第2話 カルタ
軽田始は「軽い」という言葉に呪われた男である。
高校二年生の男子学生平均身長と比べると、カルタの背はお世辞にも高いとは言えない。小学生の頃から、背の順で並べば一番前なのは確定している。
これは今でも変わらない。カルタが一番前で、一番後ろがジョー。これは二人が同じクラスになれば、お馴染みの光景だった。
けれど、カルタは自分の身長にコンプレックスなど抱いたことはない。それどころか、それを誇らしく思っている。
一例として、背の順で一番前になった際には、「王様になったみたいで気持ちいがいい」と感じたようで、堂々と両腕を曲げて腰の位置に手を置いていた。
彼が背の小ささを憎んでいないのは、足の速さによるものだと彼の両親は考えていた。実際のところ、体重と身長が走力に直接関係しているのかは定かではないが、カルタはそう信じて疑わなかった。
カルタは、己自信の足の速さを実感してくると、軽いという言葉が好きになっていった。小学校でも早い段階で習う漢字で、自分の名前が漢字ドリルに出てくると妙に高揚した。
自分は軽いから風のように早く走れるんだと、小学校中学年で感じたころから、カルタは何も変わってはいなかった。
普通の低身長の人間なら、牛乳などでカルシウムをとったり、無駄にジャンプしてみたりと、何らかの方法を試す場合が多いことだろう。けれど、カルタはその逆だ。
給食に出る牛乳は嫌いでもないのに飲まずにジョーにあげていた。バスケに興味が出たこともあったが、身長が伸びやすいと聞いて脳内から消しさった。
身長を伸ばさないという謎の努力を行ってきていたカルタを見てきた家族やジョーが、彼を「軽い」という言葉に呪われた男として認定するのは不思議なことではなかった。
そんな幼児並みのお花畑な脳とポジティブシンキングが持ち前のカルタが、先ほどの自分の発言を後悔していた。後悔どころではなく、先に待ち受ける展開を想像して、絶望すらしていた。
カルタはスタートと同時に、一直線にジャングルエリアへと走っていった。本当にジャングルが広がっているわけではないが、ここ一帯は植物が特に育っていて、身を隠すのには最適だった。
腰の高さほどまである木々が生えている付近で、体をさらに縮まらせて隠れていた。半袖半ズボンの虫取り少年のような格好で来てしまったため、いたるところに尖った葉が刺さって地味に痛かった。
中には葉がギザギザになっている形状のものもあり、下手したら擦り傷になってしまう可能性があった。
しかし、彼は隠れなければならなかった。普段だったら身を隠したとしても、じっとしていられずに木登りを初めてしまうが、今回は状況が違う。
カルタは罰ゲームをするわけにはいかなかった。そんなにしたくなければ発言しなければよかった話なのだが、間抜けなことにそのことに気がついたのは走り出した後だったのだ。
軽田始の好きな人は、担任の教師だった。二十代半ばで黒ぶち眼鏡をかけた絵に描いたような若い女教師だった。若い女性教師と言うだけで天然記念物のような存在だが、彼女は容姿にも優れていた。
一度、眼鏡を壊したと言ってコンタクトでやってきた日があり、そこで彼女の株が一気に上昇した。さらにもともとスタイルが良く、地味でピタッとしたクリーム色のスーツが、彼女の体の線を強調していた。
カルタはそんな彼女のことを、「由利先生」と親しみを込めて下の名前で呼んでいた。由利先生とはまだ数か月の付き合いだが、カルタは相当気に入っていた。だからあえて彼女が困るようなことをしていた。
遅刻ギリギリに登校して注意されたり、宿題を忘れて注意されたりと、雑談よりも注意されている時間の方が長いありさまだった。
好きな子にあえていじわるをする、まさに小学生の発想である。
一番多い注意は、定番の「廊下を走っちゃダメ」である。他の教師が廊下を歩いていても走ることはないが、由利先生を見つけた瞬間、全速力で駆け抜けていく。何度言っても改心する気がないカルタを見て、由利先生は思いのほか悩んでいた。
カルタは知らないが、彼と仲の良い三人に相談までしていた。その友人たちとは、このゲームに参加している三人で、口をそろえて「あいつはそういうやつですから」と言った。それを気に、由利先生は注意をするものの、直させる気はなくなっていた。
カルタと由利先生は、問題児とその担任という関係に過ぎなく、恋仲というわけではない。それに好きと言っても、カルタの場合はLOVEではなくLIKEに近い。
だからこそ、カルタは罰ゲームを「好きな人に告白すること」にしたのだ。本気じゃないからこそ、もし実行してもそれほど傷つくことはない。由利先生なら冗談と受け取って軽くあしらってくれるはず、と考えていた。
これがスタートする前の彼の考えた作戦だった。しかし、植物に囲まれ一呼吸つくと、一気に冷静になってきた。そして、彼は重大なミスに気がついてしまった。
この作戦は由利先生が本気にしなければという前提で考えている。しかし、もしカルタの告白を彼女がOKしたとしたら。そうすれば事態は一気に一変する。
いわゆる教師と生徒の禁断の恋に発展してしまうのだ。しかし、それが学校側にバレたら、由利先生は学校をクビになり、カルタも退学させられる可能性もある。そうなれば、様々な人に迷惑が掛かってしまう。
ならば、告白を了承されたときに、すぐに冗談だと言えばいい話だが、それは男としてどうなのかと感じてきた。自分から告白しておいて、断るのは最低な行為だ。由利先生を傷つけることになることは間違いない。
そうなれば、恨まれる可能性だって出てくる。
彼女はカルタの担任。彼女の気分次第でカルタの成績は左右される。今までやってきた問題行動を、全て水に流してくれたのは由利先生の慈悲だ。
それがなくなれば、いよいよカルタはただの問題児となり下がる。
罰ゲームを断るという選択肢もあるが、これもカルタが提案したことだ。自分が負けたから罰ゲームをなしにするのは、虫が良すぎる話だ。この選択をすれば、今度は友人からの信頼度が下がってしまう。
だから、カルタには鬼ごっこに勝つという道しか残されていないのだ。
ちなみに、由利先生こと青山由利は、カルタではない男性に思いを寄せているのだが、そのことをカルタは全く持って知らなかった。
数分前の自らの発言を後悔しながら、カルタは柄にもなく息を殺していた。セミの鳴き声である程度の音はかき消されるとはいえ、他に物音などはない。不自然な葉の揺れる音などが聞こえれば、鬼に位置がバレる危険性が高まる。
それと、少しでも動くと、葉が肌に刺さってそろそろ血がでそうだった。
カルタは葉の隙間から前方を確認した。数十メートル先までジャングルエリアで、植物に阻まれているので人がいたとしても気付くのは難しい。
しかし、一つだけ心もとないが電灯が設置されているので、真っ暗闇というわけではない。目を凝らせば、鬼をこちらが先に捕捉できるはずだ。
目を細めて覗いてみるものの、鬼である木平の姿は確認することができなかった。いない分には喜ばしいことだが、どこから襲われるかわからないという恐怖が常に隣で不敵に笑っている。
スタートの時点で、阿翔、ジョー、カルタの三人がどこへ逃げていったのかは、おおよそつくはずだ。停止している時間はたったの三十秒なので、足の遅い木平でもそろそろ追いつく頃あいだ。
他の二人のところへ行ったのか、とカルタが一安心した時だった。
「おーい」
声の方角的には、芝生広場があるほうだ。カルタが注視していた方面から、若い男の声が聞こえてきた。
「カルタ~、いるんだろ~」
セミの声や夜風の雑音によって聞き取りずらいが、この声は紛れもなく木平の声だ。一年以上一緒にいるカルタが聞き間違えるはずはなかった。
自分の名前が呼ばれたので、思わず返事をしようとしたが、喉から声が出る瞬間で口を閉じた。
これは明らかな罠だ。それはカルタにもすぐに理解できた。こんな間抜けな応答に返答すれば、すぐに居場所が割れてしまう。カルタは木平を無視して、そのままじっと待機した。
「おーい、返事してくれよ~」
「答えるわけねーだろ」と心の中で舌を出しながらつぶやいた。
しばらくすると、木平の声は聞こえなくなった。諦めて他の人間を探しに行ったのだろうか。
あからさまな脅威が過ぎ去り、カルタはほっと息をなでおろすのと同時に、得体のしれない不安に襲われていた。
何故、木平はあんなことを聞いてきたのだろうか。声を出せば、暗闇に紛れて近づくというアドバンテージが消えてしまう。それが分からない木平ではないとカルタは感じていた。
(俺が答えると思ったのか?)
カルタは返事をする一歩手前まで来ていた。カルタならば勢いで声を発してしまうと予想しての罠だったのだろうか。
鬼である木平は遠ざかったはずなのに、すでに餌に食いついた魚になった気がして仕方がなかった。
カルタは不気味な不安を抱え込みながら、もう一度よく声がした辺りを観察した。しかし、相も変わらず枝についた葉っぱがゆらゆらと靡いているだけだった。
思いすごしか、とカルタが油断した瞬間、背中から柔らかな感触が伝わってきた。そしてそれと同時に、絶対に聞きたくない言葉がカルタの耳に届いてしまった。
「タッチ」
低温と高温が見事に混ざった中性的な美声で、木平はカルタに対して申告をした。
「はぁ!?」
思わず大声でリアクションをとり、カルタはすぐさま後ろを振り返った。そこには、すでに逃げる準備万端の木平がいたのだ。
ありえない。だってついさっき目の前から木平の声が聞こえたのだ。それは間違いない。後ろから出現するなど、ありえてはいけないのだ。
カルタは何が起きているのか理解できていなかった。反射的に追いかけようと、咄嗟に立ち上がったが、露出している肌に極小の刃が引っ掛かってしまった。
カルタは痛みを感じ大きく体を動かしてしまった。すると、葉や枝が引っ掛かって見事に後ろへ、すってんころりんと尻餅をついてしまった。
「いって!」
一斉に素肌が攻撃されて痛みにこらえきれず、カルタは大声で怒鳴った。擦り傷から少量の血が出ていたり、土ぼこりや葉が体についてしまって、無駄に大汚れしていた。
「カルタ、はやく言えよな」
後ろに転んだカルタを確認して、木平は顔には出さないものの大喜びしていた。あの状態であれば、さすがの俊足 カルタでも追いつけはしないだろう。事実、カルタは座り込んでいるが、木平はすでに走り出している。
「くっそ。お前、何したんだよ」
必死に立ち上がるも、暴れると余計に周りの植物がカルタにまとわりついてしまっていた。カルタももう木平に追いつけないことはわかっていたが、自分が何をされたのかは最後に聞いておきたかった。
今のままでは、魔法でも使われたとしか思えなく、気分が悪かったからだ。
「録音した声なんだよ、さっきの。納得したか~」
どんどん、木平の声が遠のいていくのが、音量が下がっていくので理解できた。この勝負、木平の完全勝利である。
「録音? あー、なんかよくわかんないけど。くっそ、アウトだよ!」
走り去る木平に聞こえるように、あえて大きな声で怒号を飛ばした。
鬼ごっこの絶対的ルールである、タッチされた人間は鬼になる。これがなければそもそも鬼ごっこという遊びが破綻するのだが、このルールいまいち曖昧なことがある。
今行っている鬼ごっこのルールを決めた木平も、鬼ごっこの根幹的部分に疑問を覚えていた。それは、鬼がタッチをしても、逃げている側が気付かない場合がある。
しっかりと手のひら全体でタッチをすれば感触があるので気がつくが、指先の場合は体に伝わりにくい。
しかし、鬼はタッチしたと思っているので、「タッチ」と宣言をするのだが、逃げている側はそれを否定する。これがきっかけで、小学生の頃木平は友人と喧嘩をしたことがあった。
いわばこのルールは鬼と追われている側の意識がしっかりと通じ合っていないと成立しないのだ。だから、彼らが行う鬼ごっこでは、鬼が手で触れた場合「タッチ」と相手に向かって宣言する。そして、それを聞いた側はそれが本当に触れたのか、「セーフ」か「アウト」でリアクションをとる。
セーフであれば、鬼の入れ替えはなくそのままゲームが続き、アウトであればタッチされた側が鬼となる。嘘をついてずっとセーフを言うことも出来るが、そうなると自分が鬼になった時に、ずっとセーフを言われ続けて自分が苦しくなる。
これのルールにより、タッチしたしないでのトラブルは今まで起きていない。
タッチする側は極力手のひらで触れること、そしてされた側は正直に答えること。
今でいうと、木平がタッチをしてそれを申告し、それを理解したカルタが認めてアウトを宣言したのである。
「あー、もう全然とれないじゃん」
いまだに葉っぱさんたちと戯れているカルタを置いて、木平はある場所へと向かっていた。その場所は、先ほどカルタの位置から木平の声が聞こえてきた辺りである。
おおよその場所までたどり着くと、木平はジャージのポケットから携帯型の懐中電灯を取り出した。ボタンをぽちっと押すと、円型の細長い光が一直線に地面へと延びていく。数秒、地面を照らして何かを探していると、すぐに木平の探し物が見つかった。
「よかった、あった」
木平は安堵しながら、地面に落ちた、いや落としていた自分のスマホを掴んだ。土ぼこりが少しついており、それをそっとはらった。
数分前にカルタの耳に届いた木平と思われる声は、間違いなく木平のものだ。しかし、その場で木平が喋ったものではなく、スマホにあらかじめ録音しといた音源だったのだ。
録音した声に警戒しているカルタを、背後から近づいて捕まえる。不意打ちをすれば、カルタを捕まえることができるという計算のもとに考え出した、木平の作戦である。
作戦は彼が予想していた以上にうまくいった。まだ近くから、カルタの呻き声が聞こえてきていたのが何よりの証拠だ。
スマホを無事に確保した木平は、ジャングルエリアを抜けて、別エリアへと走り去っていった。カルタを追うために走ることがなかったので、体力はまだ有り余っていた。
木平は、録音作戦を以前から編み出していた。しかし、本当にうまくいくのかという疑問と、一度使えば二度と通用しないという点から、今まで一度も使っていなかった。
けれど、今回はリスキーな作戦を使用してでも、勝たなくてはならなかった。
木平にもまた、カルタと同じように、絶対に負けられない理由があったのだった。
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