第2話 家
みゆきは両親から、知らない人についていくなと教わっていましたが、帰り道を聞くには今しかありません。お爺さんたちの、何となく丁寧で優しそうな雰囲気を信じて、覚悟を決めました。
「あの、葛花町の方に行きたいん、です、けど、尾花商店街は、どこですか。そこまでいけたら、後はわかるんですけど…」
口ぐちに話しをしていたお爺さんたちが、口を閉ざしてみゆきを見ました。次に、ヌル爺さんに視線が集まります。
ヌル爺さんは、毛玉が出来てしまいそうなくらいひげをごしごしとこすりました。
「尾花商店街は、あるにはぁ、ある。……まぁ、とりあえず行ってみるかい?」
どうも言いにくそうな様子が気になりますが、それでもみゆきは少しホッとして頷き、三人と歩き出しました。
歩いてるあいだ三人のお爺さんは、ずうっとみゆきと楽しい話しをしてくれました。
なんと言ったって、あんなに警戒していたみゆきが初対面の人と話す気恥しさを忘れるほどでした。
体の大きいノサ爺さんが一番若く明るい性格のようで、みんな“ヌルさん ”“ムエさん ”と呼び合うなか、一人だけ“ノサ ”と、呼び捨てにされていました。ノサ爺さんはとにかく良く喋り、自分達の家族のことや近所付き合いの事を言っては、ガハハと一人で笑っていました。ムエ爺さんが勢いよく話すノサ爺さんの言葉の説明をして、ヌル爺さんはいつもみゆきを気遣って会話の輪に入れてくれました。
ノサ爺さんの話す大人の付き合いの事は、8歳のみゆきにはよく分かりませんでしたが、ノサ爺さんの話し方と、楽しい笑い声につられてたくさん笑いました。
そんな風にしていましたら、竹の間からあっという間に商店街の看板が見えました。
みゆきは胸がどきどきとして来ました。このドキドキは、やっと帰れる喜びでしょうか。
初めて一人で知らない道を歩いて、知らないお爺さんと出会って、とうとうここまで来れました。アーチから覗く商店街を見つめながら、みゆきはまだ少し夢見心地なようです。
「商店街を行き交う人がいないが、もう夕方だからだろう。早く帰らなくては」そう、みゆきは思いました。
自然と早まった足で、アーチの下まで来ます。そこで一行は、立ち止まりました。
商店街では、買い物をする人どころか、客を呼ぶ店員の姿すらありません。けどお店は荒れた様子も無く、ただ整然と立ち並んでいます。うそのように静まった商店街で、建物だけは生活感を保っているのが異様でした。
「どうかな。ここは、みゆきちゃんの知ってる尾花商店街と同じかい?」
ヌル爺さんが言いました。
みゆきは自分の見てる光景も、ヌル爺さんの言葉の意味もよくわからなくて、首を振りながら言葉も無くヌル爺さんを見上げました。
胸によみがえった不安が噴水のようにはじけてしまいそうでした。
「やっぱり普通の方法では駄目なんだろうね。ちょっとそこに座らないかい?」
四人は商店街の入口のすみにポツンと置かれたベンチに腰掛けました。
みゆきはヌル爺さんとムエ爺さんに挟まれて座り、混乱しながらもゆっくりと呼吸を繰り返します。
「みゆきちゃんが来たのはね、この町ではあるんだけども、こことは違う世界なんだよ」
どうやって説明したものかと、ヌル爺さんが髭をなでながら語ります。
「さっき、私たちが妖怪や妖精みたいなものだ、と言ったのは信じるかい?」
ムエ爺さんが言いました。
「変な格好をしてるでしょ」と言われた所まで思い出して、みゆきはとりあえず頷きました。
「ここはね、その、人じゃないモノが住む側の世界なの」
「……でかた、分からないの?」
みゆきが、目に不安と疑問をいっぱいに浮かべて尋ねました。
「…そうだね。わたし達には、みゆきちゃんがどうやってここに入って来たのかさえ、わからないんだよ」
ムエ爺さんが淡々と言います。
ヌル爺さんが、泣きだしてしまいそうな、みゆきの背を一生懸命にさすりました。
「でも、ね、ほら、あたし達ゃ暇だから。いっぺん、みゆきちゃん家の方にも行ってみよう。なんだったら来た道も通って理由を探そう。おそくなったら、みゆきちゃんのお母さんにも一緒に謝ってあげるさぁ」
優しいお爺さんたちは、みんな「そうだそうだ。暇人も働かねば」と、ヌル爺さんに同意しました。
「……うん」
それから一行は、少し黙り込みました。すると、いつの間にやらノサ爺さんがいません。
「おーい」
ノサ爺さんは、すぐに商店街の奥からどてどてと走って戻ってきました。手にはいくつか缶ジュースを持っているようです。目の前まで来ると、それをみゆきの足下に並べました。
「どれが飲みたい?」
なんだか嬉しそうに言います。
並べられた缶ジュースを見ると、桃の絵が書いてあるものと青い模様で涼しげなもの、緑のマークに泡のイラスト付いているもの、そして、黄色い液体が印刷されたモノがありました。
みゆきが迷っていると、ムエ爺さんがさっと黄色い缶を地面から取りあげました。
「お嬢さんの前になんてものを並べるんだ、お前は。これは私が頂くからな」
「あぁっ、俺のビール!」
「さっき飲んだのが今日の分だって言っていたろう。奥さんの言う事は聞きなさい」
「……さいきん孫も酒を控えろってうるさいし、なんだってんだ」
「お前さんの、その真っ赤な顔を気にしてるんだろうさ」
ヌル爺さんが笑いました。
みゆきは間違ってビールを飲んでしまわずに済んでほっとして、桃の絵のついた缶を手に取りました。缶の爪が引けず悪戦苦闘していると、ムエ爺さんが綺麗な手で開けてくれました。お爺さんたちに囲まれて背中を優しくさすられながら甘いジュースを飲んでいると、どくどく鳴り響いていたみゆきの心臓は静かになって行きました。そうして少しだけベンチで休憩して、三人は再び歩き出しました。
ここから一番近い、みゆきの家に向かいます。
みゆきがムエ爺さんの手を引きながら、三人を案内します。ここからはお母さんともよく歩く道なので、街並みは変わらないと言うのなら、みゆきは自信を持って歩けました。
さっき入って来たアーチの真正面口から出たらもうそこは住宅地で、あとは道なりに進めばみゆきの家につきます。
みゆきは道すがら、お爺さんたち以外の妖怪はどうしているのか尋ねました。
「普通この時間は、みんな家に居るな」
「昼寝とか、家でボーっとしてたりだな。みゆきちゃんたちみたいに夜寝ないから、夕暮れになるとみんな家から出てきて騒ぐんだよ」
「お爺ちゃんたちは、なんで外に居たの?」
「……家に居づらくてなぁ」
三人のお爺さんは遠い目をしてため息をつきます。
「どうして?」
「そりゃあ…」
ノサ爺さんが答えます。
「家に居たらお母ちゃんの小言を聞いてにゃあならんし、それが済んだと思ったらこき使われるわ、娘や孫に邪険にされるわ……」
言葉の終わりのあたりには、ずいぶんとため息交じりに語ります。
「まぁ、なんだ……、今日はちょっと居心地が悪くてだねぇ」
ヌル爺さんが言い訳がましく半笑いで言うと、同調するようにムエ爺さんも唸りながら顎を引きます。
みゆきが視線と歩調を落としました。
「わたしのお母さんもよく怒る……」
「ん、あんなとこで迷ってたのは、もしかしてそこに原因があるのかい?」
ムエ爺さんが手をつないだみゆきの顔を覗き込んみました。みゆきは、しかし、あいまいに首をかしげます。
「……でも、うん。きょう、習い事があったんだけど、あの、あんまり、行きたくなかったの」
少し言いづらそうに口をもごもごさせながら、みゆきは言いました。
「ありゃあ!すっぽかしたの!」
ノサ爺さんが大げさに言うと、みゆきは嫌そうな顔でノサ爺さんの足下を見ました。若干の罪悪感のためか、三人から顔を隠します。
「行くつもりだったの……!でも迷っちゃったんだもん!」
みゆきの声は少し震えていたでしょうか。みゆきは、一度言葉を切って唇を噛みました。
「ちゃんと帰って行くつもりだったもん……。今日だけだもん……」
弱々しく言って、ムエ爺さんと繋いだ手を緩めました。ムエ爺さんはそう強く握っていなかったので、手はゆっくりと降りて、みゆきのシャツの裾を掴みました。
「今日だけちょっと、逃げてきちゃったか」
「逃げたんじゃないよ……」
みゆきは握ったシャツの裾を見つめながら、ぼそぼそと、ノサ爺さんに言い訳しました。
「そうかそうか、行くつもりだったんなら早く帰らんとね!お母さんも心配してらっしゃるだろうしね」
ヌル爺さんは、みゆきの言い訳も鵜呑みにしたように、明るく言って、みゆきの背をトンと叩きました。
みゆきは、こっくり答えて、またお爺さんたちと並んで歩き出しました。
道のわきに、みゆきの家の生垣が見えてきました。週末だけ家に居るお父さんが、大事にしているサザンカです。まだ時期でも無いのに、ちらほらと花が咲いています。やはり普通の世界ではなさそうで、みゆきは早くもがっかりしましたが、いつまでもうじうじしていても仕方がありません。とりあえず、玄関の前に立ちました。
表札にはちゃんと「
みゆきは、何となく他人の家のような気がして躊躇いましたが、お爺さんたちに促され、扉をあけました。みゆきの家はいつも誰かが居ることが多く、鍵が閉まってる事は少ないのですが、この世界でも扉は鍵を使うことなく開きました。
なんとなく忍び足で家に上がり、お爺さんたちは入ってすぐそばのダイニングで腰を落ち着けました。
「ちょっと失礼するね」
「いやぁ、さすがにちょっと、よく歩き過ぎだ」
ムエ爺さんとノサ爺さんが、なにやら言いながらテーブルに備え付けられた椅子に腰を下ろします。ヌル爺さんも同じようにしてから、自分の杖にしがみつくようにもたれ掛かっていました。
みゆきが冷蔵庫を開けてみると、なんとお茶が入っていたので、匂いを嗅いでみてから四人で飲みました。
どうも自分の家のようなのでみゆきは安心したと同時に、お母さんに会わなかったことにもホッとしたようでした。
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