霊の4

 で、その日の夕方、俺は不動産屋から鍵を借り、件のアパート、104号室に

入った。

 人が死んだと分かっている部屋に一人取り残されるというのは、これまでにもあったが、幾ら俺が幽霊の類を信じて居なくたって、御世辞にも気持ちのいいもんじゃない。

 しかし、これも仕事なんだ。

 俺は岡本修平の死んでいたという六畳間で胡坐をかき、ペットボトルの水を飲み、シナモンスティックを齧った。

 どうせ長い時間を過ごすんだ。

 俺はそう思って、湿った畳の上に大の字なりに横になった。

 天井が見える。

 そこにも何だか人の顔のようなシミが幾つか浮かんでいた。

 恐がって見ても仕方がない。

 俺は目を閉じ、ひと寝入りすることにした。


 生臭い風が鼻を衝いた。

 目が覚め、俺は左腕を持ち上げ、腕時計を見る。

 いつの間にか時刻はもう午後零時を示していた。

 俺は起き上がると、ペットボトルの水を飲む。

 生臭い風は相変わらず俺の周りから抜けて行かない。

 すると、どこからか靄のようなものが室内に侵入してくると、それが俺の目の前で、丁度人間が直立したのと同じ高さになり、次第に形を成し、本当に人間の形になった。

 落ちくぼんだ両目。

 げっそりとやつれた頬。

 まばらに生えた無精髭。

 蒼白い肌。

 ぼさぼさに伸びた髪。

 グレーのジャンパーにジーンズ。

 まあ、大体に於いて、大方の『本当にあった何とか』に出てくる幽霊の風体其のままだ。

 俺はシナモンスティックを咥え、懐から認可証ライセンスとバッジのホルダーを取り出し、床に胡坐をかいたまま、目の前に突き付けた。

『岡本修平さんですな?私立探偵の乾宗十郎いぬい・そうじゅうろうというもんです。

 岡本君は、認可証とバッジ、それに俺の顔を見比べ、

『あなた、僕が怖くないんですか?』

 と、スロー再生したカセットテープの音声みたいな調子で問いかけた。

『恐くない、と言ったらウソになるが、しかし飛び上がって逃げ出すほどでもない。そんな事じゃ、この稼業で飯は食えないからね』

 そう答えて、スティックを一本齧り尽くした。

 彼は目を伏せ、俺の前に腰を降ろして胡坐を掻いた。

『世の中には貴方みたいな人もいたんですね・・・・』といい、

『すみません。良かったら僕にもそのスティックを頂けませんか?』と続けた。

 俺は何も言わず、黙ってシガレットケースを差し出した。

 彼は何度か失敗し(幽霊は三次元のものを手に取れないというのはフィクションの中の設定じゃないんだというのを、俺はこの時初めて知った。)、漸く一本摘み上げて、口に持って行った。

”幽霊に味なんかわかるのか”と聞いてやりたかったが、流石に黙っておいてやった。

『なんで私立探偵さんが、僕を探しているんです?』

 彼はシナモンスティックをしゃぶりながら、俺に聞いてきた。

 俺は、

『依頼人が妹であること』や、その妹が行方が分からなくなった兄を探して欲しいと言ってきたことなどを話して聞かせた。

『やっぱり味がしないな・・・・』独り言のようにそう呟き、彼は長いため息を洩らした。

『妹は、元気ですか?』

『ああ、元気だ。近々結婚をするそうだよ』

 彼女は真面目に短大を出て幼稚園の先生になったこと、相手は陸上自衛官だという事も伝えた。

『そうですか・・・・妹が結婚を・・・・堅い職業の人で良かったです・・・・』彼は再び大きくため息をつく。





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