2

 蛍光灯に照らされた、赤黒い廊下。

 最早、最初からそうであったかのように。元々、この色の絨毯が敷かれていたかのように。これが、当たり前かのように――もう、元の状態さえ忘れてしまった。

 転がった大小様々な固形物は、美術品であるかのように配置されたオブジェ。

 そんな芸術作品を土足で踏み荒らし、蹴散らし、壊して歩いていた。

「ねえ、どこへ行くの?」

「黙っていろ。死にたいのか」

「……」

 そんな言い方をしなくても――というよりは、教えてくれても良いのではないだろうか。

 先程から、無言でこの二階を隈なく歩き回っている。

 警戒を怠ることなく、隅々までチェックをするその姿に。本当に逃げることなどせず探し物をしているのだと、痛感した。

 ぴちゃ、ぬちゃ……水溜まりでも踏んでいるかのような、そんな感覚。

 慣れとは恐ろしいものだ――もうこの惨状に対して、感じることはないのだから。

 それどころか、足元が濡れて嫌だとか、染みてしまうだとか、もうこの靴はだめだなとか。そんなことさえ、平気で考え始めていた。

 わたしの宿泊している部屋から、まず右へ行って、空き部屋を確認した。

 綺麗だった室内に、赤い靴跡が残される。良いのだろうかと聞くと、構わないと返された。

 そんな足跡を気にしながらも、わたしはただただ従うしかない。

 引かれた手は、離されることがなさそうだ。

 何もないことを確認して、そうしてわたしたちは廊下へ戻る。

 二つ隣の部屋――そこが二人の部屋だと伝えると、警戒しつつも。キーツはドアノブに手を掛け、扉を開けようとした。

 しかし鍵がかかっているようで、ドアは閉ざされたままだ。

 刹那、眉間に皺を刻むキーツ。

 無言で、くるり。今度は、トイレや書庫の方へと向かっていく。

 トイレ内、収納室、書庫、バルコニーへと、次々に靴跡を残していった。

 収納室には、替えのシーツといった日用品や、掃除機などの掃除道具が置かれている。物の数を確認していたわけでも、写真を撮っていたわけでもないため正確には覚えていないが、朝に扉を開けた時のそのままだという印象を抱いた。

 書庫やバルコニーも同様で。そうして階段を通り過ぎ、物置と開かない部屋の前に来た。

 物置には、使われなくなったり余ったりしたのだろう。机や椅子といった家具や、主人の家族たちの所有物であろうおもちゃなどが、所狭しと並べられていた。

「子どもが二人いるのかな……」

「何故そう思う?」

「だって、おもちゃが女の子用と男の子用と、それぞれあるから……」

「……行くぞ」

 言って、早々に扉を閉めるキーツ。

 確かに無駄話をしている余裕なんてないのだけど。

 本当に不愛想だなあと、頭の隅で思う。

「あ。ここ、わたしが朝に探索した時は、開かなかったの」

 鍵のかかっていた部屋の前に立ち止まったので、慌ててそう言った。

 だが、無視をされてしまったようだ。キーツは無言でドアを開けようとする。

 しかし、やはり。朝と同じく、扉が開くことはなかった。

「……」

「キーツ?」

 二階は一通り見て回った。どうやら探し物は見つからなかったようだ。

 何かを考えているのだろうか――男は黙って吹き抜けの手すりを掴んでいる。

 そこから何かが見えるのだろうか。それとも、音を拾っているのだろうか……しかし、きょろきょろと見渡してみても、耳を澄ませてみても、何も見当たらないし、聞こえない。

 眼下に広がっているのは、玄関。そして、リビングルームだ。

 誰もいない……少し前まで座っていたソファー前のテーブルに、水の入ったコップが一つ置かれている。

 結局、口を付けることはなかったけれど――今思えば、あれは本当に純粋な善意だったのだろうか。

 もしかすると、あの中身は――

 ここからは、何も見えない。知る由もない。

 ただ雨音だけが強さを増して、響いていた。

「来い」

 言いながら手を引かれて、向かうのは階段。

 まさか、一階に下りると言うのか。

 わたしは反射的に、がばっと顔を上げる。

「そんな、きっと下には二人が……!」

「どこにいようが同じだ」

「そうかも、しれないけど……」

 緊張感と不安感が襲い来る。

 ぎゅっと唇を噛み締めて。そうして、わたしは抵抗することもできずに、なすがまま。キーツの背中を追うように、引っ張られていく。

 二階と違って、本来の色をしている階段。そして、一階。

 ところどころにあるのは、少し前のわたしたちがつけた、まるで模様のような足跡。

 それぞれの歩幅の違いに、どれだけあの二人がゆったりと、余裕を持った。ましてや、優雅ともとれる状態でわたしを追っていたのかが、見てとれた。

「いない……」

 リビング前の廊下。玄関に続くホールで利き腕を貫かれ、叫び声を上げながら蹲っていた女と。こちらには目もくれずに、女へと駆け寄っていた少年の姿が思い起こされる。

 しかし、どこかに身を隠したか。それとも、潜んで機会を窺っているのか――その姿は、どこにも見られなかった。

 きょろきょろとしながらも、相も変わらず手を引かれて歩く。

 階段横を通り過ぎ、キーツは物置を開けた。

 庭や花壇用だろう。園芸用品が中に片付けられている。

 二階の時と違って、じっと中を見るキーツ。何かあったのだろうか。

 わたしもそっと覗き見る。花壇用の土や、じょうろ。ホースに、スコップや、花の種など。これまたぎゅうぎゅうに詰め込まれている。

 隅には一階用だろうか。掃除機が一台置かれていた。

 特におかしな点はない。

 しかしキーツは睨みつけるようにして、未だ中を眺めていた。と思いきや、またもや無言でその場を離れる。

 左隣を向いた。娯楽室だ。

 ここにいるかもしれない……そう思うと、ごくりと喉が鳴る。

 しかしこちらの緊張など知る由もない男が、無遠慮に扉を開けた。

 息を呑む。

「何をしている。入るぞ」

 動かないわたしにそう言って。半ば竦む足を引き摺られるようにして、室内へと足を踏み入れる。

 どうやら中には誰もいないようだが……。

 しかし、ソファーの向こうに潜んでいるかもしれない。不安で心臓が破裂しそうだった。

「ついてこい」

 言いながら、部屋をぐるりと見て回るキーツ。

 ここにはビリヤード台や、そのための道具。テーブルに、ソファーがある。

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