第3話 喧嘩と後悔

「ねぇ。あんまり休んでたら、日が暮れちゃうよ」

 自分の家に居る事で少し強気になったみゆきが、それでも控えめな口調で三人に言いました。

「たぶん大丈夫だろう」

 ノサ爺さんがこともなげに言います。

「なんで?」

「前に来たあっちの人が、なんか言っとった」

 よくわからないノサ爺さんの言い分に首をかしげたみゆきの為、ムエ爺さんが説明してくれました。

 どうやらお爺さんたちは、過去にも迷い込んだ<人間>と話した事があるそうなのです。その人は彼方から此方へ来たときに、ハッキリと空の色が変わり、さわやかな朝だったのが燃えるような夕暮れ時になって、まるで天変地異のようだったと語っていたとの事で、だからノサ爺さんは、とりあえず、なんとなく、ついては勘で、いま三人のいるこちら側とみゆきが元居たあちら側に、時間の関係は無いと思ったのだろうと、ムエ爺さんが言いました。

「そう、そうなんだよ。わしの勘はなかなか冴えてるよ?」

「じゃあ、その人はどうやって帰ったの?」

「うん……。ちょっと一緒に茶を飲んだくらいで、……あとはどこに行ったんだかなぁ」

 ノサ爺さんが首をひねりました。

 みゆきがいい加減なノサ爺さんに向けて目をすがめます。

「……なんだその目は」

「ううん」

 みゆきは何でもないように答えました。

「やっぱり、帰りに通った道をもう一回行った方がいいかなぁ」

 正面に座るノサ爺さんから大きく視線をずらし、隣りのヌル爺さんに尋ねます。

 みゆきの足は随分歩かされて疲れていたはずでしたが、いつの間に疲れが飛んで行ってしまったのか、落ち着いてこれからの道のりについて考える事が出来ました。

 杖にすがっていたヌル爺さんも、杖を適当に立て掛けて、椅子の上にちょんと座っていました。

「そうだねぇ、その帰り道に何かがあったんだろうし…。もう一度、学校から歩く元気はあるかね?」

「わたし大丈夫!」

「最高齢のムエさんさえ良けりゃね」

 茶化したノサ爺さんをみゆきはじとっと見ましたが、こんどは誰も気にしませんでした。

 家を出る前、みゆきは履く人のない靴の揃った玄関に自分のお稽古カバンがないことに気づきました。お爺さんたちが荷物もないのにノロノロと身支度を整えていたので、その間に自分の部屋に探しに行くと、猫のイラストが入ったお稽古カバンは、ちゃんとかばん掛に下がっていました。

 さて、三人はさっそく学校にきました。

 お爺さんたちはあまりこの辺に来ないのだと言って、物珍しそうに学校を眺めました。

「あの……」

 みゆきが何故かモジモジしながら三人に声をかけます。

「おや、やっぱり疲れちゃったかい?」

 ヌル爺さんが言いました。

「違うくて…。あの……トイレ」

 商店街や家で飲むだけ飲んで、すっかりお手洗いに行くのを忘れていたようです。

 せっかくここまで来たのですから、学校で借りるしかありません。

 しかしみゆきの学校は校門から校舎までに緩やかなU字の坂があって、わざわざみんなで中まで往復するのもないだろうと、ノサ爺さんがひとり付き添うことになりました。

「せっかくだから中を見物したいしなぁ!」

 みゆきがとうとうあからさまに嫌そうな顔をしましたが声を上げることはなかったので、そのまま二人で行くことになりました。

 下駄箱から一番近いトイレで用を済ませ手を洗っていると、突然トイレの天井近くにある窓が開きました。

 みゆきが驚きに体を弾ませて目を向けると、そこにはアニメや映画でみた天狗のように鼻の高い人が、身をかがめて窓枠に挟まっていました。

「こんな所にいたのか。さ、行こうお嬢ちゃん」

 その人は猫なで声で、筋張った手を差し出しました。お爺さんたちと同じように和服をまとい、顎の周りに黒い無精ひげを生やして、にたりと歯を見せる姿はとても怪しげでした。

「帰り道、わかる…ですか」

 みゆきはうまくポケットからハンカチが取り出せずズボンで手を拭きながら、おずおずと尋ねました。見た目に関してはあの三人のお爺さんも相当に怪しかったし、この天狗のような人はここに迷い込んだみゆきの案内に来てくれたのかもしれません。さっきノサ爺さんの言っていた人は、そうして帰って行ったのかもしれないと、みゆきは思いました。

「帰り道?うん。わかるわかる。さ、さ、おいで。おじちゃんが自慢の羽で送ってってあげよう」

 みゆきは直ぐにもその手を取ろうとしましたが、ちらりと三人の友人たちのことを思い出しました。

「あの、ちょっと待っててください」

 みゆきが言うと、天狗は何かを勘違いした様子で慌てて窓枠から身を乗り出し、みゆきの腕を引っ掴みました。

「こーらこらこら。何考えてんだか知らないが、逃がさないぞ!」

 何を言ってるのかみゆきにはさっぱりわかりませんでしたが、突然掴まれた驚きで足をもつれさせて転び、トイレのドアを強く蹴飛ばしてしまいました。

「大丈夫かぁ?」

 呑気に言いながら、音を聞きつけたノサ爺さんが女子トイレに入ってきました。みゆきは全く気が動転して、体をめちゃくちゃにバタつかせながら、ノサ爺さんに向かって手を振り上げました。

「いっ……!」

 なんとその手はノサ爺さんの目に当たってしまったのでした。声にならない声を上げてノサ爺さんが目を抑えます。

「なんかよくわからんが、でかした!」

 天狗はもう一度みゆきの腕を掴み直し、戸惑うみゆきを窓の外へ引っ張り出すと、上掛けに隠していた翼を広げて飛び立ちます。

 みゆきは何もわからないまま天狗に抱えられ、ノサ爺さんを打ってしまったことにただ罪悪感を感じていました。

 さて、瞬きを何度も何度も繰り返し、やっと視界がまともになったノサ爺さんは、杖を振り回しながら慌ててU字の坂を駆け下りました。

「大変だ!嬢ちゃんが天狗に攫われた!」

 ヌル爺さんとムエ爺さんが目に入ると、それはもう大きな声で叫びます。

 側まで駆け寄るとムエ爺さんの杖で足を叩かれました。

「それで何でお前は、ここでどかどか騒いでるんだ!」

「だって…」

 ムエ爺さんに怒鳴られては、体の大きなノサ爺さんも思わず縮こまります。

「知ってるやつだったかい?」

 ヌル爺さんが、苛々とした様子を隠さないムエ爺さんをよそに尋ねました。

「ことわっておくが、友達ではないぞ。しかし踏切のわきの神社に住みついてる奴のようだった」

「そういうことか。あそこのやつ、最近になって悪さばかりしやがる」

 ムエ爺さんが毒づくと、三人はそれ以上交わす言葉も無く、空高く跳び上がりました。杖が邪魔にならないように脇に添え、屋根やら電柱やらを足場にして神社のある方まで跳んで行きます。

 神社を目前にしたビルの上で、三人は立ち止りました。

「ヌルさん、体力は大丈夫なのか?」

「なんども休憩したし、普通に歩くよりはずっと楽さね。……しかし、ムエさんに心配されるとは、あんたはいつまでも若いね」

「私は普段から身体には気を使ってるからね」

 ヌル爺さんとムエ爺さんがそんな会話をしている間、ノサ爺さんは地上に目を凝らして天狗を探していました。神社の鐘楼の屋根の下にみゆきの影を見つけ、あっと声をあげます。

「視力だけは最年少に勝てんがね」

 ムエ爺さんが呟き、三人はビルから飛び降りました。

 みゆきがうずくまって鐘楼の段差に腰掛けていると、頭の上でザリッと砂を踏む音がしました。天狗が戻って来たのかと顔をあげたら、そこには三人のお爺さんの姿がありました。

 みゆきは先ほどのノサ爺さんとの攻防を思い出して戸惑い、目を泳がせましたが、ノサ爺さんがみゆきの手をがっしりと握りました。

「無事でよかった…!天狗になにも悪さをされとらんだろな!」

 太い声を感動に震わせてノサ爺さんは言いました。みゆきが後ろの二人に目を向けると、二人とも、よかったよかったと、ノサ爺さんの背を撫でながらみゆきに笑顔を向けます。

「の、ノサ爺ちゃん……」

 みゆきがやっとノサ爺さんを見て声を掛けると、ノサ爺さんは嬉しそうな顔のまま黙ってみゆきを見つめ返しました。

「さっき、目を叩いちゃって……ごめんなさい」

 そういうと一旦辺りが静まり返り、始めにノサ爺さんが快活に笑い出しました。

「そんなことがあったのかい?」

「悪さをしたのは、ノサの方だったのか!」

 ムエ爺さんと、ヌル爺さんが言います。みゆきが事のあらましを説明すると、二人ともノサ爺さんが悪いと言い、本人にまで謝られ、みゆきは勝手におお事にした自分がなんだか恥ずかしくなってしまって、顔を俯かせました。

「あっ!てめぇ等、いつの間に!」

 四人が顔をあげると、鐘楼の屋根の上にさっきの天狗が居ました。

「現れたな悪ガキが!最近町内でも一発殴りたい奴だと有名だぞ!」

「ち、違う…!帰り道がわかるって!」

 太い声を唸らせ、すぐにも飛びかかりそうなノサ爺さんにみゆきは言いました。

「なに?」

 ノサ爺さんとムエ爺さんは天狗を睨んだまま、ヌル爺さんが振り返ります。

「つ、つれて帰ってくれるって!」

「そんなことがあるかよぉ。天狗は昔から人攫いって決まってんだ!」

 間髪いれず、ノサ爺さんが言います。

「なんでぇ」

「なんでも!だいたい、このあほ面が俺達でも知らん人間界への行き来の仕方を知ってるはずがないっ!」

「しっつれいな!現にそのお嬢ちゃんを連れてきたのは俺だろうが!」

 みゆきとノサ爺さんの会話に、とうとう天狗が口を挟みました。

「……ほう。行き来の仕方は本当に知っているらしい」

 ムエ爺さんが天狗に向き直りました。

「しかし知ってるなら、使わん手はないね?」

 ヌル爺さんが、優しい目元のしわを深めて杖を槍のように構えます。

「とっちめてやるわくそ餓鬼ぃ!」

「掛ってこいやぁじじいどもぉ!」

 ノサ爺さんの怒声に天狗が答え、四人は跳び上がりました。

「おいおい。お嬢ちゃんを独りにして良いのか?」

 天狗が挑発するように言いました。

「それもそうだな。代わる代わる、一人づつお嬢ちゃんが見えるとこに居るとしよう」

 ヌル爺さんが提案し身を引くと、まずノサ爺さんとムエ爺さんが杖を振りかぶって天狗に飛びかかりました。天狗は扇で風を起こして、ノサ爺さんの杖をいなします。避け切れずにムエ爺さんの杖が脇腹を殴りましたが、空中だったためか、その衝撃も和らげてしまいました。

「脳なし鬼のそれもジジイが、喧嘩なんて似合わねぇことしてんじゃねえよ!」

 天狗が嘲笑いながら扇を扇ぐと旋風がおじいさんたちに向かってきました。

 ムエ爺さんが咄嗟に着物の袖で顔を覆うと、なんとその風は、着物をうっすら切り裂いてしまいました。風を受けたところ全体に所々切り傷が出来てしまっています。

 同じくまばらに切り傷を負ったノサ爺さんはそれを意に介さず、地上ですばやく身を立て直し、天狗が止まろうとしていた木をなぎ倒しました。突然のことに天狗がいくらか体勢を崩すと、跳ねあがって頭めがけて身体を捻りますが、天狗がとっさに頭を守ったので、ノサ爺さんの足は奇しくも天狗の腕に当たりました。

 天狗は蹴られた勢いのままにノサ爺さんから距離をとり、しびれる腕を抱き込みました。

「っ……いってぇーよ!ジジイ!」

「……扇頼みの若造が、きゃんきゃん喚きやがる」

 ムエ爺さんの声が低く響きました。境内の杉の木の上で唸ると、その額からめりめりと二本のツノが生えてきました。

「ありゃ。ヌルさん、交代!」

「ほいさ」

 凄い形相のムエ爺さんを見たノサ爺さんが、ヌル爺さんと立ち位置を変わります。ヌル爺さんは、すっとムエ爺さんの斜め後ろに身を構えました。

 ムエ爺さんは細い杖をまるで棍棒のように振り回し、天狗の送る風を叩き割るようにその後ろを追いかけます。ときどき拡散した風に着物が切り裂かれ、ムエ爺さんの髪を束ねていた糸もいつの間にか切れてなくなってしまっていました。

 それでも切れない杖と、躊躇いなく真っ直ぐ跳ねあがってくるムエ爺さんに背を向けて飛ぶ天狗は、慄き、逃げ惑っているかのように見えましたが、硬い足場を見つけると膝を深く曲げて弾みをつけ、振りかぶったムエ爺さんの杖に扇を直接ぶつけました。するとなんと、その風をまとった扇が杖を切り裂こうと金切り声をあげます。

 ムエ爺さんが扇を流して次の動作に入ろうと力をゆるめますと、ぶつかった衝撃が今頃返ってきて、ムエ爺さんも天狗も後ろに吹っ飛びました。すかさず、ヌル爺さんが小柄な肢体を不思議なクッションのように柔らかいばねにして、頭一つ分くらい大きなムエ爺さんを抱きとめます。

「ええぃ……」

 地面に降りたつと、ムエ爺さんはすぐに己の足で地面を蹴り、お堂の屋根の上に落ちた天狗を追います。

 高く跳ねあがり、瓦に埋まった天狗めがけてムエ爺さんが拳を振りかぶると、その様子を地上で見ていたヌル爺さんが突然に怒鳴りました。

「よけろ!まじないだ!」

 一言目で無理矢理身体を捻ったムエ爺さんの側を竜巻が昇っていきます。

 屋根の上で倒れながら天狗が扇に唱えていたのを、ヌル爺さんは聴いていたのでした。

「なんで聞こえるの……?」

 同じ境内の中、鐘楼の小屋の影に隠れているみゆきが、ノサ爺さんに尋ねました。

「ああ、あのお人は相当耳が良いからなぁ」

 事も無さげに言いますが、みゆきはまったく腑に落ちません。

 目の前で行われている喧嘩にはまったく現実味がなく、なんだか他人事のようにそれを眺めてしまいました。よたよた一緒に歩いていたお爺さんたちが、跳ぶわ跳ねるわ角まで生えて、これではまるでアニメの世界です。

「あ……そうかぁ。お爺ちゃんたちは妖怪なんだね?」

「ムエさんも天狗も言ってたろうが」

 二人は屋根の上で弾け跳ぶ瓦を遠目に見ながら、のんびり談笑しました。

 屋根の上に落ちたとき、まったく受け身をとれずまともに衝撃を受けた天狗は折れたかひびが入ったか、とにかく翼が動かせずもがいていました。視界の端にムエ爺さんが跳び上がるのが見えて、慌てて風を起こす扇に呪文を唱え、命をつないだと思ったものの、直後に跳びかかって来たヌル爺さんに、取り押さえられてしまいました。

「っじじぃ……」

 天狗の上に座ってヌル爺さんが笑います。

「私の杖は不思議な杖でね、傷みを取ってくれたり、それをどっかに移したりね、色々できるんだよ」

「おどしかよ…っ」

「うん。そうなのよ。脅しにのってくれるかな」

「もぉおおおお、いいよぉおおお痛いのやだもぉお!」

 天狗はくしゃくしゃに顔をゆがめて、よれよれの身体をヌル爺さんに支えられ、地面まで降りてきました。

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