第4話 大体、アーデは過保護だよ。

 暗い森を抜け、明るく照らされた地面を踏みしめると、ネロは自分の体よりずっと大きなローブに付いているフードをかぶった。


「君まで来なくても良かったんだよ。」


 ネロは後ろを振り向かず、アーデに言った。アーデはにこにこしながら答える。


「あなたが心配なの。人間族ヒューマンの国って、ネロのトラウマそのものみたいなもんでしょ?」


 ネロは足を止めない。アーデの言った通りだが、ネロは少し不満気味だ。


「大体、アーデは過保護だよ。僕もう大人なんだぞ。」

「人間族の国で少し見たいものもあるから、100%ネロの為ではありません。」

「ぐっ…。」


 そうこう話している内に、人間族の国に着き、二人はエルフの国からの観光客として入国した。アーデの魔法は精度が高く、門番の人間ヒューマンには二人の変装は見破られなかった。アーデが何度か入国できたのも頷ける。

 ネロはアーデを連れて、真っ先にある場所へ行った。そこは看板に剣の絵が描かれている店だ。扉を開けると、いかつい鎧や鋭い剣が並んでいた。客は一人だけだった。店の突き当り、カウンターの向かいに座っているガタイの良い大男がこちらを見た瞬間、細い目が大きく開き、ネロは人差し指を口に当てた。そう、鍛冶師で武器屋を営むカイザンである。


「カイザンさん、注文してたものは奥ですか?」

「あ、あぁ、そうだ。奥へ入ってくれ。」


 カイザンは店番を弟子と代わり、バタバタと店の奥へ入って行った。

 店の奥は鍛冶場になっており、ネロは懐かしい気分になり、思わず表情筋が緩む。アーデはそんなネロを嬉しそうに見ている。そこへカイザンがやって来た。


「ジャン、急に来てびっくりしたぞ。しかも、こんなべっぴんさんまで連れて…。」

「すみません。急にこちらへ用事ができまして。」


 ネロはフードを外し、カイザンに顔を見せた。アーデもフードを脱いでみせた。エルフ特有の長い耳が露わになった。


「彼女はアーデ、見ての通りエルフ族だよ。」

「初めまして、アーダレーアと申します。」


 アーデは上品にお辞儀をした。カイザンもつられてお辞儀をする。ネロは再びフードをかぶると、


「じゃ、少し行ってくるから。アーデ、ここで待ってて。」


 と言って颯爽と鍛冶場を後にした。鍛冶場に残されたアーデはにっこりと笑って、小さく手を振った。そしてカイザンに向き直り、話しかけた。


「あの、カイザンさん?ネロはきっとすぐ帰ってくると思いますの。すみません。」

「まったくアイツは…。えっと、アーダレーアさん…。」

「アーデとお呼びくださいな。」

「はい、ア、アーデさん。あの、言葉、お上手ですね。」

「えぇ、時々この国へ来るのです。その内に覚えました。役に立ってよかったですわ。」


 カイザンは、古臭いローブの上からでも感じ取れるアーデの妖艶な美しさに、舞い上がっている。まるで、年上に恋した少年の様だった(実際アーデの方が年上だが)。対してアーデは落ち着いており、ネロの帰りを待つ間に目的を果たそうとするのである。


「カイザンさん、ネロの小さい時のお話を伺ってもよろしいですか?」


 今回のアーデの目的は、ネロの過去を知る事だった。



 一方、ネロは昨夜のことを思い出しながら病院…ではなく、薬屋に向かっていた。正確には、ネロは病院に行きたくなかったので、薬剤師に話を聞くことにしたのだ。道中の街の様子をキョロキョロと見渡しながら足早に歩く。7年も経ったというのに、この国は変わっていないと実感した。


「ジャスミン…?」


 すれ違い様に、聞き覚えのある声がしたので、思わず振り返ると、エプロン姿の中年女性と目が合った。しかし、ネロは聞かなかったフリをして通り過ぎる。


「ジャスミンよね。間違いないわ。私の娘…!」


 俯くネロの歩行は段々遅くなっていく。「僕の事をニックネームではなく、本名で呼ぶのはあの人だけだ。」「振り向いたら、止まったら、きっと泣いてしまうかもしれない。」と思っていたが、気づいたら足が止まっていた。そして、その女性はネロに追いつき、手を握った。


「ジャスミン、お家に帰ろう。」


 ネロは振り返ってナタリーの顔を見た。



 全てが懐かしい家。母を待ちながら料理を作っていたキッチンも、居間の奥にある二人の寝室も、全てがネロを奇妙なノスタルジーで包み込む。


「お茶入れるわ、座って。」


 言われるがままにネロはキッチンの椅子に座る。懐かしいのに、嬉しくない。ネロはお茶の準備をしているナタリーを見つめる。「お母さんって、あんなに小さかったっけ、あんなに皺多かったっけ、あんな嬉しそうな顔するんだっけ。」とネロは思った。ぼーっと呆けた顔をしているネロに、ナタリーは話しかける。


「何か食べたいものある?」

「いや…特に無い。茶飲んだら行くよ。」

「どこへ行くの?」

「…薬屋。」


 ナタリーは「禁忌の森」とネロが答えなかった事に安心した。


「どこか悪いの?」

「いや、初潮が来たんだ。」


 ナタリーはティーカップをネロの前に置き、向かいに座った。カップからはラベンダーの香りがして、ネロはカップに口をつけた。が、すぐにカップを置いた。


「お母さん、昔は聞きたかった事は山ほどあった。でも、今は聞きたいことが無いんだ。だから、お母さんも僕に聞きたいことがあるなら一つだけにして。」


 ナタリーは何を聞こうか困ってしまい、言葉を失った。目の前のラベンダーティーから湯気が見える。


「僕急いでるんだ。同居人が僕の事待ってるからさ。」


 ネロは立ち上がると、ナタリーが慌てて


「えっ、同居人?誰と住んでるの?」


 と質問した。ネロは、にやっと片方の口角を上げ、いつもの無愛想に戻ると、


「美人なエルフだよ。僕の大切な人。」

「そっか…。森へ戻るの?お母さんにまた会いに来てくれるわよね?」

「聞きたいことは一つだけにしてって言ったろ。じゃ。」


 ネロはフードをかぶり、颯爽と家を出た。ナタリーが追いかけて来てネロの腕を掴み、抱きしめた。


「ジャスミン!行かないでよ!お母さんずっと待ってたのに!」


 ネロは、自分の母親が無様に自分にすがりついている姿を見て、驚いた。近所の人や通りすがりの人達がわらわらと集まってくる。それでも、ナタリーは泣きながらネロを引き留めようと必死だ。


「ジャスミン!行かないで…!」


 ネロはナタリーを引きはがそうとするが、力が及ばない。そんな時、野次馬の一人が言った。


「ジャスミンって、禁忌の森に行った娘か!」


 その言葉に続いて他の人間が口々にヘイトをネロとナタリーに投げかける。


「禁忌の森から帰って来るなんて!不吉な娘!」

「呪われてるんじゃないのか?!」

「きっと俺たちに災いをもたらすんだ!」


 野次馬たちは小石をネロに投げ始めた。


「死ね!」

「出ていけ!」


 ナタリーは小石を投げられてもネロを離さない。


「ナタリー、危ないからこっちに来て!」


 野次馬に紛れて、ナタリーの同僚がナタリーに助け舟を出した。


「この子は呪われてなんかいないわ!離さない!」


 ネロは冷静に周囲の人間たちを観察していた。小石がネロ自身の顔に当たっても、ナタリーの腕に当たっても構わず観察し、考えを巡らせていた。「思った通りだ。人間ってやつは保身ばかりで、考えが足りない。変わらないんだな。」

 ナタリーは腕の中のネロが、何か喋った気がしたが変わらず抱きしめ続けていた。

 突然、ナタリーはネロに突き飛ばされて野次馬の中へ。その力はネロのものとは思えなかった。ナタリーの同僚はナタリーに駆け寄る。ネロは罵声と小石の雨の中、ナタリーに向かって微笑んだ。


「お母さん、さよなら。」


 ナタリーの耳にはその言葉が届かなかったが、唇の動きでなんとなく察した。その刹那の後、ナタリーと野次馬たちはひどい耳鳴りに襲われ、全員が弱弱しく地に膝をつき、中にはへたれこむ者もいた。

 耳鳴りが止んだ数秒後、ナタリーの目の前には自分と同じように、よろよろと立ち上がる人たちがいる。そばにいる同僚に声をかけた。


「さっきすごい耳鳴りがしたの。あなたも?」

「うん。…あら?泣くほど辛かった?大丈夫?」

「え?大丈夫よ。でもなんでかしら。」


 ナタリーは指で涙を拭き取り、笑顔で


「ま、まあ!せっかく家の前まで来たんだから、お茶でもしない?」


 と誘った。同僚を家へ招き入れ、キッチンに入るとまだ温かいラベンダーティーが二つ置いてあった。


「誰か来てたの?」

「ううん、…。私2杯も飲んだのかな、ふふっ。」


 ナタリーはティーカップを片付けた。



 ネロは薬屋で用事を済ませると、疲れた顔で鍛冶屋に戻ってきた。すると、なぜかアーデがカイザンと店番をしている。傍から見ると、二人は恋人同士に見える。ネロは何となくモヤっとした。アーデはネロに気づくと、家に帰ってきた時と同じように抱きついた。


「ネロ!おかえりなさい!」

「あぁ。」


 ネロは乾いた返事をすると、アーデから離れ、カイザンに向かって何かを呟いた。すると、カイザンは一瞬意識が遠退き、倒れそうになったがなんとか踏ん張った。


「大丈夫ですか?」


 アーデがカイザンを心配する。


「立ち眩みかな、はっはっは。大丈夫です。いやしかし、美人に心配してもらえるとは怪我の功名ですな。」


 アーデはふふっと笑う。


「ネロ、今のって…」

「カイザンさん、我々は森に戻ります。」


 ネロはアーデの言葉を遮った。


「あぁ、また良い素材を頼むよ。またな、ネロ。」



 人間族の国から出国した後、しばらく歩いてからアーデはネロに尋ねた。


「ネロ、聞きたいことがいっぱいあるんだけど…。」

「うん、分かってる。なんでも答えるよ。」


 アーデはネロの表情が少しスッキリしているように見えた事が、返って不安になった。


「えっと、まずはね、どうして人間なのに呪文が使えたの?」

「話すと長くなるよ~。」


 ネロはアーデの方を向いてにやりと笑ったが、アーデは不満気味だ。アーデはいつものネロらしくない振る舞いに戸惑う。


「ごめんな。えーと、そうだな。簡単に言うと悪魔と契約したんだ。さっき。」


 アーデは何となく予想はしていたが、とても驚いた。


「契約自体は鍛冶屋に戻る前、悪魔と話したのは昨夜。」

「昨夜…?」


 ネロは昨夜から契約までの出来事を語り始めた。

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ジャスミン 灰野柴犬 @shiba_perro

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