第4話 きっかけは

 天狗が手と羽根を縛られて地面に座り込みます。そして三人のお爺さんに囲まれると、ムエ爺さんとノサ爺さんから一発ずつ力いっぱい殴られてしまいました。

「いったぃー!」

 非難がましく天狗がわめきます。

「この扇、風鬼んとこから盗んだやつだな?」

 角が消え、元の姿に戻ったムエ爺さんが天狗の持っていた扇を手にして言いました。

「……おうよ。そういうのは間抜けな鬼よりも、賢い天狗が持ってる方がかっこいいだろうが」

 天狗が悪びれずに言うと、ノサ爺さんが地を蹴ります。

「くぁ~!地方では山の神だとか言われてるかしらねぇが、天狗になりやがって、ちょっとまやかしが使えるだけのくせに!」

「まぁ、天狗だしな」と、ムエ爺さんが言います。

「……とりあえず、慢心しやがってってことだ!」

「慢心なんかじゃねぇや!天狗はなぁ、他のやつらと違って美しい翼をもち知性にあふれ、さっきうっかり口を滑らせたが、こちらとあちらを自由に行き来することのできる特別な存在だって、うちのとっつぁんが言ってたんだからな!」

「おまえんとこの“とっつぁん ”なんてしらねぇよ!自分から白旗あげたくせして見上げた根性だな」

 ノサ爺さんは天狗の達者な口と負けても変わらない尊大な態度に、開いた口が塞がらないようでした。

「お前らが多勢に無勢で殴りかかって来たんじゃねぇか卑怯者!」

「お前がそうするように挑発したんだろう」

 わめく天狗にムエ爺さんも相当あきれた顔を見せました。本当にこの愚かな天狗はみゆきを元の世界に返す力を持っているのでしょうか。半信半疑で尋ねます。

「で、お前達はその<特別な能力>で、人間をこちらに連れてきてるのか」

「そうさぁ!」

 天狗が自慢げに言います。

「ただ自分が行き来するのとはわけが違う。他人を動かすのにはちょっと脳が居るんだ」

 天狗がもったいぶって四人を見渡しました。

「ほう。その違いって言うのはどんなだい」

 ヌル爺さんが先を促すと、天狗は鼻の穴をふくらませて続きを語ります。

「他人を動かすには、それ相応のタイミングって言うのを計らなきゃならねぇ。本人の意思と違った動作をさせようとすると、かならず拒否反応が起きてこっちが怪我する事になっちまうのさ。だから現実から離れたがってるやつに力を使うんだ。そして恩を着せ、飽きるまで小間使いにするのさ!」

 どうだ!とでも言いたげに、天狗は長い鼻で天を指しました。

「それで?お前の小間遣いは今どこに居る」

「もう帰しちまったよ。だからその子を呼んだんじゃないか」

 ムエ爺さんが尋ねると、天狗が興を削がれたように言いました。この愚かな天狗がしたい事はどうにもわかりませんでしたが、力があることは本当のようです。すると、ノサ爺さんがみゆきを見ました。

「お嬢ちゃん、そんなにお稽古が嫌だったのか?」

「そ、んなことないよ……、だってお母さんが……」

 みゆきは俯いて、林の中で会った時のようにもごもごと言い始めました。

「母ちゃんの顔見るのがそんなに嫌か?」

「違うよ!お母さん、やめたければやめろって言って……くれるもん……」

「……じゃあやめれば良いじゃないか」

 みゆきをからかうつもりで居たノサ爺さんでしたが、言い訳じみた事を言いながらウジウジとしたみゆきの態度に、少し語気を強くして言いました。

「……やめないもん」

「そんなに嫌なのにか」

「……やめないもん……!」

「じゃあなんで此処に来れたんだ。林で座り込んでたのだって逃げてきたからだろうが!もごもごとハッキリしない!言い訳してんじゃねぇ!」

「……」

 ノサ爺さんの太い声が乱暴に鼓膜を震わせて、みゆきは胸に顎を押し付けて黙りこくってしまいました。

 ヌル爺さんが杖を支えにして、みゆきの前にしゃがみ、その頭にそっと手を置きました。

「つい迷っちゃっただけで、本当は行くつもりだったんだものね?」

「……うん」

 ヌル爺さんがあくまで穏やかに、肯定的に話しかけると、少し間を空けてみゆきは答えました。

「どうして道に迷ってたのかな」

「いつもとは違う道で帰ろうって。ちゃんと出かける時間に間に合うって思ったの……」

「違う道だったから迷っちゃったの」

「……うん」

「でもちゃんと時間には間に合うようにって思ったんだね」

「だってね、いつもね、お母さんが車で教室まで送っていってくれるから、待っててくれるから、ちゃんと帰らないと……」

「お母さんのために帰るのかい?」

「うん」

「お母さんに怒られるかも知れないが、やっぱり帰りたいかい?」

「……」

 みゆきがまた口を閉ざしても、ヌル爺さんは辛抱強く待ちました。するとみゆきは小さな声でまた話し出しました。

「……お母さんが怒る理由もちゃんとわかってるよ?わたしが、お習字行きたいって言ったからだもん」

「みゆきちゃんはお習字が好きかな」

 ただ静かに二人が会話する境内に風が吹き降りて、みゆきの体を後ろから押します。

「好きだよ……」

 みゆきは答えました。

「友達と遊びに行けなくてもかい」

「やりたかったら遊びにいけないのは、だって、しょーがないもん」

「そうなの?」

 ヌル爺さんの短い問い掛けに、みゆきがようやく顔を少し上げました。ずっと影になっていた瞳が光を反射します。

「うん。でもね、でも、教室に行けばそこの友達に会えるよ。ときどき退屈だけどお習字するの楽しいもん。……だからやめたくない」

「そうかい、じゃあ早く帰らないとね」

 やっとみゆきの顔を見ることができたヌル爺さんが微笑んで、みゆきの頭から手を離しました。

 すると不思議なことに、みゆきの心や肩に重くのし掛っていた何かがふわりと無くなってしまった様な心地がして、みゆきは立ち上がったヌル爺さんを見上げました。

 ずっと下げていた頭を急に上げたせいか、ふらついて後ろに仰け反ると、背中を暖かくて力強い何かに支えられました。頭だけ振り返ると、ノサ爺さんがそこにいました。

「……」

 ノサ爺さんは何も言いませんでしたが、みゆきはその手を嫌な感じに思わず、さっきの言い合いももう気になりませんでした。ただ、ノサ爺さんの大きな手に体を預けます。

 今まで黙って聞いていた天狗がムエ爺さんに促され、むすっとした顔でみゆきを見ました。

「嬢ちゃん」

「……」

「帰りたいか」

「……」

 みゆきは一瞬声が出なくて唇を舐め、もう一度口を開きました。

 帰りたい。そう言うと目の前の景色が突然変わりました。辺りを見回してみても天狗も三人のお爺さんもいません。

 ここは、みゆきが迷っていた竹林のようです。目の前にはもう商店街のアーチが見え、中を行き交う人々の声がします。どうやら戻ってきたようです。

 何かに背中を押され、みゆきは家まで駆け出しました。

 青々としたサザンカの生垣をぬけて家に帰ると、お母さんが怖い顔でダイニングにいました。時計を見れば、お稽古に出かけるギリギリの時間でした。

「どこへ行ってたの!今日はもう休みますって連絡入れましたからね!」

 みゆきが「ただいま」を言い切るのと同時に、お母さんは厳しい口調で言いました。椅子に座って、ダイニングの扉の側で立ちすくむみゆきを見つめます。

 みゆきはすぐにでも扉から外へ出て部屋に逃げたい気持ちになりましたが、すくむ足を踏みしめました。そして今日、習い事が億劫で寄り道をしてしまったことと、道の途中で迷って帰りが遅くなってしまったことを説明しました。

 つっかえつっかえ、時に消え入りそうな声で話すのを、お母さんはただ黙って聞いていました。

 みゆきがひと通り話し終え、ごめんなさいと言うと、お母さんは立ちっぱなしだったみゆきを座るように促しました。

 みゆきが言われた通りにお母さんの正面の椅子に座ると、お母さんの強い目が静かにみゆきを責めました。それでもみゆきは、精一杯お母さんを見つめ返しました。みゆきにはとても長く感じるほどの沈黙のあと、お母さんはひとつ息を吐いてから言いました。

「私は毎月みゆきの習い事にお金を払ってるの。みゆきに必要だと思うからよ。しかもみゆきが自分からしたいと言った事には、それなりに責任を取らなきゃいけないって言ったでしょ」

「……はい」

「それでも、どうしても頑張れない時は、黙ってどこかへ行くんじゃなくて、ちゃんと言いなさい。心配するでしょう」

 お母さんの声は静かでしたが、みゆきが怖いと感じる時のように硬く強い言葉でした。

 でもどうしてでしょう。みゆきは胸が、体中が、じんわりと温かくなってきました。それと一緒に喉の奥から色んな事がこみ上げてきて、みゆきは強く顎を引いてお母さんから顔を隠しました。

 みゆきはやっと家に帰ってこられたのです。また思い出されてきた足の痛みも、安心して休めることができるのです。でも、その代わりきっとあのお爺さん達にはもう会えないのでしょう。あんなに素敵な出会いだったのに「さよなら」も言えなかった寂しさを、みゆきはテーブルの影にこぼしました。

「おかえり」

 テーブルに額をつけてうずくまるみゆきの髪をお母さんの手がそっと撫でて、部屋には晩ご飯の匂いが漂いました。




終わり

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