大魔犬グラシオ・ラボラスがかわいい

しゃけ

第1話 キングオブダークネスタカユキ

 我が名は渡辺貴之。齢十五。

 人は我を「キングオブダークネス」「暗黒の魔術師」「ブラックサモナー」「中二病の貴公子」「愛すべきバカ」「ナベちゃん」「タカっち」などと呼ぶ。

 特技は黒魔術。それもそこいらのオカルトマニアやインチキ霊感商法の詐欺師連中とはまるで次元が違う! なにが違うと言って数々の実績を上げている点が違う! 数え上げればキリがないが、例えば「召喚魔術で一階にあるリモコンを二階に召喚する」とか「丑の刻参りで生活指導のクソ松の腕をちょっと痛くさせる」とか。

 ……もちろん最終目的はそんなショボいことではない!

 最終目的はズバリ世界征服。そのために。

(よし。一五一回目のトライ……こんどこそ……)

 暗幕を閉め切って真っ暗な自室。俺が実践しようとしているのは一般に言う『召喚魔術』正しくは『喚起魔術』と言われるものだ。

 召喚しようとしているのは『グラシオ・ラボラス』。かつてイスラエルの魔術王ソロモンが使役したとされる『ソロモン七十二柱の悪魔』のひとつで、死と殺戮を司る地獄の大魔犬である。彼を選んだ理由はその能力が世界を制するに強力な武器になると思ったため。あとは。この俺が大の犬好きであるというのもある。産まれたときからずっと家にいるしね。デカイのが。

(えーっと手順は)

 今から行う儀式は『ソロモンの小さな鍵』『ゲーティア』『レメトゲン』などと称される魔術書に記載された正式のものであるので、真似をすると本当に悪魔召喚が行われてしまうかもしれないので注意されたし。

(まずは……と)

 まずは『場を清める』必要がある。あまり知られていないが魔力を行使するためには清浄な空気とほどのよい芳香が肝要だ。俺は仏具のハセガワで購入したお香を取り出してそいつを焚いた。……西洋の魔術なのに和のお香はどうかとも思ったのだが、まあアロマキャンドルなんかよりは雰囲気があってよかろう。

(――次は)

 次に準備するのは『シジル』と言われる鉄製のメダルだ。そいつを首に掛ける。重要なのはメダルそのものでなくそれに彫られた図形。これは悪魔ごとに固有のものであり、呼び出したい悪魔に応じて個別に準備する必要がある。本来は紙に図形を描くだけでも十分なのだが、あえてこだわってメダルを作成した。もっとも作ったのは俺ではないが、まあそいつの話はまた後述するとする。

(――次はいよいよ)

『魔法陣』の準備だ。ただし『魔法陣』というのは正しい名称ではない。悪魔召喚のために必要な図形は正しくは『魔法円』と『魔三角陣』という。『魔法円』とは呼び出した悪魔から身を護るためのバリケードのようなもので、『魔三角陣』は実際に悪魔を呼び出すためのものである。従って召喚の儀式の際には自らは魔法円の中央に座し、悪魔は魔三角陣の中に呼び出すという形になる。一般的な「円形の魔法陣の傍らに立ち、円の真ん中に悪魔を呼び出す」というイメージは誤りである。

 俺は画用紙に正三角形を描き、その中央に黒く塗りつぶした円形のガラスを配置、それから「ANPHAXETON」「TERAGRAMATON」「NAPHAXETON」と悪魔を屈服させる神の名称を記載した。

「よし。これで魔三角陣はOK。後は」

 机の引き出しからキレイに折りたたんだ黒い布を取り出す。そいつには白いインクで、トグロを巻くヘビをモチーフにした渦巻き状の円と、円の内部と外側にそれぞれ散りばめられた五芒星と六芒星で構成された怪しい図柄が描かれていた。これが前述した魔法円で、以前に古本屋で購入した『二見書房刊 魔導書ソロモン王の鍵(青狼団編著)』に付録としてついていたものである。本が手に入らなければ自分で書いてももちろん問題はない。

 そいつを床に敷き、さらに四隅に一本づつロウソクを配置する。

(あとは――生贄か。くくく……)

 俺は舌なめずりをしながら、ナマモノ系召喚グッズの保管のために購入したミニ冷蔵庫を開く。

「今日の生贄は――貴様だ――!」

 さきほどスーパーで買った鶏むね肉(二〇〇グラム一三〇円)をパックから取り出し皿に盛った。儀式はこいつを引き裂きながら行う必要がある。……本当は生きた鶏を引き裂くと書かれているのだが、まあコンプライアンスに配慮した結果である。

 さてこれであとは呪文を唱えるだけである。

 俺は大きく息を吸い――

『エロイムエッサイム。エロイムエッサイム。我は求め訴えたり』

 とムネ肉を引き裂きながら唱えた。そして。

『われは、汝、聖霊【グラシオ・ラボラス】を呼び起こさん。至高の名にかけて、われ汝に命ず。あらゆるものの造り主、その下にあらゆる生がひざまずくかたの名にかけて、万物の主の威光にかけて! いと高きかたのに姿によって産まれし、わが命に応じよ。神によって生まれ、神の意思をなすわが命に従い現れよ。アドニー、エル、エルオーヒム。エーヘイエー、イーヘイエー、アーシャアー、エーヘイエー、ツアパオト、エルオーン、テトラグラマトン、シャダイ、いと高き、万能の主にかけて、汝、【グラシオ・ラボラス】よ、しかるべき姿で、いかなる悪臭も音響もなく、すみやかに現れよ!』

 すると――

 魔三角陣の中で爆発が起こった!

 強烈な腐卵臭を放つ黄色い硫黄の煙が部屋を満たす。

「――ゲッホ! やった! ついにやったぞ!」

 煙が徐々に晴れていく。そこに鎮座していたのは――

(……んんんん??)

 体高はおよそ二十センチ。フワフワとしたこげ茶色の体毛を全身に生やし、四本のちんまりとした脚に、クルっと巻かれた短いしっぽ。タヌキのような丸っこい耳、つぶらな黒い瞳、そしてツンと突き出した口と鼻。

「これは――」

 そいつは驚きに目をひん剥いてこちらをみた。

「ポメ! ポメじゃねえか!」

 犬好きの俺には分かる。こやつはポメラニアン。ドイツ北西部からポーランド北東部に位置するポメラニア地方で原種が繁殖されたことを名前の語源とする愛玩犬の一種だ。イギリスのヴィクトリア女王が十九世紀にイギリスに持ち込んだことをきっかけに世界中に広まり、ペットとしての人気ランキングでは常に上位に入る、簡単に言っちゃえばごっつかわいいワンワン様だ。

「そおい!」

 思わずその小さな体を抱きしめる。この柔らかくふかふかとした感触! 幸福感が俺を包みこむ。――が。

「バウアウ!」

 彼は可愛らしい、しかし怒りの籠った声で吠えると、前足の肉球をばちこんと俺の顔にヒットさせた。

 思わず手を離す。床にしゅたっと着地した彼は、コマのようにくるくる回転しながら「キャンキャンキャン!」と凄まじい音量で吠え散らかした。思わず耳を塞ぐ。すると。

『…………どこ…………だ…………』

「ん???」

『…………ここ……どこだ』

 どこからか。ぼんやりと誰かの声が聞こえる。

(いや! 聞こえるというより……! 直接俺の意識の中に思念が送り込まれている!)

 そして。それを送っているのはこの可愛い生き物ではないかと意識した瞬間。今度ははっきりと聞こえた。

『ここはどこだ! キサマは誰だ!』

 強烈な刺激に脳が震動する。思わず頭を抱えてうずくまった。

『吾輩に一体なにを――ハッ!』

 ポメラニアンのような生き物は尻尾をフリフリさせながら魔法円の匂いをくんくんと嗅いだ。

『これはかつてソロモン王が我を人間界に召喚したときに用いた魔法円……まさか……』

(――!? 今こいつ『ソロモン王』『魔法円』と言ったか――!?)

『おい! 答えろキサマは召喚術師か!? そしてここは『人間界』か!?』

「ちょっと待て! アタマが全然追いつかない! おまえは一体なにもんだ!」

『知っているはずだろう! 吾輩は死と殺戮の大魔犬グラシオ・ラボラスだ!』

「な、な、な、なに言ってやがる! こんなかわいい魔犬がいるか!」

『かわいい? この吾輩がかわいいだと?』

「……後ろを振り返ってみろ」

 ヤツの後ろには全身鏡があった。それに反射する自らの姿を認めた瞬間、彼はキャイン! と驚きの声を上げる。

『くっ! これは! この男の魔力が足りないためにこんな不完全な姿で……!』

 高速で右足を動かし自らの首を掻きむしる。その様子はなんともまあ犬ちっくで大変愛くるしいと申し上げるほかない。

「本当はもっと怖いのか?」

『当然であろうが! もっと凄まじくおぞましい姿で――ぐわ! 姿だけでなく魔力も百分の一以下に……』

 ともかくこのきゃわわアニマルがグラシオ・ラボラスであるなどとはとても思えない。だが。

(もしそうでないとしたら。こんな風に意思疎通してくることをどう説明する……? それにこいつの口からソロモン王とかグラシオ・ラボラスという言葉が出てきたのは事実で――)

 などと考えていると。

『ともかく。吾輩を早く地獄に戻せ。そうすれば命だけは助けてやる』

 グラシオ・ラボラスは幾分落ち着いた口調で呟いた。

「なっ! ちょっと待ってくれよ!」

 俺はその言葉に狼狽。

「これでも苦労して召喚したんだぜ! もしおまえがホンモノのグラシオ・ラボラスならさ! 少し手を貸してくれたって!」

 グラシオ・ラボラスはそれをふんすと鼻で笑った。

『青二才が。吾輩が死と殺戮の化身だと知ってそのようなことを述べているのか』

 ヤツはギラリと両眼を光らせると、ふわりと飛び上がって空中で一回転、サッカーのオーバーヘッドキックのような蹴りを見舞い俺を床に押し倒した。

(こいつ――! やっぱり普通のポメじゃ――!)

『よかろう。この私の力。そのほんの片鱗だけをキサマに見せてやる』

 ヤツはなんと! 俺のほっぺたをペロペロと舐め始めた。

「ぬう!?」

 大変くすぐったい。それからヤツは小さなおくちをパカっと開き、俺の首筋をアマガミした。

「アッ――!」

 その瞬間。全身に快感が走る。頭のてっぺんから足の先まで突き抜けるような爽快感、それから眠りに着く直前のような意識の浮遊感が体を支配。気がつくと。

「あれ……?」

 俺のカラダは宙に浮き、そして、あろうことか自分自身を見下ろしていた。

「なんで俺が俺を見下ろしてるんだ……?」

『これが吾輩の死を司る力『魔犬魂浮牙』(まけんこんふうが)。カンタンにいってしまえば魂を入れたり抜いたりする力だな。貴様の魂は今、貴様のカラダを離脱し宙ぶらりんの状態だ』

「なっ……」

『幸運に思え。私に本来の力があれば、今頃キサマの魂と肉体は腐りきって消滅しているぞ。もっとも。このまま二三分もほおっておけば同じことだが』

 意識が薄れゆく俺に出来たのはただ「助けて」と叫ぶことだけであった。

『助けて欲しければ誓え。吾輩を地獄に戻すと』

「ち……か……う……」

 俺は辛うじてその三文字を口から発した。

 すると数瞬の後、自らのカラダに『存在』と『重量』が戻ったのを知覚した。

「ハァ……ハァ……」

 荒い息をつく俺の横で魔犬はワンワンと吠えてせかす。

「そうせかされてもさ……実は元に戻すやり方を知らねえんだ」

『なぁんだと!?』

 ヤツは再び俺にのしかかり頬を舐めようとする。

「ま、待てよ! 落ち着けって! やりかた知ってるヤツがいるからさ! そいつに聞いてきてやる!」

 俺はそう叫ぶと慌てて立ち上がり部屋を出た。

「ワンワン!」

「あっバカ! ついてくるなって!」

 期せずしてグラシオ・ラボラスを伴って部屋を出た瞬間。

「ただいまー」

 スーツ姿で帰宅した母親に遭遇してしまった。

『む? この人間は?』

 母は疲れた顔を一瞬で笑顔に替え、

「なに!? この可愛いコ! 拾ってきちゃったの? ダメねえ!」

 言葉とは裏腹に実に愛おし気にグラシオ・ラボラスを撫でまくる。

『キャンキャン!(なにをする! 無礼な!)』

「おーよしよし! 喜んじゃって、かわいいねえ!」

「え……? 母さん。こいつの声が聞こえないのか」

 母親はキョトンとした顔で答えた。

「ん? 聞こえてるけど? キャンキャンかわいい声が」

『吾輩の言葉が聞こえるのは召喚したもののみだ。いいから! 早くこの女に離すように言え!』

 ――なるほど。とりあえずこいつを抑えておいてもらえればちょうどよい。

「ま、とにかく。こいつのことでちょっと『沌』のやつに相談しないといけないからさ。ちょっと行ってくるわ」

 すると母親は、

「ホント仲良しねえ。そうだ。今日もご両親いないのでしょう? そろそろ夕ご飯だしウチに呼んで一緒に食べるように言ったら?」

 と実に嬉しそうに言った。

「ああ。わかった。そうするよ。とにかく急ぐから!」

 といいながらスニーカーに足を突っ込む。

「キャンキャン!」

 グラシオ・ラボラスはそれについて来ようとするが、

「こらこらアナタは外に出ちゃだめよ!」

 母親に抱きかかえられキャンキャンと吠える姿はただの仔犬のそれであった。


 ――ちなみに。儀式で使った鶏肉はあとでスタッフが美味しく頂きました。

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