第5話 最後の鬼
板前木平には自信があった。闇夜に紛れて姿を隠し、このまま誰にも見つけることなく鬼ごっこを終えられると。
安物の腕時計に目をやると、時刻は0時50分。鬼ごっこの終了時間は1時ぴったり。あと10分であれば、周りと見劣りする自分の足でも逃げ切れると考えていた。
それに、このまま走ることはないと思っていた。ここなら絶対に見つからないという自信があったのだ。
彼が現在いる場所は、駐車場近辺にある倉庫小屋である。老廃してきた白塗りの小屋で、掃除道具や一輪車などの遊び道具がしまわれている。駐車場は、芝生広場から少し離れた場所にあった。
スタートが芝生広場なので、だいたいはそこから奥に進んだところで追いかけっこが行われるケースが多い。なので、あえて戻っているというのは、いわゆる灯台下暗し的作戦ともいえる。
そして、この倉庫に隠れていればまず見つかることはない。管理人が管理しており、鍵がないと入ることはできない。なので木平は倉庫の後ろに回ってしゃがみ込んでいる。裏に回り込めば見つかるが、その心配はいらない。
何故なら、倉庫の後ろは緑色の柵で公園の外と区切られている。柵の向こう側はゲームのエリア外なので、回り込まれる心配はない。つまり、鬼が倉庫付近に来て木平を探そうと思っても、彼の体は倉庫によって隠れているというわけだ。
もちろん見つかる可能性が0というわけではない。公園の外に出て倉庫の後ろを見るのではなく、前から直接来て裏を覗き込めば、すぐに木平の姿は見つかってしまう。
けれど木平はその心配は全くしていなかった。簡単な話、倉庫の角に待機して少し顔を出して見張っていればいいことだった。倉庫の電気はついていないのであちらからは見つかりにくいが、公園内部には街灯があって薄暗くはあるが人影程度なら発見することができる。
なので、ここで隠れながらも先に鬼を見つけることができ、その時は逆側の角が逃げればいい。逆に反対側の角から鬼が入ってきた場合、その時は木平は気がつくことができるようになっている。
本来なら、前方に注視していて背後から攻められれば一巻の終わり。けれど、もし鬼が反対側から侵入しようと思えば、ささやかな知らせが入る。それは柵に人がぶつかる音である。
柵と倉庫の壁との隙間は、ぎりぎり体が入れるぐらいしか幅がなくかなり狭い。なので、どうしても柵に体がぶつかって「ガシャガシャ」と音が鳴ってしまうのだ。
これにより背後から襲われる時でも先に気がつくことができ、角にいる木平は一目散に逃げればいい。
隠れることにおいて、この場所ほど完璧な場所は他にない。しかし、そんなにいいスポットなら、そこにいるだろうと予想される心配もある。けれど、それはありえないと木平は考えていた。記憶違いでなければ他の3人がここで隠れていたという情報はなかった。木平も隠れ蓑に使ったのは今日が初だ。
木平は使用しなかっただけで、以前からここを発見していた。この狭さならいくら体躯の小さなカルタでも思うようには動けなく、足の遅さを補うことのできる最高の隠れ場所だということも知っていた。
だからこそ、ここぞというときに使おうと思っていたのだ。例えば、罰ゲームを絶対にしたくないときとか。
そして、この場所を使ってでも逃げなければいけない、ここぞという場面が今回なのだ。
ちらちらと目だけを覗かせて、付近を警戒度MAXで注視している。さいわい、ここに隠れて30分以上は立っているが誰も探しに来てはいない。
これはゲームが公園の奥の方で行われている可能性が高いことを示している。カルタにタッチをしたので、隠れる鬼ごっこではなく、走る鬼ごっこになるという木平の予想が当たっていた。
あれ以来誰とも接していないので定かではないが、1度や2度は鬼の交代があると踏んでいた。そうなれば体力が減っていることとなるので、体力を温存している木平にも勝ち目が見えてくる。
絶対に負けたくない。今日の、今日の鬼ごっこだけは。
神に祈るかのように、胸に手を当てて強く誓った。
そんな木平のもとに一本の電話がかかってくる。それは死神からの連絡だった。
「ピロロロロロン」
ポケットにしまっていた木平のスマホが、高らかな着信音を鳴り響かせる。通常よりもはるかに大きい音だ。アラーム音よりも強い刺激的な音になっている。木平はケアレスミスを犯していた。録音した音をカルタに聞こえるようにしていたため、スマホの音量を最大に設定したままだったのだ。
「‼」
突然の音に、捕食されることに気がついた鹿のようにびくっと肩を上げた。声が枯れるぐらい泣いてやまないセミの音をかき消すほどの爆音が鳴り響いていた。すぐに止めようと、スマホを取り出し画面を開く。
液晶には電話帳に登録しておいた「阿翔」の文字が映っていた。鳴りやむことのない着信をみかね、すぐに無音に設定をする。
まずい。やられた。
何故阿翔が自分がスマホを持っていることに気がついたのかと、木平は混乱する。
いつもは皆の携帯電話や財布と言った貴重品は、木平の持ってくるリュックサックにまとめて保管し、芝生広場にある時計台の下に置いてある。夜中で人は全く来ないので、盗まれる危険性は皆無だった。
その習慣を木平は逆手に取り、スマホをポケットの入れっぱなしにしておき、意表がつける録音作戦を実行した。
その作戦に気がついた阿翔は、自分のスマホをとろうと芝生エリアに向かったのだ。そして、ターゲットの位置を知るために電話を掛けたのだ。
作戦は大成功だった。芝生エリアに近い倉庫に木平はいたため、阿翔の耳に届いたことだろう。
策士策に溺れた木平は、拠点をなりふり構わず見捨てて走り出した。位置がバレれば倉庫に隠れていても意味がない。あとほんの数分、阿翔から逃げ切れればいいだけの話なのだ。
倉庫の裏から飛び出すと、すぐに阿翔が視界に入り込んできた。目の前ではなく、左端の方である。あちらも捕捉したようで、すぐに走りだした。
木平は逃げる方向を迷っていた。左側は鬼が追ってきていて、右側は公園の出口になって逃げることができない。ならば前へと走るしかないのだが、そのままいけば芝生にたどり着く。
あそこはだだっ広く障害物が少ない。単純に足の速いものが有利である。それを見越していたのか、わざわざ阿翔は遠回りをして木平を探していたのだ。芝生エリアへと標的をおびき寄せるために。
「見つけたぞ、かくれんぼうさん」
ついに木平の居場所を特定した阿翔は、ここが正念場だと言い聞かせ、全力疾走で追いかけていく。体力は限界に近いが、ここを逃せば自分の負けは確定である。
「ずるがしこい奴だな」
木平は仕方なくそのまま直進していった。すぐに阿翔に追いつかれるのが関の山だと思っていた。けれど、全速力で走っている阿翔の足はそれほど速くはなかった。気合いではどうにでもできないほど、阿翔の体は疲労に襲われているようだ。
これならば逃げ切れるかもしれない。
一筋の希望が見えた木平は、芝生エリアに足を踏み入れる。すぐに時計台が目に入った。残り時間はあと5分もない。
「こんちくしょう」
似合わない言葉を吐きながら、阿翔も芝生にたどり着き木平の背中を追っていく。
両者間の距離は数メートルしか離れていなかった。体力が衰えているとはいえ、ラストスパートをかけている阿翔ならば、十分にタッチのできる距離だ。
時計の秒針が着実に動いているように、二人の距離も近づいてくる。
「はぁはぁ、絶対逃げ切る!」
足が千切れんばかりの勢いで木平は走っている。しかし、ついに阿翔の間合いになってしまった。
「タッチ」
その声と共に、絶対に感じたくはない感触が、背中に伝わってきた。阿翔の手のひらが、確実に木平へと触れたのだ。
「アウト。タッチ!」
だが木平はまだあきらめていない。この距離であればタッチ返しのチャンスはある。勢いをそのままに振り返り、腕を阿翔に向かって思いっきり伸ばした。
しかし、木平はすぐに手をとめた。阿翔に触れることはなく、立ち止まったのだ。それは、阿翔も一緒だった。タッチをしたらすぐさま逃げ出すのが定石だが、口角を上げて笑いながらただ突っ立っていたのだ。
「セーフだ、木平」
「……この野郎」
すぐに阿翔の意図を理解した。木平が振り返った際に、丁度視界に時計が入り込んだ。その針はすでに一時を示していたのである。つまり、タイムオーバーにより、木平のタッチは不成立なのだ。
これを阿翔は狙っていた。至近距離でのタッチの応酬。捕らえたとしても再びタッチをされれば意味がない。その回避方法が、終了時間ギリギリにタッチすること。普通は狙ってできることではないが、時計台がすぐそばにいる芝生エリアだったら話は別である。時間を気にしながら、タッチをすればいいだけなのだから。
「お前が、俺のタッチも時間外だと言ったら、それまでだけどな」
阿翔のタッチは12時59分56秒当たりだった。しかし、木平は時間を見ていなかったので、時間外だと主張することはできなくもない。けれど、木平はしない。おそらく阿翔はそれもわかっていたのだろう。ルールを作ったのは木平。負けを感じたら、嘘偽りなく答えること。
「負けだよ。まんまと引っ掛かった」
木平の心は素直に負けを認めていた。プライドもあるが、阿翔の本気具合と作戦に敬意を示してのことだった。
「悪いな。お前が負けられねえのはわかるけど、俺にも負けられない理由があるんだよ」
阿翔はくたくただった。全身から汗が噴き出て、ジャージはびしょびしょ。肌寒いそよ風が心地よかった。阿翔は人生で初めて、全身全霊を込めて死ぬ気で走った。疲れたという気持ちよりも、清々しさが勝っていた。
「いいよ。手を抜かれちゃ、意味がないし」
「そうだよな」
こうして今回の幕は閉じた。かつてない激戦により、皮肉にも当初の予想通り木平が負け、罰ゲームを実行しなければいけなくなった。
闘いあった二人は何を言うでもなく、集合場所の時計台の下へと歩き出した。
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