第4話 魔犬学校に行く

 この俺ワタナベタカユキはキングオブダークネスなので基本的には夜型で朝は弱いほうだ。だが。この日はパッチリと目が覚めた。なぜなら。

「キャンキャンキャンキャンキャン!」

 犬型の目覚まし時計が俺の耳元、それもマジのゼロ距離でギャンギャンに吠えて起こしてくれたからだ。

(はぁ……やっぱり夢じゃなかったのか……)

「おはよう」

 そういってアタマを撫でようとしたら前足でバチコーンと弾かれた。


 今日の朝飯はハニートーストとハムエッグ、トマトサラダにポタージュスープ。普通の『しゅふ』は朝からこんなにちゃんとした仕事をするものは少ないらしい。そういうイミでは俺は恵まれている。

『で? 学校はここからどれくらいなのだ?』

 グラがへっへっへ。と舌を出して呼吸しながらそのように尋ねてくる。

「まさか。学校についてくる気なのか」

『人間界に来る機会などなかなかないからな。いろいろ見て回らないと損だ』

「あっそ。まあどうなっても知らんぞ」

 学校に迷い込んだ犬の末路……それはそれは悲惨なものだ。まあ最低でもまゆげは書かれるであろう。

「おまえは学校とか行ってるのか? 地獄で」

『冗談言うなよ。吾輩はソロモン王を生で見たことのある歳だぞ』

「じゃあ仕事してるの?」

『仕事もなにも。吾輩は地獄の大総裁だ。人間界で言えば政治家にあたる。めちゃくちゃエラいのだ。この間も麻薬草の一種である『ギガ・ワタタビ』を禁止する法律の立法という大仕事をして、魔王バアル様から表彰されたのだぞ』

 このちょこんとおすわりしている姿からはとても想像できない。

『だからさっさと吾輩を地獄に戻せ。いまごろ大騒ぎのはずだ』

「はいはい。分かってるよ。こっちだっていつまでも厄介者を抱えていたかねえ」

 といいつつ自分の食事が終わったので、グラの分、それからミシャンドラの分の食事を用意してやる。

『おい。これも悪くはないが、デザートとして甘いものはないのか』

「おまえな……」

 なんと堂々とした居候であろうか。

「親父―ハニートーストって犬にあげても大丈夫だっけ?」

「ちょっとだけなら大丈夫だぞ」

 俺はハニトーを小さくちぎってグラの皿の端っこに乗せてやった。

『むう! なんだこれ! うま! あまーい! 人間界は野蛮なクソったれアイランドだが飯だけはうまいというのは本当だな! あまーい!』

 これがエラい政治家とは。日本も人のことは言えないが地獄の選挙は大丈夫なのだろうか。


 登校の時間だ。まあ同じ学校で家も隣なのにわざわざ別々に行くこともねえ、ってなわけで沌と一緒に行くことになっている。沌の家の玄関の前で待っていると。

「とん……とん……」

 と背中をつついてくる。というのがいつもパターンだ。

「おはよう」

「あれ? グラちゃんも行くの?」

「ついてくるって聞かなくて」

 セーラー服の上からこのクソ暑いのに黒いカーディガンを着て、推定七〇〇〇デニールはあろうかという分厚い黒タイツまで履いている過剰防寒ぶり。カバンにはキーホルダー状に加工した藁人形とミニ五寸釘をつけていた。そして相変わらず寝癖がヒドい。

「おまえなあ。女の子なんだからせめて寝癖ぐらい直せよな」

 髪を手でささっと整えてやると「くすぐったい!」と頬を膨らませた。

「ってゆうか前髪長すぎ。切ったほうがいいって」

 と前髪をかき上げた。紫色の髪で隠れたパッチリと大きな瞳からはかつての超美少女の片鱗は伺うことができる。しかし彼女は心底いやそうに俺の手を払い前髪を元に戻した。思わず溜息が出る。

「そんなことじゃ一生、カレシとかできないぞ」

「――! そんなの出来なくてもいいもん!」

 ……本人としては叫んでいるつもりなのだろうが非常に音量が小さい。

 そんな俺たちに対してグラが、

『仲が良いのは結構だが。いつまでここにいるつもりだ? 時間は大丈夫なのか?』

 などと冷静な指摘を行う。

 確かにあまり時間に余裕はない。俺は学校に向かって歩を進め始める。

 すると。

「いてっ!」

 おケツに急に鋭い痛みが走った。

「沌! 今藁人形使っただろ!」

 犯人はぷーんと顔を逸らした。

「なんでそんなに怒ってるんだよ」

『鈍感なヤツ……魔犬の吾輩でもなぜ怒っているかは分かるぞ』


 少々出遅れたのでいつもより早足で学校へ向かう。

 学校から数十メートルのところにはハンバーガーショップの『ゴメスバーガー』があった。我が校生徒の放課後の憩いの場として親しまれているのだが。

「グラ! やめろって!」

 ゴメスバーガーの敷地なのか空き地なのかはよくわからないが、店舗の真横には『ゴメス庭園』などと勝手に呼ばれている、石が敷き詰められた更地がある。そこはいわゆる『猫会議』の会場になっていた。

 特に朝方は町中の猫が集まってきており、猫好きの民には目の保養スポットとして親しまれている。だが『犬』にとっては――

『消え失せろ化け猫ども! この薄汚い下等生物がッ!』

「ニャア?」

 グラは必死に吠えたてるが、街暮らしで胆の据わった猫たちはものともしていない。

「そのへんにしとけって……」

『おまえたち人間共は知らぬのだ。奴らがいかに卑劣で陰湿、傲慢かつ残忍で下卑り散らかした最低の生き物であるかを』

 などと力説するグラを余所に、沌はモーニングミニハンバーガーを購入してもぐもぐと食していた。

「マイペースだねえ。トンちゃんは」

「朝ちゃんと食べてなかったから」

『むむ。なんだそれは。おいタカユキ。トンとやらに一口くれるように言え』

「やめとけ……。いいから学校行くぞ」


 なんとかグラを引っ張って学校の教室に到着した。

 大騒ぎになったことは言うまでもない。

「なにこの子! かわいいいいいい!」

「触っていい? 撫でていい?」

「餌付けしたーい! お菓子食べるかな?」

「お近づきの証だ。このエロ本をやろう」

「この十八禁BL本もすっごくいいよ!」

「わざわざ学校に連れてくるってことは……沌ちゃんとタカユキくんの子供!?」

 俺の席の周りに人だかりができる。

 とそこへ。

「ギャアアアアアア!」

 などと叫びつつ、こちらに猛烈な勢いで向かってくるものがあった。金色の長い髪の毛が特徴的な女の子だ。

「あ、あ、あんたたち! なんちゅうものを学校に持ち込んでくれてるんですの!?」

 彼女の名前は三ノ宮聖耶。首から大きなロザリオを下げていることからわかるように熱心なクリスチャンである。たしか隣町にある教会の娘であったはず。

「まえまえからロクでもない邪悪バカップルだと思っていたけど! ついに落ちるところまで落ちましたわね!」

 従って黒魔術なんぞを研究して悪魔を崇拝している我々は目の敵にされている。

「……セイヤちゃん。おはよう」

 と沌が彼女に抱きつく。なぜだか沌はわりと彼女に懐いていた。なんでもいいから構ってくれて嬉しいのだろう。と俺は分析している。

「ええい! 馴れ馴れしいですわ! この悪魔の子め!」

 とセイヤが沌を引き離す。

「おいおい。そんなに邪険にしてやるなよ。いいじゃないか、犬ぐらい持ち込んだって」

 クラスメイトの一人がそのようにセイヤを嗜めた。

「犬!? これが犬ですって!?」

 彼女は両手の拳で机を思い切り叩いた。

「冗談じゃない! これは悪魔! 悪魔ですわ!」

 教室が一瞬静まり返る。それから。

「ハハハハハハ!」

「セイヤちゃん面白れえ!」

 爆笑が教室を包む。西洋人形のような整った顔立ちの美少女なのに、この愛され三枚目キャラぶりはなかなか貴重であるといえる。

「おまえわかるのか? すげえな。俺もよくわからねえんだけどさ。こいつ本人も自分が悪魔だって言い張るんだよなー」

 するとまた爆笑が発生した。「こいつらのコントおもしれえ」「脚本がよく練られている」などという声が聞こえる。

「邪、邪、邪、邪、邪、邪! おのれ! 今すぐに退治するしかない……! 私の白魔術で……!」

 白魔術? そんなもんあるわけない。またイタイのが出てきたなと思うかもしれない。しかし。彼女もまたガチ勢。その白魔術はホンモノだ。

「祝されたるマグネトライトロンの名の元に我強くして。光に満てる御身ミカエルを召喚せん。これ御身の真の姿を授けたまいし神聖なる神の御意なれば目に見える姿にて。我現れ不義の知の求めによりて神の慈悲を超えることなく。あたう限りにおいて。我が求めに答えたもう! アレサロン・オサ・クーデグラ・バンバンビガロ・ロス・インゴ・ベルナブレス・デ・ハ・ポン!」

 彼女がそう唱えると。なんと! 天から降り注いだ虹色の聖光と共に大天使ミカエルが現れた!

「くるっぽ―! くるっぽ―!」

 但し。その見た目は全身真っ白でやや小ぶりな可愛らしいハトだが。

「ハァハァ……やったわ! 成功!」

 まあなんにせよ。彼女の白魔術は我々の黒魔術と同様、インチキでもオカルトでもないホンモノである。のだが。

「おっ! 出た! セイヤちゃんの手品!」

「すげーよなーミスターマリック以上なんじゃないの!?」

 悲しいかなクラスメイトたちからは単なる手品だと思われている。恐らく呼び出す天使の外見が、ハトとかひばりとかことごとく可愛い小鳥なのがいけないのではないかと思う。

「くるっぽくるっぽ!」

 そんで。大天使ミカエルはセイヤのアタマをツンツンと二回ほどつつくと、パタタと羽ばたき教室から出ていってしまった。

「ああー! ミカエル様!」

 セイヤも慌ててハトを追いかけて教室から飛び出す。

 一連の喜劇に教室内は幸せな笑いに包まれる。まあ正直俺も他人事であれば笑うと思う。

「でもどうするん? それ?」

 と隣の席のヤツが俺に尋ねた。

「いくらなんでも授業中もこのままってわけにも」

 などとクラスの女子たちになでなでされるグラを指さす。

「確かに――」

 そのときちょうどドアが開き、

「なにやってるのー? ホームルーム始めるよー」

 と入ってきたのはメガネをかけた若い女性。担任の教師だ。

「あ、やべ!」

 俺は慌ててグラを女子生徒たちから回収し、体操服を入れる巾着の中に隠した。

 そんで両腕を頭の後ろに回して口笛を吹く。

 すると彼女はつかつかとこちらに近づいてきた。

「えーっとあの……」

「今の。ワタナベくんが持ってきたの?」

「つ、ついて来ちゃって……」

 彼女は巾着からグラを取り出すと。

「かわいいい!」

 と叫び彼を抱きしめた。

「あ、ははははは……」

 改めて担任教師・成宮亜里沙の姿をまじまじと見る。整った目鼻立ちをしておりまあ美人だとは思う。しかし。コンプライアンスすれすれというくらいに明るい茶色に染めた髪の毛、派手な赤メガネ、なんかツルツルした素材のやたらスカートの短いスーツ。女教師のコスプレをしているようにしか見えず、端的に申し上げてスケベビデオの登場人物にしか見えない。

「ポメちゃん好きぃ。写真撮っていい?」

 そしてこの生徒以上にキャピキャピしたリアクション。この性格と前述の見た目から生徒たちには『アリサちゃん』などと言われ親しまれ――っていうか完全に舐められている。もっともこの学校の教師は生活指導の『クソ松』こと石松岩一郎以外ほぼ全員舐められているが。

「コレ絶対インスタ映えするわ。五〇〇いいねは固い!」

 教室でホームルーム中に犬とツーショット写真を取りSNSに投稿する教師。写真を撮るだけじゃなく投稿までをその場でやってしまうのが大したものだ。

「……炎上するぞアリサちゃん」

「大丈夫だよー。それに炎上すればむしろフォロワーさん増えるし」

 さすがは『自由』がモットーの我らが万城目高校。外部からはよく『自由と無法地帯をはき違えている』などと言われている。

「そうだ。席が必要だよね」

 アリサちゃんは教壇の下から段ボールと大き目のタオルを取り出した。そんでダンボールを俺の席の横に置き、そこにカーペット代わりのつもりなのかタオルを敷く。

「よいしょっと♪」

 で、グラを慣れた感じに抱き上げるとそこに収納した。

「じゃあ。ホームルーム始めようかな」

 グラも『ワン!』などと吠えてまんざらでもなさそうな顔をしている。

「みんなー動画撮ってもいい? タイトルはポメラニアンのいるホームルーム。これは自己ベスト超えるかも。一〇〇〇〇いいね越えちゃうかも!」

 そんな感じで大魔犬グラシオ・ラボラスは我がクラスにあっけなく受け入れられ、以後当たり前のように教室に存在することとなった。

 グラは特段騒いだり問題を起こすこともなく、むしろ素晴らしい授業態度で教師の話にうんうんとうなずきながら耳を傾けていた。

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