第3話 人間族の国に行かないといけないって事ですか?

 闇市ブラックマーケットからの帰路、太陽は西へ傾いたが禁忌の森以外はまだまだ明るい。禁忌の森は異常に生い茂る草木と魔物たちが放つ瘴気のせいで昼間でも暗い。トマスは目印とアーデの微精霊を頼りにネロとアーデの家へ向かっていた。

 トマスが家の近くまで来た時、一方のネロはスライムみたいな溶けた顔で、トマスの背中に涎を垂らしながら半開きの目で前方を見つめていた。ネロは家の近くに微精霊がたくさんいたので、アーデが家にいる事に気づく。


「トマスさん、もしかして…、アーデが飯作ってるよな?」

「エルフなのにアーダレーアって飯作れるのか。」

「僕と出会うまでは作ったことなかったみたいだよ。エルフだからあまり自然に手は加えないんだって言ってた。」

「そういえば昨夜、アーダレーアに言われて鹿肉持って行ったな。今日の為だったわけだ。」


 ネロは服の裾で涎をこするようにふき取り、トマスの背中から降りた。

 二人で家に入ると、アーデが笑顔で振り向いて出迎えてくれた。


「おかえりなさい、ネロ。寝てたんでしょ?涎の後ついてるわよ。」


 アーデに言われ、トマスにからかわれ、ネロは


「うっせー。」


 と少々不機嫌になりつつも、井戸で顔を洗うために外へ再び出て行った。


「あー、最近下っ腹いてーし、ニキビできるし、最近すぐに感情的になっちまう。」


 と独り言をぼやきながら居間に帰ると、ネロの目の前には、芸術と呼べるくらいに美しく加工された果物が色とりどりに飾られていた。


「これすげー!」


 ネロは先程までの眠気が一気に吹き飛んだ。アーデは包丁を置いて笑顔のままネロに近寄り、軽くハグをする。


「これからいろいろ作ろうと思ってたのよ。簡単な物しか作れないけど…。」

「これは簡単な物の域なんだね…。」


 火を使った料理はあなたの方が上手よ、ともう一度ハグする。


「アーデは器用だなぁ。」


 トマスが芸術品となった果物達をまじまじと眺めながら、呟く。


「ねぇ。ネロ、トマスさんも一緒にお祝いしてもいいでしょう?」

「別に構わないよ。料理、増やさないとね。」


 ネロたちのキッチンは、トマスにとって小さすぎたため、トマスは大人しく二人を眺めることになった。いつもぶっきらぼうなネロの料理の手際の良さに感心していると、次々と料理ができあがった。

 三人はテーブルを囲んだ。恥ずかしそうにするネロの横に座る、一番嬉しそうなアーデが最初に口を開く。


「はいっ、じゃあネロの成人を祝って乾杯!」

「「乾杯!」」


 食事が進み、葡萄酒が進み、少し経った頃、トマスがアーデに尋ねた。


「俺が昨日持ってった鹿肉はこの燻製とステーキになったのか?」


 ネロがその質問に便乗した。


「そういえばステーキは僕が焼いたから、燻製はアーデだよね?」


 アーデはニコニコしたまま答えた。


「人間族の国に行って燻製にしてもらったの。」


 ネロが真っ先に反応する。


「ど、どうやって入国したんだ?」


 アーデは人差し指で小さく円を描き、自信有り気に答えた。アーデの人差し指に微精霊たちが集まる。


「変装と魔法よ。これくらい私にはどうってことないわ。」

「しかし、普通のエルフならまだしも、ダークエルフだと偏見の目があるだろうに。」

「んー、でも美味しいからネロに食べさせたかったのよねぇ。闇市は臭いから苦手だし…。」


 トマスはアーデが今無事なら、と突っ込まなかった。しかし、ネロは違った。

 ネロの頭の中では昔の記憶が蘇る。段々とネロの心臓の鼓動が大きくなっていく。目つきが鋭くなり、葡萄酒のせいで赤くなった顔から冷や汗が噴き出る。


「ネロ…。」


 ネロはアーデを見ると、彼女の笑顔が消え、心配そうな表情に変わっていた。


「あ、あぁ、うまいよ。ありがとう、アーデ。」


 ネロはアーデを心配させないように笑顔を作った。


「アーデはネロの事大好きだよなぁ。わざわざ人間の国まで行くしよぉ。」


 トマスは葡萄酒でのどを潤して続ける。


「料理も覚えて、器用に果物を飾るし、驚いた。しかしネロの手際の良さにはもっと驚いたけどなぁ。」

「ネロすごいでしょ?」


 アーデはいつもの笑顔に戻っていた。


「ずっと一人だったからいろいろ自分で覚えただけだよ。共通語コムーニだって念のため覚えただけだし。」


 ネロは一瞬母親を思い出し、酔いが回っている事を自覚した。


「俺はお袋がしっかりしてたから何も覚えなかったなぁ。今も料理とか家事はカミさんに任せっきり。」

「ハッ、幸せもんだな。」


 ネロはトマスを嘲笑し、さらに続けた。


「優しい両親に育てられると、何もできねぇ能天気になるんだな。」

「俺の両親は本当に優しかったな。獣人族ハーフビーストはみんな絆を大切にする風習があるから、俺も子供ができたら同じようにするつもりさ。」


 トマスの言葉にネロは更にイライラした。腹の中でどす黒く汚れた何かが渦巻き始めていた。


「ネロも親孝行は早めにしとけよー。」


 トマスは笑いながら話し、ネロの嫌味を理解していないようだ。ネロは服の裾をギュっと握りしめて俯いた。


「うっせぇ。」

「え?」


 ネロは自分の声と思えないくらい低い声で呟いた。


「僕はお前みたいな家族大好き能天気種族が大っ嫌いなんだよ!」


 ネロは握りしめていた拳をそのままテーブルに叩きつけた。アーデは、トマスを睨むネロの両肩に手を置いてなだめようとしたが、振り払われてしまった。一方のトマスはネロの言葉に驚き、固まっていた。トマスは世界中の皆が、全ての種族が、数は違えど家族がいるもので、そして愛する事が当然だと思っていたからだ。


「うるっせぇんだよ!僕は人間族ヒューマンが嫌いで!死ぬつもりで禁忌の森ここに逃げてきただけだ!お前だってダークエルフだから嫌われて禁忌の森ここに来たんじゃねぇのかよ!」


 部屋の中の蝋燭の火が揺らいだ気がした。ネロは声を荒げてアーデに己の汚い感情を言葉にして口からぶちまけた。腹が痛い、呼吸が上手にできない、イライラする。ネロはアーデの顔を見てただ息を切らせていた。

 しかし、アーデは怒ることなく、ただ表情が悲しそうなのに優しい顔になっていただけだった。それを見たネロは苦しそうに弁解する。


「あ…、ごめん、ごめんよ。アーデ。傷つけるつもりなんてなかったんだよ。」


 ネロは思う。今の自分はきっと醜い顔をしていて、アーデに八つ当たりして、最低だ、アーデにも嫌われるんだ。アーデのその表情が、ネロには幼いころの自分の心のように思えた。アーデは少し口角を上げて言う。


「…あなたはきっと…、他の誰かを傷つけてしまうと、自分も同じように傷ついてしまうのね。あなたはやっぱり優しいんだわ。」


 アーデはネロの瞳から流れる涙を指で拭き取りながら微笑む。そんなんじゃない、と言おうとしたが、声を出す前にアーデが先に声にした。


「ずっと苦しかったのよね。」


 ネロはアーデの指で拭き取れないくらいの涙が溢れた。アーデはネロの額にキスを落とす。


「そうねぇ、先に私からお話ししようかしら。」


 と言ってアーデは自分の過去を語りだした。トマスはショックから戻った。


「私がダークエルフになったのはね、誰かからの呪いなのよ。ダークエルフになってからは、エルフみんなに嫌われちゃって、ネロと同じように禁忌の森に逃げてきたの。もう何百年も国には帰ってないし、帰れないわ。」


 アーデはネロの両手をそっと握った。


「森にたどり着く直前に生き倒れていたのだけど、トマスさんに助けてもらったの。それから精霊と一緒にここで暮らしていたら、あなたと出会ったのよ。」


 トマスが口を開く。


「アーダレーアはこの時まだ成人していなかったから、今日どうしてもネロと祝いたかったみたいだな。それなのに、俺がバカなばっかりに…、すまん、二人とも。」


 ネロはアーデの方へ向きなおして目を見つめた。アーデの瞳は学校で習った通り、ダークエルフ特有の漆黒だったが、ネロにとってはとても美しい黒曜石の様だった。


「僕、アーデと出会った時に言ったよね。」


 アーデはキョトンとする。


「僕は黒が好きなんだ。アーデのきれいな黒い瞳が好きだ。」


 アーデはふふっと笑ってネロをいつもより強めに抱きしめた。ネロはアーデに抱きしめられたままトマスの方に顔だけ向けた。


「おっさん、強く言って悪かったよ。」


 トマスは頷きながら


「俺も無知で、無神経だった。すまん。」


 ネロは内心、仲直りが早めにできてホッとしていた。きっと人間族同士だったら、こんなにうまくはいかなかっただろう、とも思った。


「あ、そうだ。アーデ、プレゼントがあるんだ。」


 昼間、闇市でカイザンに依頼しておいたグラスを思い出した。アーデの腕の中から抜け出すと、いつも闇市や鉱石採取で使う袋からグラスを取り出し、元の席に戻る。


「アーデ、いつも…あ、ありがとな…。」


 顔を赤らめてアーデにグラスを手渡す。アーデは両手でそれを受け取る。


「ありがとう。ネロ。」


 トマスは二人を見ながら薄っすらと涙を浮かべた。


「おっさん何泣いてんだよ。」

「俺がカミさんにプロポーズした時を思い出したら懐かしくてな、つい。グスッ。」

「そんなんじゃねーよ!いつもの礼だっつの!」


 はぁ、とため息を吐いた瞬間、ネロは下腹部に違和感を感じた。勢いよく立ち上がると、ネロが座っていた所に血痕があった。


「ネロ!血が…!」


 トマスはネロの突然の出血に、アーデよりも驚いた。


「どうして血が出てるんだ!なんだ?!病気か?!」


 ネロは血を見て気持ちが悪くなってきた。トマスはネロを闇医者に診せようと、アーデに提案する。アーデもそれに賛同し、トマスはすぐにネロとアーデを自分の背に乗せて闇医者が営む診療所へ走った。




 トマスによると、禁忌の森の中心部に、医者を生業にする鬼族オーガの男がいる。戦闘種族なのに戦わず、額から生える二本の黒い角はただの飾りだと言う。

 闇医者と言われることに不満はなく、自分と同じ、表の世界で生きていけない仲間のけがや病気を治す事が楽しみな、少し変わった男だ。


「センセイ!急患だ!」


 表の世界に居ながら日陰者と接する騒がしい男が来た。闇医者はテントの外の声に、にやりと笑った。テントから出ると、トマスの背中からアーデと小柄な人間と現れた。


「おや、人間とは珍しいね。さあ、こちらへ。」


 テントへ3人を案内すると、闇医者はネロを問診した。


「人間は専門外だけど、たぶん構造上小人族グラスランナーと我々鬼族に近いだろうね。」

「ネロから急に血が出たんだ!センセイ、ネロは変な病気じゃないのか?!」

「病気じゃないよ。ネロ君は初潮が来ただけだね。」

「ショチョウ?!どんな病気だ?!」


 アーデがため息を吐いて口を挟んだ。


「初潮よ。女の子ならみんなあるでしょう?」


 闇医者は笑いながら言う。


「アーデは冷静なんだね。そういうわけだから、トマスさん、落ち着いて。」


 トマスは一人だけ慌てていた。


「え、だって初潮って、女性だけの、え?」


 アーデは腕組みをしてトマスに言った。


「ネロは女の子よ。一度でも男って言ったかしら?」

「え!だってアーダレーアも血が出た時知らなかったじゃん!」

「エルフと種族が違うから知らなかっただけよ。」


 当のネロは貧血でふらふらしていた。


「私は医者だけど、人間についてはよく知らないから、一度ちゃんと人間族の医者に診てもらった方がいいね。」

「人間族の国に行かないといけないって事ですか?」


 ネロは眉間にしわを寄せて尋ねた。


「そうだね。人間族が禁忌の森で生きていけないのは、特に初潮を迎えた女性は知性の無い魔物に襲われやすくなるからなんだ。今まで無事だったのは精霊の加護によるものかな。ね?アーデ?」

「やっぱりセンセイには、お見通しだったわけね。」


 3人は診療所を後にした。トマスは予定より遅くなってしまったが、二人を家まで送ってくれた。送り届けた後、カミさんに怒られる、と慌てて帰っていった。


「人間族か…。」


 ネロはベッドに横たわると腹痛と不安を抱えてうずくまるのであった。

 アーデがネロの想像にネロを守っていてくれたのだと、初めて知った日だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る