第2話 藁の少女
--これはただの暇つぶしだ。分かってるんだろうな?
そう自分に言い訳しながら、青年の足は確実にキャラバンに向かっている。
彼自身『藁』をほとんど見た事が無い。それなりに長く生き、様々な場所を回ったがそれでも数える程度しか出会ったことが無く、加えてそのすべてがすでに息絶える寸前だった。食事をろくにとれず水もまともに飲めない、そんな弱り切った藁を見るたびに思わずにはいられない。
--なんて……羨ましい生き物なんだ。
「よっしゃ! お前ら今日は飲めよぉ!!」
『おおおおーー!!』
村の外れの空き地で、キャラバンは宴を催していた。
筋骨隆々とした人売りキャラバンのリーダーであるゲイル・ホーペリーはここ数年の中で一番気分が良い。彼はそこそこの苦労人だった、最近は良質な『商品』を確保できずに資金が底を尽きキャラバンの全員が餓死しかけた事もある。だがそこを彼の手腕で潜り抜けてきたのだ、どうにかして資金や食料を確保できないのか考え抜き行動した。
ある時は下げたくも無い頭を下げ、ある時は奪い取り、ある時は交渉で何とかやりくりしてきた。そんな彼の地道な努力が報われたのか分からないが、ある幸運が転がり込んだ。
少し前に立ち寄った無人の集落で『それ』を見つけたのだ。最初はただの子供だと思って捕まえたのだが、身に着けていたフードを剝ぎ取った瞬間そいつが藁だという事が分かった。
ゲイルは自らの口角が上がっていることに気付く。
藁を捕まえたという報はあっという間にキャラバンに伝わった、藁は売れば三十人程度の規模のキャラバンが二か月は食べていけるだけの金額が付く。
そしてついに買い手が見つかった。それを祝って彼らはわずかに残っていた有り金を使ってこの宴を催していたのだ。
「あんたがこのキャラバンのリーダーか?」
酒に酔い気分が良くなっていたゲイルに声をかけたのは、ぼろぼろの外套を纏った青年だ。だがぼろぼろなのは外套だけで顔は汚れてもいないし、傷の一つも見当たらない。だがそれ以上にゲイルが気になった……もとい気に入らなかったのは彼の目だ。そのすべてを諦めたような、何もかも悟りきったような目が気に入らなかった。
「ああそうだが? 何か用か?」
「藁がいるんだろ? 見せてくれないか」
その言葉にゲイルは何故かほっとする。
--なんだ、ただのミーハー野郎か。
「いいぜ、奥にいるから勝手に見てこいよ。だが変な真似したら……分かってんだろうな?」
グラスを傾け、後方のテントを示す。
青年の目線もそれに合わせて動いた、人が住んではいけないような薄汚れたテントに。
「分かってる、見るだけだ」
テントに足を踏み入れると、鼻が捻じ曲がるような悪臭に覆われた。
汗、糞尿、錆び……いや血の臭いだろう。それらが混ざり合い、獣臭いおよそ人間が放っていい臭いになっていた。
粗末な檻に入れられた奴隷たち、ただ他人に消費されるだけの生き物。
淀んで、曇り切った瞳は何も映さない。
中央の大きな檻の中に少女が横たわっている。だいぶ弱っているのはすぐに分かった。
「生きてるか?」
その声に少女はゆっくりと顔を上げた。年の頃は七、八歳といったところか、白い肌は土で薄汚れ、腰まで伸びた真っ白な髪は荒れ放題だ。
何とか立ち上がった少女は、どうやら古びた大人用のシャツを一枚着ているだけの様だ。
当然と言えば当然、奴隷なんざ服を着せるのももったいないって考える奴が大多数だろう。
むしろ、服を着せてもらってるだけ周りの奴隷よりも上等な扱いを受けている事が伺える。
「へえ、まだ立てるのか。すげえじゃん、お前の名前はなんていうんだ?」
姿勢を低くし、目線を少女に合わせる。
少女は何も答えない。
鉄格子を握り、ただ彼をじっと青い瞳で見つめている。
「おいおい、あんま見んなよ。お前の濁った目なんか見たく……」
青年は見た。いや見てしまったというのが正しい、少女の目は『死んで』いなかった。
ぞくりとするほど澄んだ瞳だ。それに真っすぐ見つめられるのは、とても耐えられるものではなかった。
--やめろ、そんな目で俺を見ないでくれ。
それはたった一つの感情を彼に容赦なくぶつける。
--生きたい。助けて。
少女の目は、ただただそればかりを訴える。それが彼には苦痛だった、確かに助ける事など造作もない。後ろの壁にかかっている鍵束を取って開けてやればいい。だが間違いなくキャラバンには報復を受ける……それが何より面倒だ。
「一応聞いとく、俺の勘違いかもしれないしな」
「お前こっから出たいか?」
何も言わない。
当たり前か、こいつに言葉が分かるはずがない、青年は立ち上がろうとした。
だが彼は立ち上がれなかった。少女の触れれば折れてしまうような細い腕は、彼の袖をつかんでいた。
「しゃーねえな、暇つぶしだ」
「よお、ずいぶん長かったじゃねえか」
テントから出てきた彼にゲイルは声をかけた。すっかり酒に酔い出来上がっている。
「まあな……ありがとさん、珍しいもん見れたよ」
そう言って、彼がキャラバンを後にしようとした瞬間だった。
外套からすとんと少女が落ちた、外套の下にしがみつかせていたのだが腕の力が持たなかったらしい。
「あ」
それを見て、ゲイルの目が血走る。
「てめえ!! おい、あいつを捕まえろ!」
グラスを叩き割り、酔いつぶれかけている他の団員に檄を飛ばす。
団員たちは、アルコールのせいで何が起きているのかはすぐに分からなかった。だが、男が逃げそれを捕まえろと団長が喚いている事だけは何とか分かった。
彼に向かって、五人ほどの団員が事態を上手く呑み込めないまま向かってくる。
「やっべ!」
彼は少女を、子猫を運ぶ母猫の如く襟をひっつかんで走り出す。
まさかキャラバンから離れる数十歩も持たないほど弱っているとは、彼は考えが甘かったと後悔した。
先ほど通った市場を駆ける、後ろからはまだ三人程が追いかけてくる。二人は走り出してすぐ地面に胃の中身をぶちまけてるのを見た、まだ追ってこれないだろう。
滅茶苦茶に市場を走る、通行人を押しのけ走る。
捕まりそうになったので、仕方なく屋台をひっくり返し、三人まとめて転ばせた。
「おい、何てことしやがんだ!」
「悪い! これで勘弁してくれ!」
店主にいくらかの金を投げ渡し、事が大きくなる前に再び走り出した。
残された店主は怒りと突然起きた不幸に困惑しながら、仕方なく渡された金を数える。
それは、ひっくり返された自分の店の商品すべて買ってもおつりがくる額だった。
何とか集落を抜け、開けた空き地までたどり着いた。
「はあ……はあ……げほっ……おえ」
こんなに走ったのはいつぶりだろう。
口の中はにわかに鉄の味がするし、喉も痛い。
酸素が体に入って行かない、まるで水の中にいるみたいだ。
「さーて、こっからどうす……」
そう言いかけた青年の胸を銃弾が突き抜けた。
あまりに突然の事に声を上げる事すらできず、地面に倒れこむ。口からは赤い血が塊になってこぼれ出した。
分かる、今の銃弾が自分の大事な所を傷つけたのを。
「痛ってえ……」
「やっと追いついたぜ、この野郎が!」
二人をしつこく追いかけてきていたゲイルの放った弾丸が、胸を貫いたのだった。
ゲイルは酔いと怒りで顔を真っ赤にしながら、青年の頭を踏みつける。
「おい! 何であんな事したんだ!? ちょっと考えりゃこうなる事は分かってただろ?」
ゲイルの質問に彼はニヤッと口元をゆがめた。
くっくっと喉を鳴らして笑う。
「暇つぶしだよ、最近刺激が足りなかったんでね。分かったらさっさと足をどけろよ」
「ああ、そうかよ」
ゲイルは怒りと呆れを込めて、彼の頭を撃ち抜いた。
頭から血が流れ出し、地面を赤く染めていく。
「さて……と」
怯えて動けなくなっていた少女を捕まえるために、ゲイルは歩き出す。
恐怖に満ちた目で自分を見る少女、見慣れた目だ。何度も見て来た目だ、そして何度も踏みにじった目だ。
ふと後ろで物音がした。
「くそっ……久々に痛えじゃねえか」
気だるげに起き上がった彼を見て、ゲイルの頭はショートした。
「確実に頭をぶち抜いたはずだ! なんで生きてる!?」
彼は眉間の血を拭うとそこには傷は無い、胸のシミも消え外套に穴が開いているだけだ。
「やっぱダメだな、死ぬのには慣れても痛えのには慣れねえや」
彼は口内に残っていた血を地面に忌々しそうに吐き出す。
「ひ……」
ゲイルは酔いがさめると同時に、もう藁の少女の事などどうでもよくなっていた。
すぐにでもここから逃げ出さなければならない、そう彼の本能が叫ぶ。
走り出したゲイルは、市場を抜け自分のキャラバンに戻り自分の寝床に潜り込む瞬間まで後ろを振り向かなかった。
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