後奏―初夏色ブルーノート―

 あの日のことを思い出してたら、頼んでいたアイスコーヒーが運ばれてきた。ぬるくなり甘ったるいだけのパフェをかきこんで、飲み込む。


 すっかり忘れていた。

 あのとき自分が気づいた、良い絵を描くだけじゃなくて目標がないといけないということ。そして、あの時たどり着いた自分の目標のこと。

 大学を卒業して、非正規の仕事をしながら制作を続けて、思った以上に上手く行かないまま三年目に入った。

 上手く行かない中、ウィルスの影響もあって仕事も少なくなり、あたしは何で絵を描いてるのか、その理由をいつの間にか見失っていた。


 流れていたあのジャズが終わりを迎え、ラジオのDJが話し始めた。

 太陽を睨んでから、アイスコーヒーに手をつける。コップに満たされているコーヒーを、何も入れずに一気に飲み干す。

 苦い。けど、なんだかすっきりした。

 あの曲が流れて、あの日のことを思い出して。なんだか偶然じゃない気がした。なぜなら、今日はあれが届く日だ。

 テーブルの上のスマホを操作する。午後一時過ぎ、今から家に帰ればちょうど良いだろう。


 あたしはさっと立ち上がると、レジに向かった。客がいない今、店員さんも素早く応対してくれる。

 スマホで支払うと店を後にする。さっきまで流れてたジャズを口ずさみながら。それは歩いているうちにいつの間にか、自分が好きなゲーム音楽に変わっていった。












「ありがとうございました」


 配達指定時刻に届いた荷物を受け取ると、あたしは配達員さんにお礼を言った。

 ドアを閉めて部屋に戻り、箱を開ける。そこにあるのはCDアルバム。ゲームのサウンドトラック。


 あれから、智昭とはそれなりの距離を保ったまま付き合っていたけれど、違う学科だったこともあり、学年が上がって忙しくなると徐々に会う回数が減っていった。

 あたしはどちらかというと、頻繁に連絡を取り合うのが嫌いだから、そういった繋がりも段々と切れて、そのままあたしたちは卒業した。

 いわゆる自然消滅だから、あたしは別にあいつが嫌いってわけじゃない。多分あいつもそうだろう。


 フィルムを剥がしてCDを開く。二枚組のサントラで、ブックレットもついている。

 ブックレットの表紙にはゲームタイトルが書かれている。ダウンロード限定で発売されたゲームで、永遠に初夏が繰り返される街に迷い込んだ少女の物語。

 よくよく考えればこれも初夏のお話で、やっぱり今日のことは偶然ではない気がしてくる。このゲームは面白くて曲も気に入ったけれど、あたしがサントラを買ったのはもう一つ理由があった。


 ブックレットの中、担当した二人の作曲家の紹介欄、そこには「入間智昭」の名がある。


 智昭がゲームの作曲家になったと知ったのは、偶然実名名義のSNSを見つけたからだ。

 今回このゲームでは初めて楽曲制作に携わっており、しかもメインテーマを手掛けていると、SNSで智昭はつぶやいていた。


 CDを一枚取り出してパソコンに入れた。シュンシュンと音がして、やがて最初の曲つまりメインテーマが再生される。

 初夏を思わせる気が滅入るような雰囲気とともに、どこか前向きな気持ちを感じさせるこの曲はなんだかジャズっぽい。

 曲のタイトルを確かめようと、ブックレットをめくる。ゲーム音楽はサントラができるまで、曲名がわからないことが多い。このメインテーマもそうだ。

 それに、ブックレットには作曲担当者のコメントも載っているはずで、あいつはどんな思いでこの曲を作ったのだろうと考える。

 曲紹介の最初のページを開いて、手を止めた。





『1. 初夏色ブルーノート』


○作曲家コメント

 はじめての作曲参加作品で、メインテーマをやらせていただけるとは思っていなかったので驚きました。

 ゲームの物語を意識して、初夏の雰囲気を表現しつつ、不思議な街からの脱出を試みる主人公の前向きな気持ちも感じさせるようにしました。

 ブルーノートとはジャズやブルースに使われる音階で、この曲にも使用しています。

 以前、初夏の深夜に友人と将来の目標について話しこんだことがあり、その際手帳に書いたメロディを不意に思い出し、その音を利用して作りました。





 そうか。この曲は、あの日青い手帳に書き留めていた音なのか。

 あたしたちが自分の現状に迷っていて、ようやくそこから足を踏み出そうとしていた時に、智昭が書いた音。それはまさしく不思議な街に迷い込み、そこから逃げるために歩み出すゲームの少女そのものだ。

 良い曲だと素直に思う。

 それはもちろん、流れるシーンに寄り添っている良い曲という意味。なぜなら、少女が不思議な街に迷い込む中、逃げ出すことを決意する冒頭のシーンにぴったりだったから。

 あいつは目指していたものに、なれたんじゃないだろうか。


「あんたはいつも先に行く」


 あの時も智昭のおかげで気づけたし、今もあいつの方が前に進んでる。

 智昭が、流れるシーンに寄り添うことができる良い曲を作りたいって言った時、頭の片隅で思ったんだ。あたしもそんな絵を描きたいって。絵を見た人に寄り添うことができる作品、例えば落ち込んでいる人が見た時に、元気になれるようなそんな絵を。

 公募もなかなか上手く行かず、それで始めたSNSでもあまり絵を見てもらえなくて。

 そんなこんなで、いつしかあたしは目標を見失ってしまったわけだけど、智昭のお陰で思い出せた。あたしはまたあいつに助けられたらしい。

 そのことに、段々腹が立ってくる。あいつに負けてばっかでいられるか、あたしだってまだまだできるはず。


 あたしは別にあんたのことが嫌いじゃない。連絡しても構わない。でもそれはきっと今じゃない。

 少なくともあと一歩、いや二歩くらい、あんたに近づけたら連絡をしてやろう。それまで待ってろ。


 あたしは、久しぶりに画材を引っ張り出そうと思い、勢いよく立ち上がった。今日の制作に流す曲はもう決めている。智昭の曲、初夏色ブルーノート。








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