スターティングオーダー、俺が考えてもいいですかね?

 月曜日以降も、時間が許す限り港北小のグラウンドに足を運んだ。

 二週間後の交流戦に向けて、取り組んでいる事項は幾つかある。

 第一に、投手力の整備。

 コントロールに問題を抱えている鈴木君には、踏み込んだ際のつま先の位置を修正することと、腕の振り方と、肩の移動する方向と肘の移動する方向にブレが出ないようにと伝えたうえで、徹底して投げ込みをさせた。

 染み付いた癖はまだ抜けきっていないが、ストライクが入る確率は少しずつだが上がっていた。

 続いて坂谷君。

 彼の場合、制球力やフォームに問題は少なかったので、下半身の強化を優先することに。投げ込みをするのはもちろんだが、日々走り込みをするよう指導した。

 スタミナがついてくれば、同時に球速も上がってくる。交流戦までに成果が出ることはないだろうが、長丁場となるのちの地区予選会などを見据えると、いずれ必要になる強化だ。

 第二に走塁。

 戦力があるのに勝てないチームというのは、えてして走塁の重要性を蔑ろにしているケースが多い。(もっとも港北小チームは、決して勝てるチームでもないのだが……)

 走塁といっても、盗塁だけを指しているのではない。

 打った直後の走り出し。出塁した後のリードの取り方。牽制球への対応。ひとつでも先の塁を狙うという貪欲な姿勢を含め、大事なことはたくさんある。

 単打や四球で出塁したとしても、味方内野ゴロの間や敵側の不味い守備の隙を突いていけば、二塁打や三塁打に匹敵する効果を生み出すことも可能なのだ。

 最後に本上さんだ。

 優れた身体能力を元々持ちながら、それを上手く活かせていない彼女を、徹底指導していった。


 いよいよ交流戦を明日に控えた土曜日。

 今日一日の終わりを告げるように、眩しい輝きを放つ太陽が、山間に顔を隠しつつあった。

 グラウンド整備をする部員達の影が、地面に長く伸びている。交錯する影法師を見つめていると、監督である坂谷さんが声を掛けてきた。


「二週間、お疲れ様でした。ついに明日で最後ですね、実に残念です」


 あれから悩みぬいた末に、『野球のコーチの仕事は、交流戦を終えるまでにして下さい』と監督に告げていたのだ。なんとも中途半端になってしまったな、とは自分でも思う。だが、野球に触れ続けるだけの気概が、どうしても今はわかなかった。少し頭を冷やす時間が必要だと思った。


「すいません」


 もちろん、俺が悪いというわけでもないのだが、なんとなく申し訳ないという気持ちになってしまう。

 思い返すとこの十数日。それなりに楽しかった。


「明日、勝てると良いのですが」とグラウンドに目を向け、坂谷さんが呟いた。

「大丈夫です。勝てますよ」


 お世辞を言ったつもりはない。選手たちのプレーにも、勝ちたいという貪欲な姿勢にも、技術と精神面の双方で、確実に変化の兆しが見え始めていた。

 だからこそ明日は勝たせてやりたい。なんとしてでも。


「進藤さんが来てくれてから、みんな、プレーの質が向上しましたよ。プレーだけじゃない。練習に取り組む意識も……ですかね」

「そう言って頂けると、光栄です」

「特に……雪菜ちゃんかな……」

「本上さんですか?」

「ええ」と言って彼は、西日に向かって目を細めた。

「彼女のお兄さんは、二年前まで、このチームでエースピッチャーをつとめていたんです」

「そうだったんですね」


 彼女が使っている道具は全てお兄さんのお下がりばかりだったし、当初、練習への参加意欲をあまり見せていなかったので意外に感じた。それだけに、変化した様が一番見えていたのも、やはり彼女なのだが。


「女子選手とは言え、チームの大黒柱だった選手の妹です。やはり、相応の期待を集めることになった。私も彼女をすぐに外野のスタメンで試してみたし、積極的に代打でも起用した。けどそれは……決して兄が優秀だったからと色眼鏡で見たからではなく、実際、雪菜ちゃん本人が、優秀な素質を秘めていたからです。ところが――」


 ああ、やっぱり何かあったのかな、と直感する。


「昨年の秋に行われた、地区大会での準決勝のことです。左翼の守備に入っていた彼女のところに、大きなフライが上がりました。回は九回の裏。ランナーは二、三塁。取れば試合終了、万が一エラーをすれば逆転サヨナラという場面でした」


 レフトの守備――。唐突に、胃の中に冷たい何かが転げ落ちていくような、気持ち悪い感覚を覚えた。

「エラー……してしまったんですか」恐る恐る問いかけると、監督は苦みばしった顔で頷いた。「その通り」


「落球したあと、急いでバックホームすれば、あるいは同点で免れたのかもしれない。しかし……焦って彼女が投げたボールは、完全な暴投となってしまった。二塁ランナーまで悠々生還してチームはサヨナラ負け。それからなんです。彼女が塞ぎこむようになって、プレーまでもが縮こまってしまったのは」


 周りの選手はもちろん、父兄からも心無い言葉が掛けられた。優秀な兄とは違う。女の子だからダメだ。所詮、こんなもんだ、とね。

 吐き出すようにそこまでを言い、監督は深いため息を落とした。

「そうだったんですね……」と言ったきり、俺も返す言葉を失ってしまう。セカンドで使われていた本当の理由がそれか。彼女をレフトで起用するのは、間違っているのだろうか。

 でも……。

 オレンジ色に、紫紺が混じり始めた空。その中にシルエットとなって浮かぶ本上さんの日焼けした横顔は、とても活き活きとして見えた。


「監督。明日のスターティングオーダーなんですが、俺に考えさせてもらっても良いですかね?」


 監督は少し驚いたような顔をしたあと、「是非頼むよ」と笑顔で頷いた。


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