地球は赤い
『地球は赤い』。そう題されたWEBページが、インターネットの深海底にひっそりと佇んでいる。電子上に積み上げられた文字列に埋もれ、誰にも読まれることはない。
その内容は、ある個人の論考を書き連ねたものだ。そしてそこに記されている文章は、まさに支離滅裂を具現化したかのようであった。
「地球は赤い。なぜなら、地球には人類があるからだ」
「ここまで高度な生命体が存在する奇跡の星が、赤くないはずがないだろう。人類の血やその叡智の結晶たる火と同じように、赤くあるべきだ」
「世界初の宇宙飛行士であるガガーリンは「地球は青かった」と言ったらしいが、それは誤りだ。ガガーリンやその他の宇宙飛行士たちには青に見えたとして、それは光の加減による錯覚だろう。私には、地球が赤く見えないことが不思議でしかたない」
このような内容が、延々と記されている。過去に数人ほどこのページに迷い込んだ人がいるが、みな不審がってすぐにブラウザバックしていった。
『各地の公衆トイレに隠しカメラを設置し、100万点以上の盗撮画像を所有していたとして、東京都大田区在住の無職の男が逮捕』
ある日、ネットニュースの見出しを一つの文章が飾った。
犯行自体は比較的ありふれているものだが、ここ最近世間を騒がす話題が少なかったこと、そして100万という非現実的な数が関心を生んだことから、この事件は人々の話題の種として語られることになる。
ネット上の掲示板では、『【速報】盗撮画像を100万個貯めこんだ男、逮捕www』といったようなページが乱立する。各種SNSでも、この事件がトレンドになっていった。やがて、知りたがりの一般人たちは、さらなる情報を求めていく。
事件についての新しいネットニュースが更新されるたび、人々はそれに飛びついた。ニュース記事の閲覧回数は爆発的に増え、味を占めた新聞各社はこの事件についてさらに報道していく。どの公衆トイレに監視カメラを仕掛けたのか、男はどんな人間なのか。警察からの発表により、男が男子トイレを盗撮していたことが判明すると、ネット上はさらに盛り上がっていった。
そして、男が怪しげなWEBページの管理人であることも報道される。これは警察が押収したパソコンを調べている際に確認された事実で、事件とは全く無関係な内容なのだが、その事実を知った記者たちはすぐに筆を走らせていた。彼らにとって最も大事なことは、皆が見るであろうセンセーショナルな記事を提供することで、その次の次の次の次くらいに大事なことが個人情報保護だった。
その報道されたWEBページの名前は、『地球は赤い』というものだった。
その日の夜、WEBページ『地球は赤い』は開設されて以来初の盛り上がりを見せていた。昨日までは誰も訪れない場所だったが、今では話題沸騰の人気サイトだ。コメント欄には最新コメントがずらっと並ぶ。
「記念カキコ」
「赤っ恥だな(笑)」
「男子トイレを見続けた人間にしか見えない世界があるんだろうな……」
「地球が赤く見えるって、盗撮画像の見過ぎで目が充血してんじゃね?www」
ネット上の人々は常に、好きなだけ遊べる玩具を求めている。男子便所を盗撮、それを100万点以上保存して所有、意味不明なWEBサイトを管理、と3拍子揃った男は、まさにうってつけだった。
そんな興奮の中、WEBページ『地球が赤い』に更新があった。
その内容は、まず犯罪行為と世間を騒がせたことについてのお詫び。そして、それと関係なく、地球が赤いという主張は嘘偽でなく真実であると綴られていた。
この更新にまた、人々は沸き立つ。裁判中の限られた時間にサイトを更新して、しかもその内容が意味不明な理論の主張なのだ。ネット上はお祭り騒ぎになる。この男と事件はネットミームとなり、揶揄した動画が作られたり、オンライン百科事典に項目が作られたりとまさに無法地帯であった。一部の特定班によって男の本名と住所も暴かれ、男の家の壁を赤いペンキで塗るといったような悪質ないたずらも横行した。
その騒動の中でも、男はサイトを更新し続けていた。コメント欄は、皮肉として賛成する意見を除けば、男の行動と主張に対する批判で満杯だ。男はそれに対し、自分の犯罪行為と主張の正しさは無関係である、地球は赤いと反論し続けていた。しかし、なぜ地球が赤いのかという理屈は、やはり支離滅裂なのだった。
このお祭り騒ぎは、男が裁判の結果収監され、サイトを更新できなくなるまで続いていった。
数年後。懲役刑を受けていた男が、釈放される日となった。
刑務所前で記者が待つことはない。ネット上の流行は矢のように過ぎ去り、人々は事件のことをきれいさっぱり忘れていた。
男の見送りは、刑務所長ただ一人。彼は、男が所内で陰湿ないじめに遭った際に助けの手を差し伸べ、便宜を図った人徳者だ。男も刑務所長には感謝の念しかなかった。
身一つで扉をくぐる男に、刑務所長が話しかける。
「なぁ、君。もうあんなことはしちゃいかんよ」
「はい」
「それと、地球がどうとかのおかしなことも言わんほうがいい。これから頑張ってな」
「……はい。ありがとうございました」
刑務所長が見送る中、男は歩き出す。
そして、誰にも聞こえない声量で、ひとり呟く。
「それでも、地球は赤い」
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