「才能の無い子は、野球やる資格ないと思った?」(1)
初日の練習を終えたあと、一度自宅に戻って着替えを済ませると、殆ど間をおかずに家を出る。ある人物との待ち合わせのためだ。
目的地は、県庁の近くにある、背の高い雑居ビルに辺りを囲まれている飲食店街だ。酒が呑めない俺にしてみると、普段あまり寄り付かないような場所だった。
「お疲れ様~」
待ち合わせのモニュメントの前に、霧島七瀬が立っている。学校にいるときみたいな堅苦しいスーツ姿でも、昼に見たジャージ姿でもなく、小ざっぱりした白いワンピースを着てフリンジハットを被っていた。紡がれた言葉に合わせて動いた唇は艶かしい赤で、思わず息を呑んでしまう。
「お、おう」と蚊の鳴くような声で呟くのがやっとの俺に、彼女は笑いながら言った。「なになに、緊張しちゃってるの?」と、まるでからかうように。
「してねえよ……」
嘘です。ガチガチに緊張しています。どうしてそんなにお洒落して来たんだよ? これってデートのつもりなのかよ? などと余計な妄想だけが膨らんで、益々緊張の色が濃くなっていく。
「少しくらい緊張してくれてたら、それはそれで嬉しいんだけど」
小悪魔的な笑顔でそう告げてくる霧島に、返答に困ってしまう。胸の内をあぶり出されそうで、辛い。
俺と霧島は、個室のある居酒屋に移動した。店内は雰囲気が明るく、早い時間帯にも関わらずそこそこ賑わっているようだった。
最初の一杯目は、二人揃って烏龍ハイを注文した。お互いたいして酒を飲めないのだから、烏龍茶でも良さそうなもんだが、多少はアルコールを入れて酔いたい気分だったんだろう。
俺も。もしかすると、彼女も。
お通しに箸をつける前に、霧島が昼間のことを話した。
「なんか、ごめんね。私が変なことを吹き込んだせいで、嫌な思いをさせちゃって。無理やり来てもらったようなものなのに」
「いやいや。あんなに体を動かしたのも久々だったし、良い気分転換になったよ」
内心は、複雑だったけど。とはいえ、気分転換になったのは事実。逆に良かったのかもしれない、とすら思う。目標を失って、抜け殻のように過ごしている俺にとってはむしろ。
「うん……」と軽めの相槌を打ち、霧島がお通しを口に運んだ。「もし嫌だったらさ、コーチの件は断ってくれても良いから」
気遣いをしているとわかる、今にも消え入りそうな声だった。
今日の練習を終えたあと、霧島に過去の話を洗いざらい打ち明けた。コーチの話に、あまり乗り気じゃないことも。彼女にだけは、ちゃんと事情を伝えておくべきだと思ったからだ。
「まあ、しばらくは練習に顔を出してみるよ。そのあとのことは……、うん。追々考えていくことにする」と答えた。やっぱり今回も、曖昧な返答に留めてしまったなと内心で呟きながら。
運ばれてきたグラスを軽くぶつけ、乾杯をした。飲み物がきたすぐあとに、焼き鳥の盛り合わせが配膳された。
俺は砂肝を、霧島はつくねを手に取った。食べながら、鳥のから揚げと刺身の盛り合わせも追加でオーダーする。
「それで? 交流戦はいつの予定なんだ?」と俺が尋ねると、「再来週の日曜だよ」と霧島が答えた。
俺たちが住んでいる町には、二つの小学校がある。母校である港北小学校と、南側の学区に軒を構える
二つの小学校では年に一回、野球クラブの交流戦が行われている。
開催時期は毎年八月の末頃。夏休み明けに行われるのが慣例だったから、当時と変わっていないということだ。
俺が現役選手だったころは、四年生の時こそ負けたものの、その後は五年~六年生まで港北小が連勝している。
もちろん、当時のエースピッチャーは俺。
「そっか。どうせコーチするんだったら、勝ちたいしな。で? 最近の戦績はどんな感じ?」
すると彼女、腕組みをしてう~んと唸ってみせた。表情もなんだか渋いものになる。こいつは、あんまり勝ってなさそうだ。
「私もはっきりとはわからないんだけど。確か八連敗中だったかな?」
八連敗か。思っていた以上に勝ててないな。っていうか、ん? 八連敗ってもしかして……。
「俺が卒業してから一度も勝ってないのか」
キョトンとした顔で、霧島が指折り数え始める。
「もしかして、そうかもね」
そりゃまた随分と不甲斐ない話だな。もっとも、高校一年で野球を挫折した俺に、四の五の言う資格もないが。
「新君は小学校の頃から、この辺でも評判になるくらいには凄かったもんね。新君が卒業してから、あまり良い選手が輩出されてないんだよ。きっと……」
そこまで言ったのち、彼女が口元を手で覆い隠した。瞳をまん丸に見開いた顔には、「しまった」と書いてあるようだ。
「ごめん……。昔の話をされるのは、やっぱり辛いよね」
ちょっとだけ、沈んだ声音。
「いや、構わないよ。もう何年も前の話だし。いい加減、俺の中でも物事の整理がつき始めた頃合だ」
「実際、どういった感じなの?」
気後れするように、霧島が言った。言葉は多少不足していたが、俺の肩の状態を訊いているのは明白だった。
「骨折自体はたいしたことなくて、わりと早いうちに完治したんだよ。でも……後遺症が残ってしまってね。肩が前ほど上がらなくなってしまった。そのせいで、全力で腕を振ると痛みがでるようになったんだ」
耳の高さから上にあがらない左腕を掲げ、力なく笑って見せた。
「百五十キロ投手になる夢はおろか、野球人生そのものを諦める必要があった」
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