意外と、そういうものなのかもしれない。

「にしても、つまんねーから早く思い出せよ。昨日の話の続きができると思って、楽しみにしてたんだからな」

 言葉はわたしを急かすそれだったが、声音は拗ねた子どものようだった。

 そのため、圧迫感や緊張感はない。

 だが、隣の少年が、まるで女性の親であるかのようにたしなめていた。

「そういうことを仰って……良いですか? セナさんを追い詰めてしまうような発言はなさらないでください。それに、先程と仰っていることが矛盾しています」

「そんなつもりじゃねーし。そんなことねーし」

「まったく……セナさん、お気になさらないでくださいね」

「あ、はい。わたしなら、大丈夫です」

「ほら! セナだってこう言ってるじゃねえか」

「エルサさん……」

「おー、こわ。んなことで睨むなよ、トーリ。ったく、真面目ちゃんだねえ」

 飄々としながら、そう言って。女性は、隣の少年が飲んでいたカップを奪った。そのまま、一気に飲み干す。

「んじゃま、改めて自己紹介だな。あたしはエルサ。ここにいる間は、よろしくな」

「ああ、ボクが飲んでいたのに……!」

「じゃ、あたしは部屋に戻るわ」

 ひらひらと後ろ手を振って。エルサさんは、食堂を出て行った。

 空になったカップやプレートだけが、残されている。

「まったく……失礼致しました。騒がしい人で……」

「いえ……」

 苦笑しつつ座り直した少年が、こちらに向き直る。

「記憶をなくされているのですから、名乗らないといけませんでしたね。失念していました。ボクは、トーリといいます。十七と昨日お伝えしましたら、セナさんは『こちらが一つ上だから、トーリくんと呼んでいいか』と仰っていましたよ。もちろん、構いませんとお答えしました」

「そうなんですね」

 ということは、わたしは十八歳か……まあ、年齢がわかったところで、どうということもないのだろうが……。

「それから、セナさんはお連れの方がいらっしゃると話されていました」

「え……」

「昨日はお会いしなかったので、どのような方かはわからないのですが……」

「わたしに、連れが……?」

 ということは、そのひとに会えたら何かわかるかもしれない。

 でも――

「部屋には、誰もいなかった……」

 荷物も、何もかもが一人分だった。もしかすると、まだ着いていないのだろうか。

「そうですね。到着されているかどうかまではお聞きしていませんでしたが、男性だと仰っていました」

「男……」

「ええ。おそらく恋人ではないでしょうか? その方の話をされている時のセナさんが、とてもキラキラと瞳を輝かせておられたので」

「恋人……」

 わたしに恋人が……?

 だめだ。まったく思い出せない。

「そういえば、この館はとても静かですけど、他に泊まっている方や、それこそ館の主人はいないのでしょうか?」

「ああ……他の方、ですよね」

「はい……」

 何だろう……優しげなヘーゼルの瞳が、一瞬冷たく見えた。

 しかし、それも気のせいであったかのように、にこりと茶色のミディアムヘアーが揺れる。

「ご主人は昨日お会いした時、ご家族でしばらく旅行に出るから、滞在中はこの館を好きに使って良いと仰っていましたよ。昼頃には揃って出掛けられていましたね。ですので、今この館にはボクとエルサさん、セナさん。そして、到着されているかはわかりませんが、セナさんの恋人。つまりはボクたちだけ、ということになります」

「そう、でしたか……」

 館の主人とも何か会話をしていれば、教えてもらえることがあるかもしれないと思ったのだけれど……どうやら、それは叶わないらしい。

 となれば、わたしは連れという男性を見つけるしかなさそうだ。

「いろいろと教えてくださり、ありがとうございます」

「いえ。大した力にもなれなくて……」

「そんなことないです。名前や、連れがいることがわかっただけでも、進展です」

「そうですか。セナさんは、前向きで素晴らしいですね。また何かあれば、遠慮なく訪ねてください。数日は、ここに滞在する予定ですので」

「わかりました。ありがとうございます」

 お礼を伝えると、トーリくんは何かを思いついたように胸の前で手を叩いてみせた。

「そうです。もしかすると、他にも部屋がありましたから、お連れの方は別室に泊まっていらっしゃるのかもしれませんよ?」

「なるほど……確かに、その可能性はあるかもしれませんね」

「ボクも一緒に、と言いたいところですが。生憎、用がありまして……」

「いえ、そこまでは言いません。覚えていませんし、ついでにこの館を散策してみることにしてみます」

「それは良い考えですね。お連れの方と無事にお会いできることを、願っています。その折には、ボクたちにも紹介してくださいね」

「はい、ありがとうございます。是非、そうさせていただきます」

「いえ。では、ボクはこれで失礼します」

 そう言った少年は、食器を片付けるべく調理場へと消えた。

 手伝いを申し出たが、すぐ終わるからとやんわり断られてしまった。

 そうして所在をなくしたわたしは、食堂を後にしたのだった。

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