第7話 絶望の先へ

「ここで……最後か」


 アイリスが死んで三年が経った。

 ニゲラはある国の『天の火』の発射基地に来ていた。

 あの日から、彼は休むことなく各国の基地を潰して回っており、その数は大小二百にも上る。

 手に持っていた紙を破り捨てる、それは『基地潰し』を始めた最初の方である基地から見つけた各国の発射基地の位置を記した物だ。

 記された場所に行くと必ず基地があったため、信頼性は高い。

 そしてそこに記された基地はここが最後だった。

 たった一人で、誰に褒められるわけでもなく、誰に認められるわけでもない、善行と呼ばれるには余りにも利己的な行為を繰り返していた。

 理由は単純。彼はもう奇跡を待つのに疲れていた。

 

 基地に向かってニゲラは走り出す、基地の防衛システムが容赦なくニゲラに襲い掛かる。

 分厚い鉄板を撃ち抜く弾丸を、まともに食らっても不死であるニゲラには何の問題も無い。腕が千切れようが足が吹き飛ぼうが問題ない、レーザーに切られようが壁に押しつぶされようが問題ない。

 今まで見た基地の中で一、二を争う大きさの基地だ。今までの防衛設備とは、数も質も桁が違う。

 機銃の森が眼前に広がる、スコールのように撃ち出される弾丸の雨を前に少しずつだが前に進む。砕かれる体の中でニゲラはあの手紙を思い出していた。


『この手がみをよんでいるとき私はもうニゲラの横に立っていられないかもしれない』


 漢字とひらがなが混じった読みにくい手紙だった、後半はペンを持つのもやっとだったんだろう。文字はミミズが這ったように、くねくねとのたうっていた。

 前に進むニゲラは何十回、何百回と死んでいる、それでも足は絶対に止めない。

 止めるわけにはいかない、止まるわけにいくものか。

 

『だから、あなたにもらった文字をつかって私の思いをつたえます』


『ニゲラに会えて私は救われました。あなたは本当にやさしかった」


 そんなんじゃねぇ、俺が優しいわけがねぇ! ぎりぎりと歯を食いしばって進む。もう痛みなど感じるわけも無い。いったい何度死んだと思っているのか。

 足元の対人地雷が起爆する。腰から下が吹き飛んで、辺りに肉片と血を目一杯ぶちまけながら進む。足が無ければ這ってでも進めばいい。


『私は世界を見て思ったよ、いろんな人がいるって悪い人ばかりじゃないって……汚い場所ばかりじゃないって」


 何言ってんだ、嫌いなんだお前のそういう所が。この世界がどれだけ汚れてるか、どれだけクソみたいな人間が溢れてるか、一番知ってるはずのお前がなんでそんな風に思えるんだよ、綺麗事ばかり言いやがって。

 赤い道をつくりながら管制室に向かう。足の再生は終わっていない、肉と神経が剝き出しのままだ。

 一歩進むごとに激痛が走る。


『全部ニゲラが教えてくれた事だよ。本当にありがとう』


『……私はそんなに長くは生きられないと思います』


 管制室まであと少し、あと一つ扉を超えればたどり着けるというところで最後の関門が立ち塞がる。

 この基地の心臓部を守るためだろう、途方も無い量の機銃が配備されている。

 管制室さえ守れればそれ以外の損害は勘定に入っていないらしい、無機質な待機音の後に一斉に弾丸が吐き出される。

 肉が千切れる、治る、骨が砕ける、治る、単純な事の繰り返し。

 胸に強い衝撃を感じる、胸には頭一つ通れそうな穴が開いていた。

 人に使う威力ではない弾丸がニゲラの胸に風穴を開けた、防衛システムも分かりかねていたのだ。

 攻撃対象を人間とするか否か。

 発射弾数から、数百人単位の人間を殺したという計算は出ている、だが対象は止まらない。

 遂には本来ならば装甲車、あるいは戦車に使うレベルの砲弾を放つに至ったのだ。


 弾丸の雨は止んだ、空中にわずかに残った薬莢が甲高い音を立て数発地面に落ちる。

 静寂の中でニゲラの口から血が一筋垂れる、胸に空いた巨大な穴。そこを通る風を感じる、体の奥底まで冷えるような感覚、これは感じた事のあるものだ。

 シオンを、アイリスを亡くした時と同じ、自分の中にあるあやふやな『人間』を形作ってくれていた物が壊れていくような感覚。


 なんて事は無い、今更胸に穴が開いたからなんだと言うのか。

 もうとっくに穴は開いている、こんな塞がるような穴じゃない、どれだけ時間をかけても塞がらない穴が。

 

「は……はは」


 少しずづ漏れた笑い声は次々と漏れ出した。

 可笑しくて仕方ない、そうだろう? 奇跡で生まれた自分をこの程度で止められると思っているのだから。


「どうした、こんなもんかよ。止めてみろよ!」


「俺を! 奇跡を! 止めて見せろよ! 鉄クズども!」


 再び放たれる弾丸たち。

 無意味に体を砕く、過去の遺物たち。


『ニゲラに会う前は死ぬのが怖くて、明日が来るのも怖かった。時間なんて進まなきゃいいとも思ってた』


 俺もだよ、アイリス。

 お前に会う前は、死ぬ事は怖くなかった。明日が来ることも怖くなかった、時間なんてあっという間に進んで、この体を砂に変えてくれないかなんて思ったさ。


『でもニゲラに会って、明日が待ち遠しくなった。死ぬ事ももう怖くない」


 でもお前に会って、死ぬ事が怖くなった。明日が怖くなった。

 もしも本当に俺が死んだら誰がお前を守る? 明日が来てもし隣でお前が冷たくなってたら?

 そう考えると怖くてたまらなかった。

 でも、きっとそれが生きてるって事だったんだ。


『私はきっと笑って死ぬことができる』


 違えだろ、そうじゃねえだろ! 

 遂にニゲラは管制室にたどり着いた。

 辿り着いた時、彼の身体は半分しかなかった。千切れかけ明後日の方を向いた左腕、下顎が吹き飛び、腹は大きく抉れ、だらりと垂れた腸を引きずっていた。

 誰もいないのに管制室で計器類は絶え間なく動き、火を造りそれを吐き出し人と大地を焼く。

 全く効率化様様だな、そんな風に悪態を吐きながら、まだ動く右腕で動き続ける計器を滅茶苦茶に動かす。

 全てのメモリを思いっきり回してやる、計器の針は振り切れんばかりに端によった。


「……これで終わりだ」


『製造システムに異常発生、施設内の作業者は直ちに退避してください』


「ばーか……もう誰もいやしねぇよ」

 

 ニゲラは壁に背を預け、ずるずると地面に座り込む。

 座り込んだ地面が爆発音とともに揺れだす、施設のどこかでかなり大きめの爆発が起きたらしい。

 このまま基地が爆発を繰り返せば、内部にある火に誘爆し辺り一帯を吹き飛ばすだろう。

 これだけの規模の基地、残っている火の数は製造途中の物も含めれば相当な物だ、大量の火の爆発に巻き込まれれば、焼かれるや吹き飛ぶなどという生易しいレベルでは済まない。

 文字通り『消滅』するのだ、欠片も残さずに。


 ニゲラの再生するための最低条件は『握り拳くらいの肉体が残っている事』だ、なら完全に肉体が消し飛べば? 無から有は生まれない、大きく人間の枠組みから外れた彼だが欠片も残さず消し飛べばもう再生することは出来ない。

 彼は全て覚悟の上だ、ここで自分が死ぬとしても為さなければならない事だった。

 傷ついた体は意地汚く再生しはじめているがどうでもいい、体が治ってももう立ち上がる気がしない。

 彼はひどく疲れていた。

 

 爆発の感覚が短くなってきている、もうそろそろだろう。

 綺麗な物がこの世界にはたくさんあるとアイリスは手紙に書いていた、それは違う、この世界は汚い物の方が多い。

 九割くらいは汚い物だ。人の不幸に笑い転げるような人間ばかりだ。

 だがそれでも良かった、ほんの一割でも誰かの為に泣ける人間がいるならそれで良い。

 

 本当に嬉しかったなぁ、ニゲラは地面に視線を落とした。

 自分の話を聞いて、アイリスが泣いているのを見た時の嬉しさを一体どう表せばいいのだ、こんな風に泣いてくれたのはシオン以来だった。

 本当に、本当に綺麗な人だった。あの二人はきっと違うと言うだろうけど、本当に綺麗だったんだ。

 だから、だからさ……お前らみたいな綺麗な奴らがあんな風に死んじまうのは間違いだろ? お前らみたいな奴らが苦しまないように、泣かないように、俺みたいなのが生まれないように。


  

 

 死ぬ前だけ笑えてもダメなんだ……生まれてからずっと笑顔で生きられる世界じゃなくちゃな。

 だからこんな物はあっちゃいけないんだ。


 今までで一番大きな爆発は、天の火に誘爆した。

 残されていた火が次々と爆発し、やがてそれは一つの大きな爆発になった。

 それは巻き込まれるというよりも、白い光に包まれて消えていくような感覚だった。


 指先が消え、掌が消え、腕が消えた。

 足も爪先から少しずつ光の中に溶けだしていく。

 

 消える、消えていく。汚れた奇跡で出来た体が消えていく。

 痛みも恐怖もない、怒りも悲しみもない。

 やはり自分はここで死ぬ、そう理解したニゲラを強い眠気が襲った。

 もう眠い、眠ってしまおう。そうすればまた、会えるような気がするから。


「約束は……守ったからな」


 アイリスの手紙の最後の一行。


『だから約束して。ニゲラも最期は笑って死ねるように、生きて」

  

 シオン。

 名前をくれてありがとう。

 傍にいてくれて、抱きしめてくれてありがとう。

 花の名前を教えてくれてありがとう。



 アイリス。

 生きる事がどんな事か教えてくれてありがとう。

 シオンの事を思い出させてくれてありがとう。

 世界を見せてくれてありがとう。

 

 光の中でニゲラは涙を一筋だけ流し、笑った。

 この日を最後に天の火が誰かを焼く事は二度と無かった。

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