制止する。

「やめときなさいって」

「なんでだ――痛って!」

 突然腕に痛みが走った。どうやら沌が藁人形をちくちくやっているらしい。確かに追い駆けていくと呪い殺されそうではある。俺は床にドカっと腰を下ろした。

「どうしたってんだあいつ……」

 するとセイヤが俺の真ん前に座りじっと目を見てくる。

「まあアナタみたいな朴念仁には女の子の気持ちなんかわかるわけないけど――」

 言葉は悪いながらも穏やかな口調で俺を諭す。

「あなたに黒魔術を教えたのはあの子なんでしょう?」

「ああ。幼稚園の頃に」

「だったら。ここまで先を越されたら誰だってヘコみますわ。あなたは毎日のようにガンガン悪魔を召喚しまくってるけど、あの子はまだ成功したことないんでしょ?」

 ――なるほど。

「いい? 今日はとりあえずほおっておいて明日フォローするのよ。それからあんまりあの子の前で悪魔を召喚するのは避けること!」

 俺にビシっと指を突き立てる。

「その上であの子も召喚ができるように教えてあげればいいんじゃないかしら? コツみたいなものがあるのか知らないけど」

「コツかあ……」

『そうは言ってもな。結局ものを言うのは魔力があるかないかであろう。あるとしたら魔力を高める方法だが、元々の器が無ければどうにもならん。沌は知識豊富で、呪術を使いこなしたり器用ではあるが、魔力の器自体は並以下だぞ』

「そうなのか……それは難儀だな……」

「グラくんはなんて?」

 セイヤにもグラのセリフを通訳してやった。彼女は心の底から辛そうに「そうなの……」と相槌を打った。

「とにかく。一晩考えて、俺なりにフォローしてみるよ」

「うん……わたくしにできることがあれば言って頂戴」

「ありがとう。前から思ってたけど、セイヤっていい奴だよな」

 するとセイヤは、少女マンガなら『ぼん☆』と効果音が鳴りそうな勢いで顔を真っ赤に染めた。

「な、なに言ってるの! そんなこと言われても全然嬉しくないし! それはなぜならあんたなんか大嫌いだから!」

「そうなの? なんで?」

「あんたが悪魔なんか召喚して遊んでるヤツだからよ!」

「俺は天使とか召喚しててもおまえのこと結構好きだけどな」

 するとセイヤはまた「邪! 邪! 邪! 邪! 邪! 邪! 邪! 邪! 邪!」と叫んだ。これのモトネタはなんなのだろうか。NHKのドラマ?

「この諫言を吐く悪魔め! 祝されたるマグネトライトロンの名の元に我強くして。光に満てる御身ガブリエルを召喚せん。これ御身の真の姿を授けたまいし神聖なる神の御意なれば目に見える姿にて。我現れ不義の知の求めによりて神の慈悲を超えることなく。あたう限りにおいて。我が求めに答えたもう! アレサロン・オサ・クデグラ・バンバンビガロ・ロス・インゴ・ベルナブレス・デ・ハ・ポン!」

「――ちゅんちゅん!」

 召喚されたうぐいすは二・三発俺のほぺたをつつくと部室から飛び去っていった。

「あー! ガブリエル様!」

 セイヤもそれを追いかける。

『なるほどなるほど。タカユキもなかなか隅におけんな。しかしなんたる鈍感なヤツ。人間というのは愚かなものだな』

『ねえ……。それどの口が言ってるのかにゃー?』

 アイムちゃんはグラのほっぺたをひっつかみ思い切り引っ張る。

 俺はその面白い顔を写真に納めた。アリサちゃんのSNSにアップされたこのグラの顔は「BUSAIKUDOG」とか言われてガイジンにけっこうウケたらしい。

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