ワンミニッツ・アフター・アイスクリーム

名取

ワンミニッツ・アフター・アイスクリーム





 ところであなたのアイス、溶けそうですね?



 うん? そんなことはわかってる、って顔してますね。へー。それじゃ、早いとこ食べちゃわないとね。へへ、うん。冷凍庫に戻すって選択肢はないものね。いやだって、あなた……「戻す」ってことはできませんや。何事もね。そうでしょう。「一度開封したらお早めにお召し上がりください」って、そう書いてあるでしょ? もう嫌になるくらい、そこらじゅう、至るところに。まあ文句垂れてても仕方ない。厚生労働省かなんかが決めたことなんだから、守らないとね。知ってますか? 食品添加物の規定って、この国じゃあ細かい所まで決められていて、ちょっと調べれば、教育ビデオなんかを見ることができるんですよ。食品安全委員会のホームページでね、リスク管理やら、リスク分析やら、まあ学ぼうと思えばね、今どき、誰だって賢くなれるわけですよ。なんだってわかる。人体に無害な人工添加物の量の決め方も、マウスを使った実験も。


 ていうかアイスクリームって、どこからアイスクリームって言えると思います?


 だって液体のとき、それはアイスじゃなくて、卵と牛乳と砂糖の混ざったミルクセーキみたいなもんでしかないわけでしょう。——とどのつまり、そこんとこが重要なわけだ。食品添加物の基準はそりゃあ明確なもんです。「何mgから上は法律違反」ってちゃんと決められてる。それに引き換えアイスってのは杜撰にすぎますよ。アイスがアイスでなくなる、ある一定の地点はあるんですかね? もしそんなものがあるとしたら、みんながアイスだアイスだと浮かれて食ってるのは、本当にアイスって言えるのですか。それはほんの1分前までアイスクリームだっただけの、別の何かかもしれなくて、でもそんなこと気にして食ってるやつなんか一人もいない。みんな阿呆面で口開けてるだけでさ。


 ハハ。食べる前から唇を真っ青にして。


 だんだん思い出してきたんじゃないかな。あなた、記憶力は悪くなかったはずだ。でも何せあなたは冷たい人だったから、脳みそに保存していた過去の記憶をするのに時間がかかるのかもね。アイスだけにさ。ハハハ。笑い事じゃない? そんなこと、あなたが決めることじゃないや。

 それじゃあ、あなたがもっと思い出せるようにしてあげましょうかね。これ、あなたの言葉だよ。


「心が壊れたら、一生元には戻らない」。


 作文コンクールで大賞ってすごいですよね! こんな私にもね、中学生のときがありましたよ。いやー、まあ賞になんてついぞ縁のない学生時代だったけれどね、それなりに幸せではあったかな。それにしても、不思議ですよね。人権だの心だのがテーマの作文コンクールがあると、たいてい壇上に立って表彰されるのは、クラスのいわゆる「ガキ大将」というか、まあ平たく言って「嫌なやつ」ばっかでしたよね。うちの学校だけだったのかな? ともかく、なんか世界に暗黙のルールっていうか、裏工作をする秘密結社みたいなもんがあって、そういう作為的な力が、最低な彼らに賞を与えているのかな。って馬鹿な僕なんかは思ってました。一本のリアリティショーを、やらせ現場も込みで見ているみたいで、それはそれで面白かったですけどね。


 で、あなた言ったんだ。


 心が壊れたら、一生元には戻らない。だからいじめは絶対あってはならない、許してはいけないんだ、って——マイクの前でね。

 うん、うん。泣けてくるね。

 歯をガチガチ鳴らすほど懐かしかった?


 あなたにとって、アイスと非アイスの境目ってどこなのですか。どこからが食いもので、どこからがゴミなんですか。ほんの1分前まで食い物として大事にしてても、ある地点を過ぎたら、さっさと捨てちまうんですか。それがあなたの人生ってことですか。仮にそんな地点、厳密に決まってなかったとしても? みんなに愛されてる、甘くて可愛いアイスクリームだったとしても? 溶けきったら流しに捨てる。溶け切る前に戻すなんてことは思いつかない。だって捨てたら新しいのを買うだけだから。それがあなたの生き方ですか? 

 へー。

 ん? 謝る? 

 へへ、謝るって……何を謝るっていうんですか。初めに言ったでしょ、「戻すってことはできません」と。面白い人だなー。あなたの言葉で首吊っちまった妹は、もう戻らないんですけど。兄がいるなんて知らなかった? アハ、僕、不登校だったからね。でもこんななりに独学で頑張って、大検も取ったんですよ。ま、大学生のあなたは大検なんか知らないか。

 

 食品添加物の話、続きしましょうか。


 添加物の毒性を調べる試験って、もちろん人間を使うわけじゃなくて、同じ哺乳類のマウスでやるんですよ。一般毒性試験と特殊毒性試験の二種類があって、最も短くて28日、最も長くて一生涯、。まあ繁殖試験というのもあって、二世代に渡る場合もあるんですが。あなたは男性だから関係ないですね。

 

 まあ、そのような実験によって定められたのが、1日摂取許容量……俗に言うADIというわけです。


 でもあなた、口で説明されただけじゃ、永遠に理解なんてしないでしょう? そんな方のために、僕、特製アイスクリームを用意したんですよ。その綺麗なガラスの器に入ってるバニラアイスには、ADIの10万倍の量の加工デンプン、グリセリン脂肪酸エステル、トラガントガム、バニリン、そしてアセスルファムKを加えてあります。だから、たぶんと〜〜っても美味しいですよ? これがほんとの食育ですね。ハハ。震えるほど喜んでもらえて。


 あ、別に無理して食べなくてもいいんです。アイスの気分じゃない時ってありますよね。その時は、この低温の部屋にずっといてもらうだけですから。拘束具は外れませんし、他のご飯も出ませんけどね。もしアイス食べてくれたら、室温上げてあげますし、多少は他のものも食べさせてあげますよ。

 知ってますか? 

 日本国内で行方不明になる人の数って、結構多いんですよ。だからね、あなた一人いなくなっても、なんの不思議もありません。それにもしも捜索隊があなたを見つけたとしてもね、僕は別に構いやしないのですよ。あなたの身体と心が、時間と共に勝手にでろでろ溶けていく。それさえ叶えばいいです。

 もう三日飲まず食わずで座り通しですよね……お辛いでしょうねぇ〜。そろそろベットで横になって寝たいでしょ? 水も飲みたいでしょ? へへ。顔に出る人だなー。面白ーい。


 ところであなたのアイス、溶けそうですね? 

 何をためらうことがあるんです?



 さあ——ほら。


 

 

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