最終話 夢で逢えたなら
空は青く晴れ、雲一つない。大地には草が生えさわさわと波打っている。草の海を突っ切るような一本道を一組の親子が歩いてる。
鼻を通る夏草の香りに目が細む、本当に良い天気だ。
「今日はいい天気ですねーお父さん」
父親の少し前を歩きながら、おどけた様子で娘は笑う。
母親に縫ってもらった白いワンピースが風に揺れる、完成を今か今かと待っていただけあって喜びもひとしおだ。
頭にかぶっている麦わら帽子は、ワンピースに合わせて父親が買ってきたものだ。
花の刺繍があしらわれた麦わら帽は、太陽とそれと同じくらい輝く娘の笑顔に良く映える。
「よーし、今日は海まで行ってみるか!」
「うん!」
海に向かって走り出した二人。
それはどこにでもいる普通の親子だ、これといった特徴など無いこの世界に生きる親子だ。
娘は父の宝だ、生まれてすぐは体が弱くひやひやする事が何度もあったが、妻と協力してここまで育て上げた。
熱を出して寝込み、それを見て父親がうろたえ母親が檄を飛ばす場面など一生分見たのではないかと、父親は前を歩く娘を見て笑う。
今年で七歳になった娘は、今では外で走り回れるほど元気になった。
数百年前、空から『天の火』と呼ばれるものが降ってきたと言われている。
それのせいで作物は枯れ、水は汚れ、まともに人が住める状態ではなかったらしい。火の影響からか体の弱い人間もたくさんいたらしく、長くは生きれなかったらしい。
だがある日、火が降る事は無くなった。人々は少しずつ文明を立て直し、数を増やしていった。
畑を耕し、街を作り、国を作った。
壊れた世界はその形を取り戻しつつある。
だが、新たな火が降らずとも大地を焼く残り火は残ったままだ。各地にその傷跡を残し、近付いた者の身体を焼き蝕む。大なり小なり度合いはあれど、いまだにこの世界を蝕んでいる。
娘の身体が弱かったのも、残り火の影響だ。
だが人は火を制御し克服する寸前まで来た、長い年月をかけ火に侵された体を治療する術を見つけ出しつつある。奇跡を信じるかという問いに父親は、間髪入れずにあると答えるだろう。
残り火のせいで体の弱かった娘が、野をかける姿を見れば否が応でも奇跡を感じるだろう。
「お父さーん! 遅いよ~!」
急かされて、娘の後を追う。
海は少し波がさざめていたが、穏やかと言って差し支えない程度のものだ。周りに人影は無い、運がいいなと父親は荷物を砂浜に広げた。
娘はもう波打ち際を走り回っている、そんな姿を見ていて童心に帰ったのか父親も走り回りたい衝動に駆られる。靴を脱いで、娘の所へ駆け出す。
太陽が二人の真上に来た頃には、どちらともなく広げた荷物の近くで休んでいた。砂に刺したパラソルの下が今の二人にとっての楽園だ、汗を拭きながら父親は娘に水筒を差しだした。
それに飛びつき、喉を鳴らしながらそれはそれは美味そうに水を飲む娘を見てから、父親も水を飲む、喉が渇いたせいで嫌な粘り気を持った口内を冷たい水が洗い流してくれる。
喉を通った水が胃の中に入って行くのが分かる、その快感のせいか水筒から口が離せない。恐るべき吸引力を持った口に抗い、水筒を引き剥がし弁当を取り出した。
娘の方もわずかにではあるが、水を残せたらしい。若干名残惜しそうに、水筒をしまう。
「いただきまーす!」
娘の言葉を合図に、二人は弁当を食べ始めた。今日の弁当は父親が気合を入れて作った物だ、鳥の唐揚げは味が少し濃いが美味い、家の畑で取れたアスパラを使った肉巻きは隠れて練習したかいあり、中々の出来だ。出来損ないを残しておくわけにはいかずに、自分で食べていたら少し太ってしまった。
「美味しいか?」
とは言えそれは自分の感想だ、大事なのは娘が美味しく食べれているかどうかだ。
娘は思った事がすぐに顔に出てしまう、だから内心ではまずいと思いながら笑顔を作ることは出来ない。
随分前に作ったカレーを食べさせた時などは、美味しいと言わせた事を公開させてしまうような顔をしていたものだ。あの顔を見てしまっては、そう易々と食事を振舞う訳にはいかない。
今日の弁当は父親の威厳を取り戻すための勝負飯なのだ。
「お父さん、腕を上げましたね~」
そう言って、娘は笑顔で唐揚げを頬張った。少し歪な形をしたおにぎりも気に入ってくれたらしい、だが安心したのも束の間、どうやら片寄って塩のついていた場所があったようで、しまったばかりの水筒を取り出し勢いよく水を飲んでいた。
涙目になりながら文句を言う娘を見て、父親は可笑しくなってしまいつい笑ってしまった。娘も頬を膨らまし不機嫌そうにしていたが、父親があんまり笑うのでつられて笑い出した。
楽しい時間はあっと言う間に終わってしまう。砂の城を作っている間に陽は落ち始めていた、二人で熱中していたら、それに全く気付かなかった。
荷物をまとめ、帰り支度をしながら父親が思いつく。
「お母さんに花でも摘んでいこうか?」
今日来ることの出来なかった母親は花が好きだった。
気が強く、がさつに思える言動の裏にある優しさに惹かれた、自分の残る人生全てを捧げてもいいと思える人に出会えたことは、自分の冴えない人生も悪くないと思える理由の一つだろう。
もっともそんな事を言えば、照れ隠しの張り手が飛んでくるだろうが。
「うん!」
この海岸には一か所だけ花が集中して咲いている場所がある、海の見える眺めのいい場所だ。
本来はこの場所に咲くような花ではないはずだ、開花時期もずれているはずなのになぜこの場所にこの花達が咲くのかは分からない。
一昨年見つけたこの場所は、初めこそ奇妙に思えたが珍しい事もあるものだと、今では特別気にしていない。
二人で青や白、紫の花を集める。色とりどりの花は見ているだけで心が安らぐものだ。
咲くのは青い独特な形をした花、尖った花弁がかっこいいと娘の一番のお気に入りだ。白い柔らかな印象を受ける花びらを咲かせる花、プロポーズの時に使ったものと同じ花だからだろう父親はこの花が好きだった。
母親が好きなのは紫の花だ、一番好きなのは白い花だが紫のも素朴さが好きだと言って笑っていた。
三種類の花を束ね、小さな花束を作り帰路についた。
夕日に照らされた帰り道、二人は手を繋いでゆっくり帰る。
「花の名前は覚えられたかい?」
「もちろん!」
花に関する問題を出すのが、あの場所に行った帰り道の流れだった。花屋をやっている父親の仕事柄、娘が花に興味を持つのはごく自然な事だった。
いつかは父親の仕事を手伝いたいと、花の勉強を少しずつだがしていた。その成果を披露するにはこの夕暮れの帰り道はうってつけに違いない。
「この紫の花は……シオン! シオンでしょ?」
「じゃあ花言葉は?」
意気揚々と答えた娘に少しだけ父親はいじわるしてみた。
娘が勉強をしているのは知っていた、だから名前くらいなら難なく答えてくるだろうと思っていた。我ながら大人気ないかな、少しバツが悪そうに父親は頭を掻く。
「君を忘れない、でしょ?」
自慢気な顔をした娘の顔が目に入った、母親によく似た勝ち誇った可愛らしい笑顔を浮かべている。なるほど、我が娘ながら大したものだと父親は感心してしまう。
どうやら手加減はいらないようだ。
「じゃあこっちの白い花は?」
甘い甘いとでも言いたげに、娘は舌を鳴らした。
どうやら答えられてしまうようだ。
「アイリス、花言葉は希望でしょ? あっ、あとはあなたを大切にしますじゃなかった?」
娘はニヤニヤしながら父親を見た、父親は自分の顔が赤らんでいるのを夕日のせいにしたくなった。我ながら、若かったな背中がむず痒くなるが後悔は無い。
「じゃあ青い花は?」
先ほどまでとは打って変わって、娘は顔を曇らせた。
どうやらド忘れしてしまったらしい、喉に魚の骨を詰まらせたような顔をしてうんうんとうなっている。それを見ながら父親は煽るようにニヤついて見せた、その顔が気に入らなかったらしい娘はムキになって思い出そうと脳味噌を思いっきり回した。
「ニゲラ……そうだ! ニゲラでしょ!」
「正解、じゃあ花言葉は?」
娘の脳味噌はもう動きそうにない、なんて大人気ないのだろうと若干父親に呆れている。意外と子供っぽいところがあるなと、余りの事に小馬鹿にしたように鼻で笑ってしまう。
「はぁ……分かった。私の負け」
「惜しかったな、でもよく勉強してるじゃないか」
そう言って笑う父親を見ていると、娘の怒る気も失せてしまう。父親は普段はとても優しく誠実な人柄だが、時折見せる子供っぽい大人気なさがあった。
こと自分の仕事の要である花に関しては、そういった面を見せがちだった。だがそんな所も割と娘も母親も嫌いでは無かったが。
二人は元来た道を歩き出した。彼方に太陽が沈んでいく。
「じゃあお父さん、あの青い花の花言葉は?」
「ニゲラはね……花言葉が凄く綺麗なんだよ」
「どんな花言葉なの?」
もったいぶったように父親は笑う、昔からニゲラの花言葉が好きだったのだ。理由はよく分からない、言葉が綺麗だからなのかそれとも語感が良いからかもしれない。
夕日に照らされた二人を風が吹き抜けた。娘の黒い髪をたなびく、髪だけは父親に似て黒くなってしまったが気に入っているようなので父親としては嬉しいものだ。
二人はこれから家に帰る、家ではきっと母親が庭の畑で取れた野菜を使った料理を作ってくれているだろう。
三人で食事をして、温かな布団で眠るのだろう。
そんな当たり前の幸せがいつまでも続くように、父親はほんの少しだけ娘と繋いだ手に力を込めた。
「ニゲラの花言葉はね……」
夢で逢えたなら。
背中合わせの時の中で 猫パンチ三世 @nekopan0510
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