第十八話 愛の逃避行?

「――二人でどこかに逃げないか?」


 言ってしまった後、俺はすぐに後悔した。


 俺はまだ、ツェツィの人となりをなんとなくしか理解できていない。

 彼女は根が真面目で、気配りのできる優しい女性だ。

 王女時代から、その立場や神託の姫巫女という最上位の紋章持ちであることを傘に、マウントをとったりしなかった。

 常時穏やかだが、第一王女が関わると怒りの沸点が低いっぽいので、取り扱い注意な部分もある。

 そしてなにより勇者を尊重し、俺をかなり過剰な評価をしていた。


 これらは、短い期間の会話で知り得た情報や俺が感じた事なのだが、まだ氷山の一角でしかない。

 女性の持つ黒さも、第一王女に向けられたものしかまだ・・見ていない。

 今後あのクソ女たちのように、俺を裏切る事があってもおかしくないのだ。

 だというのに、『逃げる』という俺の人生を左右する相談を持ちかけてしまった。

 これは大変なやらかしだ。


 何故そんな事を言ってしまったのか?


 それは、アストとヴェラ兄妹に関わった事が原因だ。

 俺は彼ら兄妹に、俺とツェツィがガルゲンより先の開拓をするため、この地にきた事は伝えた。

 当然、自分たちが罪人扱いだというのは言っていない。


 では何故その事を兄妹に伝えたのか?


 今まで『そうせい』ばかりが注目さられていた紋章だが、ツェツィは『先導者』に目を向けている。

 それは当然、仲間を強化できる可能性があると分かったからだ。

 そもそもツェツィは、『ヌッツロース役立たず』として仲間を集める気でいた。

 そこへお誂え向きな能力が判明したのだ、仲間が集まれば俺の紋章が本領発揮するとツェツィは考えている。

 俺自身もそうであってほしいので同意した。


 まだ未知数な部分が多い……が、だからこそ検証も必要だ。

 その検証の一つで、ヴェラが魔法を使えるようになった。

 だからいって、俺たちの勝手で兄妹を巻き込んではいけない。


 様々な葛藤を経て、俺は無意識に逃げを選択してしまったのだ。

 しかも何を焦ったのか、俺はツェツィに言ってしまった。


 何やってんだ俺!


「…………ワルター様、それは愛の逃避行? というものでしょうか?」


 俺が背中にダラダラと冷や汗を流しつつ、自分を叱責していると、相向かいに座ったツェツィが顎先に人差し指を当て、頭をコテリと傾げながら疑問形の言葉を発した。


「愛?」


 ツェツィが発言する直前まで、俺は焦っていたというのに、訳の分からない言葉を言われた途端、『何言ってんだこいつ?』という心境に変化する。


「勇者であるワルター様がお望みであれば、私の身を差し出すのもやぶさかではございません」


「ん?」


「経験のない無知な小娘ではありますが、可能な限り多くの子をなしたいと思います。その際は、学んだ事をできるだけ忠実に再現し、誠心誠意対処する所存でございます」


「子をなす?」


 ますますツェツィが何を言っているのか分からない。


「あ! で、ですが、今は時期尚早かと。まずは彼の地の開拓を見事成功させ、ワルター様が如何に素晴らしい勇者であるか喧伝する事、それが必要かと存じます。子をなすのはそれからでも遅くないと申しましょうか、そもそも私はあくまで補佐でございますし……」


 手を高速で左右に振ってわちゃわちゃしたツェツィだが、次第に俯きながら言葉は尻すぼみに消えていった。


「えっと~、なんで子をなす話になってるの?」


 ツェツィの態度はさておき、開拓を放棄したくないのはなんとなく分かった。

 だからといって、子をなすとかの話は全く以て意味が分からない。


「え? 二人で逃げるというのは、駆け落ちと言いましたか? 愛の逃避行をすることですよね?」


「そうなの?」


「私は市井に広まる”男女が愛を育む書物”を読み、その辺りのお勉強をしておりましたが、違うのでしょうか?」


 おい! この元王女様は何の勉強をしてたんだよ!


 新たに得たツェツィ情報は、恋愛脳な頭お花畑だという事だ。

 そして、日本人時代の数少ないオタクな友人から聞いた、『ピンクは淫乱』という世迷い言が現実味を帯び、実は本当なのかもしれないと薄っすら思ってしまった。


「とりあえず、『二人で逃げる』と『愛の逃避行』は、同じ意味じゃないと思う」


 そもそもの前提として、ツェツィは離れられない相棒であり上司だと思っており、彼女に対しての愛はない。


「そうでしたか……」


「それに俺は、単純に開拓しない道を選びたかっただけなんだけど、それは選べないんだよな?」


「ワルター様には、勇者様の凄さを広めて頂きたいので」


 なんだろうか、ツェツィからは”神託の姫巫女”というより、”勇者の伝道師”的なパッションを感じてしまう。


「でも俺とツェツィの二人で開拓するのは、正直自殺行為だと思うんだが?」


 そもそも開拓とは、木を切り土地を均し生活環境を整えたりする事だ。

 であれば、時間はかかるとしてもどうにかできるだろう。

 曲がりなりにも、俺には勇者として少し便利な力があるのだから。

 しかし開拓する土地というのは、俺では到底太刀打ちできないであろう魔物が住まう地だ。

 そんな場所では、開拓作業をする前段階で俺は殺されてしまう。

 やらなくてもわかる。

 だからこそ、俺の能力を活かすために仲間が必要だ。

 しかし、それこそが相手の都合も考えず、こちらの都合に巻き込む行為となる。

 逃げを選んだ最大の理由がこれだ。


 俺はその事をツェツィに伝えた。


「それでしたら、お二人に決めていただけばよろしいのでは?」


「いや、でも、あの二人は無理に開拓に参加しなくても、冒険者として生きていける訳で……」


「本当にそう思っているのですか?」


「え?」


 ツェツィの言葉に俺が驚くと、彼女は滔々と語りだした。


 王族とは、民の安寧を一番に考える者……といった事から始まり、どれもごもっともで納得出来る話が続く。

 そして――


「あのお二人は、ワルター様の能力があって、スキルを使えるようになったのです。しかも、ワルター様のバフを受けられる状況であれば、これから更に、早く、強く、成長できるでしょう」


 そうかもしれない。


「逆に、ここでたもとを分かつのであれば、お二人は自力で生きていかなければなりません。そして、スキルは有用ですが、即座に強くなれる訳ではありません」


 たしかに、この世界で最上位と言われる赤金オリハルコン色の紋章を授かった勇者パーティメンバーも、厳しくも激しい鍛錬を強いられていた。

 虹色の紋章を授かったけど強くなれなかった俺は別として、仲間は一朝一夕で強くなった訳ではない。


「彼らは食事も満足に取れておらず、後ろ盾のない新米冒険者の元孤児です。薬草を採取して僅かな報酬を得る生活から、どれほどの時間でまともな食事を得られる生活になりましょうか?」


「…………」


「元王族として情けない話ですが、国はある程度の年齢まで孤児の面倒をみるのが精一杯で、全ての国民を救えないのです。かといって、最初から孤児を見捨てることもできません。――生きるために魔物を討伐しようと無謀に挑み、逆に命を落としてしまう若い冒険書を助けるのも……」


 ツェツィが俺の能力を過剰評価しているのは理解している。

 しかし、あの兄妹を俺の庇護下に置いた方が、現状よりも良い未来が彼らに訪れる、そう言いたいのだろう。

 言われてみると、俺もそんな気がしてきた。


「……とりあえず、明日はあの兄妹に話してみるよ」


 多少ツェツィの手の平で転がされてる気もするが、それを込みで今回は受け入れようと思った。

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