テーブルの上には、チェスのセットが置かれていた。

 どれも、朝の時とは変わりなく見える。

「もうちょっと警戒してから、入るべきだと思う」

 ぼそりと、むっとしながら呟いて。こっちの身にもなれと言わんばかりに、睨みつけた。

 だが、そんな視線などまったくどこ吹く風。

 男はこちらも見ずに、さらっと答える。

「ここにはいないと思っていた」

「どうして?」

「血の跡が向こうに続いていたからな」

 そう言って部屋を出て行くキーツ。

 向こうって、どこのこと?

 首を傾げながらも、慌てて引かれるままにホールへ出る。

 すると、薄くはあるものの。足跡が角を折れているのを見つけた。食堂の方だ。

 じゃあ、あの二人はあちら側のどこかにいるってことか。

 だからといって今は移動していないなんてそんなこと、言い切れはしないのではないだろうか。

 わたしたちだって、こんなにも歩き回っている。

 この足跡がフェイクの可能性もあるだろう。やっぱり警戒は怠るべきじゃない。

 そうは思うが、スタスタとキーツは歩いていってしまう。

 わたしとは会話する気がない……とまでは言わないが、近いものがある。

 無口というわけではないし、聞いたら答えてもくれる。

 だけれど、どこか言葉が少ないひとだ。

 まあ、どのみち悠長に会話している状況でもないのだけれど。

「今度は、応接室?」

 娯楽室を出て、リビングと玄関を通り過ぎ、まっすぐに応接室へと向かった。

 リビングは二階から。玄関は通り過ぎざまに確認済みだったからだ。

 そうして、これまた娯楽室同様にドアを開けて。さっと室内を見回してから、中へと進んだ。

「ここにも、いなさそう……」

 少しほっとして、改めてきょろきょろと見渡す。

 文字通り、応接室。テーブルやソファーが置かれている。

 宿泊の受付のようなこともしていたのだろう。棚には宿泊者の名簿や、部屋の鍵が置かれていた。

 名簿を手に取り、ぱらぱらと捲る。そこには「瀬那」という名が記されていた。

 それも、最後に――

「セナ……わたしが、最後の客?」

 客として訪れた、館の主人に迎えられた、最後の人間。

 ということは、やはりわたしがそうだというの――?

「一層怪しいな……だが、記憶のないお前を殺しても、ただ虚しいだけだ。だから、早く思い出せ」

 ぼそりとそう言って、キーツは鍵の入っている棚を開けようとしていた。

 どうやら、わたしは依然疑われているらしい。

 無理もない――自分でだって、そう思ってしまったくらいだ。

 それでも、今はまだ殺されないらしい。

 生かされている――だったら、このまま思い出さなければいい。

 何も知らないままいられたなら。

 そうすれば、こうしてずっと一緒にいられるのだから……。

「くそっ、開かないか」

 その声に誘われて、顔を棚へ向ける。

 どうやら、鍵の置かれている場所を開けるために、別の鍵が必要らしい。

 しかし、それはどこにも見当たらなかった。

 もし、マスターキーがあって、それを手に入れられたなら。

 そうしたら、あの開かずの部屋の中へ入ることができたのに。

「どこにあるんだ……」

 独り言のように呟いて、キーツはわたしを連れて、応接室を出た。

 残るは書斎。あるといえばありそうだが、果たしてどうだろうか。

 もう緊張するのも馬鹿らしくなってきたほどに、やはり。キーツは書斎のドアを軽々しく開け放つ。

 応接室の半分くらいの部屋に、主人の持ち物だろう。書籍が並べられた本棚や、パソコンデスク、オフィスチェアがある。

 入り口の正面。大きな窓からは、外の景色が見えた。

 今は木々と空しか見えないが、季節によってはその風景も変わるのだろうか。

 わたしは大きな背中を追って、パソコンに目をやる。

 立ち上げてみると、パスワードの入力画面が現れた。

 やっと外と繋がることのできるものを見つけたと思ったのに――わたしは泣く泣く諦める。

 だが、と。そこでこの館には通信機器の類がないことに気が付いた。

「電話もないなんて……そんなこと――」

 ありえるのか?

 いくら山の中とはいえ、館に一つもないなんてことは、ないのではないだろうか。

 しかしと、思う。もしかしたら、リビングにはあるかもしれない。

 何が置いてあるかなんて、事細かに一つ一つ見ていないし、記憶していない。

 それに、今はリビングをじっくり見てこなかった。

 可能性は、あるだろう。

「ないな……」

 わたしの考えが漏れていたのだろうかと思ったが、しかし。

 キーツの言葉は、わたしの問いに対するそれではなかった。

 どうやら、鍵がないと言っているらしい。

 そうだった。まずは鍵を探しているのだった。

「ねえ、リビングに行かない?」

「リビング?」

「そう。遠目にしか見てないでしょ? リビングに鍵があるかも」

「……そうだな」

 鍵と、そして電話と。何があるのか、ないのか、しっかりと見ておかなければ。

 そうして書斎を出て。わたしたちは玄関へ戻り、隣のリビングルームへとやってきた。

 果たして、そこに電話は――なかった。

 あるのはテーブルとソファー。観葉植物や、柔らかそうなクッション。

 大きな窓からは、門が見えた。

 壁には、絵画が飾られている。

 救急箱や懐中電灯が置かれている棚。その上には、何も書かれていないメモ帳と、ペン立て。そして、写真立てが一つ。

 主人の家族だろう――夫妻と、二人の子ども。四人の、仲の良さそうな、微笑ましいものが飾られていた。

 やはり男の子と女の子だ。銀髪の兄妹が、楽しそうに笑っている。

 ――この子たちも、惨劇の被害者なのだろうか。

 まだ、幼い……小さいのに、あのオブジェの一部と化してしまったのだろうか――

「ないな。行くぞ」

 キーツに促されて、リビングを出た。鍵もなかったらしい。

 そうなると、後は食堂と調理室。そして、風呂場。あとは、地下のどこか――そのいずれかにあるというのだろうか。

 いや、それは考えにくい。どこも鍵を保管しているような場所じゃない。

 となると、主人が肌身離さず持っていたのかもしれない。

 そうなれば、見つけるのは難しいだろう。

「電話が、どうとか言っていたな」

「え、あ、うん……」

「あの二人か、もしくは殺人犯が――記憶があった頃のお前が。壊すか隠すか、したのかもしれないな」

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