第7話 馴染み倒すグラシオ・ラボラス

『うおりゃあ! もうへばったっスか! あと五十本!』

 幼少期より引きこもりの兆候を見せ、以降十五年間インドア派の道を愚直にひた走り続けてきたこの俺。そんな『体育会系』とは対極に位置する存在に、どういうわけか最近『朝練』をする習慣ができてしまった。

「いってえ!」

『痛くない! 根性があればなにも痛くない!』

 修行内容は、口に禍々しい魔剣を咥えたコーギーの子犬とひたすらスパーリングをするというもの。場所は我が家の庭。

「喰らええええ!」

『甘すぎるッス!』

 俺のローキックは次々と空を切り、逆に魔剣の一撃を雨霰のようにブチ込まれる。

 ケガはまったくしないのだがなにせ凄まじく痛い。

 ――さらに。

「ぐあああああ! 婆ちゃん家の日本人形!」

 一撃ごとに俺の過去のトラウマが一つづつ蘇ってゆく。

「ぬおおおおお! ねないこだれだ!」

 なるほどこれは確かに『精神に負荷をかけ魔力を高める』という目的にはかなっている気はする。

「があああ! 検尿の容器を教室でブチまけたこと!」

そんなことで本当に大悪魔ガープを呼び出せるようになるのかはわからないが。

「ジャミラ! ダダ! ダンボの変な歌! メトロポリタンミュージアム! 国語の教科書の蛾の標本かなんか盗んじゃうヤツ! 親父とオカンのアレ!」

『よし! 今日はここまで!』

 地面にヒザをつき激しく息をつく。汗がボタボタと垂れて地面を濡らした。

 疲れと共に「俺は間違いなく頑張った。成長を成し遂げた」という充実感が全身を包む――が。

『ぜんぜんダメッスね! 一ミリも進歩してないッスわあ!』

「マジかよ……」

 こんなかわいい見た目でなんて辛辣なヤツだ。俺がケモナーでドMのホモだったらイチコロだったかもしれない。

『やっぱり一日一時間だけじゃ限界があるっすね! 自主練習もしてもらおっと!』

 ヤツはそういうと謎のワンワンした呪文を唱えた。すると。謎の物体が召喚される。

「なんだコレ! 気持ち悪……いや良く見ると可愛い……いや! やっぱりキモイな! キモい!」

 マルコシアスが呼び出してくれたのはどうやら『魔槍』。鉄製の巨大な三つ又の槍だった。いわゆるトライデントというヤツだろうか。三つに分かれた先端はそれぞれドーベルマンとブルドッグ、それからマルチーズのアタマの形をしていた。どうもそれぞれが生きているらしく、ぎゃわんぎゃわんと吠えまくる。やかましいことこの上ない。

『これは『ケルベロストライデント』! これを肌身離さず身に着けてくれッス! それだけで魔力がじわじわ伸びる優れものなので!』

「こんなデカいもん持ち歩けっての?」

『それからヒマを見つけて素振りしておいてくださいッス! 最初は一日一〇〇〇回くらいでいいッスから』

「数字って分かってる? 千って百の十倍だよ?」

『あっやばい! もう時間が! 早く送還して欲しいッス!』


 ――そんな感じでてんやわんやをする俺をヨソに、リビングに戻るとグラシオ・ラボラスが楽しそうに吠えていた。ゴールデンレトリバーのミシャンドラを執拗に追いかけまわし、でっかいケツを肉球でしばいて遊んでいる。

「おまえなぁ……誰のために俺が頑張ってると思ってるんだ……」

『ん? 自分のためであろう? 自分が魂を抜かれないためと、世界征服のため』

 ヘッヘッヘ! と息をつきながらこの言いぐさ。

「とにかく。部屋であんまり暴れるな。ホコリが立つから」

『フン。キサマの言うことなど聞くものか』

「母さんー。グラに部屋で暴れないように言ってくれよ」

「コラ! あばれちゃダメでしょ! ――よしいい子だ。ご褒美にお菓子をあげるからね。お座り! 待て! よし! おーいい子いい子。可愛いねぇ」

「ワン!」

 これでいいのか地獄の大総裁。――そこへ。

「とん……とん……」

「おお。沌どうした。今日は早いな」

 ドラクエの勇者ではないのだから、人の家に不法侵入をする場合はせめてチャイムを鳴らして欲しいものだ。

「ケーキ焼いてきたの。グラちゃんが甘いものがすきってきいたから」

 出た。沌の謎女子力。キャラに合わない謎の家事能力の高さも彼女の持ち味である。

『ワンワンワン!』

 グラは尻尾を振ってその場で一回転すると猛然と突進。沌が持っている紙袋にじゃれかかった。

「おいおい。犬にあんまり甘いものあげるとよくないぞ」

「だいじょぶ。そんなに甘くないもん。犬用ケーキのレシピ見てつくったから」

『よくやったぞ沌。さすが吾輩が見込んだ人間だ』

「見込んでいたのか?」

 グラが沌の頬をペロペロと舐め倒す。メイクをしているような普通の女の子だったら、ちょっとした惨事になっているところだ。

「ん? 待てよ! おい! あんまりやると魂抜けるんじゃ……!?」

 懸念した通り、沌のカラダから透明感のある像が浮かび上がる。

『おっとしまった』

 グラはジャンプ一番、沌の幽体を口に咥えカラダに戻した。

「だ、大丈夫か……」

「……なんか一瞬ものすごく気持ち良かった……タカちゃんわたしのカラダになんかした?」

「し、してねーよ! 妙にエロい表現はやめろ!」


 グラはものの数分でケーキを完食し、今は全身の毛についたクリームをペロペロ舐めている。まったくもって威厳というものが感じられない姿である。

 ヤツは小一時間ばかり毛づくろいを行ったのち、

『ふうなかなか旨かった。そうだ食後に音楽を聞かせてくれ。地獄にいた頃はそれが習慣だった』

 などとホザいた。

 思わず「調子にのんな!」と叫ぶ。

 沌はそんな俺をまあまあと宥める。

「地獄の魔犬は甘いモノと音楽が好きと相場が決まっている」

 スマートホンを取り出し音楽を流し始めた。沌が好きなデスメタル調アニソンバンド『TOKETSU ANGELS』の曲だ。

 グラはしばらくそいつに耳を傾けていたが。

「ううむ。これも悪くはないが。やっぱり生演奏のほうがよいな」

 あまりのホザきに思わずグラのアタマをスパーンと叩く。

『ワン!』

「グラちゃんはなんて?」

「生演奏が聞きたいってさ」

「そっか。ギターの練習するから半年くらいまってて」

 などとオークションサイトでギターを探し始める沌であった。


 マルコくんに言われた通り、ケルベロストライデントとやらを持って学校へ向かう。わざわざ親父がその昔使っていたというキターケースを借りてそこに入れているので、道行く人に変に思われる心配はないだろうが、なにせ大変に重い。

「だいじょぶ?」

「腰がいわしになるぜ」

 いつもより時間をかけてようやく学校に到着した。

 やや駆け足で門をくぐると、グラもそれについてくるがもはや珍しがる者はほぼいない。

「えーそれじゃあ授業始めるね~」

 グラは俺の席の隣に作られた、通称「グラちゃんシート」にどっしりと鎮座していた。あたかもクラスの一員であるかのごとし。最近では授業で使うプリントや学校行事などの連絡事項の紙も普通に配布されている。

「前回の復習から! えーインスタ映えする三大色とはなんだったでしょーか!」

 しかしこの女教師は一体なんという授業をしているのだろうか。

「じゃあグラちゃん! 答えてみて!」

 グラはてってけてーと黒板の前まで駆け、アリサちゃんに手渡されたチョークを前足で挟みこむようにして持った。そして目いっぱい背伸びをして黒板の一番下辺りになにやら書き始める。

「いいよ! かわいいよグラちゃん! インスタ映えするよ! 目線ちょうだい!」

 教師はその様子をスマートホンのカメラでムービー撮影している。

 グラは教団の上に置かれたチョークが入った箱から赤と黄色と紫のチョークを取り出すとアリサちゃんに渡した。

「おお! 正解!」

「さすがグラちゃんかしこい!」

「すげーなーテレビとか出られるんじゃね?」

 平和ボケとは恐ろしい。これを見ても『ちょっと賢いワンちゃん』ぐらいにしか思わないのだから。

 沌はなぜか誇らしげな顔。セイヤと俺は全く同時に深い溜息をついた。


 こうして非日常はあっという間に日常となり、しばらくの間、ある意味では平和な日々を過ごしていた。

 事件があったのは六月九日の放課後。

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