第4話 プレイボーイ
「待ちやがれ、チビッ子小僧」
「うるさい、ヤリチン」
現在、鬼ごっこ開始から早くも40分が経過していた。暗闇の濃さは変わらないが、僅かにさっきよりも気温は下がっている。
夜の冷え込む寒さをもろともせず、阿翔とカルタはひたすら走っていた。お互い大量に汗をかき、息が切れている。しかし、走り続けていた。心臓をはち切れんばかりに動かし、千切れるかというほど足を前へと踏み出していく。
かれこれ20分は走り続けている。これがマラソンであれば、まだ余裕がある頃あいだ。けれど、二人はこの間ずっと全速力で走っている。消耗が激しいのも仕方がないことだ。
ジョーに一本取られ、鬼となってしまった阿翔は、標的をカルタに変えていた。理由は居場所が分かりやすいからである。
阿翔が誰を追うか、選択肢は三つある。木平は足が遅いので狙い目ではあるが、彼は隠れることに関しては天才だ。それは阿翔もよく知っている。限られた時間の中で、無駄な捜索は愚策である。
どの方角に逃げたかをある程度把握しているジョーも追いやすいが、それもすぐに断念をした。何故なら、彼が今回異様なやる気に満ち溢れているからである。
毎回ジョーはどこか本気を出していない節があった。バイトで鍛えられた身体能力を持ちながら、彼が捕まりやすいのはそういった理由があった。けれど、逃げ切る気満々の今の彼がどれだけのポテンシャルがあるのか、それを阿翔には測りかねていた。
二人を見つけるのは難易度が高いとみて、最後の選択肢であるカルタを選んだ。足の速さは天下一品のカルタだが、見つけるのはそう難しいことではなかった。
阿翔は今までの統計上、カルタがゲーム中によく足を運ぶであろう場所を理解していた。
それが、今も二人が愉快に追いかけっこをしている遊具エリアだ。滑り台、ブランコ、アスレチックといった子供向けの遊具が設置されている場所だ。エリアは二人で走り回るには十分過ぎるほど広く、遊具が障害物になって逃げやすかった。
待機する場所としては立地のいい場所。けれどカルタがここに来る理由は別で、「ブランコに乗りたい」からという単純明快なものだった。
今回の鬼ごっこでも、変わらずカルタはブランコを漕いでいた。己の傾向が阿翔に読まれているとも知らず、のんきに前へ後ろへと浮遊していた。
漕いでいる姿を確認して阿翔はたどり着くと安心したが、それと同時に焦りも感じていた。ここまで来るのに、十分も時間をかけてしまったのである。池があったエリアと遊具アリアは真逆なのである。
その焦りからか、ブランコの乗るカルタの背後からタッチをしようとしたが、足音で気がつかれてしまったのだ。カルタが、木平の一件で異常に警戒していたのも要因の一つだろう。
そして、それから阿翔はカルタを追い、カルタは猿のような身のこなしで逃げていた次第だった。
「速すぎんだよ、お前」
阿翔はカルタの異常な足の速さに、むかつきながらも感心していた。サッカー部で一番の俊足である自分が、何故小学生のような見た目の小童に勝てないのか、阿翔は不思議でしょうがなかった。
もちろん、以前からカルタの驚異的な脚力は認知していた。けれど、今日のカルタはいつもより速いように感じた。
そのわけは、カルタが死ぬ気で走っている事と、逃げることを諦めていないからだ。いつもカルタだったら、阿翔が追い回せば、「ダルイ」と一言言って素直に捕まる。
しかし今夜は、わき腹がずきずきと痛むまで走っている。最後まであきらめることのないカルタの足の速さに、阿翔は長時間対面しているのだった。
「ほめんなって」
減らず口を叩けるほどにはまだ余裕があるようだ。阿翔と数メートル距離が離れていることを確認すると、近くにあるジャングルジムへと手を伸ばした。
野生児のように慣れた手つきでジャングルジムを駆け上がっていった。子供用とはいえ、頂上まで行けば阿翔の手が届かない距離を保てる。
「猿かよ」
まだ登る元気があることに驚きながら、阿翔もジャングルジムにたどり着く。黄色のペンキで塗られたパイプだが、年数がたっていてところどころ錆びている。
阿翔は潔癖症ではないが、それを掴むのを一瞬躊躇した。子供の頃は、気にせず触っていたはずなのに、今はそんな細かいことを気にしてしまっていた。
けれど、汚れなど気にしている場合ではない。すぐさま阿翔はパイプを掴んで、駆け上っていく。カルタにはない手足のリーチを生かし、距離を詰めていく。
「登るのも速いのかよ」
てっぺんにたどりつき阿翔を見下ろしていたカルタ。少しは時間を稼げるかと思っていたが、予想外の速さだったようで文句を垂れた。
このままではジャングルジムを降りる際にもたついているところをタッチされてしまう。そうなれば、上にいる阿翔にタッチ返しをするのは困難だ。
そう判断したカルタは、覚悟を決めて立ち上がった。パイプに足の裏のほんの一部分しか面していない状態で、カルタはジャングルジムの上に立ったのだ。バランスを崩せば鬼ごっこどころではない大怪我に繋がる。
危険な行為をする友人を心配するも、阿翔は登り続けた。もう少しで頂上にたどり着くというタイミングで、カルタが驚きの行動に出たのだった。
「せーの」
掛け声と共に、砂利の混じった地面に向かってダイブしたのだ。ジャングルジムの上から、カルタが降ってきたのである。
「嘘だろ」
衝撃の光景に阿翔は声が漏れた。子供用とはいえ、地面と頂上の高低差は3m、下手したら4mはある。高校生と言えど、この高さから落ちるのは危険だ。
「いって」
しっかり二つの足裏で着地をしたカルタだったが、当然衝撃が襲ってくる。じーんとした痛みが、疲弊している足を攻撃していた。
痛みを伴ったものの、骨折といった大怪我をすることなく飛び降りに成功した。その結果、阿翔はジャングルジムの一番上におり、カルタは地面にいる状況だった。
「正気かよカルタ」
阿翔は上空からカルタを見下ろすと、想像以上に地面が遠いと感じた。高所恐怖症ではないし、普通に手を使って降りれば何ら怖いことはない。が、ここから飛び降りるとなると話は変わってくる。ここからジャンプしたカルタは、恐怖心がマヒしているのではないかと、阿翔は若干引いていた。
「飛び降りて来いよ」
カルタは舌を出してあっかんべーをしており、明らかに挑発している。阿翔が怖気づいているのを確認すると、このエリアを離れようと再び足を動かした。
「くっそ」
悔しい。負けられないという思いもあるが、阿翔の心は悔しいという言葉で埋め尽くされていた。本気で走って二十分以上追いかけたというのに、一度もカルタの体に触れられなかった。血が出てしまうぐらいした唇をかんだ。
そんな阿翔の気持ちを考えることなく、カルタは遊具エリアを離れていく。そんな彼の後ろから、「ドスン」という重たい地響きが聞こえた。
まさかと思いながら、カルタは振り返った。するとそこには、地面に足をつけている阿翔の姿があった。
カルタが覚悟を決めて飛び降りたように、阿翔もまた決心をしたのである。
「お前の言った通りにしてやったよ」
阿翔も無事に着地をしていた。けれど眉間にしわを寄せているところをみると、下半身に多大なる負荷がかかってしまったようだ。言葉もどこか苦しそうだった。
「まじかよ」
阿翔は鬼ごっこを楽しんではいるが、ジョーとは違った風にどこか手を抜いているときもあった。サッカー同様、100%を出し切れずにいた。そんな自分を彼自身は嫌っていた。無我夢中で走るカルタを見て、少し憧れていた部分もあった。
しかし、そんな手抜きをする阿翔はもうここにはいない。絶対に負けたくないという思いが、彼を限界まで奮い立たせていた。
彼もまた、罰ゲームを行いたくない理由があった。
阿部翔太という男には、数えきれないほど元恋人がいた。初めての彼女は小学校の頃である。その時すでにファーストキスをすましていた。それから中学校に入った途端に彼女を作り、自らの貞操を捨てた。
そして、現在高校生になり、魅力と性欲は上がる一方だった。学校一の女たらしとして、その名はあまりに有名すぎる。
彼が有名になったのは高校一年生の時に起きたある事件からである。それは、クラスの女子の半数以上が彼の元彼女という肩書を得たのだ。これは先生の耳にも届き、生活指導を受けたのだった。けれど阿翔が大人しくなることはなく、女をとっかえひっかけなのは変わらなかった。
実はその中には、教師も含まれていた。今年からやってきた新人教師と、阿翔は交際したことがあった。
きっかけは、彼の友人であるカルタの奇行をどうすれば止められるかという相談を受け時だった。彼の幼稚すぎる行動にストレスを感じていたその教師は思いのほか疲弊していた。
そんな時に相談相手の美男子生徒である阿翔に優しくされたことで二人の関係は密接になった。
けれど、さすがに先生と付き合っているのはまずい、と感じてすぐに別れることとなる。しかし、その教師が阿翔を思い続けていることを、彼もまた知らなかった。
そんな阿翔だが、今は彼女がいない。彼女がいれば、罰ゲームなどないも同然で、こんなに必死になって走らなくていい。
常に保険的存在の女性がいる彼だが、毎年夏は特定の人物と交際することはない。理由は遊びたいからである。ナンパをするにも彼女がいれば表立ってはできない。
海に行っては数人を抱いて帰ってくるのはもはや恒例行事と化している。年上女性とも体の関係を持ったことがあり、各地に阿翔と関係を持った女性が存在する。
なので、丁度今は交際をしないようにしている時期なのだ。しかし、彼には密かに思いを寄せている女性がいた。他の三人にすら気がつかれてはいない。いや、気がつかれてはいけないのだ。
彼女の名前は間野瞳。阿翔と同じクラスだが、席も遠く接している人たちも全く違う。グループが違う二人は、皆がいる場所で喋ったことは一度もない。
彼女はおさげ髪で化粧も一切しておらず、地味という印象がぬぐってもぬぐい切れない女性だ。友人はいる様子だが、基本的に教室の隅で読書を楽しんでいる。読む本は「生きるための哲学」といった小難しい内容のものが多い。
煌びやかな女性と何度も付き合いを重ねてきた阿翔とは無縁の存在だ。実際、彼女のような大人しい人とは交際経験はなかった。
けれど阿翔は彼女のことを、読んでいる本をわざわざ購入してみるほど好きだった。結局活字になれてなさ過ぎて序章の部分で断念はしたが。
彼女を気にかけているうちに、阿翔は彼女の秘密を知った。
間野瞳はいじめにあっていた。暴力的なものではなく、クラスのカーストの高い女子たちに陰湿ないじめを受けていた。もともと間野はその女子たちとは仲良くはなかったため、相手にはしていなかった。
けれど、親しかった友人たちにも、それはだんだんと伝染していってしまった。そして、彼女は教室の中で一人ぼっちになった。
それを見かねた阿翔が、彼女を助けようとした。やることはいたって簡単なことだった。阿翔はいじめていた女子たちのリーダー格に注意をした。
「別にいんだけどさ、ああいうのは大概にしろよな。クラスの雰囲気が悪くなるし、そういうお前をあんまし見たくないんだわ」
威圧感なくそれとなく優しい口調で伝えた。
「翔太がいうなら。そろそろ飽きてきたし」
リーダーの女はあっさり承諾した。そして後日からはそういった険悪なムードは、教室から綺麗に消え去った。間野は孤独ではなくなったのだ。
何故あっさりいじめがなくなったのかというと、リーダーの女子生徒と阿翔はその時期に交際をしていたのだ。阿翔に嫌われたくない思いから、間野をいじめなくなったのである。そのあとすぐに二人は別れることにはなってしまうが、飽きていたのは本当のようでいじめが再発することはなかった。
こうして彼女の知らないところで阿翔は間野瞳を助けていたのだ。
いじめが起きていたころ、間野はいつだって冷静だった。いじめられている間も助けてと言い出せないというよりは、自分に敵意を持つ相手には無関心といった具合だった。その態度がいじめの拍車をかけていた理由ではあるのだが。
ちょっと甘いことを言えば体を許すような尻の軽い女性と付き合ったことがない阿翔は、その冷たくも美しい姿に魅了されたのだ。
しかし、告白しようとは思わない。取り扱いのわからない彼女に断られるのが怖かった。フラれるという恐怖を考えて怖気づくことは、彼にとっては初体験のことだ。それに、派手に女を口説いてきた分、周りにああいう地味な子が本当は好きだ、と思われることが嫌だった。
自分のプライドのために告白はしていないが、それにはもう一つ大きな理由があった。阿翔は、自分が好意を寄せていることが広まれば、間野が他の女子の嫉妬を買い、再びいじめが起きるのではないと考えていたのだ。
だから阿部翔太は、罰ゲームのかかったこの鬼ごっこで「負けるわけにはいかねぇんだよ!」と叫んだ。
カルタに向かって気合いをぶつけるかのように大声を出すと、痛みに耐えながらつま先に力を入れてカルタの背中を追っていく。
「捕まえてみやがれ」
修羅のような見たことのない表情をする阿翔に威圧されたが、負けじとカルタは加速していく。
二人は遊具エリアを抜け、ジョギング用の道に飛び出した。走りやすいこの道をたどっていくかと思いきや、カルタはすぐに道を外れた。
急斜面になっている土砂の上を思いっきり駆け上がっていった。足場が悪くそのうえ坂になっているので、体力は相当消費する。疲弊しきっている状態で、あえてカルタはこのルートを選んだ。
「体力お化けか」
カルタは陸上部に所属しており種目は短距離走。鬼ごっこではすぐに「わき腹が粉砕する」といって走りを辞める男なので、体力があるという印象はなかった。しかし、今回は彼の尽きることのない体力を、阿翔は目の当たりにしていた。
ここで差を開かれるわけにはいかないので、阿翔も嫌々土の地面へと足を踏み入れる。さっきの落下の際の痛みが残っているので、坂を登ろうと強く踏み込むと足に負担がかかった。
それはカルタも同様だ。けれど、二人が足を止めることも速度を緩めることもなかった。
勢いよく登っていくカルタを見て、阿翔はとんでもないことを見落としていたことに気がついた。それは、遊具エリアからはまだ出ていないということだった。
公園の地図にも遊具エリアは、さきほどの遊具が密集している場所とされている。
けれど、実は一つだけその巨大すぎる作りのせいで、近くの別の場所に配置されているのだ。
それが、カルタが坂を必死に上りながら目指している、巨大滑り台だった。通常のブランコがカラフルでコンパクトな形をしているのに比べ、こちらは機械的な銀色で統一されており、全長2、30mは夕に超えている。
滑り台のスタート地点である階段を登っていく高台は、この坂の頂上にあった。そこから人が滑る部分が斜め下に向かって伸びている。大蛇のように真っすぐではなく少しうねっていた。
子供たちが尻をついて座る場所は、まったいらではなく無数のローラーになっている。普通の滑り台だと、長距離になると服などでつっかえてしまって、せっかく長時間滑れるのに止まりながら滑らなくてはならない。
そんな子供の悩みを回避するためにローラーが採用された。そのため子供が滑るとかなりのスピードになってしまって危険なので、親が近くにいることが推奨されている。
カルタはこれに乗って一気に下へと滑り落ちようとしていたのだ。よく遊具エリアで遊んでいるカルタだからこそ、この巨大滑り台の存在を忘れていなかったのだ。彼は子供たちと一緒にこの滑り台を恥ずかしげもなく利用していた。
阿翔がそれに気がついたころ、先の見えなかった暗闇から、銀色に輝いているそれが見えてきた。
阿翔は考えた。このまま追ってもカルタが滑り台に乗ってしまえば、逃げられる可能性は大だ。カルタを追うのをやめて、滑り台のゴール卑近に先回りするか。いやそれだと、カルタが滑り台に乗らずにそのまま逃げれてしまう。
走りながら脳をフル回転させて、阿翔はこのまま追うことにした。滑り台に乗られる瞬間を狙う作戦だった。高台に上るために階段を登る。
そのときにカルタは走ることを辞めざる終えないので、当然遅くなる。そのすきに足でも狙ってタッチをしてしまえば、坂を下って逃げ切れる。
作戦が逆にアダとなったな、と阿翔は心のなかでにやりと笑い、ラストスパートだとさらに加速していく。
「阿翔、俺だってちゃんと考えて走ってんだよ」
足を速める阿翔に気がついたのか、カルタは少しだけ走る方向を変えた。階段ではなく、滑り台のレールに向かっていったのだ。
「じゃあな」
そう吐き捨てたカルタは、スピードを緩めることなくレールに手をかけて力を入れ、勢いよく滑り台に飛びなった。小柄なカルタの体は、うつ伏せの上体でレールにすっぽりはまった。
そして体重の乗ったローラーは「ガラガラ」という音を真夜中に奏でながら、次々回転していく。ローラーはカルタを流しそうめんのように運んでいった。
「何!?」
勢いを殺すことなくスタントマンのような動きで飛び移ったカルタを見て、その身軽さに単純に驚いてしまった。
予想外の動きに作戦が早くも失敗するも、まだ阿翔は諦めていない。カルタが猛スピードで逃げていったように、阿翔も飛び移って同じスピードで滑っていけばいい。
阿翔も階段からではなく滑り台の途中から乗り込もうと考えた。たどり着いた阿翔は、カルタと同じようにレールの淵に手をかけた時だった。
ジャンプしようとしていた阿翔の体がピタッと止まった。その間、カルタは優雅に滑り続けており、もうすぐ最終地点にたどり着く。
阿翔は追いかけることを諦めた。というよりも諦めることを余儀なくされた。このまま滑っていけば、距離は縮められなくとも保つことはできる。けれどそれは、カルタと同じ速度で滑れればの話である。
滑り台の幅を見て阿翔はすぐに動きを止めた。何故なら狭いのだ。本来子供が乗るようとして設計されているため、成長期を終えた高校生が乗れるような幅ではないのだ。
休日、父親と共にこの滑り台を利用する人がいるが、子供が先行して流されていき、父親は狭さに阻まれて思うように動かない事が多い。
けれど、軽いという言葉に誇りを感じているカルタは違う。背も小さければ体も細く体重も軽い。さすがに小学生より当然大きいが、この滑り台であれば余裕をもって楽しむことができる。
スムーズに下降していくターゲットを、鬼である阿翔はただ見つめることしかできなかった。坂を下って追いかけることも出来るか、おそらく滑り台の方が速いだろう。
それに走って下るのと座って下るのとでは、体力の減りが全く違う。短い時間ではあるが、カルタは息を整え心臓を休めることができる。
そんな休息を得た相手を、限界の近い体で追おうと思うほど、阿翔は頭に血が上っているわけではなかった。ここまで奇麗に巻かれると、ジャングルジムで感じた悔しさは不思議と消えていた。
カルタを追うことは断念した。しかし、このゲーム自体を諦めたわけではない。自分のためにも間野のためにも、この男は負けるわけにはいかないのだ。
「おーい、カルタ~」
すでに地面に足をついたカルタに呼びかけた。彼の闘いはまだ終わったわけではない。
「なんだよ。捕まってくれってか~」
カルタはそれを無視することなく、その場で立ち止まって返答をした。このあたりは街灯が少なく下からでは阿翔の姿はよく映らなかった。
「ちげえよ。もうさすがに疲れた。ただ、一つ質問していいか?」
怒号を上げていた先ほどとは違い阿翔は冷静だった。交渉をするために、敵意がないことを伝える必要があったからだった。
「おいおい、今更なんだよ。あ! お前も俺をだます気だろ」
木平にやられた録音作戦を思い出し、警戒レベルを上げた。一応阿翔がそこにいるのはわかるが、油断はできない。また声とは違う方から襲われるのではないかとひやひやしていた。
「やっぱり。おーい、カルタ。お前、一回木平に捕まっただろ」
阿翔はこの鬼ごっこにある違和感を覚えていた。当初の予定では、自分がこんなに走るはずではないのだ。何故なら、一番手の鬼が木平だったからだ。
しかし、実際は阿翔の予想からは大きく外れ、何故かジョーがすでに捕まっていた。ジョーは見つけやすいので木平が狙う可能性は大いにある。
けれど、序盤の体力で二人の実力差から考えれば、ジョーが捕まる可能性は低い。今回は特にジョーが本気だったため、余計考えにくかった。
だとすれば、ジョーにタッチをしたのはカルタということになる。彼はよくジョーを狙うし、俊足で充分逃げられる可能性はある。
そう仮説を立てると、カルタがそれよりも前に捕まったということだ。阿翔がジョーと出会ったのは開始二十分ごろ。そんな短時間なのにゲームが動きすぎだ。この広大な公園では、一時間でもゲームが二転三転するには足りない。
とするならば、木平が何かしらの方法でカルタを騙し、一瞬で鬼が交代したと考えた方が、筋が行く。逆算しながら鬼の交代と流れを考察するのは、この鬼ごっこにおいては重要なことだ。
残り少ない時間で、疲れ切った阿翔がタッチできる相手と言えば木平ぐらいだ。だから、少しでも些細なことでいいから木平の情報が欲しかった。
「そうだよ。それでこんなんになったんだよ」
あっちから見えているかは分からないが、カルタは手を広げて全身の汚れと傷をアピールした。
「教えてほしいのはそのことなんだよ。なんで捕まったんだ? カルタの足なら余裕で逃げ切れるだろ」
今回のカルタが同じように本意なのは、身をもって体感した。全力を出し切っても追いつけなかったのに、木平が捕まえたという事実がどうして受け止められなかった。
「いやそれがさ。俺もよくわかんないんだよ」
「わかんない?」
「木平の声が聞こえてきて、そっち見てたら後ろから急にあらわれたんだよ。そんで驚いて転んじゃった~」
耳を疑った。自分は怪談話でも聞いているのだろうか。阿翔にしてみれば、話を聞く限りでは木平が二人いることになってしまう。
「真面目に答えろ」
「真面目だって。俺もわけわかんなくて聞いたら、録音した声だって。でもさ、なんで録音した声が聞こえたわけ?」
どうやら罠にかかったカルタは、いまいち自分がされたことを理解してはいなかったようだ。
「録音。なるほどね。サンキュー!」
やっと阿翔は腑に落ちた。木平がおそらくスマホを使って誘導したのだと。
「おい、どういうことだよ」
勝手に納得した阿翔にいら立ち、教えを乞うカルタ。けれど、阿翔は答えずにどこかへ走っていった。
「あとで木平にきけ~」
録音というヒントを貰ったのに、何故真相にたどり着けないのかと呆れていた。こんなやつに負けたのかと、己を恥もした。
情報を得た阿翔は、すでに新たな作戦を考えていた。それを実行しようと、最初の地点である芝生広場に向かった。
阿翔は意気揚々としていた。これが上手くいけば、確実に逃げ切ることができる。
標的を俊足のカルタから知将・木平へと変更し、公園を突っ切っていくのだった。
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