霊の3

『事故物件?』

 俺が問い返すと、不動産屋は目をしばたたかせて答える。

『なんだを掛けたわけじゃないんですか?』そうして、半ばほっとしたように経緯いきさつを話してくれた。

 今から丁度五か月ほど前、彼が管理をしているこのアパートで練炭自殺があったという。

『家賃を二た月ほど滞納してたんでね。大家から頼まれて、私が自ら出向いたんですよ』

 ドアを叩いても応答がない。

 仕方なく合鍵を使って部屋の中に入ったところ、窓という窓がガムテープで目張りしてあり、1DK風呂無しの六畳間で、彼が倒れていたという。

 頭の上には七輪が置いてあり、部屋中が練炭の煙で充満していた。

 直ぐに110番と119番に電話をしたが、当然ながら間に合わなかった。

 書くまでもないことだが、遺体の主は岡本修平、当時29歳になったばかりだった。

『遺族に連絡しなかったのは何故ですか?』

 俺が訊ねると、不動産屋は頭を振り、

『この人、身の回りのものといや、運転免許証しか持ってなかったんですよ。だから連絡先も分からなかったんでね。』

 このアパートさえ、偽名で借りてたくらいでね。その事で警察にはこってりと油を搾られた。彼はそう言ってぼやいた。

 

 それからである。

 このアパートに、妙な噂が立った。

 回りくどい表現はよしにしよう。

 つまりは”幽霊が出る”というアレだ。

『他の住人はその噂が立つと、すぐに全員引き払っちまってね。このままだと家賃収入もおぼつかないから、取り壊そうかと、大家さんと話をしていたところなんすよ』

 当然ながら、事故物件である。そうなれば物好きな新しい借主が出たとしても、その旨を伝えなければならない。

『その部屋は?』

 俺が聞くと、最初ためらっていたものの、俺が”誰にも迷惑はかけん”と請け合い、ついでに福澤諭吉をちらつかせると、彼もやっと折れ、

『一階の一番奥、104号室ですよ』

といい、俺を部屋まで案内し、中を開けて見せてくれた。

 少しばかりかび臭くはあったが、別に変ったこともない。

 その辺によく見かける、昭和の安アパートといった風情だった。

 中は綺麗に片付けられていて、勿論家具などはまったくない。

『借りよう』

 俺が言うと、不動産屋は一瞬、驚いたように目をむく。

『あんた・・・・本気かね?』

『勿論本気だ。だが借りると言っても、たった三日のことだ。但し、家賃は一か月分、きっちり払ってやる。それなら文句はあるまい?』

 室内を見回しながら俺が言うと、彼はもう一度、

”本気かね?”と確認するように繰り返し、俺が何も答えずにいると、

『いいでしょう。但し、何が起こってもこっちは責任を取りませんぜ』

 そう言いながら、片手に持っていた鞄から一枚の書類を取り出した。

 賃貸契約書のようなもので、つまりは、

”この物件で何か借主に不利益が起こっても、当方(つまりは不動産屋だ)には

一切の責任を問わない”

 と、そこだけ太ゴシックの活字で強調して書かれてあった。

 俺は素っ気なく最後の頁にサインをし、不動産屋に返す。

 無論その上には家賃プラス迷惑料として(家賃は三万円丁度、大都会東京のアパートとしては格安だ)、二万円上乗せした。

『物好きな人だね。あんたも』

 札を数えながら、彼は呆れたような顔を俺の方に向けた。

『それが仕事だからね。だから食えるのさ。じゃ、明日引っ越してくる』

 俺はそう答え、シナモンスティックを咥えた。


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