第2話 混沌の幼馴染み
自宅の玄関を出てすぐ右折。お隣の『紺野』と書かれた表札の下のインターフォンをプッシュする。すると「はぃ……」という極めて低いテンションの返事が返ってきた。
「うっす。タカユキだけど」
「入ってぃぃよ」
玄関を通過して階段正面の扉をそーっと開く。すると。
「エコエコアザラク……エコエコザメラク……」
四本のロウソクのみが照らす暗い部屋。ぼんやりとした灯りが映し出すのは、束になった藁を人の形に成型したいわゆる『藁人形』、そして漆黒のローブを着た少女のまっしろな横顔であった。
「よお」
「タカちゃん」
少女は全く表情を変えずにロボットの如く首だけをこちらに向けた。
「なにしてたんだ?」
「藁人形に魔力をチャージ」
「そうか。それは重要だな」
彼女の名は紺野沌。ものごころつく前から知っている俺の幼馴染みだ。
同年代の女の子と比べてもちまちまっとした体格、もう六月だというのに上下黒の暑そうなスウェットを着て、その上からこれまたバツグンの防寒効果がありそうな真っ黒いローブを羽織っていた。なぜかちょっと紫色がかかった黒い髪の毛はショートカットなのだが、前髪だけやけに長く、顔を半分隠してしまっている。
子供の頃は『とんでもない美少女がいる!』と近所でも評判だったのだが、なぜだかこういう風に仕上がってしまった。
しかし。俺にとっては大切な友人。そして黒魔術の師匠でもある。
改めて彼女の顔をまじまじと見つめていると。
「ようじ?」
かぼそい声でそのように尋ねてきた。
「おっと。目的を忘れるところだった。今日も親父さんたち仕事でいないんだろう? 母さんがウチで夕飯食わないかって。俺もちょっと相談したいことがあってさ」
沌は無言でうなずき前髪を揺らした。
沌を伴って家に帰ると、リビングでは父親が夕食の準備を始めていた。母親はテレビを見ながらコーヒーを飲んでいる。
父親の渡辺鉄也はあまり売れてなくてけっこーヒマな小説家。母親の渡辺広美はバリバリ稼いで大忙しのキャリアウーマン。というわけで家事全般は父親の担当になっている。なかなかナウい家族構成だと思う。
「おっ! 沌ちゃん久しぶり」
父親が赤いエプロン姿で後ろを振り返った。
「沌ちゃああああん!」
ことによっては実の息子以上に沌を溺愛する母は彼女を思い切り抱きしめた。
「ワンワンワンワンワン!」
そして部屋の隅っこでは。グラシオ・ラボラス(?)が可愛らしい泣き声をあげている。彼が吠えたてている相手こそ、前述した、産まれたときからいっしょに住んでいる飼い犬の『ミシャンドラ』である。性別はオス。犬種はゴールデンレトリバー。大型犬ほど気が弱いという例に漏れず、非常におくびょうな性格。今もその黄金色の巨体を猫のように丸めて、自分の五分の一ほどしかない小動物に対してビビリの限りを尽くしている。
「やめんか! 悪魔のクセにこんな弱っちい犬をイジメて――」
グラシオ・ラボラスを止めようとすると。
「なにあのコ――」
沌は目をキランと輝かせると野球のヘッドスライディングの要領でグラシオ・ラボラスを捕獲。ぎゅっと抱きしめた。
「かわいい」
『キャンキャン!(なにをする! 吾輩が誰だかわかっているのか!)』
「いいや。その体勢のまま聞いてくれ。実は……」
沌にそのポメラニアンはペットショップで買ったのではなく、自分がグラシオ・ラボラスを召喚しようとしたら現れたものであること。その彼はなぜか自分に対してだけ意思を疎通することが可能で、それに曰く彼はホンモノのグラシオ・ラボラスであるらしい。
ということを説明した。
「――というわけでさ」
彼女はカーペットの上、どっかりとアグラをかいて、股の間にグラシオ・ラボラスを収納している。
『この人間! 無礼だぞ! 離せ! コラ! くすぐったいだろ!』
そしてアタマを撫でたり、頬擦りをしたりやりたい放題。どうやら沌にもヤツの声は届いていないらしい。
「沌はどう思う?」
「この子のこと?」
「ああ」
「かわいい」
と抱きしめる腕に力を籠める。
「そういうことじゃなくて」
「うーむ」と父が唸り声をあげながら料理を食卓に運んでくる。
「相変わらずタカユキはいい妄想をしてるなァ。将来は大小説家になるぞお」
「妄想なんかじゃない! 本当に召喚したんだって」
「タカちゃんのパパ。黒魔術はもうそうとは違うよ」
沌もぽやーっとした口調で擁護してくれる。
「ダメよー小説家なんてもうからないんだから。漫画家になってくれないと」
父が床にうなだれる。母の言葉が胸に突き刺さったらしい。
「ま、まあともかく。とりあえず夕ご飯にしよう」
「ありがとう……ございます。いただきます」
「いいのよー沌ちゃん」
俺も溜息をつきつつ食卓についた。
『おい。吾輩の分は』
とグラシオ・ラボラスがキャインキャイン吠える。
「そうだ。彼の分も用意しないと」
父親がドッグフードを用意しようとするが。
「あら。ダメよあなた。ウチで飼うんだったらグラちゃんにもきっちり上下関係をしつけないと」
母親がそれを止める。まあご存じの人が多いと思うが、飼い犬に自分たちよりも先に食事を与えてしまうと『自分の方が立場が上』と思ってしまうので禁物なのだ。
『ぐ、グラちゃんだとぉ……!?』
「ははは! グラちゃんだって。こいつはいいや」
『……まだ己の立場が分かっていないようだなあ』
グラは俺の肩に飛び乗ると、また顔面をペロペロと舐め倒した。
「ぎやあああ! また……魂……抜け……あっ……」
両親と沌はその様子を微笑ましげに見つめていた。
およそ一時間後。人間四人も犬二匹も食事を完了。
グラの奴も最初は『なんだこの粗末な食事は』などと文句を言っていたが、最終的にはキレイに完食し、今も皿をペロペロと舐めまわしている。その様子をなんとなくじっと眺めていると。
「とんとん……」
と声に出して言いながら沌が俺の背中をつつく。これは物心ついた頃から続く彼女のクセである。
「それ子供っぽいからやめろって言ってるのに……どうした?」
「そういえば。わたしに相談したいことってなに?」
「ああそうだ忘れてた。あのさ。こいつが元の地獄に戻せっていうからさ。『送還』のやり方を教えてもらおうと思って。確かおまえが持ってる魔導書に書いてあったよな」
グラがワンワン! と少々嬉しそうに吠える。
沌はほんのわずか、気のせいレベルで目を見開いた。どうやら驚いているらしい。
「えっ。それは早く言ってくれないと」
そして珍しく俺を咎めるような口調で言った。
「す、すまん。でもなんで?」
「召喚してから一時間以上経っちゃうと送還魔法は使えないよ」
「ええっ!」
『なんだとおおおおお!』
グラは体をジタバタと回転させながら、キャインキャインとヒステリックな鳴き声を上げる。
「あらあら急にどうしたのー? コラ! ダメでしょ! 吠えちゃ!」
もうすっかり飼う気マンマンの母がグラに対してしつけを行う。
「でも大丈夫。明日部室に置いてある文献を漁ってみるから」
沌は完全な無表情のままサムズアップをして見せた。頼れるような頼りないような。
とはいえ彼女よりほかに寄るすべもない。
「ああ……頼むよ」
『クゥゥゥン……』
母親に怒られた大魔犬はなさけない泣き声をあげていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます