第3話  きっかけは

 加藤城にはお金がなかった。父親を事故で早くに亡くし、安いアパートに母と妹と密やかに暮らしている。母親はパートをしているものの、収入はわずかであり、ジョーが働かずにはいられない状況だった。


 けれど、バイト三昧の生活に嫌気がさしたことはない。自分の頑丈な体が家族のために役に立っていることが嬉しかった。


 彼の父親はジョーが六歳の頃に亡くなっており、正直記憶にはほとんど面影が残ってはいなかった。写真は何枚か残っていて、ジョーと妹はそれを見て父親の存在を知った。

 父親は現在のジョーと同じく丸坊主で身長は190は超えていたという。幼き自分を抱きかかえているその男が、父親であるということをジョーは覚えていないが、代わりに彼の遺伝子が記憶していた。


 苦しい生活をおくっているのは父のせいだと父を責めることはできるが、ジョーたち家族はそう思ったことは一度もなかった。

 彼の父親の死因は、焼死。職業が消防隊員で、大火事の中逃げ遅れた人を救うために飛び込んだ。無事救出できたものの、父親はがれきに埋もれてしまいそのまま亡くなった。


 そういった経緯を知っているので、恨むどころかある種の尊敬の念を抱いていた。

 若くして苦い経験をしてきたジョーだが、そのことを周囲の人間に言いふらすことはない。

 

 実は彼がバイトを掛け持ちしていることを知っていても、その理由を阿翔と木平は知らなかった。幼馴染のカルタにだけ伝えているが、もしかしたら忘れているかもしれない。


 ジョーは明日も朝早くから引っ越しのバイトがあるが、鬼ごっこに参加していた。一日でも多く働いて稼ぎたいのが本心だったが、このゲームを彼が休んだことは一度もない。働きずめで溜まりにたまったストレスの発散方法になっているようだ。


 参加するには彼も本気で挑むのだが、鬼ごっこにおける彼のプレイスタイルは一風変わっている。


 公園を一周できるように設計されたコンクリートの道を、彼は永遠と歩き続けている。整備されたこの道はランニングをする人用に作れられたもので、公園を囲むようにずらっと続くものである。

 彼はそこをカタツムリのようなゆったりとしたスピードでジョギングをしている。     つまり、隠れないのだ。


 彼が今歩いている一帯は、公園の中でもかなり開けた場所である。大地に深く根を生やしているような大樹はなく、線の細い木が数本だけ伸びている。

 近くには小池があり、落ち葉がぷかぷかと浮かんでいる。


 ここはどちらかというとリラックスしながら公園を楽しむエリアだった。天高くまで葉で覆われていないので窮屈感がなく、歩いている人たちの人休めになるような空間だ。腰を掛けて休めるようにベンチが二つほど設置してあり、自販機も置いてあった。


 緊張感のない休憩エリアを、凛とした表情でジョーは歩き続けている。ここは公園の端っこに位置していて、公園を深くまで進まないといけない場所ではある。

 しかし、遠くからでも見やすいので誰かに捕捉されるリスクは高い。


 案の定、もはや散歩をしているといっても過言ではないジョーは、居場所を特定されたしまった。


 「相変わらずだな」


 ジョーに声を掛けたのは、豹のロゴが入ったジャージを着ている阿翔だった。彼がいるのはコンクリートの道の脇にある、緩やかに盛り上がった土の斜面だ。なので、ジョーを軽く見下ろしている状態だった。


 この地面は整備されていないのででこぼこしていているが、公園をショートカットしたいときによく使うことが多い。

 坂になっている土を登らなければならなく、場所によっては急斜面なので転ばないよう気を付けなければいけない。池の近くにある斜面は、それほど激しくはないので、阿翔は利用したのだろう。


 「何の用だ」


 辻斬りに出会った武士のような重々しい返事だった。ジョーの声はウシガエルのように低く、さらに無表情で発するので、異様に威厳があるように感じる。


 「今回さ、俺らの勝ちは固いと思う」


 鬼ごっこが始まる前と同じく、阿翔は木平が鬼であることに余裕を感じているようだった。馬鹿にしているようにも思えるが、実際木平の鬼でスタートした以前のゲームで、一度も捕まえることができないということがあった。

 

 じっとしていられないカルタや歩いているジョーを見つけ出すことは簡単だが、木平はあと一歩のところで追いつけずに巻かれていた。

 

 木平は鬼ごっこに向いていないように思えるが、隠れられると見つけられず勝率自体は良いので、他の三人は容赦しなかった。だから、今回も同じように、木平が鬼のままでいると予想していた。


 「けどさ、誰かを捕まえる可能性がゼロってわけじゃない。ジョーは見つけやすいしよぉ。だから、その万が一の時に備えて、ある提案がある」


 確率は低いが、木平が他の三人を捕まえたことは数回ある。その数回の可能性を潰したいほど、阿翔は負けたくないようだ。


 「俺と手、組まないか?」


 この鬼ごっこにおいて、手を組むというのはあまりないことである。それは、相手が鬼なのかそうではないのかを判断できないからである。

 

 鬼を見抜くという心理戦も取り入れたいという木平のアイディアで、鬼は鬼であることを申告しなくていいルールになっている。これにより木平はカルタを騙して、タッチをしたことがあった。


 このルールがあるので、そもそも今のように他の人間に近づくことさえ危険な行為なのだ。手を組みたいなら最初のスタートダッシュで同じ方向に逃げればいいが、そうもいかない。

 

 鬼の立場で考えれば、一人で逃げている人間より二人固まっているほうが、捕まえられるチャンスがあるので、そちらを追いかけたいものだ。こういった理由から、何度も繰り広げられているこの鬼ごっこのゲーム中で、プレイヤー同士が協力することは一度もなかった。


 けれど、手を組むメリットももちろんある。二人で固まっていれば誰が鬼なのかをだいたい予想できる。さらに、見つかった場合も、鬼の意識が自分ではない片方に行く場合もあるので、一人でいるよりも逃げられる可能性は上がる。


 「手を組むのはいいが、お前が鬼ではない証拠はあるのか?」


 もっともな疑問だった。言葉巧みに誘って近づき、不意をついてタッチを狙っているかもしれない。こんな提案をすぐに鵜呑みするのはカルタぐらいである。


 「おいおい、まだ開始20分だぜ? まだ体力は残っているし、不意を突かれても逃げられるさ」


 阿翔は、もし木平が誰かを捕まえられるとしたら、体力が減っているであろう後半戦だと考えていた。

 いくつものエリアに分かれている広大な足山公園をただ移動しているだけでも、ある程度体力は奪われる。


 鬼と距離を離すために、追われてないタイミングでも走ることは容易にある。ずっと歩いているのはジョーと、隠れに徹しているときの木平ぐらいだろう。


 そう阿翔は予想しているので、この段階ではまだ自分が捕まっていないことの証明になると思っていた。そして、ジョーもタッチされていないであろうと、信じられるのだった。


 「そうか」


 短く返事をし、ジョーは軽く目を細めて阿翔を観察するようにじっと見つめた。阿翔の言うことも一理あるとは思っているが、どこか信用できないでいるのかもしれない。


 「お前だって負けたくないんだろ? お前が恋愛の話をすることなんてめったにないからな」


 ジョーは誰にも好意を寄せている人のことを語らなかった。付き合いの長いカルタにもだ。それは罰ゲーム発表の時の、皆の反応からして間違いがない。

 だから阿翔は、ジョーがそのことをひた隠しにしており、絶対に言いたくないのではと考えていた。そして、悪手ともいえる協力要請を承諾してくれると予想し、今に至るわけである。


 「……お前もどうやら同じらしいな」


 阿翔の今回のゲームに対する熱が、ジョーにも伝わったらしい。同じように感じている者同士だからだろうか。


 カルタが何気なく提案した罰ゲームが、彼らの中に思いもよらない波紋を生んでいるようだ。


 「おっけー、てことでいいのか?」 


 阿翔はどこか落ち着きがなかった。本来はこんなのんびりと腹の探り合いをしたいわけではないのだ。こんなところで突っ立っていれば、鬼に気付かれるのも時間の問題だからだ。


 「ああ。ただし、条件がある」


 手を組む意志を示したものの、両者間の緊張感はほどけてはいなかった。


 「なんだよ」


 「俺と握手をしろ」


 この条件は実に理工的だった。ルールをよく理解しているからこそ生まれる発想だ。握手をしてもし阿翔が鬼だった場合、これはジョーへのタッチを意味している。 

 鬼である場合の阿翔からすればタッチができて喜ばしいことだが、鬼の権利を移動するためには、相手に向かって宣言しなければならない。


 しかし、宣言すればもちろん鬼であることが明らかになってしまう。そうなれば、すぐにジョーにタッチ返しをされる。手を離した後に宣言したとしても、そこまで近づけばジョーの足から逃げることはできないだろう。


 皆で決めたルール上、鬼が誰なのか分からなくなるとゲームが成立しなくなるため、鬼がタッチした場合は必ず宣言をすることになっている。おそらく鬼が阿翔であった場合は、触れることなくジョーと共に行動し、不意を突いてタッチをしたいところだろう。


 それを封じられるので、信頼の証として握手をするというのは機転の利いた条件であった。それを瞬時に阿翔に突き付けたジョーは、なかなか頭の回転が速い男である。


 「なーるほどね。問題ないぜ、それくらい」


 ジョーの意図していることを瞬時に理解し、阿翔は斜面を小走りで下ってきた。二人の話がスムーズにいくのは、何度もこの鬼ごっこを体験しているからであろう。

 協定を結ぼうとする二人は、手を伸ばせば触れられるぐらいまで近づき向かい合った。お互いに信頼しきれていないのか、季節にそぐわない冷たい空気が二人の間に流れていた。


 「いくぞ」


 「おお」


 急ぎたいところだが、ゆっくりと二人は相手に向かって手を伸ばした。そして、条件である固い握手を交わした。


 ジョーと阿翔、どちらも言葉を発することなく手を離した。


 「よし、このまま逃げ切るぞ」


 無事仲間を獲得できたと思い安心した阿翔に、ジョーが思いもよらない言葉を呟いた。


 「タッチ」


 ジョーは手を離した瞬間に、そう宣言したのだ。ボリュームは小さかったが、確実に阿翔の耳には伝わったはずだ。けれど、安心しきっていた阿翔はすぐに意味を理解できなかった。


 そして、それが分かった頃には、すでにジョーは走り出していた。

 程よく筋肉の付いた両腕を、上へ下へと交互に振り、ジョーはトップスピードで走っていく。ジーパンで走りにくいはずだが、そんなことは微塵も感じさせない見本のようなフォームだった。


 「嘘だろ!」


 出遅れた阿翔は、逃げるジョーに追いつこうと走り出すが、上手く発走できず速度がでなかった。脳も軽く混乱しており、追いかけるのに集中できずにいた。


 二人の足の速さを比べると、若干ではあるがジョーが秒数的には上である。同時に走ったのであれば阿翔が追ついてもおかしくはないが、今回は阿翔が出遅れている。

 ジョーがみるみるスピードに乗って距離をとっていき、阿翔はすぐに追いかけるのはやめた。必死に食らいつくことも出来たはずだが、ジョーは体力もそれなりにあるので、無駄な体力の消費だと判断した。


 追手が来ないことを確認しても、ジョーは真っすぐ走り続けた。ジョギングようコースに沿って、阿翔との距離をなるべく離していった。


「アウト!」


 ジョーの後ろから、苛立っていることが浮き彫りになっている阿翔の声がした。タッチが成功したことを確認したジョーは、別エリアへと移動していく。


 実はジョーの元へ阿翔が訪れる前に、別の来訪者がいたのだ。それは、木平に騙され鬼となったカルタだった。


 戦場にでもいたのかというぐらい土で汚れ、あちこちに切り傷ができていたカルタが、全速力でジョーに走り寄ったのだ。


 歩いていたジョーがカルタに見つかり、簡単にタッチされるのは当然と言えば当然だった。


 ジョーはタッチされると、すぐさまカルタにタッチを仕返そうと手を伸ばした。しかし、触れようとした場所が偶然にも枝が引っ掛かってできた切り傷がある部分だった。それに気がついたジョーの良心が働き、思わず手を止めてしまった。


 その一瞬で、足の速さだけが取り柄のカルタは、突風のようにジョーの前から姿を消していった。


 鬼になった時の難関ポイントは、標的を見つけることとタッチをすること。そしてもう一つ、タッチをした相手のタッチを避けることである。それさえクリアすれば、カルタのような俊足があれば、逃げ切ることは確定したようなものである。


 阿翔の予想に反して、ゲームは序盤から動いており、すでにジョーが鬼だったのである。


 通常通りなら、ジョーは鬼であることを明かしたうえで、ゲームを楽しもうとする。しかし、今回は負けるわけにはいかなかったのか、珍しくジョーは何も言わなかったのだ。


 ジョーの負けられない理由。それはカルタと同じく、罰ゲームで意中の相手を知られることだった。

 彼が気になっているのは、隣のクラスの地味な女子だった。

 何故ジョーがその子を好きなのかというと、その理由は妹に似ているからであった。


 加藤城、平然とした態度を常にとっている男だが、実は妹のことを溺愛していた。苦しい生活の中で加藤家の絆は年々強まっていった。その絆が、ジョーの場合妹を好きになってしまうという方向に行ってしまったのである。


 けれど、実の妹だ。そこはジョーも理解している。絶対に好きにはなっていけない存在であることを。


 そんなジョーが高校一年生の頃、彼は廊下で妹によく似た女の子をたびたび見かける。そしてその時期から、言い方は無粋だが、ジョーは妹の代わりにその子を好きになっていったのだった。


 ジョーの恋心をさらに加速させた出来事が、二年生の時に起こった。


 ある日、ジョーは下校しようと玄関へ行くと、何故か帰ろうとはせずに棒立ちになっている妹似の生徒がいた。彼女の下駄箱には外履きの靴が入っていなかったのだ。彼女は、空の下駄箱をただじっと見つめていた。


 それを見かねたジョーは自分の所から靴を取り出し、おもむろに彼女へと渡した。


「貸してやる。遠慮はするな」


 ジョーの声はいつも渋いのだが、今回は自分でも低くていい声を出すように少し芝居がかっていた。好意を持っている相手にかっこつけたいのは、クールな彼も一緒だった。


「……で、でも」


 思わずその靴を受け取ってしものの、彼女はどうすればいいものかと困惑していた。それもそのはずだ、今の今までジョーとは何の面識もなかったのだから。


「気にするな。俺がお前を助けたいだけだ」


 率直に自分の気持ちを伝えるジョー。好きだからという理由だろうが、彼の中にある親父ゆずりの正義感がそうさせたのかもしれない。


 もともと口数の少ない彼は、靴を渡すとさっさと玄関から出ていった。もちろん、彼には履く靴がないので裸足だった。


 彼女はそんなジョーの姿を見て、お礼のつもりで頭を下げていた。だが、決して振り返ることのないこの男には伝わっていなかった。そして、彼女が自分の靴を履いていなかったことにも気がついていなかった。


 ジョーの靴は29.5㎝だ。そんな大きすぎるサイズの靴を彼女が履いたらぶかぶかで、それはそれで帰るのが大変だろう。

 なので、彼女は結局貸してもらった靴をジョーの下駄箱に戻していた。仕方がないので上履きで帰ろうとも考えた。


 しかし、さっそうと帰った彼を真似して、彼女もまた靴を履くことなく歩いていったのだった。

 そして次の日、ジョーは彼女からしっかりとお礼を言われることとなった。


「ありがとう。私を助けてくれて」


 ジョーの知っている彼女は、いつも無表情だった。それはジョーも一緒なのだが。しかし、彼女の場合は無理に感情を出さないようにしていた。


 ジョーは気がついていたが、靴がなくなるといった不可解なことは彼女の身に何度も起きていた。そのことを誰にも明かさずに、ぐっと一人でこらえていた。


 そんな彼女が、礼の言葉とともに少しだけほほ笑んだ。顔に化粧はしていなかったが、ジョーにはいつも以上に彼女が愛らしく思えた。


 実はそれからジョーと彼女は皆に内緒で会って会話をしていたりした。クールな二人が密会をするようになったのは、同時期に靴の消失といった陰湿なことが起こらなくなり、彼女の笑顔が増えてきたからだったのかもしれない。


 そして、彼女への思いが友人たちにバレれば、それはすなわち自分の妹に対する気持ちもバレてしまうとジョーは考えていた。妹には幼馴染のカルタ以外の二人もあったことがある。

 四人で遊ぶときにたまに妹も連れてきていた。母親は忙しくて家にいないことが多いので、ジョーが家にいないと妹が一人になってしまうからだった。


 それに、ジョーの妹と靴を貸したあの子が瓜二つなのは実証積みだった。以前「あの子、妹に似てね?」とカルタに言われた時があったのだ。無表情ではあったが、内心ジョーは動揺していた。

 

 妹にそっくりな人を好きというのは、兄としてではなく特別な感情を持っているのかと疑わる危険性がある。


 だから、ジョーは絶対に罰ゲームを実行するわけにはいかないのだ。

 歩くのが基本スタイルであるジョーだが、阿翔が絶対に追いつけない距離まで走ることを辞めることはなかった。


 妹への秘密の愛が、滅多に走らない彼を突き動かすのだった。

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