一回の表。上々の、立ち上がり

 翌日の天気は、雲ひとつない快晴となった。

 絵の具を薄く塗り広げたような水色の空は、果てしなく広く、どこまでも高い。だが、朝っぱらから強い日射しが降り注ぐこの天候は、スポーツをするのに最適とは言いがたい。

 水分補給はこまめに行うようにと、監督が選手たちに指示を出した。

 試合開始前、ベンチ前に選手を集合させると、監督に確認してもらったオーダーを発表していく。


「一番、ショート鈴木君。二番、セカンド柏木かしわぎ君。三番、サード佐藤君。四番、キャッチャー田中君。五番、ピッチャー坂谷君。六番、ライト山田やまだ君……」そして次の打順七番のコールで、大きなどよめきが起こる。「七番、レフト本上さん」


 本上がスタメンだって。マジかよ。様々な囁きが周囲から上がり、彼女は緊張した面持ちで唇をきゅっと結んだ。


「八番、ファースト斎藤君。九番、センター三澤君」


 次に動揺の声が上がったのは、ラストバッター三澤君がコールされた瞬間だった。

 おそらく殆どの部員が、三澤君の打順変更を、打撃不振による降格だと受け取ったのだろう。無論その考え方は、あながち間違いではない。だが必ずしも、そういった意味の打順変更でもないのだ。

 俺が発表したオーダーにおける、これまでとの変更点。

 先ず、チーム一の打率を誇る鈴木君を、三番から一番に変更した。これにより穴の空いた三番には、六番から佐藤君を昇格させる。逆に不動の一番打者だった三澤君を最終打者に。

 レフトのレギュラーだった谷口たにぐち君をスタメンから外し、代わりに本上さんを入れて打順を七番とした。

 本上さんや谷口君が微妙な表情を浮かべて固唾を飲むなか、不満を訴えてきたのは三澤君だった。


「……どうして僕が、九番なんですか」


 唇を噛みしめて俯く三澤君の顔には、ありありと悔しさが滲んでみえた。

 当然の疑問だろう、と思う。彼が不満を訴えてくることも、俺の中では織り込み済みだった。三澤君をいったんベンチの端に座らせて、意図的にゆったりとした語りで説明を始める。


「回りくどい話になって申し訳ないんだが、最初に、一番打者に求められる役割の話をしよう。第一に求められること、それは、リードオフマンとしての役目だ。具体的に言うと、打率と選球眼。高い出塁率で、チャンスメイクをすることだ」


 はい、と三澤君は頷いた。


「二番目に走力。得点圏からヒット一本で返ってくる脚力のある選手は、チームにとって頼もしい存在だ。盗塁やヒットエンドランもできるなら、なお良い。そして、この走力という面で言うならば、三澤君の能力は間違いなくチームでも一番だ」


 三澤君は、無言で頷く。


「だが反面、三澤君には打撃力が不足している。打率も出塁率も、チーム内で見れば平凡な数字に留まっているうえ、長打が少ない」


 両の拳を握りしめ、三澤君が俯いた。自身が長打力に欠けている、との自覚はあるんだろう。


「だが今回それは、二次的な要因に過ぎない」

「どういう……ことですか?」三澤君が前のめりになる。

「スコアブックを見ながらチーム全体の戦力を分析していった結果、一番の問題点は、得点力の不足だと感じた。従来の打順では一番打撃力のある鈴木君を三番に置いているのだが、彼に打席が回った時、ランナーが溜まっていないケースが非常に多い。結果的に彼がチャンスメイクして、五番~六番の打者に打点が付いていることが多かった。だから、考え方を変えてみた。一番打率の高い鈴木君をもっとも打席の回る一番に添えることで、得点機を増やすという考え方だ。彼が抜けた三番には、チーム一得点圏打率 (ランナーを置いての打率)の高い佐藤君を代わりに上げた。それに……」


 三澤君の肩に、ぽん、と手を乗せさらに続ける。


「もしかすると、九番は、もっとも打撃力の低い選手が入る打順だと思っているのかもしれないが、必ずしもそうではない」

「え、違うんですか?」


 三澤君が、驚きで瞠目した。


「ああ」と俺は頷いた。「むしろ俺の考え方では、君は下位打線における一番バッターだ。ヒットと盗塁で三澤君が二塁まで進めたなら、次の鈴木君と二人だけで一点がもぎ取れる。言うならば、上位打線への繋ぎ役だよ」


 あっ……と三澤君が何かを悟ったような顔をする。その事実に思い至ったのだろう。だが、綻んだ口元を即座に引き締めると、「わかりました。でも、このまま負けませんからね」とだけ言葉を残し、グラウンドに飛び出して行った。

 それから俺は、本上さんに代わって今日スタメン落ちした谷口君にも声を掛けた。必ずチャンスは与える、と。

 合わせた視線を逸らすことなく、谷口君が無言で頷いた。

 チャンスを与えられる選手がいる一方で、ポジションを失ってしまう選手もいる。

 同じチームとは言え競争なのだから、やむを得ないことだ。だが、彼らはまだ小学生。状況を冷静に受け止めるまでには、少し時間が掛かるだろう。かつての自分たちの姿を目の前の子供たちに重ねながら、俺は当時を懐かしんだ。


 シートノックを終え、いよいよ試合開始だ。

 両チームの選手が整列したときにも思ったのだが、体格的には都南小チームの選手がやや勝っている。うまく小技や機動力を絡めていかないと、勝利をもぎ取るのは難しいだろう。


 一回の表。先攻は港北小学校クラブチーム。

 右投げ左打ちの鈴木君がバッターボックスに向かう。

 二球ボール球を見送った後の三球目。強振したバッドから放たれた打球は痛烈なゴロとなって一、二塁間を真っ二つに破る。むしろ打球が良過ぎてライトゴロになるんじゃないかとハラハラしたが、鈴木君の右足は送球されてきたボールより早く一塁ベース上を駆け抜けた。


「よしっ」


 初回、早速ランナーを出すことができた。

 ボール球が二つ続いた後のど真ん中。ストライクを欲しがった甘い球を、鈴木君が見逃すはずもない。

 俺はすかさず鈴木君に盗塁のサインを出した。いきなり盗塁死する危険もはらんでいるが、ここは果敢に攻め立てる。

 リードを大きく広げた鈴木君の動きを嫌って、相手投手が牽制球を送る。

 ふむ、即座に俺はメモを走らせながら、隣の谷口君にも耳打ちをした。彼は無言のまま頷き返す。

 その後一球ストライクが入り、更に牽制球を挟んだ直後の二球目。鈴木君は迷うことなくスタートを切った。

 キャッチャーが素早く二塁に送球するが、特に交錯することもなく悠々と二塁を陥れた。

 鈴木君の走力は、チーム内でも二番目か三番目。彼でこのくらい余裕があるならば、およそ三分の一の選手に盗塁を試みる価値があるな。


 ここで二番の柏木君に、送りバントのサインを送る。彼は地味な選手ながら、犠打の成功率はチームでも随一だ。上手く勢いを殺したボールが一塁側ライン上を転がる間に、鈴木君は三塁へと到達する。

 ワンストライク入っていたが、難なく決めてみせたな。やるじゃないか。


 続いて打席を迎えるのは、今日三番に抜擢された佐藤君。

 得点圏打率の高い彼に、変な小細工は必要ない。というか、恐らく一点二点を争うゲーム展開にはならないと予測している。可能であれば、ここで一気に大量点が欲しいのが本音。

 強心臓の彼はバットをレフト方向にしゃきーんと向け、鼻歌混じりでバッターボックスに入る。彼なりの、予告ホームランなのだろう。

 これには、苦い顔で監督と顔を見合わせる。

 空振り。ボール。左翼線への痛烈なファールと続いた四球目。緩い外角のボールに佐藤君は完全にタイミングを外される。それでも、バランスを崩しながらバットの先端で捉えた打球は、高いバウンドとなってセカンドの正面へ。

 佐藤君がアウトになっている間に、鈴木君が生還して一点先制。

 ベンチからもわあ、と歓声が上がる。 

 大きいのを狙っていたであろう佐藤君はすこすことベンチに引き上げてくるが、監督がハイタッチで出迎えた。

 ワンヒットで一点。学童野球としては、悪くない点の取り方だ。

 しかし後続は倒れ、初回は一点止まりで終わる。


 一回の裏。マウンドに登るのは、エースの坂谷君だ。

 マウンドの状態を慎重に確認しながら、落ち着いた表情で最初のバッターを迎える。

 初球は内角低めにストライク。その後もコントロールの良い彼は、ストライクを先行させて攻め立てる。

 球速だけで比較するなら、明らかに都南小クラブの投手の方が上だ。それだけに、相手打者からは打ちごろに見えるのだろう。ストライクゾーンぎりぎりを狙った臭いボール球を引っ掛けて、立て続けに打ち損じのゴロが内野に転がった。

 続いて打席に入った三番打者からは、抜いたストレートで三振を奪う。

 上々の立ち上がりだ。

 坂谷君のストレートには少々癖があって、同じような腕の振りから、速い真っすぐと抜いた真っすぐの二種類を投げわけるのだ。

 どうやらまだ相手は、微妙な球筋の変化についていけていない。


 その後一点ずつを取り合う展開となり、次にチャンスが訪れたのは五回だった。

 ワンアウトから打席に向かうのは、第一打席は三振に倒れていた本上さん。ゆったりとした動作で、彼女は右打席に入った。

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